○第64回学習院大学史料館講座『日本美術史 三粋人饒舌―水墨画・琳派・浮世絵の魅力-』(講師:河野元昭、河合正朝、小林忠)(2011年6月4日、15:00~17:00)
学習院大学史料館のホームページに、地味にこの告知が載っているのを見つけたときはびっくりした。ホントに「日本美術史界きっての大御所」三講師がお揃いになるんだろうか。場末の演芸場みたいに、一文字違いの別人が出てきたりしないよね、なんて、余計な心配までしてしまった。
会場は相当に大きなホール(1100名余を収容可能)だったが、1階部分に限っていえば、6~7割方埋まっていたのではないかと思う。学生さんと、史料館講座のリピーターらしいお年寄りが半々くらい。
第1部は、河合正朝先生が「水墨画の魅力」を、河野元昭先生が「琳派の魅力」を、そして小林忠先生が「浮世絵の魅力」を、それぞれ20分ずつ語るという、あまりにも贅沢なプログラム。美味しいところをちょこっとずつ盛りつけた懐石料理みたいだった。
河合先生は「墨は五彩を兼ねる」「湿気を含んだ大気を自然主義的な表現で描いたもの」「霧が晴れれば、有色の世界が見えてくる」など、水墨画のキーコンセプトを、限られた時間で、きっちり解説。河野先生は「琳派の本質は装飾的なシンプリシティである」(※装飾という語は、明治以降、オーナメントとかデコラティブの訳語として用いられるようになったが、河野先生の意図はどうも違うみたい)「(宗達は)近世的明朗さが強調されるが、実は室町の能楽(の象徴性)とも結びつく」など、気になる発言を残して、時間になったら、さっと演壇を下りてしまった。何たる天衣無縫ぶり。小林先生は、さまざまな主題の浮世絵のスライドを実地に見ながら、「演劇(役者)がこれほど多く描かれた国はない」「浮世絵の本質は懐かしさ(ノスタルジー)」などの指摘を訥々と開陳する。「浮世絵(版画)は、版元、絵師、彫師、摺師の共同制作である」というのも、あらためて腑に落ちた。
後半は小林先生の司会で鼎談となったが、ほどよい距離感で並んだ3人の存在感は絶妙だった。小林先生によれば、美術業界では、この年齢も近い「3Ks(スリー・ケイズ)」は、国際的にも有名であるとのこと。禅画の三幅対みたいだ、と思った。
はじめに河合先生が「琳派について、もう少し」と話題を振られて、「最近は、琳派を否定する人たちもいるんだけど…安村さん、来てないか? 議論したいんだけど」と会場を見まわして、大きな声を出されたのには噴き出してしまった。「出光美術館の琳派展は予想の3倍も観客が入ったそうですね」と言われて、同館理事の河合先生が「前にやったときは全然入らなかったんですよ」と、申し訳なさそうに告白。確かに今年2~3月の琳派展はよかったものなー。人が入らなかった琳派展ってどれだろう?と、いま過去ログを調べてしまった。
琳派における「私淑」関係から抱一の蓮花図(細見美術館の白蓮図)の話になったところで、「山水の一部である”花鳥図”を主題に据えることで、日本に水墨画が定着した」という戸田禎佑氏の説につなぐ(小林先生の司会は巧いw)。中国と日本では、自然に対する人間の立ち向かい方が違う、という話になり、中国人は山水に「真」を見るが、日本人は「美」を見る、とおっしゃったのは、河野先生だったかしら。
それから、世界の中の日本美術を考える上で、河合先生が、19世紀末(幕末~維新)はエキゾチシズム的受容であるのに対し、第二次大戦後は、もう少し日本美術の本質についての理解が深まったのではないか、と冷静なコメント。新たな話題に進むかと思ったら、時間切れになってしまった。そもそも無理なんだよ~、この話題豊富なメンツで40分の鼎談なんて。
でも贅沢な企画で、楽しかった。肝腎の展示『明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-』は見る時間がなかったので、今週末、再訪の予定。
学習院大学史料館のホームページに、地味にこの告知が載っているのを見つけたときはびっくりした。ホントに「日本美術史界きっての大御所」三講師がお揃いになるんだろうか。場末の演芸場みたいに、一文字違いの別人が出てきたりしないよね、なんて、余計な心配までしてしまった。
会場は相当に大きなホール(1100名余を収容可能)だったが、1階部分に限っていえば、6~7割方埋まっていたのではないかと思う。学生さんと、史料館講座のリピーターらしいお年寄りが半々くらい。
第1部は、河合正朝先生が「水墨画の魅力」を、河野元昭先生が「琳派の魅力」を、そして小林忠先生が「浮世絵の魅力」を、それぞれ20分ずつ語るという、あまりにも贅沢なプログラム。美味しいところをちょこっとずつ盛りつけた懐石料理みたいだった。
河合先生は「墨は五彩を兼ねる」「湿気を含んだ大気を自然主義的な表現で描いたもの」「霧が晴れれば、有色の世界が見えてくる」など、水墨画のキーコンセプトを、限られた時間で、きっちり解説。河野先生は「琳派の本質は装飾的なシンプリシティである」(※装飾という語は、明治以降、オーナメントとかデコラティブの訳語として用いられるようになったが、河野先生の意図はどうも違うみたい)「(宗達は)近世的明朗さが強調されるが、実は室町の能楽(の象徴性)とも結びつく」など、気になる発言を残して、時間になったら、さっと演壇を下りてしまった。何たる天衣無縫ぶり。小林先生は、さまざまな主題の浮世絵のスライドを実地に見ながら、「演劇(役者)がこれほど多く描かれた国はない」「浮世絵の本質は懐かしさ(ノスタルジー)」などの指摘を訥々と開陳する。「浮世絵(版画)は、版元、絵師、彫師、摺師の共同制作である」というのも、あらためて腑に落ちた。
後半は小林先生の司会で鼎談となったが、ほどよい距離感で並んだ3人の存在感は絶妙だった。小林先生によれば、美術業界では、この年齢も近い「3Ks(スリー・ケイズ)」は、国際的にも有名であるとのこと。禅画の三幅対みたいだ、と思った。
はじめに河合先生が「琳派について、もう少し」と話題を振られて、「最近は、琳派を否定する人たちもいるんだけど…安村さん、来てないか? 議論したいんだけど」と会場を見まわして、大きな声を出されたのには噴き出してしまった。「出光美術館の琳派展は予想の3倍も観客が入ったそうですね」と言われて、同館理事の河合先生が「前にやったときは全然入らなかったんですよ」と、申し訳なさそうに告白。確かに今年2~3月の琳派展はよかったものなー。人が入らなかった琳派展ってどれだろう?と、いま過去ログを調べてしまった。
琳派における「私淑」関係から抱一の蓮花図(細見美術館の白蓮図)の話になったところで、「山水の一部である”花鳥図”を主題に据えることで、日本に水墨画が定着した」という戸田禎佑氏の説につなぐ(小林先生の司会は巧いw)。中国と日本では、自然に対する人間の立ち向かい方が違う、という話になり、中国人は山水に「真」を見るが、日本人は「美」を見る、とおっしゃったのは、河野先生だったかしら。
それから、世界の中の日本美術を考える上で、河合先生が、19世紀末(幕末~維新)はエキゾチシズム的受容であるのに対し、第二次大戦後は、もう少し日本美術の本質についての理解が深まったのではないか、と冷静なコメント。新たな話題に進むかと思ったら、時間切れになってしまった。そもそも無理なんだよ~、この話題豊富なメンツで40分の鼎談なんて。
でも贅沢な企画で、楽しかった。肝腎の展示『明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-』は見る時間がなかったので、今週末、再訪の予定。