○大和文華館 開館50周年記念特別企画展I『信仰と絵画』(2011年5月14日~6月19日)
宗教美術、中でも仏教とマニ教(!)の絵画作品に注目する展覧会。マニ教とは、ササン朝ペルシャのマニ(210-275年頃)を開祖とし、ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲む(Wiki)宗教である。大和文華館では、2008年冬の『宋元と高麗』展で、館蔵『六道図』(元代)がマニ教絵画であるかもしれない、という解説を見た覚えがあって、どこで分かるんだろう?と疑問だったのだ。
本展の最終日にあたる日曜日、いつもより観客が多くて、館内はざわついていた。まずは見覚えのある名品が続く。『文殊菩薩像』は、唇の赤い、涼しい美少年文殊が、金目を光らした獅子に騎乗する。これ、サントリー美術館の『獅子と鳳凰』に絶対くると思っていたのに…。『病草紙断簡(鍼医)』『平治物語絵巻断簡』など、「信仰と絵画」という表題とのかかわりに少し首をひねるものもあるけれど、まあ固いことは言わない。
『遊行上人縁起絵巻断簡』は、最古の転写本と思われてきたが、最近、祖本そのものと推定されるようになった由。20人ほどの僧侶たちが、てんでに天を仰ぎ、足を踏みならして念仏する図だが、確かに、転写本とは思えない熱意がこもっている。
『文殊菩薩像』に「南都絵師の一作例」とあったり、『日光・月光・十二神将図扉絵』の暗い背景に火焔を飛ばす描法(飛び火焔。一信の五百羅漢図にも類例があった)が「奈良的」であるという解説を読み、大和文華館って、意識的に奈良に関係のある作品をコレクションしているのかな、と思った。
それから『一休宗純像』、桃山の『婦人像』などの肖像。雪村周継の自画像も面白い。後退した額、顎の輪郭を包む白い髭が、ソクラテスみたいだ。
後半に入り、華やかな色彩と繊細な金泥で飾られた朝鮮半島の仏画が数点並ぶ。ひと目見て、あ、高麗仏画だ、と気づき、順に視線を移していくと、いきなり、異相の仏画と目があってしまった。え?これは何!? うろたえながら解説プレートを探すと、山梨・栖雲寺所蔵の『虚空蔵菩薩像』(中国・元代)だという(※PDFファイル:画像あり)。胸の前に掲げた十字。西洋絵画のような陰影。リアルな人間のように平板な頭頂部。それよりも何よりも、隣りの高麗阿弥陀仏の眠そうな半眼、ぽってりしたおちょぼ口に比べて、この虚空蔵菩薩は、あまりにも意志的な目で礼拝者を見返し、含みのある明らかな笑みを唇に浮かべている。
でもこれ、マニ教というより、キリスト教(景教)なんじゃないの?と思ったが、胸の左右と両膝の外側の計4箇所に角印のような模様が見える。これがセグメンタムと呼ばれるマニ教の僧服の特徴なのだそうだ。
※参考:Manichaean and (Nestorian) Christian Remains in Zayton (Quanzhou, South China)(英文)
中ほどの「Statue of Mani」(マニ像)の画像にも、4箇所の四角形あり。
そして、この図を大和文華館所蔵『六道図』と比べると、確かに中央の人物(仏菩薩像だと思っていたが)に似ている。本展では、さらに「個人蔵」の新出マニ教絵画『宇宙図』『聖者伝図』などを紹介。幾層にも重なる世界を描いた『宇宙図』は面白いが、何も知らなければ、ちょっと変わった仏画で済ませてしまいそうだ。『大和文華』121号(マニ教絵画特輯)によれば、マニ教は本来折衷主義的な宗教であり、マニ教絵画を制作した絵師たちも、寧波仏画と共通する図像や表現を用いていることが指摘されている。赤い縁取りの白い衣がマニ僧の特徴だそうなので、これから、中国仏画をみるときは、注意してみよう。
最後は、雪村の『呂洞賓図』。おお!これが見られるとは思わなかった。昂揚した気分で、寄りみち旅行を切り上げる。展覧会図録は、残念ながら「売り切れ」だそうで、前掲の『大和文華』121号だけ買って帰った。
※参考:天目山栖雲寺(山梨県)
宝物風入れ(11月か!)には「寺宝一挙公開」をするそうだ。行ってみたい。むかし、山梨のどこかのお寺で、無造作に置かれた磁器の中に、元の年号の入った磁器を見つけた記憶があるのだが、ここではなかったなあ…。記憶が曖昧。
追記。そういえば、前日に訪ねた書写山円教寺の本堂は「摩尼殿」と称していた。マニは梵語で如意のこと(本尊=如意輪観音)と説明されているが、ちょっと珍しい呼び方である。これも奇縁?
宗教美術、中でも仏教とマニ教(!)の絵画作品に注目する展覧会。マニ教とは、ササン朝ペルシャのマニ(210-275年頃)を開祖とし、ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲む(Wiki)宗教である。大和文華館では、2008年冬の『宋元と高麗』展で、館蔵『六道図』(元代)がマニ教絵画であるかもしれない、という解説を見た覚えがあって、どこで分かるんだろう?と疑問だったのだ。
本展の最終日にあたる日曜日、いつもより観客が多くて、館内はざわついていた。まずは見覚えのある名品が続く。『文殊菩薩像』は、唇の赤い、涼しい美少年文殊が、金目を光らした獅子に騎乗する。これ、サントリー美術館の『獅子と鳳凰』に絶対くると思っていたのに…。『病草紙断簡(鍼医)』『平治物語絵巻断簡』など、「信仰と絵画」という表題とのかかわりに少し首をひねるものもあるけれど、まあ固いことは言わない。
『遊行上人縁起絵巻断簡』は、最古の転写本と思われてきたが、最近、祖本そのものと推定されるようになった由。20人ほどの僧侶たちが、てんでに天を仰ぎ、足を踏みならして念仏する図だが、確かに、転写本とは思えない熱意がこもっている。
『文殊菩薩像』に「南都絵師の一作例」とあったり、『日光・月光・十二神将図扉絵』の暗い背景に火焔を飛ばす描法(飛び火焔。一信の五百羅漢図にも類例があった)が「奈良的」であるという解説を読み、大和文華館って、意識的に奈良に関係のある作品をコレクションしているのかな、と思った。
それから『一休宗純像』、桃山の『婦人像』などの肖像。雪村周継の自画像も面白い。後退した額、顎の輪郭を包む白い髭が、ソクラテスみたいだ。
後半に入り、華やかな色彩と繊細な金泥で飾られた朝鮮半島の仏画が数点並ぶ。ひと目見て、あ、高麗仏画だ、と気づき、順に視線を移していくと、いきなり、異相の仏画と目があってしまった。え?これは何!? うろたえながら解説プレートを探すと、山梨・栖雲寺所蔵の『虚空蔵菩薩像』(中国・元代)だという(※PDFファイル:画像あり)。胸の前に掲げた十字。西洋絵画のような陰影。リアルな人間のように平板な頭頂部。それよりも何よりも、隣りの高麗阿弥陀仏の眠そうな半眼、ぽってりしたおちょぼ口に比べて、この虚空蔵菩薩は、あまりにも意志的な目で礼拝者を見返し、含みのある明らかな笑みを唇に浮かべている。
でもこれ、マニ教というより、キリスト教(景教)なんじゃないの?と思ったが、胸の左右と両膝の外側の計4箇所に角印のような模様が見える。これがセグメンタムと呼ばれるマニ教の僧服の特徴なのだそうだ。
※参考:Manichaean and (Nestorian) Christian Remains in Zayton (Quanzhou, South China)(英文)
中ほどの「Statue of Mani」(マニ像)の画像にも、4箇所の四角形あり。
そして、この図を大和文華館所蔵『六道図』と比べると、確かに中央の人物(仏菩薩像だと思っていたが)に似ている。本展では、さらに「個人蔵」の新出マニ教絵画『宇宙図』『聖者伝図』などを紹介。幾層にも重なる世界を描いた『宇宙図』は面白いが、何も知らなければ、ちょっと変わった仏画で済ませてしまいそうだ。『大和文華』121号(マニ教絵画特輯)によれば、マニ教は本来折衷主義的な宗教であり、マニ教絵画を制作した絵師たちも、寧波仏画と共通する図像や表現を用いていることが指摘されている。赤い縁取りの白い衣がマニ僧の特徴だそうなので、これから、中国仏画をみるときは、注意してみよう。
最後は、雪村の『呂洞賓図』。おお!これが見られるとは思わなかった。昂揚した気分で、寄りみち旅行を切り上げる。展覧会図録は、残念ながら「売り切れ」だそうで、前掲の『大和文華』121号だけ買って帰った。
※参考:天目山栖雲寺(山梨県)
宝物風入れ(11月か!)には「寺宝一挙公開」をするそうだ。行ってみたい。むかし、山梨のどこかのお寺で、無造作に置かれた磁器の中に、元の年号の入った磁器を見つけた記憶があるのだが、ここではなかったなあ…。記憶が曖昧。
追記。そういえば、前日に訪ねた書写山円教寺の本堂は「摩尼殿」と称していた。マニは梵語で如意のこと(本尊=如意輪観音)と説明されているが、ちょっと珍しい呼び方である。これも奇縁?