○川上弘美選『幸田文』(精選女性随筆集 1) 文藝春秋 2012.2
私は女性が苦手である。生身の女性も苦手だが、女性の書いた文章は、さらに輪をかけて苦手だ。「女性作家が選ぶ、女性作家の名随筆アンソロジー」など、本来なら見向きもしないところだが、何を血迷ったか、手に取ってしまった。たぶんオビに記された「父・露伴」の文字に引き寄せられてしまったからに他ならない。
全部で30編ほどの随筆が収録されているが、第1部「幼いころから、父の死まで」の十数編は、ほとんどに父・幸田露伴が登場する。というか、巻末の解説を読んで、文(あや)の最初の文章は、1947年、幸田露伴の八十歳記念号(「芸林間歩」)のために書いたもので、雑誌の発行前に露伴は亡くなり、そのまま追悼号になったことを知った。文43歳のときだという。幼い頃の家庭生活を題材にした随筆や小説があることは、知識として知っていたので、もっと若い頃から文章を発表していたのかと思っていた。父の生前は全く文壇とかかわりがなかったこと、文が人気作家となったのは戦後のことで、1990年(平成2年!)までご存命だったことなど、イメージの修正を迫られた点が多かった。
それにしても、娘の随筆に登場する幸田露伴は、実に面倒くさいオヤジである。これも解説によれば、文が5歳のとき実母が病死し、露伴は再婚するが、家事が苦手だった継母(文の)にかわって、文にあらゆる教育を施したのは父の露伴だった。箒の持ちよう、雑巾のしぼりよう、米とぎも魚のおろし方も父から教わったという。その教えかたは厭味で高飛車で、意地っ張りの著者は「反抗に燃える」というが、言葉とは裏腹に、すぐに我を折ってしまう。これが私には不思議でならない。よほど露伴が魅力的だったのか、娘が父親に反抗を通すことなど考えられなかった時代のせいなのか。
露伴の死の前後を描いた「終焉」を読むと、この父娘の独特の連帯感が感じられて、前者かなあ、と思う。ずっと後年の文章「捨てた男のよさ」に「私のころには…家庭の女が男性批難の作文を書くなどとは、思ってもみないことだった」云々とあるのを読むと、後者(時代性)もあるのかなあ、と思いなおす。私に露伴みたいなウザい父親がいたら、本気で暴力で向かっていくか、家を飛び出していたと思うのだ。
文の文章には、晩年の露伴のまわりにいた意外な人物も登場する。「堅固なるいなかびと」と称された「柳田さん」は、しばらく考えて、柳田泉だと分かったが、小学生の文の娘に「はにかみっ子」と言われた「斎藤先生」が茂吉のことだとは解説を読むまで分からなかった。「すがの」には、露伴の終の棲家の近傍、菅野の住人だった永井荷風が登場し、興味深い。
第1部には、文の女学校時代も描かれている。この学校は、確か、辛酸なめ子さんの母校で、私自身の母校でもあるミッション系の女子校につながっており、どことなく似た校風も、全くかけ離れた点もあって、面白く読んだ。
第2部「くさぐさのこと」は、身近な小動物(金魚)、希有な体験(屋久島の縄文杉)など、幅広い題材の文章を収める。第1部に比べると、技巧味の少ない、平易で味わい深い文章が多い。私は、前出の「捨てた男のよさ」がけっこう好きだ。「男すくな族」である著者が、自分のものでない男たちを眺めながら、「男はいいもんだなあ」とつぶやく、この素直な感慨に同感する。
私は女性が苦手である。生身の女性も苦手だが、女性の書いた文章は、さらに輪をかけて苦手だ。「女性作家が選ぶ、女性作家の名随筆アンソロジー」など、本来なら見向きもしないところだが、何を血迷ったか、手に取ってしまった。たぶんオビに記された「父・露伴」の文字に引き寄せられてしまったからに他ならない。
全部で30編ほどの随筆が収録されているが、第1部「幼いころから、父の死まで」の十数編は、ほとんどに父・幸田露伴が登場する。というか、巻末の解説を読んで、文(あや)の最初の文章は、1947年、幸田露伴の八十歳記念号(「芸林間歩」)のために書いたもので、雑誌の発行前に露伴は亡くなり、そのまま追悼号になったことを知った。文43歳のときだという。幼い頃の家庭生活を題材にした随筆や小説があることは、知識として知っていたので、もっと若い頃から文章を発表していたのかと思っていた。父の生前は全く文壇とかかわりがなかったこと、文が人気作家となったのは戦後のことで、1990年(平成2年!)までご存命だったことなど、イメージの修正を迫られた点が多かった。
それにしても、娘の随筆に登場する幸田露伴は、実に面倒くさいオヤジである。これも解説によれば、文が5歳のとき実母が病死し、露伴は再婚するが、家事が苦手だった継母(文の)にかわって、文にあらゆる教育を施したのは父の露伴だった。箒の持ちよう、雑巾のしぼりよう、米とぎも魚のおろし方も父から教わったという。その教えかたは厭味で高飛車で、意地っ張りの著者は「反抗に燃える」というが、言葉とは裏腹に、すぐに我を折ってしまう。これが私には不思議でならない。よほど露伴が魅力的だったのか、娘が父親に反抗を通すことなど考えられなかった時代のせいなのか。
露伴の死の前後を描いた「終焉」を読むと、この父娘の独特の連帯感が感じられて、前者かなあ、と思う。ずっと後年の文章「捨てた男のよさ」に「私のころには…家庭の女が男性批難の作文を書くなどとは、思ってもみないことだった」云々とあるのを読むと、後者(時代性)もあるのかなあ、と思いなおす。私に露伴みたいなウザい父親がいたら、本気で暴力で向かっていくか、家を飛び出していたと思うのだ。
文の文章には、晩年の露伴のまわりにいた意外な人物も登場する。「堅固なるいなかびと」と称された「柳田さん」は、しばらく考えて、柳田泉だと分かったが、小学生の文の娘に「はにかみっ子」と言われた「斎藤先生」が茂吉のことだとは解説を読むまで分からなかった。「すがの」には、露伴の終の棲家の近傍、菅野の住人だった永井荷風が登場し、興味深い。
第1部には、文の女学校時代も描かれている。この学校は、確か、辛酸なめ子さんの母校で、私自身の母校でもあるミッション系の女子校につながっており、どことなく似た校風も、全くかけ離れた点もあって、面白く読んだ。
第2部「くさぐさのこと」は、身近な小動物(金魚)、希有な体験(屋久島の縄文杉)など、幅広い題材の文章を収める。第1部に比べると、技巧味の少ない、平易で味わい深い文章が多い。私は、前出の「捨てた男のよさ」がけっこう好きだ。「男すくな族」である著者が、自分のものでない男たちを眺めながら、「男はいいもんだなあ」とつぶやく、この素直な感慨に同感する。