■極楽寺(神奈川県鎌倉市)釈迦如来特別御開扉と忍性塔公開
昨日のアクセスログを見たら、2006/4/9の記事(極楽寺・釈迦如来と忍性塔)に、多数のアクセスをいただいていた。ありがとうございます。毎年、カレンダーにかかわらず、4月8日にだけ一般公開される、鎌倉・極楽寺の忍性塔。週末にあたるのは久しぶりなのかな? この週末、私も6年ぶりに見てきた。
まず極楽寺で、秘仏のご本尊・釈迦如来像を拝観。頸の細い好男子像で、大河ドラマ『平清盛』で崇徳上皇を演じている井浦新さんを、ちょっと思い出させる。本堂前には、甘茶を注ぐ誕生釈迦像。私は、子どもの頃からお寺が遊び場で、境内にぽっと置き去られたような灌仏会の飾り付けが大好きだった。
極楽寺の境内は、全面的に撮影禁止をうたっているが、最近は、少し規制がゆるやかになって、花や風景のスナップは大目に見てくれるみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/95/ac1676606d66400c56feb1b4a85410f4.jpg)
裏木戸を出たところの立て札。思わず写真に収めてしまったが、2006年と同じ案内板である。たぶん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/05/8b16ba68226dbe07335d822e9d327ad4.jpg)
しばらく住宅地を歩き、狭いグラウンド脇の坂を登っていくと、杉木立を切り開いた中腹の空き地に、忍性塔がある。大きい石塔という印象は残っていたが、記憶を裏切って、さらに大きい。石塔の前に黄色い衣の僧侶が4人並んで、ちょうど法会が始まったところだった。スローなテンポは、国立劇場で聴いた西大寺の声明を思わせる(同じ真言律宗だし)。法会が終われば、石塔のまわりをぐるりと一周できるはずだが、この時間帯は、僧侶の後ろで折り目正しくお焼香することしかできない。まあ、今年はこれでよしとしよう。
行きは江ノ電に乗ってきたが、帰りは徒歩で極楽寺坂切り通しを下り、権五郎神社(御霊神社)に寄って、長谷方面に抜ける。なるべく裏通りを選んで、人込みを避けつつ、六地蔵→鎌倉駅西口→鶴岡八幡宮へ。ちょうど鎌倉まつりのパレードが終わった頃らしかった。
■鎌倉国宝館 『平常展(水墨画特集)』(2012年4月6日~4月15日)
無理やり企画の間を埋めたような、ずいぶん短期間の平常展だが、面白かった。金地墨画の狩野栄信(1775-1828)筆『龍虎図屏風』は、三匹の虎が、ちゃんと横縞(?)である。さすがに19世紀には、豹柄の虎がいないことを知っていたのかな。雲谷等的の『西湖図屏風』や作者不詳の『竹斎読書図屏風』は、美術品として超一級品とは言えないが、禅寺にふさわしい品格を備えていると思う。
関東大震災直後の鎌倉の風景を描いた『鎌倉震災絵巻』は珍しかった。1巻は海岸風景。切り立った岩山は稲村ヶ崎あたりか。別の1巻、石段の上で倒壊しているのは、鶴岡八幡宮の社殿らしい。鎌倉国宝館は、大正12年の関東大震災で、多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失した苦い経験に基づき、「不時の災害から由緒ある文化遺産を保護」することを目的のひとつとして、設立されたのだそうだ(※鎌倉国宝館について)。
国宝館を出て、雪の下方面に向かう。このへんに源義朝と鎌田正清の供養塔があると聞いていたので、すぐ分かるだろうとタカをくくって、探しに来た。そうしたら、全然見つからず、断念。久しぶりに釈迦堂切通しに寄っていこうと思ったが、これも完全に通行止め状態で、切通しが遠目に見えるところまでも近づくことができなかった。
肝腎の供養塔だが、勝長寿院跡の碑とともに、住宅地のかなり分かりにくいところにあるらしい。『Google Earth で街並散歩(日本編) 』など、複数の方の個人ブログで、あらためて場所を確認したので、再チャレンジの予定。
昨日のアクセスログを見たら、2006/4/9の記事(極楽寺・釈迦如来と忍性塔)に、多数のアクセスをいただいていた。ありがとうございます。毎年、カレンダーにかかわらず、4月8日にだけ一般公開される、鎌倉・極楽寺の忍性塔。週末にあたるのは久しぶりなのかな? この週末、私も6年ぶりに見てきた。
まず極楽寺で、秘仏のご本尊・釈迦如来像を拝観。頸の細い好男子像で、大河ドラマ『平清盛』で崇徳上皇を演じている井浦新さんを、ちょっと思い出させる。本堂前には、甘茶を注ぐ誕生釈迦像。私は、子どもの頃からお寺が遊び場で、境内にぽっと置き去られたような灌仏会の飾り付けが大好きだった。
極楽寺の境内は、全面的に撮影禁止をうたっているが、最近は、少し規制がゆるやかになって、花や風景のスナップは大目に見てくれるみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/95/ac1676606d66400c56feb1b4a85410f4.jpg)
裏木戸を出たところの立て札。思わず写真に収めてしまったが、2006年と同じ案内板である。たぶん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/05/8b16ba68226dbe07335d822e9d327ad4.jpg)
しばらく住宅地を歩き、狭いグラウンド脇の坂を登っていくと、杉木立を切り開いた中腹の空き地に、忍性塔がある。大きい石塔という印象は残っていたが、記憶を裏切って、さらに大きい。石塔の前に黄色い衣の僧侶が4人並んで、ちょうど法会が始まったところだった。スローなテンポは、国立劇場で聴いた西大寺の声明を思わせる(同じ真言律宗だし)。法会が終われば、石塔のまわりをぐるりと一周できるはずだが、この時間帯は、僧侶の後ろで折り目正しくお焼香することしかできない。まあ、今年はこれでよしとしよう。
行きは江ノ電に乗ってきたが、帰りは徒歩で極楽寺坂切り通しを下り、権五郎神社(御霊神社)に寄って、長谷方面に抜ける。なるべく裏通りを選んで、人込みを避けつつ、六地蔵→鎌倉駅西口→鶴岡八幡宮へ。ちょうど鎌倉まつりのパレードが終わった頃らしかった。
■鎌倉国宝館 『平常展(水墨画特集)』(2012年4月6日~4月15日)
無理やり企画の間を埋めたような、ずいぶん短期間の平常展だが、面白かった。金地墨画の狩野栄信(1775-1828)筆『龍虎図屏風』は、三匹の虎が、ちゃんと横縞(?)である。さすがに19世紀には、豹柄の虎がいないことを知っていたのかな。雲谷等的の『西湖図屏風』や作者不詳の『竹斎読書図屏風』は、美術品として超一級品とは言えないが、禅寺にふさわしい品格を備えていると思う。
関東大震災直後の鎌倉の風景を描いた『鎌倉震災絵巻』は珍しかった。1巻は海岸風景。切り立った岩山は稲村ヶ崎あたりか。別の1巻、石段の上で倒壊しているのは、鶴岡八幡宮の社殿らしい。鎌倉国宝館は、大正12年の関東大震災で、多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失した苦い経験に基づき、「不時の災害から由緒ある文化遺産を保護」することを目的のひとつとして、設立されたのだそうだ(※鎌倉国宝館について)。
国宝館を出て、雪の下方面に向かう。このへんに源義朝と鎌田正清の供養塔があると聞いていたので、すぐ分かるだろうとタカをくくって、探しに来た。そうしたら、全然見つからず、断念。久しぶりに釈迦堂切通しに寄っていこうと思ったが、これも完全に通行止め状態で、切通しが遠目に見えるところまでも近づくことができなかった。
肝腎の供養塔だが、勝長寿院跡の碑とともに、住宅地のかなり分かりにくいところにあるらしい。『Google Earth で街並散歩(日本編) 』など、複数の方の個人ブログで、あらためて場所を確認したので、再チャレンジの予定。