見もの・読みもの日記

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公共財としての鉄道/震災と鉄道(原武史)

2012-04-26 23:19:42 | 読んだもの(書籍)
○原武史『震災と鉄道』(朝日新書) 朝日新聞出版 2011.10

 刊行直後に本書を書店で見たときは、何もそこまで便乗本を出さなくても…と、興ざめな気持ちがした。けれど、佐野眞一さんが『津波と原発』(講談社、2011.6)の巻末で、この未曽有の危機について語ってみたいと思った「二人の男」として、森達也さんと原武史さんを挙げているのを読んで、本書を思い出し、あらためて読んでみようと思って、探した。

 読みながら、どんどん引き込まれていくのを感じた。本書は、近代日本において、鉄道が担って来た「公共」の意味を考え、鉄道を通して日本の進むべき道を再考するという点で、政治思想史を専門とする著者の、本領発揮の1冊と言ってよいのではないかと思う。朝日新聞社のウェブマガジン『WEBRONZA(ウェブロンザ)』に全4回(2011年4月~10月)で集中インタビュー掲載されたものだというから、たぶん全4章は、全4回の構成に基づくのだろう。

 第1章は、まさに3月11日の震災発生の瞬間、著者がJR横浜線の電車に乗っていたこと、車内に1時間閉じ込められ、4時間歩いて帰宅したことから始まる。この日、東京メトロや多くの私鉄が、当日中に順次運転を再開したのに対し、早々と当日の運転再開をあきらめたJR東日本の判断は正しかったのかを、著者は問題とする。比較されるのは、1923年(大正12)9月1日の正午前に発生した関東大震災。このとき、国有鉄道の各線は午後から順次運転を再開した。「すごい!」と唸ったのは、駅に殺到した避難民に対し、無賃乗車を認めたという英断。そうだよな、鉄道って、そうあるべきじゃないのか…。現代日本の社会インフラの劣化が情けなくなった。

 もっと「すごい」話として、1945年4月13日、東京が幾度目かの大空襲を受けたその翌日、まだ「町には一面に轟々と音を立てて火災が空高く噴き上げているのに」、無人の日暮里ホームに入ってきた電車が、ひっそりと発車して行く姿を、吉村昭が目撃している。社会インフラには、華やかな「成果」や「達成」は要らない。しかし、どんなときにも黙々と「平常運転」を保つ努力、それによって得られる安心・安全の尊さが、身に迫るエピソードだと思う。

 それに比べると、このたびの震災の翌日、運転再開した路線に殺到してグリーン車に流れてきた客から、きっちりグリーン料金を徴収したというJR東日本の態度は、腹立たしさを通り越して、気味が悪い。私企業なんだから、規定に従って、営利を追求して何が悪い、と思っているのだろうけど。

 その「気味悪さ」を増幅するのが、被災地の鉄道を語る第2章である。第三セクターの三陸鉄道が、社長自ら前面に立ち、被災直後から復旧に強い意志を示したのに対し、JR東日本は、この際、赤字ローカル線を切り捨てようとしているのではないか、と著者は疑念を表明する。首都圏からの乗客を運ぶ新型新幹線の復旧は急いでも、被災地の交通弱者の不利益は無視。「JR東日本の企業体質は、東京電力と似ているところがあると思います」という著者の言葉に、しみじみ同意せざるを得ない。

 著者によれば、阪急電鉄の小林一三は、1945年6月9日の激しい空襲のあと、10日には宝塚線に乗って梅田に向かい、沿線および梅田駅の被災状況を視察している。同年、広島では、原爆投下から3日後の8月9日には広島電鉄が動き出し、人々を驚かせ、かつ希望を与えている。すごいな。こういう「公」の精神をもった企業人というのが、むかしは、日本のあちこちにいたんだ…。私は、車の免許を持っていないので、基本的に、鉄道にたよらなければ生活ができない。だから、地域に密着したローカル線が、とにかく動いていることのありがたみは、骨身に沁みて分かる。

 もちろん、今日でも健闘を続けるローカル線があること、JRの中でも、在来線の鉄道遺産をうまく活用しているJR九州の例などが、第3章に紹介されている。しかし、全体として、日本の鉄道は、スピード重視、首都圏一極集中の度合いを強めている。そこに本当に国民(住民)の幸せがあるかよりも、「鉄道大国」のメンツ優先。「原発もリニアも、底流にあるのはナショナリズムであることに注意を払わなければなりません」という著者の指摘を、考え過ぎと笑うことはできないと思う。
コメント
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