■景徳鎮(古窯民俗博覧区~御窯遺址~民窯博物館~浮梁古県衙・紅塔)~楽平古鎮
古窯民俗博覧区は、陶磁器のつくりかたを実際に見て学べる、文化・観光施設。ものすごく面白かった。あとでスライドショー載せます。
ただ、実際に作業をしているのは、人間国宝クラスの名人だというのに、大音量のハンドマイクでがなり立てるガイドもいれば、無遠慮に手元を覗き込んだり、カメラを向けたりする観光客もいて、あれではとても仕事にならないだろうと思うとかわいそうだった。ときどき、途方に暮れたような表情をしてたなあ、おじいちゃん。大阪市の橋下市長が主張する、自ら稼ぐ芸術ってこんな感じかな、と思うと、なんだか暗鬱な気持ちになった。
おかあさんが描いていた大振りの染付け茶碗。景徳鎮というより絵唐津みたいな洒脱な文様で、ちょっと欲しかった。今回、ガイドさんは我々に遠慮したのか、忙しかったのか、お買いもの強要タイムは一切なし。
次に、三層の楼閣・龍珠閣を訪ねる。内部が官窯博物館になっているという話だったが、ここも修復中で内部に入れず。慌てた朱さんが電話をかけてみると、官窯博物館の展示は、御窯遺址景区の施設で行っているというので、そちらに向かう。通常展示より、かなり規模を縮小しているという話だったが、それなりに面白かった。日本では、ほとんど見ることのない↓この形の容器は、蟋蟀壺(コオロギ入れ)。
官窯(御窯)の失敗作は、民間に流れ出ることがないよう、粉砕されて廃棄された。そのため、ここで展示されている作品は、発掘された破片をつなぎ合わせて再構築したものばかりである。「黄さん(シャオホワン)が、ここは壊れたものばかりで、いいものがないっていうけど、違うんですよ~」と苦笑する朱さん。
同館の所蔵品は、日本にも来たことがある。『皇帝の磁器-新発見の景徳鎮官窯-』という展覧会で、1994~1995年頃、東京の出光美術館や大阪市立東洋陶磁美術館を巡回したようだ。私は、当時まだ焼きものには関心がなくて、見てないかなあ…。
民窯博物館(作業場の遺跡のみ)、浮梁古県衙の見学を終えたのが午後2時頃。いよいよ、行き先の定かでない楽平古鎮に向かう。スルーガイドのシャオホワンはスマホの画面を、朱さんは紙製の地図を眺めながら、運転手さんをナビゲート。そして、夕方4時近く、二人はそわそわと車窓に注意を向ける。やがて、道路の傍らで待っていた男性を見つけて声をかけると、それが迎えにきてくれた楽平古鎮の関係者だった。
「ここで降ります!」と告げられて、慌てて車を降りる。ちなみに、この看板のちょっと先である。看板には「江西省楽平市双田鎮工業園88号」とあり。
何のへんてつもない左手の脇道に入ると…
いきなり現れる明代の巨大な野外劇場の残滓。
いま復元修理のまっ最中らしい。往時の美観をしのばせる精緻な木彫。「漂亮(ぴゃおりゃ~ん)=美しい!」と、仕事を忘れて大興奮の中国人ガイド二人。
案内人に一緒に車に乗ってもらい、わずかに離れた別の舞台建築も見に行く。やはり表通りからは一歩奥まったところに建つ。この一帯は「明清時代の地方劇舞台が200箇所も残る、地方劇の故郷」なのだそうだ。
左端のパジャマ姿みたいなおじさん、一人おいたおじさん、二人おいた右端のお兄さんが、楽平市の方々。これらの舞台建築の復元に力を尽くしている。
お宅に寄って、縮小模型の復元完成図も見せてもらった。
何年か先には観光名所になっているかも。頑張ってほしい。
(8/24記)
※参考:帰国してから、中国語Googleで少し調べたら、いくらでも情報が出てくるのだが…。中国国内からだと検索できない? そんなことないと思う。
・大江網:楽平農民雕制完美“微型古劇台”(2012/05/08)
・楽平新聞網:”国之珍宝”蕴商機(2011/3/18)
・楽平在線:楽平古街古村
古窯民俗博覧区は、陶磁器のつくりかたを実際に見て学べる、文化・観光施設。ものすごく面白かった。あとでスライドショー載せます。
ただ、実際に作業をしているのは、人間国宝クラスの名人だというのに、大音量のハンドマイクでがなり立てるガイドもいれば、無遠慮に手元を覗き込んだり、カメラを向けたりする観光客もいて、あれではとても仕事にならないだろうと思うとかわいそうだった。ときどき、途方に暮れたような表情をしてたなあ、おじいちゃん。大阪市の橋下市長が主張する、自ら稼ぐ芸術ってこんな感じかな、と思うと、なんだか暗鬱な気持ちになった。
おかあさんが描いていた大振りの染付け茶碗。景徳鎮というより絵唐津みたいな洒脱な文様で、ちょっと欲しかった。今回、ガイドさんは我々に遠慮したのか、忙しかったのか、お買いもの強要タイムは一切なし。
次に、三層の楼閣・龍珠閣を訪ねる。内部が官窯博物館になっているという話だったが、ここも修復中で内部に入れず。慌てた朱さんが電話をかけてみると、官窯博物館の展示は、御窯遺址景区の施設で行っているというので、そちらに向かう。通常展示より、かなり規模を縮小しているという話だったが、それなりに面白かった。日本では、ほとんど見ることのない↓この形の容器は、蟋蟀壺(コオロギ入れ)。
官窯(御窯)の失敗作は、民間に流れ出ることがないよう、粉砕されて廃棄された。そのため、ここで展示されている作品は、発掘された破片をつなぎ合わせて再構築したものばかりである。「黄さん(シャオホワン)が、ここは壊れたものばかりで、いいものがないっていうけど、違うんですよ~」と苦笑する朱さん。
同館の所蔵品は、日本にも来たことがある。『皇帝の磁器-新発見の景徳鎮官窯-』という展覧会で、1994~1995年頃、東京の出光美術館や大阪市立東洋陶磁美術館を巡回したようだ。私は、当時まだ焼きものには関心がなくて、見てないかなあ…。
民窯博物館(作業場の遺跡のみ)、浮梁古県衙の見学を終えたのが午後2時頃。いよいよ、行き先の定かでない楽平古鎮に向かう。スルーガイドのシャオホワンはスマホの画面を、朱さんは紙製の地図を眺めながら、運転手さんをナビゲート。そして、夕方4時近く、二人はそわそわと車窓に注意を向ける。やがて、道路の傍らで待っていた男性を見つけて声をかけると、それが迎えにきてくれた楽平古鎮の関係者だった。
「ここで降ります!」と告げられて、慌てて車を降りる。ちなみに、この看板のちょっと先である。看板には「江西省楽平市双田鎮工業園88号」とあり。
何のへんてつもない左手の脇道に入ると…
いきなり現れる明代の巨大な野外劇場の残滓。
いま復元修理のまっ最中らしい。往時の美観をしのばせる精緻な木彫。「漂亮(ぴゃおりゃ~ん)=美しい!」と、仕事を忘れて大興奮の中国人ガイド二人。
案内人に一緒に車に乗ってもらい、わずかに離れた別の舞台建築も見に行く。やはり表通りからは一歩奥まったところに建つ。この一帯は「明清時代の地方劇舞台が200箇所も残る、地方劇の故郷」なのだそうだ。
左端のパジャマ姿みたいなおじさん、一人おいたおじさん、二人おいた右端のお兄さんが、楽平市の方々。これらの舞台建築の復元に力を尽くしている。
お宅に寄って、縮小模型の復元完成図も見せてもらった。
何年か先には観光名所になっているかも。頑張ってほしい。
(8/24記)
※参考:帰国してから、中国語Googleで少し調べたら、いくらでも情報が出てくるのだが…。中国国内からだと検索できない? そんなことないと思う。
・大江網:楽平農民雕制完美“微型古劇台”(2012/05/08)
・楽平新聞網:”国之珍宝”蕴商機(2011/3/18)
・楽平在線:楽平古街古村