見もの・読みもの日記

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国難の「今」を照らし合わせる/日本近代史(坂野潤治)

2012-08-07 22:37:57 | 読んだもの(書籍)
○坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書) 筑摩書房 2012.3

 1857(安政4)年から1937(昭和12)年まで、80年間の歴史を通観したもの。分業化の進んだ現在の学問状況で、この80年史をひとりで書き上げるのは、すごい力技だと思う。さらに、それを(450頁という異例のボリュームとは言え)新書で出してしまうというのも太っ腹な話だ。

 著者が用いる「六つの時代区分」と、それぞれの特徴を簡単にメモしておく。

・改革の時代:1857(安政4)-1863(文久3)

対外政策における「攘夷/開国」、国内政治体制の「尊王/佐幕」という二重の基本的対立の落としどころを求めて悪戦苦闘した時代。西郷隆盛は「攘夷/開国」の対立を棚上げし、「勤王」のもとに諸勢力の統合を図ろうとするが失敗し、島津久光の唱える「公武合体」が推進される。

・革命の時代:1863(文久3)-1871(明治4)

西郷構想の復権。戊辰戦争(幕府支持勢力の一掃)→新政府樹立。1871年の廃藩置県によって革命の時代が終わる。

・建設の時代:1871(明治4)-1880(明治13)

富国派(大久保)、強兵派(西郷)、憲法派(木戸)、議会派(板垣)の四者対立。→「富国」派の勝利。→しかし、1877年の地租改正は増税を不能とし(えっ?)政府財政を行き詰まらせる一因となる。→1880年代、富国派の挫折。税制って面白いけど怖いなあ…。

・運用の時代:1880(明治13)-1893(明治26)

1870~80年代から地租改正によって富裕化し、納税負担者となった農民の政治参加が本格化する。「好景気を維持する限り税収が目減りする」という地租制度の下、財政を健全化するために、大隈財政→松方デフレ財政への転換が図られた。→中小地主の転落、(大)地主と小作人の身分差が拡大。諸制度が整うことにより、政治主導から官僚主導へ。

・再編の時代:1894(明治27)-1924(大正13)

「運用の時代」が農村地主と官僚の時代であったことを受けて、農村地主の特権を廃し、都市商工業者や小作農に選挙権を与えること(普通選挙制)、官僚内閣を倒して政党内閣を樹立することが「再編」の課題となる。総力戦としての日露戦争(1904-05)は国民に「兵役の平等」を課したが、このことは普選運動には結びつかず、諸勢力の多元化した要求が噴出した。第一次世界大戦(1914-18)末期から吉野作造の唱える「デモクラシー」が一世を風靡したが、1920年頃からは、より直接的な社会主義運動が大学生を引き付けた。

・危機の時代:1925(大正14)-1937(昭和12)

1925年、男子普通選挙制が成立し、憲政会内閣が組織されることにより、政友会との二大政党制慣行がスタート。元来、憲政会は民主的だが高圧外交、政友会は保守的だが平和主義で、一長一短だったが、1925年以降は、憲政会(民政党)が「平和と民主主義」、政友会が「侵略と天皇主義」に結びつくようになり、旗幟が鮮明になった二大政党制は、日本国家を「危機の時代」に導く一因となる。1937年の盧溝橋事件勃発時には、国内の指導勢力は四分五裂し、「崩壊の時代」へ突入していく。

 本書は、ひと月ほど前、先に読み終えた友人から貰ったもの。私は幕末史に関しては、第一に幕府びいきで(江戸っ子だもの)、新政府側では長州びいきなので、薩摩に重点をおく「改革・革命の時代」が、なかなか読み切れなかった。そこをクリアしてからは、スムーズに進んだ。これまで読んできた著者の論考を思い出すことも多かった。

 政治史の素人である私が面白く感じたのは、内政・外交・軍事の動きが、財政(税制を含む)に大きく左右されるという点だ。少なくとも近代初期においては、一般の国民はむろん、政治家も、民主主義国家をつくろうとか、天皇制のためにとか、理念や主義主張で動いてきたわけではないことが分かった。国民の中には、当然、豊かな生活を求め、豊かになれば、次は政治参加や社会的階層の上昇を求める気持ちもあったと思うが、どこかに「身の程を知る」みたいなブレーキがかかっていたように思う。それが、再編の時代=大衆の時代あたりから、理念が一人歩きして、生活実感のない欲望が暴走するようになって、今日に至るような気がする。

 著者は、ひとつの時代を「○○か△△か」という路線対立で把握する方法を好んで使う。学問的に分かりやすいことと、ご自身の嗜好でもあるのだろう。実際、そのように二大勢力が、一長一短を承知で、互いに自分の役割を引き受ける社会というのは、意外と安定するのだと感じた。そのためには、諸勢力は、選択肢A、Bのどちらかに、小異を棄てて大同団結する必要があるのだが、どうも日本人はこれが苦手らしい。「運用の時代」で、政権奪取のための大同団結を目指し、そして失敗した後藤象二郎(後藤様!)の運動が、好意的に言及されており、興味深かった。あと、著者の評価が高いのは高橋是清である。逆に、普通選挙と二大政党制に反対し続けた原敬のことは、ほんとに嫌いなんだなーと思った。

 二大政党制(路線対立)を避けようとすれば、小物指導者を頂く諸勢力の四分五裂を招く。近衛内閣の失敗は、分裂状態をそのまま包摂しようとして、基本路線も、信頼できる与党も、異議を申し立てる他者も、全て失ったことにあるという。なんだか、2012年の日本(中央政界も地方も)とよく似た状況に思われるのが恐ろしい。
コメント
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