○東京国立博物館 特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』(2014年6月24日~9月15日)
平成館、大階段を挟んで後半の展示室に移動。ミュージアムショップの展覧会グッズに心が動くが、それは後ほど。後半は明清の工芸品から始まる。『青花龍文大瓶』は、冷たいような暖かいような絶妙の白肌に、コントラストのくっきりした藍色。「青花」の魅力はこれですよ、と膝を打ちたくなる。純白の『白磁雲龍文高足杯』も美しかった。なんだろう、この、元から明に移ったとたんの工芸技術の進化は。何百年も時が隔たったような気がする。
玉器、漆器、刺繍、織物、琺瑯…。私は、最近、色数の制約を逆に活かした漆芸の華麗な魅力に開眼しつつあるのだが、図録解説によると「近年の故宮博物院には、漆器の展示室は常設されていない」そうだ。なんともったいない! 刺繍による絵画(中国語では「染織絵画」という)が、故宮にこんなにたくさん伝わっているとは知らなかった。清代の『刺繍西湖図冊』は、とても愛らしい作品だが、超絶技巧すぎて、ただの絵画だと思って見ている人もいたのではないかと思う。ちゃんと乾隆帝や嘉慶帝が「御覧」の印を押しているのが微笑ましかった。
ところどころに(展示の埋め草的に?)書籍・文書が出ていたのも見逃せなかった。明の『永楽大典』は、挿絵のある「梅」の箇所を展示。清の『四庫全書』は、経史子集から、表紙の色の違いが分かるよう1冊ずつ。明・万暦年間の『妙法蓮華経』には目を見張った。巻頭(見返し)に加えて、巻末にも極彩色の華麗な絵が描かれているが、それ以上に、紺紙金泥のつややかな美しさ。すまないが日本の紺紙金泥経を見て、これほど美しいと思ったものはない。
「清朝皇帝の素顔」と題したセクションには、康熙帝と雍正帝の「朱批奏摺」が1点ずつ。清朝の皇帝が大好きな私は、彼らの真筆が見られただけでも大感激。雍正帝の「(自分は)就是這様皇帝(このような皇帝である)」って、孤独な執務室で、朱筆によって臣下に熱く厳しく呼びかけている様子が目に浮かぶようだ。現代中国語の口吻とあまり変わらないのが面白い。
同治13年12月5日付けの『載湉入承大統詔』は、光緒帝の即位を布告する文書。大きな黄色い紙を使用。「漢文と満文で作成した」という解説が掲げられていたが、「これ何語?」「フランス語じゃないよね?」と不思議そうに見ている人が多かった。「載湉(さいてん)って『蒼穹の昴』に出て来たよー」という会話も聞こえた。惜しいな。「皇太后垂簾聴政」ナントカという文言もあったのに。
最後の展示室は、皇帝のおもちゃ箱『紫檀多宝格』の形状を、そのまま拡大した空間デザインになっている。面白いが、ちょっとその意図が分かりにくかったのは残念。四角形の四方にスライド扉があり、扇型の回転棚を引き出すことができる上に、図録の写真を見ると、上下が外れる構造になっている。台座部の筆記具のコンパクトな収まり具合が魅力的。シックな古物、玉器や仏像と豪勢なルビーの指輪が同居しているあたりが、私の好きな乾隆帝らしかった。しかし、台湾にとって乾隆帝って、かなり迷惑至極な皇帝だと思うのだが、そのへんの評価はどうなんだろう?
全ての最後は、この故宮博物院展が「次世代アイドル」と謳っている『人と熊』。小さくて素直に可愛いが、さて今後も人々の心に残れるかどうか。私は、もうちょっと異形の存在のほうが好きだ。
後期も行きたいが、九州展にしか出ない作品もあるので迷っている。東京+九州に行くくらいなら、台湾に行ってしまえばいいのだよね。
平成館、大階段を挟んで後半の展示室に移動。ミュージアムショップの展覧会グッズに心が動くが、それは後ほど。後半は明清の工芸品から始まる。『青花龍文大瓶』は、冷たいような暖かいような絶妙の白肌に、コントラストのくっきりした藍色。「青花」の魅力はこれですよ、と膝を打ちたくなる。純白の『白磁雲龍文高足杯』も美しかった。なんだろう、この、元から明に移ったとたんの工芸技術の進化は。何百年も時が隔たったような気がする。
玉器、漆器、刺繍、織物、琺瑯…。私は、最近、色数の制約を逆に活かした漆芸の華麗な魅力に開眼しつつあるのだが、図録解説によると「近年の故宮博物院には、漆器の展示室は常設されていない」そうだ。なんともったいない! 刺繍による絵画(中国語では「染織絵画」という)が、故宮にこんなにたくさん伝わっているとは知らなかった。清代の『刺繍西湖図冊』は、とても愛らしい作品だが、超絶技巧すぎて、ただの絵画だと思って見ている人もいたのではないかと思う。ちゃんと乾隆帝や嘉慶帝が「御覧」の印を押しているのが微笑ましかった。
ところどころに(展示の埋め草的に?)書籍・文書が出ていたのも見逃せなかった。明の『永楽大典』は、挿絵のある「梅」の箇所を展示。清の『四庫全書』は、経史子集から、表紙の色の違いが分かるよう1冊ずつ。明・万暦年間の『妙法蓮華経』には目を見張った。巻頭(見返し)に加えて、巻末にも極彩色の華麗な絵が描かれているが、それ以上に、紺紙金泥のつややかな美しさ。すまないが日本の紺紙金泥経を見て、これほど美しいと思ったものはない。
「清朝皇帝の素顔」と題したセクションには、康熙帝と雍正帝の「朱批奏摺」が1点ずつ。清朝の皇帝が大好きな私は、彼らの真筆が見られただけでも大感激。雍正帝の「(自分は)就是這様皇帝(このような皇帝である)」って、孤独な執務室で、朱筆によって臣下に熱く厳しく呼びかけている様子が目に浮かぶようだ。現代中国語の口吻とあまり変わらないのが面白い。
同治13年12月5日付けの『載湉入承大統詔』は、光緒帝の即位を布告する文書。大きな黄色い紙を使用。「漢文と満文で作成した」という解説が掲げられていたが、「これ何語?」「フランス語じゃないよね?」と不思議そうに見ている人が多かった。「載湉(さいてん)って『蒼穹の昴』に出て来たよー」という会話も聞こえた。惜しいな。「皇太后垂簾聴政」ナントカという文言もあったのに。
最後の展示室は、皇帝のおもちゃ箱『紫檀多宝格』の形状を、そのまま拡大した空間デザインになっている。面白いが、ちょっとその意図が分かりにくかったのは残念。四角形の四方にスライド扉があり、扇型の回転棚を引き出すことができる上に、図録の写真を見ると、上下が外れる構造になっている。台座部の筆記具のコンパクトな収まり具合が魅力的。シックな古物、玉器や仏像と豪勢なルビーの指輪が同居しているあたりが、私の好きな乾隆帝らしかった。しかし、台湾にとって乾隆帝って、かなり迷惑至極な皇帝だと思うのだが、そのへんの評価はどうなんだろう?
全ての最後は、この故宮博物院展が「次世代アイドル」と謳っている『人と熊』。小さくて素直に可愛いが、さて今後も人々の心に残れるかどうか。私は、もうちょっと異形の存在のほうが好きだ。
後期も行きたいが、九州展にしか出ない作品もあるので迷っている。東京+九州に行くくらいなら、台湾に行ってしまえばいいのだよね。