○奈良国立博物館 醍醐寺文書聖教7万点 国宝指定記念特別展『国宝 醍醐寺のすべて-密教のほとけと聖教-』(2014年7月19日~9月15日)
だいぶ前に東京で「醍醐寺展」を見た、と思って調べたら、東京国立博物館で2001年の春に『国宝 醍醐寺展 山からおりた本尊』が開かれていた。実は、あまり感心しなかった記憶がある。見ものは五大明王像ということになっていたが、創建当初の平安仏は1体のみで、4体は江戸もの、もう1体も頭部は鎌倉だが体部は江戸ものなのである。その後、西国三十三所巡礼の折、初めて醍醐寺の霊宝館(2001年に増改築)に寄り、寺宝の素晴らしさに圧倒された。という経緯があるので、今回の醍醐寺展は、上洛の機会があれば行くけど、見逃してもいいかな、くらいに思っていた。
三連休の3日目、結局、ほかにどうしても行きたいところがなかったので、奈良博を訪ねることに決めた。会場のはじめには、醍醐寺の開祖であり、南都とのかかわりも深い理源大師聖宝さんの坐像。右手にカラス貝のようなものを持っている?と思ったら、袈裟の端をつまんでいるのだった。その向いに、檀像ふうの小ぶりな聖観音立像(平安時代)が展示されていて、これがなかなか素敵。左右の腕から長く垂らした条帛の末が、風をはらむように膨らんでいる。頭上に結い上げた髷からこぼれた髪もいくぶん後ろに流れていて、特に側面から見ると躍動感がある。
この展覧会は、醍醐寺文書聖教の「国宝指定記念特別展」をうたっていることからも、地味な文書類が早めに登場する。『醍醐寺雑事記』の古写本には、治暦や延久の年号が見える。延久四年条に「鳥羽院御即位」は合わないだろう、と思ったが「鳥羽離宮で(白河天皇が)即位」なのかな? 「宇治橋作了」とか「山法師焼三井寺」とか文字を拾って眺めているだけでも面白い。
東大寺蔵『東大寺要録』は「東南院」に関する箇所が開けてあった。同院は理源大師聖宝の創建である。私は「東南院」の名前を、2012年冬の名古屋市博物館『大須観音展』で覚えた。鴨院文庫(藤原摂関家伝領の文庫)→東大寺東南院→大須観音(宝生院)へと受け継がれるアーカイブズの水脈に醍醐寺もゆかりがあるのかと感慨深かった。大仏再建の勧進で知られる重源上人が醍醐寺の出身であることも初めて認識。醍醐寺の歴史って、太閤秀吉の「花見」だけではないのだな。
続いて、仏像。如意輪観音が2点。金色に輝く平安時代の像は、ふくよかでおおどかな感じ。大人の女性の色気を感じさせる。一方、やや小柄な鎌倉時代の像は、少女の可憐さと危うい艶めかしさをあわせ持つ。腰が細く、裳(スカート)がすごいローライズで、臍(へそ)の下が大きく露出しているのに気付いて、どぎまぎしてしまった。大きな蓮華形の台座、繊細な透彫の光背も当時のもの。かつて上醍醐の観音堂本尊だったという千手観音像(平安時代)は、脇手が横でなく前に張り出すタイプで、迫力があり、私の好み。密教仏にはめずらしく装飾のない、妙にスッキリして古風な大日如来坐像も好みだった。
五大明王像については、以前と印象変わらず。唯一の平安仏である大威徳明王は大きく目を開いた異相で、バリ島の仮面に似ている。閻魔天騎牛像は、待賢門院璋子の安産祈願の本尊だった(出産は五回)という由来にひかれた。大きく安定感のある牛。片足を垂らして騎乗する閻魔天は人頭杖を持つが、温和な顔つきである。五重塔初層内部の板絵を紹介するコーナーもあったが、ずいぶん残っているものだな。
ここで、東新館から西新館へ。はじめに小山のような迫力の薬師如来と両脇侍像。それから、白描画を含め、絵画資料多数。醍醐寺といえば忘れてならない『太元帥法本尊像』(鎌倉時代)も来ていた。全6幅は、前後期で3幅ずつ展示。後期の「毘沙門天像」を見たい…。前期展示で気に入ったものは『五秘密像』。可愛らしくて、あやしくて笑える。『地蔵菩薩像』は靴を履いた、半跏踏下のめずらしい坐像。青と緑の目立つ色遣いも宋風。『文殊渡海図』は、劇画のように明確な個性の描き分け。大きな目の獅子、それに優填王がよい。白描にわずかな色をおいた『孔雀明王図像』は花籠が愛らしい。『善女龍王像』は人の姿なのに全身緑色でシュールで、波間に尻尾が見える。まだまだ語りたいもの多数。
後半に移る。ここで、醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像(快慶作、鎌倉時代)が登場。完璧としか評しようがない美仏。正面だけでなく、横顔も美しい。向かって右頬の金箔の剥離がちょっと気になる。後白河院の追善のために造立されたと初めて知った。なお、図録に「醍醐寺三宝院弥勒菩薩像と仏師快慶-後白河院追善像としての側面に注目して-」という山口隆介氏の興味深い論考が載る。「仏師快慶の実像に迫るうえで、後白河院の存在がこれまで考えられてきたよりもはるかに重要とみられること」「信西一門と快慶の関係になお多くの考究の余地があること」が指摘されている。
最後は修験道(吉野)とのかかわりを取り上げる。奈良の餅飯殿(もちいどの)町の地名の由来には、理源大師聖宝が大峰山に入った際、餅や飯を献上したため、という説があるそうだ。「餅飯殿の町内には理源大師が祀られている」と書いてあったが、どこだかよく分からず。あとで調べたら、もちいどのセンター街の真中(マインズ広場?)にあるらしい。今度行ってみよう。宗達の舞楽図屏風も見ることができて嬉しかった。
とっくにお昼も過ぎてしまったので、腹ごしらえのあと、東大寺ミュージアムに寄る。東大寺江戸復興関連資料や理源大師・聖宝僧正像が出ていると聞いたため。主要展示は変わっていなくて、数はわずかだった。再び奈良博に戻り、仏像館を流し見して、奈良を離脱。少し早目の飛行機(帰りもPeach航空)で札幌に戻った。
※おまけ:醍醐寺 公式サイト
「醍醐寺文化財アーカイブズ」がすごい。文中に紹介した多くの仏画も公開されている。大学とか、博物館・図書館がまるで負けていないか? 電子書籍版「マンガ聖宝伝」も意欲的で評価する。
だいぶ前に東京で「醍醐寺展」を見た、と思って調べたら、東京国立博物館で2001年の春に『国宝 醍醐寺展 山からおりた本尊』が開かれていた。実は、あまり感心しなかった記憶がある。見ものは五大明王像ということになっていたが、創建当初の平安仏は1体のみで、4体は江戸もの、もう1体も頭部は鎌倉だが体部は江戸ものなのである。その後、西国三十三所巡礼の折、初めて醍醐寺の霊宝館(2001年に増改築)に寄り、寺宝の素晴らしさに圧倒された。という経緯があるので、今回の醍醐寺展は、上洛の機会があれば行くけど、見逃してもいいかな、くらいに思っていた。
三連休の3日目、結局、ほかにどうしても行きたいところがなかったので、奈良博を訪ねることに決めた。会場のはじめには、醍醐寺の開祖であり、南都とのかかわりも深い理源大師聖宝さんの坐像。右手にカラス貝のようなものを持っている?と思ったら、袈裟の端をつまんでいるのだった。その向いに、檀像ふうの小ぶりな聖観音立像(平安時代)が展示されていて、これがなかなか素敵。左右の腕から長く垂らした条帛の末が、風をはらむように膨らんでいる。頭上に結い上げた髷からこぼれた髪もいくぶん後ろに流れていて、特に側面から見ると躍動感がある。
この展覧会は、醍醐寺文書聖教の「国宝指定記念特別展」をうたっていることからも、地味な文書類が早めに登場する。『醍醐寺雑事記』の古写本には、治暦や延久の年号が見える。延久四年条に「鳥羽院御即位」は合わないだろう、と思ったが「鳥羽離宮で(白河天皇が)即位」なのかな? 「宇治橋作了」とか「山法師焼三井寺」とか文字を拾って眺めているだけでも面白い。
東大寺蔵『東大寺要録』は「東南院」に関する箇所が開けてあった。同院は理源大師聖宝の創建である。私は「東南院」の名前を、2012年冬の名古屋市博物館『大須観音展』で覚えた。鴨院文庫(藤原摂関家伝領の文庫)→東大寺東南院→大須観音(宝生院)へと受け継がれるアーカイブズの水脈に醍醐寺もゆかりがあるのかと感慨深かった。大仏再建の勧進で知られる重源上人が醍醐寺の出身であることも初めて認識。醍醐寺の歴史って、太閤秀吉の「花見」だけではないのだな。
続いて、仏像。如意輪観音が2点。金色に輝く平安時代の像は、ふくよかでおおどかな感じ。大人の女性の色気を感じさせる。一方、やや小柄な鎌倉時代の像は、少女の可憐さと危うい艶めかしさをあわせ持つ。腰が細く、裳(スカート)がすごいローライズで、臍(へそ)の下が大きく露出しているのに気付いて、どぎまぎしてしまった。大きな蓮華形の台座、繊細な透彫の光背も当時のもの。かつて上醍醐の観音堂本尊だったという千手観音像(平安時代)は、脇手が横でなく前に張り出すタイプで、迫力があり、私の好み。密教仏にはめずらしく装飾のない、妙にスッキリして古風な大日如来坐像も好みだった。
五大明王像については、以前と印象変わらず。唯一の平安仏である大威徳明王は大きく目を開いた異相で、バリ島の仮面に似ている。閻魔天騎牛像は、待賢門院璋子の安産祈願の本尊だった(出産は五回)という由来にひかれた。大きく安定感のある牛。片足を垂らして騎乗する閻魔天は人頭杖を持つが、温和な顔つきである。五重塔初層内部の板絵を紹介するコーナーもあったが、ずいぶん残っているものだな。
ここで、東新館から西新館へ。はじめに小山のような迫力の薬師如来と両脇侍像。それから、白描画を含め、絵画資料多数。醍醐寺といえば忘れてならない『太元帥法本尊像』(鎌倉時代)も来ていた。全6幅は、前後期で3幅ずつ展示。後期の「毘沙門天像」を見たい…。前期展示で気に入ったものは『五秘密像』。可愛らしくて、あやしくて笑える。『地蔵菩薩像』は靴を履いた、半跏踏下のめずらしい坐像。青と緑の目立つ色遣いも宋風。『文殊渡海図』は、劇画のように明確な個性の描き分け。大きな目の獅子、それに優填王がよい。白描にわずかな色をおいた『孔雀明王図像』は花籠が愛らしい。『善女龍王像』は人の姿なのに全身緑色でシュールで、波間に尻尾が見える。まだまだ語りたいもの多数。
後半に移る。ここで、醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像(快慶作、鎌倉時代)が登場。完璧としか評しようがない美仏。正面だけでなく、横顔も美しい。向かって右頬の金箔の剥離がちょっと気になる。後白河院の追善のために造立されたと初めて知った。なお、図録に「醍醐寺三宝院弥勒菩薩像と仏師快慶-後白河院追善像としての側面に注目して-」という山口隆介氏の興味深い論考が載る。「仏師快慶の実像に迫るうえで、後白河院の存在がこれまで考えられてきたよりもはるかに重要とみられること」「信西一門と快慶の関係になお多くの考究の余地があること」が指摘されている。
最後は修験道(吉野)とのかかわりを取り上げる。奈良の餅飯殿(もちいどの)町の地名の由来には、理源大師聖宝が大峰山に入った際、餅や飯を献上したため、という説があるそうだ。「餅飯殿の町内には理源大師が祀られている」と書いてあったが、どこだかよく分からず。あとで調べたら、もちいどのセンター街の真中(マインズ広場?)にあるらしい。今度行ってみよう。宗達の舞楽図屏風も見ることができて嬉しかった。
とっくにお昼も過ぎてしまったので、腹ごしらえのあと、東大寺ミュージアムに寄る。東大寺江戸復興関連資料や理源大師・聖宝僧正像が出ていると聞いたため。主要展示は変わっていなくて、数はわずかだった。再び奈良博に戻り、仏像館を流し見して、奈良を離脱。少し早目の飛行機(帰りもPeach航空)で札幌に戻った。
※おまけ:醍醐寺 公式サイト
「醍醐寺文化財アーカイブズ」がすごい。文中に紹介した多くの仏画も公開されている。大学とか、博物館・図書館がまるで負けていないか? 電子書籍版「マンガ聖宝伝」も意欲的で評価する。