見もの・読みもの日記

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「政治的平等」から「社会経済的平等」へ/〈階級〉の日本近代史(坂野潤治)

2014-12-09 23:57:03 | 読んだもの(書籍)
○坂野潤治『〈階級〉の日本近代史:政治的平等と社会的不平等』(講談社選書メチエ) 講談社 2014.11

 事前情報をつかんでいなかった坂野潤治先生の新刊を、書店で見つけてびっくり。新刊であることを確かめ、すぐ購入して、一気に読んでしまった。本書の考察の対象となる時代は、明治維新(1868)から盧溝橋事件(1937)まで。すでに著者が、何冊かの旧著で分析してきた時代である。

 はじめに「明治維新」とは何か。Wikiにいう「江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革」というのが一般的な認識だろう。著者は明治維新を、下級武士たちによる一大社会革命と考える。これによって、まず「士(藩主、諸大名)」の特権が廃止された。

 続く「自由民権運動」の時代の主役となったのは、没落士族と農村地主だった。特に農村地主の発言力は大きく、1874年の「民撰議院設置建白書」から、民党(自由党・改進党)として衆議院を支配し、1900年に立憲政友会として政権の一部を担うに至る。農村地主を支持母体とする民党は、「地租軽減」を掲げざるを得なかった。地租軽減(減税)には「政費節減」(小さな政府)が必要である。一方、政府と与党は「富国強兵」(大きな政府)を望んでいた。この対立に解決をもたらしたのは、日清戦争(1894-95)の勝利で、多額の賠償金を獲得することにより、政府は「富国強兵」の財源を手にすることができた。さらに戦後景気で米価が高騰し、農村地主の収入が跳ね上がったため、黙っていても地租(固定税)負担は大幅軽減となった。ううむ、なんとなく2014年12月現在の経済状況がデジャブのように重なる。

 坂野先生いわく「成熟した先進国ならば、これだけ農村地主が優遇されれば、小作法案でも議会に提出して、下層農民の生活改善をはかるであろう」。「今はまずデフレからの脱却につとめ、『分配』の問題はその後で考えるという人が、後になって本当に『分配』のことを考えるだろうか」。

 その後、政治は安定し、有権者の納税資格は引き下げられたが、有権者の大半が農村地主であることに変わりはなかった。1905年(日比谷焼打ち事件)に始まる都市民衆の時代が、1925年の男子普通選挙法成立によって実現するまで20年を要している。これ、あらためて驚くなあ。関東大震災が1923年。最近の朝ドラ「ごちそうさん」や「花子とアン」は、この頃の都市に暮らす人々を明るく軽やかに描いていたが、彼らにまだ選挙権は無かったのだ。「士」の次は「農」。「工、商」はまだまだ。

 1928年、初の男子普通選挙が行われ、有権者数は約300万人から約1200万人に拡大。約310万人の労働者、約150万人の小作農、さらに約340万人の都市中間層が新たに選挙権を得た。普通選挙の提唱者である吉野作造は、「民本主義」について論じ、経済上の格差は民本主義の趣旨に反すること、普通選挙という「政治的平等」は、社会経済的格差を是正する手段であることを述べており、憲政会の幹事長(横山勝太郎)も同様の認識を示していた。

 一方、憲政会の幹部には、普通選挙制は「政治的平等」に限ったものであり、社会経済的格差の是正が議会の使命と考えない者もいた。また、選挙権を得た小作農や労働者も、大半が政友会や民政党などの既成政党に投票し、社会主義政党に投票する者はきわめて少なかった。それでも12年後の1937年4月の総選挙では、社会大衆党の大躍進が見られた。

 1937年7月に勃発した盧溝橋事件は、日中全面戦争に発展し、太平洋戦争に至る。近年の研究は、戦時下の「総動員体制」が「社会的平等(格差是正)」に果たした役割の大きさを強調する傾向にある。しかし、著者は決然として、総力戦(戦争)が「平等」をもたらしたという見解を拒否する。その理由は、1944年末から1945年初めにかけて、著者が経験した空襲の連続にあるという。こうした学術的著作に、著者の個人的体験が記されるのは異例のことだ。若い読者は失笑するかもしれないが、私はその真剣さを重く受け止めた。

 戦争及び独裁の下で、社会経済的格差が縮小したことは事実である。私たちは「同時に起こったことには、必然的な因果関係があると思いがち」であり、「格差」がひどくなると「戦争」や「独裁」を求めたくなる。しかし、明治維新以来、「士」→「農」→「商」→「工」の順に広がってきたデモクラシーは、日中戦争直前、ついに社会の下層まで届いていたのである。それを「総力戦」のおかげ、「国家総動員法」のおかげ、無条件降伏のおかげと思い込むのは、単なる目の錯覚に過ぎない。この厳しい断言に、私は政治学者の責任と矜持を感じた。

 山口二郎先生との対談『歴史を繰り返すな』と併読すると、著者が私たちに語りたかったことは、より明瞭である。「歴史に学ぶ」とはどういうことか、現在の政治状況の見方を、過去の歴史からどのように借りてくるべきか、よく分かる本である。
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