○多摩美術大学美術館 四国霊場開創1200年記念『祈りの道へ-四国遍路と土佐のほとけ-』(2014年11月22日~2015年1月18日)
年末年始に東京に帰省するにあたり、行ける展覧会を探してみたら、同展は12月28日から1月6日まで休止だという。え! 27日(土)の昼過ぎ、羽田着の便を予約してあったので、多摩センターに直行。なんとか年内最終日に参観することができた。
噂には聞いていたけれど、予想以上のクオリティ。1階2室、2階2室の計4つの展示室で構成されている。1階は考古出土品(瓦、須恵器、銅矛など)と近世以降の納経帳や納札が主で、その中に、ポツポツと仏画、仏像が混じっている。仏像は破損(というか風化)の進んだものもあるが、こんな状態でも信仰の対象になっているのだと思うと、かえって敬虔な気持ちが湧き上がる。ほかに遺跡やお遍路風景、仏像の写真が多数パネルで展示されていた。
特に仏像の写真パネルが素晴らしかった。漆黒を背景に、本来の木肌をあらわにしつつある古仏たち。自然に還ろうとする造型と、まだ匠の意思を伝える目鼻立ちの深いのみ跡。印象的だったのは、笹野大日堂の大日如来坐像。運慶工房の系統だが、表情にあまり厳しさがなく、健やかで穏やかな笑みを感じさせる。定福寺の地蔵菩薩像は、ちょっと意地悪そうでもある、近寄りがたい不気味な表情で、ぞくぞくする。竹林寺の獅子(初代)は無人の蓮華座(光背つき)を背中に乗せ、例の満面の笑みを見せていた。撮影者の大屋孝雄さんの紹介に『観じる民芸』という書名を見つけて、あ!とのけぞった。尾久彰三さんの著書『観じる民藝』を読んで、本文以上に写真に感銘を受けたことを思い出したのだ。
2階にあがると、2室とも仏像が中心となる。1階の写真パネルで印象的だった笹野大日堂の大日如来坐像も、定福寺の地蔵菩薩像(6躯)も、実物が来ていらっしゃるではないか! びっくり! あと歓喜寺の如来形坐像もよかった。左肩先を大きく欠いているのだが、欠損を欠損と感じさせない充実した魅力がある。何か半身を異次元に置いているような感覚である。
個人的には、この秋、高知まで見に行った『空海の足音 四国へんろ展』より満足度が高かったかもしれない。四国で何度か見た、ヘタウマっぽい『高祖大師秘密縁起』も複数巻をじっくり見ることができて嬉しかった。
年末年始に東京に帰省するにあたり、行ける展覧会を探してみたら、同展は12月28日から1月6日まで休止だという。え! 27日(土)の昼過ぎ、羽田着の便を予約してあったので、多摩センターに直行。なんとか年内最終日に参観することができた。
噂には聞いていたけれど、予想以上のクオリティ。1階2室、2階2室の計4つの展示室で構成されている。1階は考古出土品(瓦、須恵器、銅矛など)と近世以降の納経帳や納札が主で、その中に、ポツポツと仏画、仏像が混じっている。仏像は破損(というか風化)の進んだものもあるが、こんな状態でも信仰の対象になっているのだと思うと、かえって敬虔な気持ちが湧き上がる。ほかに遺跡やお遍路風景、仏像の写真が多数パネルで展示されていた。
特に仏像の写真パネルが素晴らしかった。漆黒を背景に、本来の木肌をあらわにしつつある古仏たち。自然に還ろうとする造型と、まだ匠の意思を伝える目鼻立ちの深いのみ跡。印象的だったのは、笹野大日堂の大日如来坐像。運慶工房の系統だが、表情にあまり厳しさがなく、健やかで穏やかな笑みを感じさせる。定福寺の地蔵菩薩像は、ちょっと意地悪そうでもある、近寄りがたい不気味な表情で、ぞくぞくする。竹林寺の獅子(初代)は無人の蓮華座(光背つき)を背中に乗せ、例の満面の笑みを見せていた。撮影者の大屋孝雄さんの紹介に『観じる民芸』という書名を見つけて、あ!とのけぞった。尾久彰三さんの著書『観じる民藝』を読んで、本文以上に写真に感銘を受けたことを思い出したのだ。
2階にあがると、2室とも仏像が中心となる。1階の写真パネルで印象的だった笹野大日堂の大日如来坐像も、定福寺の地蔵菩薩像(6躯)も、実物が来ていらっしゃるではないか! びっくり! あと歓喜寺の如来形坐像もよかった。左肩先を大きく欠いているのだが、欠損を欠損と感じさせない充実した魅力がある。何か半身を異次元に置いているような感覚である。
個人的には、この秋、高知まで見に行った『空海の足音 四国へんろ展』より満足度が高かったかもしれない。四国で何度か見た、ヘタウマっぽい『高祖大師秘密縁起』も複数巻をじっくり見ることができて嬉しかった。