見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

多様な真実/帝国の慰安婦(朴裕河)

2014-12-14 03:22:11 | 読んだもの(書籍)
○朴裕河(パク・ユハ)『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘い』 朝日新聞出版 2014.11

 慰安婦問題にはずっと関心を持ってきた。私は、韓国側からの告発に対して、理性的かつ倫理的な応答に値する活動を支持してきたが、どうも深入りすると面倒くさそうな問題だなという忌避感もあった。本書を読むことで、ずいぶんいろいろなことが整理できたような気がする。

 はじめに著者は、「慰安婦問題」が発生する以前(1970年代)の文献から、朝鮮人慰安婦の証言を拾い出す。そこには、悲惨ではあるが、多様で、生き生きした(≒生々しい)慰安婦たちの姿がある。彼女たちは、必ずしも兵士の性欲処理のためだけに動員されたわけではない。「長い駐屯生活で同じ慰安婦と暮らしていると、女房みたいになってしまう」という元兵士の証言。戦闘から帰還する兵士を、着物にエプロン姿で「ゴクロウサマデシタ」と迎え、洗濯や看護にも従事し、時にはのどかに花を摘み、馬に乗せてもらい、運動会を楽しんだ思い出。著者は、国家が慰安婦に強いた最も重要な役割は、兵士を「擬似家族」として見守り、彼らを死地に送り出すことだったと説く。前述のような「地獄の中の平和」は、例外的な記憶であるだろうが、それを無視することは慰安婦の実像を歪めてしまう。

 朝鮮人慰安婦の多くは、業者に誘われたり騙されたりして故郷を離れた。慰安婦の巨大な需要を作り出し、不法な募集行為を黙認した日本軍に責任がないとは言えないが、募集に加担した民間人の責任を無視することはできない。そして、のちに慰安婦と混同される挺身隊(女子勤労挺身隊)が、女学生を対象としていたのに対し、慰安婦になった(された)のが、学校教育も受けられない、貧しい家の少女たちだったことは記憶されるべきだ。彼女たちは、男性中心の共同体(根強い家父長制)からはじき出され、最も過酷な境遇に身を落とした。

 そういう運命を背負った女性たちだったからこそ、同じように国家に身体(生命)を捧げるために動員された日本人兵士たちに、同情や憐憫を感じることもあったようだ。また、大日本帝国の中で「二番目の日本人」だった朝鮮人慰安婦は、戦場で強姦される中国人女性や、下働きのインドネシア人とは明らかに異なる位相にいた。

 「朝鮮人慰安婦」を正しく歴史の中に位置づけるには、こうした記憶の多様性、問題の複雑性を、丁寧に読み込んでいく必要がある。その過程では、できれば忘れたい、汚辱に満ちた過去にも向き合わなければならない。このことは、日本国民だけでなく(むしろ日本以上に)韓国にもあてはまる。

 けれでも、残念ながら現実は、そのように向かっていない。本書によれば、韓国の元慰安婦支援団体の中心となっている挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は、世界各国の人権運動家を巻き込んで、日本政府に謝罪と賠償求めることに力を注いできた。しかし「日本の応答を引き出せるのは、ほかの国を集めての『圧迫』ではなく、日本と向き合うことによってである」と著者はいう。これ、日本を北朝鮮に置き換えても通りそうな一文で、苦笑してしまった。

 挺対協のよく知られた活動のひとつが、慰安婦少女像を建立する運動である。ソウルの日本大使館前に設置されたとか、日本の自称「愛国」団体が激しく反発して撤去を求めたとか聞くと、ただ眉をひそめるしかないと思っていたが、本書を読むと、慰安婦「少女」像=日本軍を告発する民族の娘というのが、そもそも冒頭で紹介したような、現実の慰安婦の証言を踏まえたものでないことが分かる。少女像は、学生らしい(処女らしい)無垢で端正なイメージに造形されているが、慰安婦の平均年齢は25歳で、日本の兵士たちより「お姉さん」だった。また、少女像はチマチョゴリを着ているが、実際の慰安婦は、日本の着物を着て、日本女性の代替となって日本軍に協力した。つまり、少女像が朝鮮人慰安婦を表していないこと、支援者の活動の中心に朝鮮人慰安婦がいないことを、著者は厳しく批判している。

 よくもこれだけ勇気ある批判を、自国の歴史に投げかけることができたものだ。実は本書は、韓国国内の慰安婦支援団体から、出版差し止めの訴えを受けている。と言って、韓国の元慰安婦支援団体と激しく対立している日本の愛国団体が喜ぶ内容でもない。どちらにしても、現実の多様性を認めず、「記憶」を一元的に支配したい人々、帝国/植民地という関係が、支配する側とされた側(協力した側)双方の地域に残した不名誉を忘却したい人々からは、激しく拒絶されるだろう。そこが本書の価値である。

 また、90年代の日本政府による謝罪と補償の取り組みについても、詳しい検証が掲載されていて、勉強になった。日本の政治家と官僚に、まだ気骨や道義心というものがあったギリギリの時代だったということが感じられた、その成果は多方面から「不徹底」という批判にさらされ、アジアの国々と深い信頼関係を築くという「村山談話」の志は、未完のままに引き継がれている。「善意や徹底性は、それ自体が目的化すると必ずしも良い結果を引き出さない」という著者の言葉を、日本人も韓国人も心に留めておきたいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする