○佐藤靖『NASA:宇宙開発の60年』(中公新書) 中央公論新社 2014.6
米国航空宇宙局(NASA, National Aeronautics and Space Administration)は1958年に発足した。その背景には、米ソの宇宙開発競争があった。1957年のスプートニク・ショックを受けて、米国は宇宙開発体制の構築に乗り出し、最終的に、航空諮問委員会(NACA)を改編し、NASAを設置することを決める。さらに軍や大学から組織・人材の提供を受け、実際の事業単位となる各センターが傘下に整備された。本書は、アポロ計画、スペースシャトル計画、国際宇宙ステーション計画という、三つの大規模な有人宇宙飛行計画を取り上げ、次いで、無人探査や宇宙科学分野の取り組みについても補足的に述べる。
私は、上記三つの有人宇宙飛行計画がもたらした興奮を共有しながら育ってきた世代である。1969年のアポロ11号の月面着陸の夜、小学生だった私は、両親と一緒に空の月を見上げていた。スペースシャトルは、1986年の痛ましい事故の記憶が鮮烈だが、打ち上げや帰還成功の様子はテレビで何度も見た。国際宇宙ステーションは、冷戦終結を印象づけた米ソの協力が印象深い。昭和の子どもだった私にとって、「NASA」という文字は、科学技術が切り拓く未来を表す眩しいシンボルだった(だから、思わず本書を手に取ってしまったわけだ)。しかし、近年、日本の新聞やマスコミに「NASA」の文字が躍ることは、1970~80年代に比べると、はるかに減ってしまったような気がする。
本書には、半世紀にわたるNASAの輝かしい歩みの影に、幾多の危機や失敗があったことが描かれており、その評価や対応が興味深い。アポロ計画では1967年、地上試験中に宇宙船内部で火災が発生し、3人の宇宙飛行士が脱出できずに死亡してしまう。このとき、NASAの最高責任者であるウエッブ長官は、ジョンソン大統領を説得し、事故調査をNASA内部で行うことを受け入れさせた。仮に外部調査委員会を受け入れていれば、その対応に多大の時間と労力をとられ、速やかな態勢立て直しができなかっただろうと、本書は評価する。ううむ、しかしこれはこの時代のNASAだからできたことかもしれない。
1986年には、スペースシャトル、チャレンジャー号の空中分解事故が起きた。実は、アポロ計画終了後、NASAの組織基盤は急速に弱体化していたという。全体の予算規模は1966年をピークにその後4年間で5割減少(すさまじい!)、人員は1967年をピークに5年間で2割減少した。NASAはもともとスペースシャトルの開発費用に100~150億ドルかかると見込んでいたが、財政部局はせいぜい50~60億ドルしか確保できないという回答だった。それでもNASAは、シャトルの基本設計をあらゆる角度から再検討し、厳しいコスト制約下で実現に取り組んだ(泣ける)。
しかし、事故は起きてしまった。原因究明にあたった委員会(ロジャーズ委員会)の報告書は、チャレンジャー号事故が「政治と技術とが関わり合うなかで発生した惨事である」ことを指摘している。当日はフロリダ州としては異例の寒さで、事故原因となった部品(Oリング)は低温環境下で機能不全を起こす可能性が懸念されていたにもかかわらず、打ち上げが強行された。背景には、NASAが議会や国民に対して、シャトルを高い頻度で打ち上げ「費用対効果」を実現すると約束していた事情がある。NASAはつねにスケジュール遵守の圧力にさらされていた。各センターや契約会社のスタッフは、何よりも「納期の遵守と費用の節減」により成功報酬を受けることができる仕組みになっており、逆に、ミッションにおいて重大でない不具合が生じた場合の罰則はなかった。「このような契約条件下では、さまざまな問題に対応するために時間とコストをかける意欲は抑えられてしまう」という指摘に、赤線を引いておこうかと思った。いま、日本の企業や公的セクターで起きている多くの問題の根本原因は、これなんじゃないかと思う。
また、ジェット推進研究所(JPL)は、カリフォルニア工科大学の一部でもある。大学特有の個人主義的な組織文化は、NASA本部との間にしばしば摩擦を引き起こした。1960年代のレンジャー計画(無人探査機による月面突入)の相次ぐ失敗を調査した委員会は、その背景にJPLの「異常なまでの独立心の誇示」を指摘し、民間企業で普及している管理方法の導入を求めている。しかし、NASAのウェッブ長官は「それほど強硬に組織改革の断行を迫ったわけではな」く、配慮を示しながら変化を見守った。ここも大事だなあ。事故や失敗の原因には向きあい、取り除かなくてはいけないが、多様性を否定する組織は本当に強くなれないと思う。
終章によれば、近年のNASAは、コスト削減の圧力、費用対効果と説明責任の重視の結果、集権化と官僚化が進んでいるという。いやな話だ。宇宙開発分野の象徴的な政治力は過去のものとなり、人類の未来を切り拓く科学技術分野としての見通しにも以前の輝きがなくなった現在、NASAは明瞭なミッションを失い、長期的な方向性も定まらない。それでもなお、180億ドル程度の巨額の予算を与えられているのは、多くの人々が(国境を超えて)「NASAに人類の夢を見、NASAに輝かしい組織であり続けてほしいと願っているからではないだろうか」と本書はいう。昭和の子どもであった私も、まさにそのひとりである。

私は、上記三つの有人宇宙飛行計画がもたらした興奮を共有しながら育ってきた世代である。1969年のアポロ11号の月面着陸の夜、小学生だった私は、両親と一緒に空の月を見上げていた。スペースシャトルは、1986年の痛ましい事故の記憶が鮮烈だが、打ち上げや帰還成功の様子はテレビで何度も見た。国際宇宙ステーションは、冷戦終結を印象づけた米ソの協力が印象深い。昭和の子どもだった私にとって、「NASA」という文字は、科学技術が切り拓く未来を表す眩しいシンボルだった(だから、思わず本書を手に取ってしまったわけだ)。しかし、近年、日本の新聞やマスコミに「NASA」の文字が躍ることは、1970~80年代に比べると、はるかに減ってしまったような気がする。
本書には、半世紀にわたるNASAの輝かしい歩みの影に、幾多の危機や失敗があったことが描かれており、その評価や対応が興味深い。アポロ計画では1967年、地上試験中に宇宙船内部で火災が発生し、3人の宇宙飛行士が脱出できずに死亡してしまう。このとき、NASAの最高責任者であるウエッブ長官は、ジョンソン大統領を説得し、事故調査をNASA内部で行うことを受け入れさせた。仮に外部調査委員会を受け入れていれば、その対応に多大の時間と労力をとられ、速やかな態勢立て直しができなかっただろうと、本書は評価する。ううむ、しかしこれはこの時代のNASAだからできたことかもしれない。
1986年には、スペースシャトル、チャレンジャー号の空中分解事故が起きた。実は、アポロ計画終了後、NASAの組織基盤は急速に弱体化していたという。全体の予算規模は1966年をピークにその後4年間で5割減少(すさまじい!)、人員は1967年をピークに5年間で2割減少した。NASAはもともとスペースシャトルの開発費用に100~150億ドルかかると見込んでいたが、財政部局はせいぜい50~60億ドルしか確保できないという回答だった。それでもNASAは、シャトルの基本設計をあらゆる角度から再検討し、厳しいコスト制約下で実現に取り組んだ(泣ける)。
しかし、事故は起きてしまった。原因究明にあたった委員会(ロジャーズ委員会)の報告書は、チャレンジャー号事故が「政治と技術とが関わり合うなかで発生した惨事である」ことを指摘している。当日はフロリダ州としては異例の寒さで、事故原因となった部品(Oリング)は低温環境下で機能不全を起こす可能性が懸念されていたにもかかわらず、打ち上げが強行された。背景には、NASAが議会や国民に対して、シャトルを高い頻度で打ち上げ「費用対効果」を実現すると約束していた事情がある。NASAはつねにスケジュール遵守の圧力にさらされていた。各センターや契約会社のスタッフは、何よりも「納期の遵守と費用の節減」により成功報酬を受けることができる仕組みになっており、逆に、ミッションにおいて重大でない不具合が生じた場合の罰則はなかった。「このような契約条件下では、さまざまな問題に対応するために時間とコストをかける意欲は抑えられてしまう」という指摘に、赤線を引いておこうかと思った。いま、日本の企業や公的セクターで起きている多くの問題の根本原因は、これなんじゃないかと思う。
また、ジェット推進研究所(JPL)は、カリフォルニア工科大学の一部でもある。大学特有の個人主義的な組織文化は、NASA本部との間にしばしば摩擦を引き起こした。1960年代のレンジャー計画(無人探査機による月面突入)の相次ぐ失敗を調査した委員会は、その背景にJPLの「異常なまでの独立心の誇示」を指摘し、民間企業で普及している管理方法の導入を求めている。しかし、NASAのウェッブ長官は「それほど強硬に組織改革の断行を迫ったわけではな」く、配慮を示しながら変化を見守った。ここも大事だなあ。事故や失敗の原因には向きあい、取り除かなくてはいけないが、多様性を否定する組織は本当に強くなれないと思う。
終章によれば、近年のNASAは、コスト削減の圧力、費用対効果と説明責任の重視の結果、集権化と官僚化が進んでいるという。いやな話だ。宇宙開発分野の象徴的な政治力は過去のものとなり、人類の未来を切り拓く科学技術分野としての見通しにも以前の輝きがなくなった現在、NASAは明瞭なミッションを失い、長期的な方向性も定まらない。それでもなお、180億ドル程度の巨額の予算を与えられているのは、多くの人々が(国境を超えて)「NASAに人類の夢を見、NASAに輝かしい組織であり続けてほしいと願っているからではないだろうか」と本書はいう。昭和の子どもであった私も、まさにそのひとりである。