〇松涛美術館『セラミックス・ジャパン 陶磁器でたどる日本のモダン』(2016年12月13日~2017年1月29日)
気になっていた展覧会に最終日に行ってきた。近代の日本でつくられた陶磁器のデザインを概観する初めての展覧会。幕末明治は、欧米のジャポニズム流行に助けられ、輸出向け陶磁器の生産が活況を帯びた。「上絵金彩」と呼ばれる華やかな作品が多い。外国商館を介さず、直接取引をする輸出会社も現れた。工芸品を扱った直輸出商社には、政府出資の起立(きりゅう)工商株式会社や民間の森村組がある。へえ~知らなかった。そして調べたら、森村組は森村グループとして現存しており、ノリタケカンパニーリミテドを中核とする「世界最大のセラミックス企業グループ」なのだそうだ。森村組の工場で生産されたという逆三角形シルエットの『上絵金彩花図花瓶』、イエロー系の色彩が愛らしかった。
この展覧会の作品は、作者名に個人名が記されているものもあるけれど、「〇〇会社」とか「〇〇学校」とか「〇〇試験場」というものも多くて、それが「日本のモダン」なのだなと思った。学校・試験機関は、近代的な製陶技術の確立、技術者の養成に大きな役割を果たした。板谷波山の『新製マジョリカ皿』は、全く波山らしくない、牧歌的な里山風景の絵皿で、「東京工業大学博物館」所蔵とあるのに驚いた。波山が嘱託をつとめた東京高等工業学校は、東工大の前身なのである。
ほかにも、金沢、瀬戸、有田、会津本郷、常滑、津名、土岐・多治見には窯業にかかわる実業学校が置かれた。徒弟学校とか実業補習学校というのがあったんだなあ。ふつうの教育史ではあまり触れられないけど。また、京都市陶磁器試験場、東京工業試験所など、各地の試験機関が果たした役割も大きい。まずお金と時間をかけて人材を育成し、それによって産業を振興しようという、まっとうな考えをする国だったことが感じられる。
陶磁器は、テーブルウェア以外にもさまざまなところに用いられた。いちばん驚いたのは、秩父宮邸で使われていたという装飾電燈台(1927年)。巨大なアスパラガスのような形をしている。明治時代に製作されたという室内装飾用のタイルは楽しいなあ(淡陶株式会社等)。もし自由に家を建てるなら使ってみたい。これ、マジョリカタイルと呼んでいいのだろうか。
第二会場に入ると、洗練されたデザインの製品が本格的に大量生産される時代が始まったことを感じさせる。帝国ホテルライト館(フランク・ロイド・ライトが設計した建物)のバンケットルームで使われた洋食器は、ライトがデザインしたものだという。これは欲しい!と思ったら、ノリタケで売っていた。でもコーヒーカップの形がちょっと違っていて、展示品のほうがいい。琵琶湖ホテルのコーヒーセットも品がよくて好き。また、このへんから私の知っている陶器会社の名前が現れる。大倉陶園、香蘭社、深川製磁など。やっぱり素敵だ~。
このほか、陶磁器の珍品というべきものも目についた。コンパクトな汽車土瓶は、さすがに現役で使われているのを見たことはないが、これと同じ形態をした、プラスチック製のお茶容器は覚えている。南満州鉄道の汽車土瓶もあった。同潤会代官山アパートメントの洗面台もよく取ってあったなあ。戦時中には、資源節減のため、規格化された「国民食器」なるものがつくられた。しかし、徹底した機能美を追及した姿は美しすぎるくらいだ。「宮」の字が入った火鉢は、金属資源の節減のため、宮内庁が発注した火鉢だという。あれ?むかしは金属製の火鉢が一般的だったのか?と気になったので、書き留めておく。
気になっていた展覧会に最終日に行ってきた。近代の日本でつくられた陶磁器のデザインを概観する初めての展覧会。幕末明治は、欧米のジャポニズム流行に助けられ、輸出向け陶磁器の生産が活況を帯びた。「上絵金彩」と呼ばれる華やかな作品が多い。外国商館を介さず、直接取引をする輸出会社も現れた。工芸品を扱った直輸出商社には、政府出資の起立(きりゅう)工商株式会社や民間の森村組がある。へえ~知らなかった。そして調べたら、森村組は森村グループとして現存しており、ノリタケカンパニーリミテドを中核とする「世界最大のセラミックス企業グループ」なのだそうだ。森村組の工場で生産されたという逆三角形シルエットの『上絵金彩花図花瓶』、イエロー系の色彩が愛らしかった。
この展覧会の作品は、作者名に個人名が記されているものもあるけれど、「〇〇会社」とか「〇〇学校」とか「〇〇試験場」というものも多くて、それが「日本のモダン」なのだなと思った。学校・試験機関は、近代的な製陶技術の確立、技術者の養成に大きな役割を果たした。板谷波山の『新製マジョリカ皿』は、全く波山らしくない、牧歌的な里山風景の絵皿で、「東京工業大学博物館」所蔵とあるのに驚いた。波山が嘱託をつとめた東京高等工業学校は、東工大の前身なのである。
ほかにも、金沢、瀬戸、有田、会津本郷、常滑、津名、土岐・多治見には窯業にかかわる実業学校が置かれた。徒弟学校とか実業補習学校というのがあったんだなあ。ふつうの教育史ではあまり触れられないけど。また、京都市陶磁器試験場、東京工業試験所など、各地の試験機関が果たした役割も大きい。まずお金と時間をかけて人材を育成し、それによって産業を振興しようという、まっとうな考えをする国だったことが感じられる。
陶磁器は、テーブルウェア以外にもさまざまなところに用いられた。いちばん驚いたのは、秩父宮邸で使われていたという装飾電燈台(1927年)。巨大なアスパラガスのような形をしている。明治時代に製作されたという室内装飾用のタイルは楽しいなあ(淡陶株式会社等)。もし自由に家を建てるなら使ってみたい。これ、マジョリカタイルと呼んでいいのだろうか。
第二会場に入ると、洗練されたデザインの製品が本格的に大量生産される時代が始まったことを感じさせる。帝国ホテルライト館(フランク・ロイド・ライトが設計した建物)のバンケットルームで使われた洋食器は、ライトがデザインしたものだという。これは欲しい!と思ったら、ノリタケで売っていた。でもコーヒーカップの形がちょっと違っていて、展示品のほうがいい。琵琶湖ホテルのコーヒーセットも品がよくて好き。また、このへんから私の知っている陶器会社の名前が現れる。大倉陶園、香蘭社、深川製磁など。やっぱり素敵だ~。
このほか、陶磁器の珍品というべきものも目についた。コンパクトな汽車土瓶は、さすがに現役で使われているのを見たことはないが、これと同じ形態をした、プラスチック製のお茶容器は覚えている。南満州鉄道の汽車土瓶もあった。同潤会代官山アパートメントの洗面台もよく取ってあったなあ。戦時中には、資源節減のため、規格化された「国民食器」なるものがつくられた。しかし、徹底した機能美を追及した姿は美しすぎるくらいだ。「宮」の字が入った火鉢は、金属資源の節減のため、宮内庁が発注した火鉢だという。あれ?むかしは金属製の火鉢が一般的だったのか?と気になったので、書き留めておく。