〇金成隆一『ルポ トランプ王国:もう一つのアメリカを行く』(岩波新書) 岩波書店 2017.2
特にアメリカの政治にも文化にも興味のない私が、ドナルド・トランプの名前を知ったのはいつ頃だったか。はじめは大統領選挙の候補者の中に変なヤツがいる、という程度の認識だったと思う。共和党の予備選に勝ち残り、ついに党の指名候補になっても、共和党バカじゃないの?くらいの冷ややかな気持ちで見ていた。民主党のヒラリー・クリントンとバーニー・サンダースの戦いのほうに気をとられ、いよいよヒラリー対トランプの本選挙に突入しても、トランプが勝利する事態を想像することは全くできなかった。それが…。一体、アメリカに何が起きたのか。考えを整理する上で参考になったのは、大統領選の直後に刊行された水島治郎『ポピュリズムとは何か』である。そして、アメリカの状況をもう少し知りたいと思い、本書を読むことにした。
著者は朝日新聞社のニューヨーク特派員で、本書の取材は2015年11月、本選挙のほぼ1年前から始まる。テキサスで初めてトランプの集会を取材した著者は、その熱気、迫力に驚き、「トランプが負けるにせよ勝つにせよ、注目に値する社会現象であることは間違いない」と確信して、トランプ支持者の取材に本腰を入れることにする。主な取材対象として選んだのは、オハイオ、ペンシルバニアなど五大湖周辺の「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれるエリアと、これに一部重なる「アパラチア地方」(生活水準が相対的に低く、時代の変化についていけず、現状への不満・不安が強い地域)である。
ニューヨークから車を飛ばして、さびれた田舎町に入り、ダイナー(食堂)で出会った人々やその紹介でインタビュー対象を広げていく。最終的に14州で約150人のトランプ支持者にインタビューをしたというから、本書に取り上げられているのは、そのほんの一部なのだろう。老若男女、さまざまな人生とさまざまな「トランプを支持する理由」が語られている。
共通するのは「没落するミドルクラス」の苦悩である。かつて五大湖周辺は、製鉄業や製造業で栄え、十分に豊かなブルーカラー労働者が住んでいた。高校を出て、まじめに働けば、家族を養い、マイホームを買うことができた。ところが、産業が衰退し、働き口がなくなると、才能ある若者は街を出ていくようになる。人口が減り、廃墟が増える。残った若者は、失業、貧困、閉塞感に悩み、薬物に溺れて命を縮める。
知らなかった。都市部の貧困については認識があったけれど、アメリカの地方がこんなに疲弊しているとは知らなかった。現状に大きな不満を持つ彼らは、何かを変えてくれそうな、型破りのエネルギーを持つトランプに大きな期待を寄せた。トランプのシンプルな公約「雇用を取り戻す」がどれだけ彼らの心に響いたか。そして、本書を読んで、トランプが意外と真っ当なことも言っていることも分かった。
トランプははっきり「社会保障を守る」と言っている(ただし、具体策はなくて、自分なら経済を立て直せるというのだが)。へえ~共和党候補なのに「小さな政府」志向ではないんだ。また、地場産業の衰退から、公共サービスの低下、学校教育の縮小(音楽や美術の授業の削減)に危機感を感じて、実業家のトランプに「やらせてみたい」と語る支持者もいる。公務員叩きが大好きな日本のポピュリスト政治家及びその支持者とは、ずいぶん異なる感じがした。一方、「オバマケア」は嫌われているんだなあ。財源確保のため、保険料の支払いが跳ね上がることの不満は大きいのだ。
トランプ支持者は、エスタブリッシュメント(既得権益層)や政治エリートに強い反感を持っていて、ヒラリーはその代表格と見られている。大企業の献金を受け取る政治家は、大企業のため政治しかできない。そこで大富豪のトランプなら、庶民のために独立独歩の政治ができると考えられているのだ。実態はあやしいが、期待する気持ちは分かる。彼らは権力の世襲と固定化が大嫌いなので、大統領を輩出した共和党の名門ブッシュ家には冷たい。一方、貧困家庭から這い上がったビル・クリントンには好意的だ。このへんも、ひとくちにポピュリズムと言っても、日本の政治カルチャーとはずいぶん違う気がした。しかし、ブルーカラーを見捨てて「中道」化(エスタブリッシュメント化)した民主党が、支持基盤だったブルーカラー労働者に見切られる構図は、日本の左派リベラルと共通しているようにも思う。なお、本書はバーニー・サンダースの選挙運動のルポにも1章が割かれている。実は「反エスタブリッシュメント」の点で、トランプとサンダースには共通項が多いことが分かって、面白かった。
また、ルポを終えての最終章のまとめにも示唆が多かった。いちばん印象的だったのは、以前のように「ブルーカラーの仕事がない」一方で、高度な技術を要する仕事は今も国内に残っていて「募集しても熟練機械工がいない」という状況だ。この「スキルギャップ」が、多くの先進国で「雇用の不安定化」の要因になっている。教育(人材育成)は、これを解決できるだろうか。エコノミストのミラノビッチは「多くの富裕国で量的な教育は上限に迫っているし、提供される学校教育の質でもそうであるかもしれない」と悲観的な言明をしている。トランプ大統領が、あるいはポピュリズム政治が、この状況に解決をもたらすとは全く思えない。しかし、では、どこに解決策があるのかは、考え続けなければならないだろう。
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著者は朝日新聞社のニューヨーク特派員で、本書の取材は2015年11月、本選挙のほぼ1年前から始まる。テキサスで初めてトランプの集会を取材した著者は、その熱気、迫力に驚き、「トランプが負けるにせよ勝つにせよ、注目に値する社会現象であることは間違いない」と確信して、トランプ支持者の取材に本腰を入れることにする。主な取材対象として選んだのは、オハイオ、ペンシルバニアなど五大湖周辺の「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれるエリアと、これに一部重なる「アパラチア地方」(生活水準が相対的に低く、時代の変化についていけず、現状への不満・不安が強い地域)である。
ニューヨークから車を飛ばして、さびれた田舎町に入り、ダイナー(食堂)で出会った人々やその紹介でインタビュー対象を広げていく。最終的に14州で約150人のトランプ支持者にインタビューをしたというから、本書に取り上げられているのは、そのほんの一部なのだろう。老若男女、さまざまな人生とさまざまな「トランプを支持する理由」が語られている。
共通するのは「没落するミドルクラス」の苦悩である。かつて五大湖周辺は、製鉄業や製造業で栄え、十分に豊かなブルーカラー労働者が住んでいた。高校を出て、まじめに働けば、家族を養い、マイホームを買うことができた。ところが、産業が衰退し、働き口がなくなると、才能ある若者は街を出ていくようになる。人口が減り、廃墟が増える。残った若者は、失業、貧困、閉塞感に悩み、薬物に溺れて命を縮める。
知らなかった。都市部の貧困については認識があったけれど、アメリカの地方がこんなに疲弊しているとは知らなかった。現状に大きな不満を持つ彼らは、何かを変えてくれそうな、型破りのエネルギーを持つトランプに大きな期待を寄せた。トランプのシンプルな公約「雇用を取り戻す」がどれだけ彼らの心に響いたか。そして、本書を読んで、トランプが意外と真っ当なことも言っていることも分かった。
トランプははっきり「社会保障を守る」と言っている(ただし、具体策はなくて、自分なら経済を立て直せるというのだが)。へえ~共和党候補なのに「小さな政府」志向ではないんだ。また、地場産業の衰退から、公共サービスの低下、学校教育の縮小(音楽や美術の授業の削減)に危機感を感じて、実業家のトランプに「やらせてみたい」と語る支持者もいる。公務員叩きが大好きな日本のポピュリスト政治家及びその支持者とは、ずいぶん異なる感じがした。一方、「オバマケア」は嫌われているんだなあ。財源確保のため、保険料の支払いが跳ね上がることの不満は大きいのだ。
トランプ支持者は、エスタブリッシュメント(既得権益層)や政治エリートに強い反感を持っていて、ヒラリーはその代表格と見られている。大企業の献金を受け取る政治家は、大企業のため政治しかできない。そこで大富豪のトランプなら、庶民のために独立独歩の政治ができると考えられているのだ。実態はあやしいが、期待する気持ちは分かる。彼らは権力の世襲と固定化が大嫌いなので、大統領を輩出した共和党の名門ブッシュ家には冷たい。一方、貧困家庭から這い上がったビル・クリントンには好意的だ。このへんも、ひとくちにポピュリズムと言っても、日本の政治カルチャーとはずいぶん違う気がした。しかし、ブルーカラーを見捨てて「中道」化(エスタブリッシュメント化)した民主党が、支持基盤だったブルーカラー労働者に見切られる構図は、日本の左派リベラルと共通しているようにも思う。なお、本書はバーニー・サンダースの選挙運動のルポにも1章が割かれている。実は「反エスタブリッシュメント」の点で、トランプとサンダースには共通項が多いことが分かって、面白かった。
また、ルポを終えての最終章のまとめにも示唆が多かった。いちばん印象的だったのは、以前のように「ブルーカラーの仕事がない」一方で、高度な技術を要する仕事は今も国内に残っていて「募集しても熟練機械工がいない」という状況だ。この「スキルギャップ」が、多くの先進国で「雇用の不安定化」の要因になっている。教育(人材育成)は、これを解決できるだろうか。エコノミストのミラノビッチは「多くの富裕国で量的な教育は上限に迫っているし、提供される学校教育の質でもそうであるかもしれない」と悲観的な言明をしている。トランプ大統領が、あるいはポピュリズム政治が、この状況に解決をもたらすとは全く思えない。しかし、では、どこに解決策があるのかは、考え続けなければならないだろう。