見もの・読みもの日記

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悲惨な人々/文楽・曽根崎心中、冥途の飛脚

2017-02-22 22:01:59 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 開場50周年記念2月文楽公演「近松名作集」(2月18日、14:30~、17:00~)

・第2部『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)・生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段』

 先々週の第1部に続いて、第2部と第3部を鑑賞。曽根崎心中は、上演時間がコンパクトで、登場人物が少なくて、分かりやすくて面白い。名作だと思う。ただ、初演と現在の上演形態には、ずいぶん違いがあることを、本公演のプログラムの中で咲太夫さんが語っていらっしゃる。復活初演当時は、『曽根崎』一本だけではやっていけない(出演者全員に役が振れない)ので、一度に何本も狂言をかけるため、コンパクトにまとめた。「今、国立劇場で復活すれば、おそらく初演のまま、原本のままでやったでしょう」というが、どちらがよかったかは分からないなあ。

 それから最後の道行の場面は「外国で上演してから、完全に変わりましたね。徳兵衛がお初を刺して、あと喉を切って、あの振りは初めはなかったわけですからね」「(それは作曲者の松之輔師が亡くなったあとのことで)もし生前でしたら、あれだけの鬼才の人ですから、あの振りをするんだったらもっと曲を工夫されていたと思いますよ」「今、変えようがないからシャリンシャリンを伸ばして弾いている」とのこと。この話、初めてきちんと知った。

 『曽根崎』は学生の頃から何度も見ているのだが、初見は「相対死に」の振りのない演出だった。二度目はこれがあって、二人が折り重なるように倒れる幕引き、「シャリンシャリン」の伴奏とともに衝撃を受けたことをよく覚えている。1988~89年くらいかなあ。いちばん最近見た2012年の大阪公演も、このパターンだったように思う。実は、今回は、絶命までいかず、徳兵衛が覚悟の刀を抜いたところで柝(き)が入り、幕となった。このパターンだと、あ、あれ?そっちか、と感動のタイミングを外されて、物足りなさが残ってしまう。鑑賞の前に「本公演は〇〇版で上演」と分かっているといいのかもしれない。

 人形は徳兵衛を玉男、お初を勘十郎。2012年は徳兵衛を勘十郎、お初を蓑助だったなあ。語りは生玉社が文字久太夫、天満屋が咲太夫。2016年にドラマ「ちかえもん」を見た記憶が薄れていないので、どうしてもドラマの配役の顔が浮かび、「お初」「徳さま」にニヤニヤしてしまった。

・第2部『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』

 これも何度か見ている演目。『曽根崎』に比べると、若い頃は面白さが分かりにくかったが、だんだん好きな狂言になってきた。お初徳兵衛が、非の打ちどころのない悲劇のカップルであるのに比べて、梅川忠兵衛は、少なくとも忠兵衛は自業自得すぎる。だがそこがよい、それでこそ人間である、と言えるようになるには、それなりの成熟が必要であると思う。

 淡路町の口は松香太夫休演のため咲甫太夫が代演。第3部は床のすぐ下の席だったので、咲甫さんファンの私は、思わぬ得をした気分だった。奥(羽織落とし)は呂勢太夫。封印切は千歳太夫。梅川は清十郎、忠兵衛は玉男。こういうダメな男演ずる玉男さんはわりと好き。幕間に近くの席にいた男女が「何これ」「だめんずじゃん」みたいな会話をしてるのが聞こえて可笑しかった。
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