〇出光美術館 開館50周年記念『岩佐又兵衛と源氏絵-〈古典〉への挑戦』(2017年1月8日~2月5日)
岩佐又兵衛(1578-1650)が生涯にわたって描き続けた画題のひとつに源氏絵がある。本展では、又兵衛の源氏絵を中心に、又兵衛と同じ時代を生きた絵師たちによる源氏絵を加え、彼らが伝統を真摯に学びつつも、それにとらわれることのない自由で柔軟な発想によって、過去に例のない新鮮な源氏絵を生み出してゆく様子を展観する。金曜が東京で仕事終わりだったので、夜間開館を利用して見てきた。もう最終週だったのか、危ない危ない。
冒頭に「やまと絵の本流」土佐派の源氏絵が数点並んでいたが、団体客で込み合っていたので、少し飛ばして、又兵衛の作品から見始める。『和漢故事説話図』の「須磨」「夕霧」「浮舟」。昨年夏、福井県立美術館で見たものだ。いや3点とも見たかは記憶が定かでないが、少なくとも「須磨」は印象的だったのでよく覚えている。吹き抜け屋台っぽく見下ろした庇の下、端近に立って嵐の海を見つめている源氏。ひどく不安定な構図なのが、場面の主題と合っている。『源氏物語 総角図屏風』(細見美術館)は、類例を思いつかない新鮮な構図。金雲と金の橋の下、青い水面(宇治川)、公達を乗せた舟と藁を積んだ小舟が行き交う。『源氏物語 桐壺・貨狄造船図屏風』は出光美術館の所蔵で、ときどき見る。
一段低くなった一角に、格別の扱いで飾られていたのは『源氏物語 野々宮図』。右側には、かつてこの作品を含んでいた六曲一双の「旧金谷屏風」の復元図が紹介されている。左側には『野々宮図』と同じくらいの大きさで『官女観菊図』(山種美術館)と『源氏物語 花宴図』(所在不明)の写真。解説によると『官女観菊図』は『野々宮図』と同様、源氏の賢木巻に取材したという見解が提出されているそうだ。つまり「旧金谷屏風」には源氏絵が3点含まれていたことになる。
次室は小休止で、又兵衛の多彩な画業を紹介。『四季耕作図屏風』(出光)は、たぶんこれまでも見ているはずだけど、あらためて好きになった。右隻の右隅の山や木(枝ぶり、葉)の描き方はすごく漢画(中国画)っぽい。これはやまと絵じゃないなあと感じる。左隻の左隅は印象的な雪景色。『瀟湘八景図巻』(出光)は全く記憶になかった。いや、見ていたとしても、絶対、又兵衛と結びついていないと思う。やまと絵というよりは漢画、でもそのどちらでもない幻想的な情景が展開する画巻。『職人尽図巻』は面白かった。しかし、あれもこれも出光美術館の所蔵で、又兵衛作品をこんなに持っていたのか!?と改めて驚く。
次室から再び源氏絵、特に屏風が中心となる。高さ1.5メートルくらいの屏風で、金雲の間に源氏物語の名場面オブ名場面をセレクトして配したものが複数。高い需要があったのだろう。「伝・岩佐又兵衛」の屏風が5点出ていたが、かなり雰囲気が違う。大和文華館本はみやびやかだし、京博本は葵の車争いとか須磨の落雷の大騒ぎが近世風である。実際に又兵衛やその工房が、どのくらい制作にかかわったかはよく分からないようだ。
出光美術館は、源氏物語の全ての巻の場面を描いた「五十四帖屏風」の岩佐派の作品を所蔵しており、これが本展後半のハイライトである。はじめに全54場面の拡大写真と解説パネルで予習をする。そして現物、と思ったら、最初に展示されているのは、土佐派(伝・土佐光吉)の「五十四帖屏風」で、伝統的な源氏絵とはこういうものか、というのを再確認したのち、ようやく岩佐派(又兵衛ではなく岩佐勝友筆)の「五十四帖屏風」に相対する。ふ~む、確かに土佐派とは趣きが違う。まず桐壺で登場する高麗の相人が漢画っぽい。紅葉賀などの芸能シーンに動きがある。全ての人物に生き生きした表情が見られる。
絵画史的に注目されるのは「花の宴」で源氏が朧月夜を抱きかかえていること。伝統的な源氏絵には全く見られなかった図様で、又兵衛の「旧金谷屏風」、あるいは『舟木本 洛中洛外図屏風』に描かれた遊女を抱擁する男客の図との連想がはたらく。会場の最後に、これらの関係作品をスライドショー形式で見せるコーナーがあって、面白かった。また、朧月夜を抱きかかえる源氏の図は、江戸時代の絵師の一部に継承されていくというが、これ、最後に大和和紀の『あさきゆめみし』を置いてもよかったのではないかと思う。あと、源氏物語のこの場面についての私の印象は、男も強引だが、女も誘っているというもので、「旧金谷屏風」にはその雰囲気がうまく描かれていると思う。
それから、私がいっそう興味を感じたのは、関連作品として展示されていた、伝・俵屋宗達筆『源氏物語図屏風残闕』で、その中の1枚「葵」に、碁盤の上に立って髪をそいでもらう幼い紫の上が描かれている。この作品は、初めて見たときからすごく気になっていた(※2005年の記事)。源氏物語の「葵」といえば、車争いの場面で代表されることが多いが、実は、岩佐勝友の「五十四帖屏風」も紫の上の髪そぎの場面を描いているという。屏風の中にその場面を見つけて、嬉しくなってしまった。
最後に、冒頭で飛ばした土佐派の源氏絵に戻ってみた。すると、品があって可憐で優美で、やっぱり平安時代ってこういうものだよなあと安心する。でも、その安心を揺さぶる又兵衛の魅力にも抗えない。
岩佐又兵衛(1578-1650)が生涯にわたって描き続けた画題のひとつに源氏絵がある。本展では、又兵衛の源氏絵を中心に、又兵衛と同じ時代を生きた絵師たちによる源氏絵を加え、彼らが伝統を真摯に学びつつも、それにとらわれることのない自由で柔軟な発想によって、過去に例のない新鮮な源氏絵を生み出してゆく様子を展観する。金曜が東京で仕事終わりだったので、夜間開館を利用して見てきた。もう最終週だったのか、危ない危ない。
冒頭に「やまと絵の本流」土佐派の源氏絵が数点並んでいたが、団体客で込み合っていたので、少し飛ばして、又兵衛の作品から見始める。『和漢故事説話図』の「須磨」「夕霧」「浮舟」。昨年夏、福井県立美術館で見たものだ。いや3点とも見たかは記憶が定かでないが、少なくとも「須磨」は印象的だったのでよく覚えている。吹き抜け屋台っぽく見下ろした庇の下、端近に立って嵐の海を見つめている源氏。ひどく不安定な構図なのが、場面の主題と合っている。『源氏物語 総角図屏風』(細見美術館)は、類例を思いつかない新鮮な構図。金雲と金の橋の下、青い水面(宇治川)、公達を乗せた舟と藁を積んだ小舟が行き交う。『源氏物語 桐壺・貨狄造船図屏風』は出光美術館の所蔵で、ときどき見る。
一段低くなった一角に、格別の扱いで飾られていたのは『源氏物語 野々宮図』。右側には、かつてこの作品を含んでいた六曲一双の「旧金谷屏風」の復元図が紹介されている。左側には『野々宮図』と同じくらいの大きさで『官女観菊図』(山種美術館)と『源氏物語 花宴図』(所在不明)の写真。解説によると『官女観菊図』は『野々宮図』と同様、源氏の賢木巻に取材したという見解が提出されているそうだ。つまり「旧金谷屏風」には源氏絵が3点含まれていたことになる。
次室は小休止で、又兵衛の多彩な画業を紹介。『四季耕作図屏風』(出光)は、たぶんこれまでも見ているはずだけど、あらためて好きになった。右隻の右隅の山や木(枝ぶり、葉)の描き方はすごく漢画(中国画)っぽい。これはやまと絵じゃないなあと感じる。左隻の左隅は印象的な雪景色。『瀟湘八景図巻』(出光)は全く記憶になかった。いや、見ていたとしても、絶対、又兵衛と結びついていないと思う。やまと絵というよりは漢画、でもそのどちらでもない幻想的な情景が展開する画巻。『職人尽図巻』は面白かった。しかし、あれもこれも出光美術館の所蔵で、又兵衛作品をこんなに持っていたのか!?と改めて驚く。
次室から再び源氏絵、特に屏風が中心となる。高さ1.5メートルくらいの屏風で、金雲の間に源氏物語の名場面オブ名場面をセレクトして配したものが複数。高い需要があったのだろう。「伝・岩佐又兵衛」の屏風が5点出ていたが、かなり雰囲気が違う。大和文華館本はみやびやかだし、京博本は葵の車争いとか須磨の落雷の大騒ぎが近世風である。実際に又兵衛やその工房が、どのくらい制作にかかわったかはよく分からないようだ。
出光美術館は、源氏物語の全ての巻の場面を描いた「五十四帖屏風」の岩佐派の作品を所蔵しており、これが本展後半のハイライトである。はじめに全54場面の拡大写真と解説パネルで予習をする。そして現物、と思ったら、最初に展示されているのは、土佐派(伝・土佐光吉)の「五十四帖屏風」で、伝統的な源氏絵とはこういうものか、というのを再確認したのち、ようやく岩佐派(又兵衛ではなく岩佐勝友筆)の「五十四帖屏風」に相対する。ふ~む、確かに土佐派とは趣きが違う。まず桐壺で登場する高麗の相人が漢画っぽい。紅葉賀などの芸能シーンに動きがある。全ての人物に生き生きした表情が見られる。
絵画史的に注目されるのは「花の宴」で源氏が朧月夜を抱きかかえていること。伝統的な源氏絵には全く見られなかった図様で、又兵衛の「旧金谷屏風」、あるいは『舟木本 洛中洛外図屏風』に描かれた遊女を抱擁する男客の図との連想がはたらく。会場の最後に、これらの関係作品をスライドショー形式で見せるコーナーがあって、面白かった。また、朧月夜を抱きかかえる源氏の図は、江戸時代の絵師の一部に継承されていくというが、これ、最後に大和和紀の『あさきゆめみし』を置いてもよかったのではないかと思う。あと、源氏物語のこの場面についての私の印象は、男も強引だが、女も誘っているというもので、「旧金谷屏風」にはその雰囲気がうまく描かれていると思う。
それから、私がいっそう興味を感じたのは、関連作品として展示されていた、伝・俵屋宗達筆『源氏物語図屏風残闕』で、その中の1枚「葵」に、碁盤の上に立って髪をそいでもらう幼い紫の上が描かれている。この作品は、初めて見たときからすごく気になっていた(※2005年の記事)。源氏物語の「葵」といえば、車争いの場面で代表されることが多いが、実は、岩佐勝友の「五十四帖屏風」も紫の上の髪そぎの場面を描いているという。屏風の中にその場面を見つけて、嬉しくなってしまった。
最後に、冒頭で飛ばした土佐派の源氏絵に戻ってみた。すると、品があって可憐で優美で、やっぱり平安時代ってこういうものだよなあと安心する。でも、その安心を揺さぶる又兵衛の魅力にも抗えない。