〇清水潔『殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮文庫) 新潮社 2016.6
清水潔さんの本2冊目。前作『桶川ストーカー事件』は、1999年の事件発生から翌年の犯人逮捕と警察の謝罪会見までを主に扱っていた。本書の始まりは2007年6月。雑誌「FOCUS」休刊後の著者は、日本テレビ報道局の社会部記者になっていた。上司から、報道特番をつくりたいので、未解決事件を取材してくれないか、という相談を受け、事前リサーチを開始する。
すると、1979年から1996年の17年間に、栃木・群馬県境の半径10キロ圏内で、5件の幼女誘拐・殺害事件が起きていることが分かった。3件の誘拐現場はパチンコ店、3件の遺体発見現場は河川敷など、共通点が多い。しかし、1990年に起きた「足利事件」は、幼稚園の送迎バスの元運転手・菅家利和さんが逮捕され、刑務所に収監されている。証拠は「自供」と「DNA型鑑定」だった。では、96年に群馬県太田市で起きた事件は、別人の犯行なのか? 当初、菅家さんは、79年と84年の事件も「自供」していたが、物証のない2つの事件は不起訴となった。90年の足利事件についても、菅家さんは、自供をひるがえして無実を主張したが、DNA型鑑定の証拠能力はゆるがず、最高裁は控訴を棄却した。どうしても違和感を拭いきれない著者は現場に飛ぶ。
そして、菅家さんが犯人ではありえないことが、少しずつ分かってくる。いちばん納得できたのは、菅家さんの住まいから警察が押収したビデオの検証。元捜査幹部は「ロリコンのビデオがたくさん置いてあった」と語るのだが、著者が現物にあたって調べてみると、200本以上あったビデオのうちアダルト系は133本で、熟女や外国人がほほえむ巨乳系ばかりだった。警察の「捏造」が可笑しいやら、ぞっとするやら。
取り調べ室での自供は、本当に信じられるのか。著者は、死刑確定から無罪判決をかちとった免田栄さんの取材経験からも疑問を呈する。また、法医学者の協力を得て調べるにつれて、足利事件で使用されたDNA型鑑定が、十分に確立した方法でないことも分かってきた。2008年、日本テレビは「『連続幼女誘拐殺人』の真相追及」と題したキャンペーン報道を開始し、2009年1月、ついにDNA型再鑑定が行われることになった。結果は、真犯人のものと思われるDNA型と菅家さんのDNA型は不一致。5月、菅家さんは17年半ぶりに釈放された。
著者はまだ喜ばない。著者の目的は真犯人を捕まえることだからだ。すでに著者は目星をつけていた。90年の足利事件で、幼女と手をつないで土手を降りていく姿を目撃されている男。マンガのルパン三世に似た、ひょろりとして、はしっこそうな男。96年の事件の重要参考人(パチンコ店のビデオに映っていた)にも似ていた。著者は男の居場所を割り、接触して、事件についての会話を交わしたことも本書に記されている。現実にこんなことが起きているとは思えない、すごい場面。
警察は動かない。足利事件とそれ以前の3件は「公訴時効」が成立しているためだ。しかし、犯人を追い続けての「時効」ならともかく、間違った犯人を捕まえて「解決」したと決め込んだあげくの「時効」はおかしいのではないか。捜査をやりなおすべきではないか、という主張に全面的に同意する。
もうひとつ、警察はどうしても「DNA型鑑定絶対の神話」を守りたいのではないか、と著者は推測する。これには科警研(科学警察研究所)のメンツがかかっている。さらに、1992年、福岡県で起きた「飯塚事件」では、足利事件と同じMCT118法というDNA型鑑定で確定した犯人の男が死刑判決を受け、2008年、刑を執行されている。「足利事件DNA再鑑定へ」というニュースのわずか十数日後のことだ。
結局、「ルパン」は捕まらなかった。報道キャンペーンに加え、国会でもこの問題が取り上げられ、ついに菅直人総理が対応を約束するに至ったのが、2011年3月8日。しかし、3日後に起きた東日本大震災は、あらゆる予測や期待を押し流してしまったのである。憤懣やるかたない著者は、引き続き「飯塚事件」の取材に取り組み、冤罪の可能性を指摘する。法廷に提出された鑑定写真がトリミングされていたとか、分かってみれば、呆れるほどずさんでひどい話だ。科学が信心の対象になって、誤謬を許したらメンツが立たないみたいな話になっていくところは、研究不正論文や原発の構図にも似ている。
それと、せっかく無罪をかちとった免田さんや菅家さんなのに「あいつは本当はやっている」という社会の視線があることも衝撃だった。理由はないので、これも一種の信心みたいなものだろう。無責任な一般庶民はともかく、警官が「菅家は本当の犯人なんだ」「先輩がそう言っているから」と無邪気に語っていたというのは恐ろしすぎる。この国に科学や実証の精神を普及させるにはどうしたらいいのだろうか。
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すると、1979年から1996年の17年間に、栃木・群馬県境の半径10キロ圏内で、5件の幼女誘拐・殺害事件が起きていることが分かった。3件の誘拐現場はパチンコ店、3件の遺体発見現場は河川敷など、共通点が多い。しかし、1990年に起きた「足利事件」は、幼稚園の送迎バスの元運転手・菅家利和さんが逮捕され、刑務所に収監されている。証拠は「自供」と「DNA型鑑定」だった。では、96年に群馬県太田市で起きた事件は、別人の犯行なのか? 当初、菅家さんは、79年と84年の事件も「自供」していたが、物証のない2つの事件は不起訴となった。90年の足利事件についても、菅家さんは、自供をひるがえして無実を主張したが、DNA型鑑定の証拠能力はゆるがず、最高裁は控訴を棄却した。どうしても違和感を拭いきれない著者は現場に飛ぶ。
そして、菅家さんが犯人ではありえないことが、少しずつ分かってくる。いちばん納得できたのは、菅家さんの住まいから警察が押収したビデオの検証。元捜査幹部は「ロリコンのビデオがたくさん置いてあった」と語るのだが、著者が現物にあたって調べてみると、200本以上あったビデオのうちアダルト系は133本で、熟女や外国人がほほえむ巨乳系ばかりだった。警察の「捏造」が可笑しいやら、ぞっとするやら。
取り調べ室での自供は、本当に信じられるのか。著者は、死刑確定から無罪判決をかちとった免田栄さんの取材経験からも疑問を呈する。また、法医学者の協力を得て調べるにつれて、足利事件で使用されたDNA型鑑定が、十分に確立した方法でないことも分かってきた。2008年、日本テレビは「『連続幼女誘拐殺人』の真相追及」と題したキャンペーン報道を開始し、2009年1月、ついにDNA型再鑑定が行われることになった。結果は、真犯人のものと思われるDNA型と菅家さんのDNA型は不一致。5月、菅家さんは17年半ぶりに釈放された。
著者はまだ喜ばない。著者の目的は真犯人を捕まえることだからだ。すでに著者は目星をつけていた。90年の足利事件で、幼女と手をつないで土手を降りていく姿を目撃されている男。マンガのルパン三世に似た、ひょろりとして、はしっこそうな男。96年の事件の重要参考人(パチンコ店のビデオに映っていた)にも似ていた。著者は男の居場所を割り、接触して、事件についての会話を交わしたことも本書に記されている。現実にこんなことが起きているとは思えない、すごい場面。
警察は動かない。足利事件とそれ以前の3件は「公訴時効」が成立しているためだ。しかし、犯人を追い続けての「時効」ならともかく、間違った犯人を捕まえて「解決」したと決め込んだあげくの「時効」はおかしいのではないか。捜査をやりなおすべきではないか、という主張に全面的に同意する。
もうひとつ、警察はどうしても「DNA型鑑定絶対の神話」を守りたいのではないか、と著者は推測する。これには科警研(科学警察研究所)のメンツがかかっている。さらに、1992年、福岡県で起きた「飯塚事件」では、足利事件と同じMCT118法というDNA型鑑定で確定した犯人の男が死刑判決を受け、2008年、刑を執行されている。「足利事件DNA再鑑定へ」というニュースのわずか十数日後のことだ。
結局、「ルパン」は捕まらなかった。報道キャンペーンに加え、国会でもこの問題が取り上げられ、ついに菅直人総理が対応を約束するに至ったのが、2011年3月8日。しかし、3日後に起きた東日本大震災は、あらゆる予測や期待を押し流してしまったのである。憤懣やるかたない著者は、引き続き「飯塚事件」の取材に取り組み、冤罪の可能性を指摘する。法廷に提出された鑑定写真がトリミングされていたとか、分かってみれば、呆れるほどずさんでひどい話だ。科学が信心の対象になって、誤謬を許したらメンツが立たないみたいな話になっていくところは、研究不正論文や原発の構図にも似ている。
それと、せっかく無罪をかちとった免田さんや菅家さんなのに「あいつは本当はやっている」という社会の視線があることも衝撃だった。理由はないので、これも一種の信心みたいなものだろう。無責任な一般庶民はともかく、警官が「菅家は本当の犯人なんだ」「先輩がそう言っているから」と無邪気に語っていたというのは恐ろしすぎる。この国に科学や実証の精神を普及させるにはどうしたらいいのだろうか。