○国立劇場 開場50周年記念2月文楽公演「近松名作集」第1部(2月4日、11:00~)
・第1部『平家女護島(へいけにょごのしま)・六波羅の段/鬼界が島の段/舟路の道行より敷名の浦の段』
国立劇場2月文楽公演は、久しぶりに「近松名作集」を称して、人気の高い演目が並んだ。なんとか全公演のチケットを入手することができたので、公演初日に第1部を鑑賞してきた。舞台下手の端だが最前列の席だったので、近眼の私にも人形がよく見えて楽しかった。第2部と第3部は別の日に行く予定で、これはできるだけ床に近い席を取ってある。
『平家女護島』は、「鬼界が島の段」のみ上演されることが圧倒的に多く、本公演と同じ形式で上演されたのは、平成7(1995)年以来だという。私も「鬼界が島の段」は何度か見た覚えがあるが、あとは初見だった。「六波羅の段」では、俊寛の妻・あずまやが入道清盛に横恋慕されるが、操を立てて自害する。情義をわきまえた能登守教経は「でかした」と称賛して、あずまやの首を清盛に差し出す。能登守教経は『義経千本桜』でもいい役だったなあ。
場面変わって「鬼界が島の段」。孤島で暮らす流罪人の俊寛、平判官康頼、丹波少将成経の三人。昨年、大徳寺境内で康頼の供養塔を見たことを思い出す。俊寛を和生、康頼を玉志、成経を勘彌で、白髪頭が並ぶのが、少し気になる。最近は全て出遣いだけど、ほんとにこれでいいんだろうか。成経を慕う、海女(漁師の娘)・千鳥を蓑助。いや~かわいい、色っぽい。でもたまには娘役以外の蓑助師匠が見たい。和生さんの俊寛は、なんというか、枯れた感じがよかった。
さて、しばらく船路の道行の詞章を楽しみ、次の幕があがると敷名(しきな)の浦。俊寛の郎党・有王丸は待ちかねた流人船に声をかけるが、主人の俊寛が乗っていないことを知り、悲しみにくれる。そこに立派な御座船。「清盛様、鳥羽の法皇を連れまして厳島御参詣」と語られる。配役は清盛と後白河法皇となっていたのに「鳥羽の法皇」と聞こえたので、あれ?と思った。でも後白河院も鳥羽にいたから、こう呼んでいいのかしら。
この清盛が見事な極悪人で、後白河法皇に対し「俊寛を始め人を語らひ、ぬっくりとした事たくまれし」と怒りをぶつけ、「根性腐っても王は王、手にかくるは天の畏れ」なので「サア身を投げ給へ」とつめよる。法皇が嘆きのあまり「入道が心に任すべし」というと、清盛は「院宣は背かじ」と法皇を引き寄せ、真っ逆さまに海へ投げ入れてしまう。いや、史実の後白河法皇はこんなに心弱くないと思うが。
あわや海に沈まんとする法皇を助けたのは、水練に巧みな海女の千鳥。しかし激怒した清盛は熊手で千鳥を引き上げ、頭を微塵に踏み砕いてしまう。千鳥の骸から現れた火の塊は清盛に取りつく。いろいろな物語や古伝説の要素が巧みに使われていて、興味深い。熊手で海から女性を引き上げるのは、もちろん、平家物語の建礼門院の逸話を取り込んでいるし。近松は、30代で出世作となる『出世景清』を書き、晩年にまた源平時代に取材した『平家女護島』を書くのだな。平家物語、好きだったんだろうか。
最後は太夫さんがずらりと並ぶ賑やかな舞台で、咲甫さんの声がやっぱり好き。咲寿さんもずいぶんいい声になったなあ。本公演のプログラムに豊竹咲太夫師のインタビューが掲載されていて、「曽根崎心中」の演出の変化などの話も興味深いのだが、「人形さんはうまく世代交代ができていますが、太夫は難しい」「やっぱり五十の声を聞かないと、我々の言葉でいう『映らない』ですね」という発言が印象に残った。そうそう、太夫は五十からですよ。でも、しっかり稽古をしていなければ、五十から急に巧くなるものでもない。芸の道は厳しい。
・第1部『平家女護島(へいけにょごのしま)・六波羅の段/鬼界が島の段/舟路の道行より敷名の浦の段』
国立劇場2月文楽公演は、久しぶりに「近松名作集」を称して、人気の高い演目が並んだ。なんとか全公演のチケットを入手することができたので、公演初日に第1部を鑑賞してきた。舞台下手の端だが最前列の席だったので、近眼の私にも人形がよく見えて楽しかった。第2部と第3部は別の日に行く予定で、これはできるだけ床に近い席を取ってある。
『平家女護島』は、「鬼界が島の段」のみ上演されることが圧倒的に多く、本公演と同じ形式で上演されたのは、平成7(1995)年以来だという。私も「鬼界が島の段」は何度か見た覚えがあるが、あとは初見だった。「六波羅の段」では、俊寛の妻・あずまやが入道清盛に横恋慕されるが、操を立てて自害する。情義をわきまえた能登守教経は「でかした」と称賛して、あずまやの首を清盛に差し出す。能登守教経は『義経千本桜』でもいい役だったなあ。
場面変わって「鬼界が島の段」。孤島で暮らす流罪人の俊寛、平判官康頼、丹波少将成経の三人。昨年、大徳寺境内で康頼の供養塔を見たことを思い出す。俊寛を和生、康頼を玉志、成経を勘彌で、白髪頭が並ぶのが、少し気になる。最近は全て出遣いだけど、ほんとにこれでいいんだろうか。成経を慕う、海女(漁師の娘)・千鳥を蓑助。いや~かわいい、色っぽい。でもたまには娘役以外の蓑助師匠が見たい。和生さんの俊寛は、なんというか、枯れた感じがよかった。
さて、しばらく船路の道行の詞章を楽しみ、次の幕があがると敷名(しきな)の浦。俊寛の郎党・有王丸は待ちかねた流人船に声をかけるが、主人の俊寛が乗っていないことを知り、悲しみにくれる。そこに立派な御座船。「清盛様、鳥羽の法皇を連れまして厳島御参詣」と語られる。配役は清盛と後白河法皇となっていたのに「鳥羽の法皇」と聞こえたので、あれ?と思った。でも後白河院も鳥羽にいたから、こう呼んでいいのかしら。
この清盛が見事な極悪人で、後白河法皇に対し「俊寛を始め人を語らひ、ぬっくりとした事たくまれし」と怒りをぶつけ、「根性腐っても王は王、手にかくるは天の畏れ」なので「サア身を投げ給へ」とつめよる。法皇が嘆きのあまり「入道が心に任すべし」というと、清盛は「院宣は背かじ」と法皇を引き寄せ、真っ逆さまに海へ投げ入れてしまう。いや、史実の後白河法皇はこんなに心弱くないと思うが。
あわや海に沈まんとする法皇を助けたのは、水練に巧みな海女の千鳥。しかし激怒した清盛は熊手で千鳥を引き上げ、頭を微塵に踏み砕いてしまう。千鳥の骸から現れた火の塊は清盛に取りつく。いろいろな物語や古伝説の要素が巧みに使われていて、興味深い。熊手で海から女性を引き上げるのは、もちろん、平家物語の建礼門院の逸話を取り込んでいるし。近松は、30代で出世作となる『出世景清』を書き、晩年にまた源平時代に取材した『平家女護島』を書くのだな。平家物語、好きだったんだろうか。
最後は太夫さんがずらりと並ぶ賑やかな舞台で、咲甫さんの声がやっぱり好き。咲寿さんもずいぶんいい声になったなあ。本公演のプログラムに豊竹咲太夫師のインタビューが掲載されていて、「曽根崎心中」の演出の変化などの話も興味深いのだが、「人形さんはうまく世代交代ができていますが、太夫は難しい」「やっぱり五十の声を聞かないと、我々の言葉でいう『映らない』ですね」という発言が印象に残った。そうそう、太夫は五十からですよ。でも、しっかり稽古をしていなければ、五十から急に巧くなるものでもない。芸の道は厳しい。