〇中兼和津次『毛沢東論:真理は天から降ってくる』 名古屋大学出版会 2021.4
毛沢東とは何者か。彼の行動と思想の根幹は何か、現代中国に何を残したのかを、論理的・客観的に説明することを本書は目指す。ただし毛沢東の評伝ではないので、彼の生まれ・育ちを細かく追うことはしない。
はじめに「毛沢東哲学」の代表的な著作「矛盾論」と「実践論」を分析し、その論理的な落とし穴を指摘する。最も重大なのは「真理の基準を実践のみに求めること」で、これが軍事戦術なら、成功した作戦は正しかったと言えるだろう。しかし経済・政治などの社会現象は、そのように単純ではない。にもかかわらず、革命に勝利したことをもって、毛の哲学は「正しい」こととされ、共産党の幹部から庶民まで、誰も反対することができなくなってしまった。
興味深い一挿話として、著者は、もしも魯迅が新中国設立後まで長生きしていたら?という大胆な仮説を提示する。実は、1957年に毛沢東にこの質問をぶつけた文学者がおり、毛は(魯迅は)囚人になるか、沈黙するか、どちらかだったろうと答えている。そして本書は、実際に毛沢東を批判したことにより、反革命分子とみなされ打倒された二人の知識人、梁漱溟と胡風の例を挙げる。おそらく魯迅なら、もっと激しく毛沢東と衝突しただろう。そして毛は、ちゃんとそのことを分かっていたというのが味わい深い。
次に著者は、毛沢東の実際の政策「反右派闘争」「大躍進」「文化大革命」の経緯を追いながら、毛がどのような哲学(または政治経済学)に基づいて行動していたか、周囲の人々、劉少奇や彭徳懐、鄧小平、周恩来らが、なぜ毛の暴走を泊められなかったかを考える。特に悲劇的だったのは、大躍進政策と、それに煽られた人民公社制度であるという。
毛が、革命根拠地での平等主義の成功体験が忘れられなかったらしいというのは分かる。マルクス主義というより「大同思想」(分配における平等主義で、権利と義務の平等ではない)に憧れていたことも分かる。一方で毛は「半分の人間を死なせ、残りの半分が十分食べられた方がいい」と公言していたともいう。これは近代民主主義の価値観では絶対に許されないが、それだけに恐ろしく引力のある発言だ。こういうところ、毛はマルクスではなく、中国の歴代の皇帝から学んでいるのだと思う。あるいは生まれもってのカリスマ性かもしれない。
終章で著者は、マックス・ウェーバーの論を引いて、カリスマ的支配とは「非日常的な能力」であるという説明をしている。経済に関する知識、実務能力、人間性などでは、毛沢東より優れた指導者はいた。毛沢東哲学の「怪しさ」に違和感を持っていた人々もいたはずである。しかし彼らは教祖を信じ続けた。キリスト教徒が神を信じるように。
大躍進から文革へと続く大混乱で中国が崩壊しなかった理由は、もちろん毛のカリスマ性だけではない。より具体的な理由として、著者は第一に、庶民が制度の裏をかくような行動で生存水準を保全したこと、それから、毛が軍隊だけはしっかり掌握していたことを挙げている。
著者は毛沢東評価の総括を「私には彼が『偉大な』人物だとはどうしても思えない」と結んでいる。近代的な評価軸から見ればそうだろう。しかし私は、ずっと毛沢東という人物に魅力を感じている。本書には、毛沢東がとっかえひっかえ、若い女性との情事に耽っていたことについて、道教の教えに基づく、健康・長寿のための性的実践だったのではないかという説を紹介している。こういう反近代性・反倫理性も含めて、毛沢東はおもしろいのだ。
また、鄧小平や周恩来の評価も面白かった。鄧小平の経済学は「大きな道理やスローガンはなく、詩のような言葉もなく、花のような理論もない」と評されているそうだ。「もともと勉強家ではなく(中略)マルクスやエンゲルスがどのように言っていたのか、大して関心がなかったようである」には笑ってしまったが、理念や思想に無頓着だったからこそ、中国経済の高速発展を実現できたとも言える。鄧小平のこういう気質には親近感を感じる。また、周恩来が「全力を尽くして毛にかしづいた」という表現にぞくっとなった。儒教における君臣関係というのは、どんなに融和的に見えてもそういうものなのだろう。
さて、最後に現在の習近平体制について、著者の言うとおり「今日の中国指導部は毛の遺産をしっかり受け継いでいる」のは間違いない。しかし習近平に毛沢東のカリスマ性はないと思うのだ。中国、どうなるかなあ。