〇根津美術館 企画展『はじめての古美術鑑賞-人をえがく-』(2021年9月11日~10月17日)
古美術の見どころを分かりやすく解説する展覧会「はじめての古美術鑑賞」シリーズの5回目。今回は、さまざまなジャンルにわたる人物画をとりあげる。個人蔵や他館からの出陳、初公開作品など、目新しいものが多くてテンションが上がった。
はじめに「聖なる人びと」は、祖師像、祭神、歌仙など。鎌倉時代の『法相曼荼羅』には、釈迦の足元に僧形の無著菩薩と美麗な慈氏菩薩(弥勒)を配し、その下に祖師たちが並ぶ。よく無著・世親と並称するけれど、世親は祖師(大師)たちの中にいた。無著さんは特別なのだな。大きな『弘法大師像』は、鎌倉時代の作と思えないくらい色鮮やかで状態がよかった。「大師会蔵」とあり、根津嘉一郎が高野山霊宝館の設立に尽力したことを思い出す(霊宝館の開館100周年記念大宝蔵展で知った)。
「高貴な人びと」は、興味深い模本が多数出ていた。『嵯峨天皇像』(江戸時代)は堂々とした完成品だが、中世に制作された御影の模本であろうとのこと。嵯峨天皇がどんな顔をしているかなんて考えたこともなかったが、引目鉤鼻の公卿顔でなく、面長で目鼻立ちがはっきりして知的な風貌である(中国の古装劇に出てきそう)。冷泉為恭の『伝菅原光能像模本』は、いわゆる神護寺三像の模写だが、劣化した現物では感じにくい、像主の貴公子らしい気品と華やかさがよく分かった。住吉如慶の『承安五節絵模本』は初見だと思うが、承安元年(1171※高倉天皇代)の五節行事を描いた『承安五節絵』という、失われた画巻の模本である。調べたら、模本は複数存在するのだな。描かれた公卿たちの中に、成親、隆季、師長など、このあと動乱の波に翻弄される人々の名前を見つけて、しみじみした。
「異国の人びと」では、禅宗の祖師『百丈懐海像』(室町時代)がよかった。子供が描いたお父さんの肖像のようで、巧くはないが、素直な愛情と尊敬の気持ちが滲み出ていた。また賢江祥啓の『飼馬図』2幅は初公開とのこと。それぞれ馬と馬飼の男を描く。1幅は黒馬、もう1幅は黄色(栗毛?)で、どちらもよく手入れされた毛並みのつやつやした感じが、絵具の繊細な濃淡で表現されている。宋元時代の院体画の写しだろうという。でも中国絵画の馬って、だいたい怖い顔をしているのだが、この子たちはアップで見ると可愛い。あと馬飼のブーツが、乗馬用なのか、ちょっと特殊な構造をしていそうなのも気になった。
「市井の人びと」で印象的だったのは『風流踊図衝立』(江戸時代、171世紀)。2曲1基の木製の衝立の板面に直接、大勢の人々が群れ集う絵が描かれている。左右それぞれに風流傘が1基描かれており、左隻のほうが踊りの輪が大きい。中心近くで身をかがめて踊るペア(1人は烏帽子をかぶり、腰に鼓)のまわりを鼓、太鼓、笛などの楽人が囲み、その外側で大勢が輪になって、体を揺らして踊っている。手ぬぐいをかぶり、扇を広げる者もいる。右隻には、赭熊をつけたような踊り手が見える。
第2室は文人の肖像が面白かった。『谷文晁像稿本』(個人蔵)は息子の谷文一が描いたもの。50歳の文晁は瘦せ型で面長、背広に着替えたら現代人の中に混じっていても違和感のない風貌である。迷いのない線の強さが魅力的で、短時間で描くクロッキーを思わせた。さらに渡辺崋山の『岡田東塢図稿本』(足利市民文化財団)、椿椿山の『大橋淡雅像』『高久靄厓像稿本』(どちらも栃木県立博物館)など、珍しい作品を見ることができて眼福。椿山の高久靄厓像は、完成作より稿本のほうが迫真性が高いと言われているそうだ。
2階、展示室5は「陶片から学ぶ-朝鮮陶磁編-」。昨年の「中国陶磁編」に続く2回目である。根津美術館は、昭和20(1945)年に解散した東洋陶磁研究所から陶片資料を譲り受けて所蔵しているのだそうだ。今回の展示は、山田万吉郎が採集したものと浅川伯教が採集したものから成る。山田コレクションでは、万暦年間の陶製墓誌の破片(万暦三島墓誌)に驚かされた。浅川コレクションは、北朝鮮での採集分を含む点が貴重であるとのこと。
展示室6は「残茶-秋惜しむ-』。秋の風情にふさわしい、落ち着いた趣きの道具が揃っていた。むかしは貧乏くさい粉引徳利の良さが全然分からなかったが、ちょっと欲しいと感じるようになってきた。絵唐津の盃とあわせて。