〇横山宏章『孫文と陳独秀:現代中国への二つの道』(平凡社新書) 平凡社 2017.2
中国ドラマ『覚醒年代』に触発されて、まだ関連書を漁っている。本書は、中国近代史に大きな足跡を残した、思想家にして革命家、孫文(1866-1925)と陳独秀(1879-1942)の二人について、その対照的な歩みを紹介したものである。初代中華民国臨時大総統にして共産党からも「国父」と称えられる孫文に対して、中国共産党創設者のひとりでありながら「裏切者」の汚名を着せられた陳独秀。しかし、ネタバレ的に言ってしまうと、著者は「陳独秀側に思いを寄せ、孫文側には厳しい眼差しを注いでいる」ことを冒頭で告白している。
陳独秀については、いま興味を持って調べていることもあって、あまり新しい情報はなかった。むしろ孫文について、従来のイメージを覆す事実をいろいろ知ることができて、大変興味深かった。
孫文は、日清戦争を好機と捉えて革命運動を始動した。清朝打倒と漢民族の復興こそが孫文の最優先課題で(この点、列強の中国侵略への抵抗を重視した陳独秀とは異なる)、反清秘密結社である興中会を組織し、何度か軍事蜂起を企てるが失敗。革命派の大同団結の必要性を感じ、中国同盟会を結成するが、内輪もめが続く。幸運にも、孫文のアメリカ滞在中に武昌起義が成功し、辛亥革命が成立する。帰国した孫文は、中華民国の初代臨時大総統に就任した。
もともと孫文は、革命軍独裁→革命党独裁(または地方自治の容認)→立憲民主制という「三序」構想を持っていた。ところが、中華民国では、孫文がいない間に立憲議会制度の導入が決定していた。議会によって大総統や総理の権限が制限されることを、孫文は「議院専制」と呼んで嫌ったという。驚き! 本書を読むと、孫文はかなり「軍政」「独裁」志向なのだ。著者は、孫文思想の根底には愚民思想があると説明する。民衆は愚かな存在であり、有能なエリート集団である革命党が独裁権力を確立し、民衆を救済することが正義なのだ。これは、現在の中国共産党の論理そのものではないか。
やがて宋教仁暗殺事件によって、孫文が率いる国民党と袁世凱の対立が深まる。孫文は議会政治を放棄し(ううむ…)軍事蜂起「第二革命」を選ぶが、袁世凱によって鎮圧されてしまう。第二革命に失敗した孫文は日本へ亡命し、新しい革命主体である中華革命党を創設。あからさまな「孫文独裁体制」のため、黄興、李烈鈞ら同志は参加を拒否する。ええ、なんなの、このひと…。
袁世凱の死去により軍閥混線の時代が始まると、孫文は広州を拠点に北伐の機会を窺いつつ、中華革命党を改組した中国国民党(辛亥革命時代の議会政党・国民党とは別物)の資金不足・兵力不足を解決する起死回生策として、ロシアのコミンテルンとの提携を模索する。同じ頃、コミンテルンの支援の下、陳独秀らは中国共産党を設立していた。コミンテルンから派遣されたマーリンは、国民党が関与した香港の海員ストライキに感銘を受ける。その報告に基づき、コミンテルンは国民党との提携を決め、中国共産党には「国共合作」を命じた。
孫文と陳独秀の初会合が確認されるのは1920年3月で、陳独秀は長期にわたって、孫文と距離をとってきた。にもかかわらず、コミンテルンの圧力で「孫文の軍門に降った」ことになる。まあ両雄並び立たないこともあるだろうが、陳独秀ら共産党員の目に、孫文の軍事優先・軍閥依存の革命路線が「旧い」と映ったことも理解できる。しかし孫文の、手段を選ばない行動力がなければ、中国の変革は成立しなかったかもしれない。
一方、思想家としては、陳独秀のほうがはるかに魅力的だと思う。何しろマルクス主義者なのに「個の自立」「個人の自由」を目指したのだから。ただし、国共合作は共産党の発展の機会を奪うという彼の予測は当たらなかった。結果的にはコミンテルンの期待どおり、国民党の庇護の下で共産党は急速に勢力を伸ばした。本書の著者が、同じ時期に誕生した日本共産党が、官憲から致命的な弾圧を受けて力を失ったことと比較しているのが興味深い。
巻末の後記には「中国でも、歪められた陳独秀評価を正そうと、再評価の兆しが見えてきている」とある。今年のドラマ、著者は見ていらっしゃるかなあ。感想がお聞きしたいものだ。あと、従来の「国父」イメージがガタガタに崩れた孫文については、もう少し勉強したい。