見もの・読みもの日記

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2021年11月関西旅行:西教寺(大津市歴博)

2021-11-22 16:58:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

大津市歴史博物館 聖徳太子1400年御遠忌・伝教大師1200年御遠忌記念企画展(第85回企画展)『西教寺-大津の天台真盛宗の至宝-』(2021年10月9日~11月23日)

 週末関西旅行、当日朝まで訪問先と順番を迷ったあげく、土曜日は、まず大津歴博に直行した。同展ホームページの解説を要約すると、坂本の高台に位置する西教寺は、寺伝によれば飛鳥時代に聖徳太子が創立、平安時代に比叡山延暦寺の良源と源信が復興し、鎌倉時代には京都の法勝寺の末寺となり、戒律を重んじる寺として興隆をみた。室町時代に真盛上人が入寺すると不断念仏が行われるようになり、念仏と戒律を重んじるという、天台宗の中でも独自の位置を占めるようになり、戦後に天台真盛宗として分立した。というわけで、非常に多様な宗派の要素が混交した寺院なのである。特に注目すべきは、白河天皇が建立した法勝寺(16世紀に廃絶)とのゆかりで、法勝寺に関係する(らしい)寺宝や古経、文書等が多数伝わっていること。

 調べたら、法勝寺から西教寺に移されたという秘仏・薬師如来坐像(鎌倉時代)は、2018年にも同館の『神仏のかたち』展に出ているのだな。このほかにも、かすかに記憶のよみがえる仏像・仏画がいくつかあったが、「初出陳」の展示品も多かった。

 仏像では、落ち着いた聖観音立像(平安時代)が好み。これだけ写真撮影OKだった。ご本尊の阿弥陀如来坐像(平安時代)は写真パネルのみで、化仏1躯のみ展示されていた。仏像ではないが、真白猿坐像(江戸時代)が可愛かったなあ。山門の僧兵が真盛上人を糾弾しようと西教寺に攻め入ったとき、無人の境内で猿が念仏の鉦をついていたという伝説に基づく。僧兵は、上人の御徳が鳥獣にも及んでいることを見て立ち去った。この猿の手が白かったことから「手白の猿(ましら)伝説」と呼ぶそうだ。

 良源のゆかりで、鬼大師(角大師)坐像もいらした。嘲笑うように大きく口を開けた表情がなかなか怖い。解説によれば、良源はイケメン僧侶で宮中の女官たちに言い寄られていたので、女官たちを追い払うために鬼に変身して怖がらせたという。この話、ネットではかなり流布しているようだが、私は知らなかった。原典は何だろう?

 このほか、寺院が多様な文化の集積地であったことを感じさせる、さまざまな興味深い資料を見ることができた。『礼仏阿弥陀懺(らいぶつあみだせん)』は赤紙金字の装飾経(折本)。赤というよりピンク色の料紙と照り輝くような金字、上下を飾る帯状の装飾も相まって、類例のない華やかさである。朝鮮時代か明時代の作と推定されている。『中国風俗図屏風(南蛮屏風)』(江戸時代)にもびっくりした。童心あふれる絵本のような楽しい画面。紙本金地著色だというが、金地が見えないくらい、明るい色彩の洪水で、異国情緒あふれる街並み・人々の賑わい・水路を行き交う船などが、びっしり描かれている(※小さい画像あり→大津歴博:第119回ミニ企画展『西教寺伝来の屏風』2015年)。展示替えで見られなかったのだが、朝鮮時代の『甘露図』も気になる。

 展示の終わり近くに十王図がある、と思って近寄ったら、なんだか十王らしくない(偉そうだが裁判官ふうでない)人物が混じっており、「監斎使者」と書かれていた。『十王二使者図』(室町時代)か~!! 今年は7月に高麗美術館で「直符使者」を見て、8月に神奈川歴博の『十王図』展で「直符使者」と「監斎使者」を見て、滋賀にも使者の図があると聞き、見たいと思っていたものだ! すごい! なお、神奈川歴博本は八王二使者だが、西教寺本は十王二使者(6幅ずつ前後期展示)だった。私は、神奈川歴博の参観メモに「滋賀県の西教寺本(高麗~朝鮮時代)」と書き取っているが、本展の出品リストでは「室町時代」となっていたことを付記しておく。

 滋賀県の神社仏閣は、気になりながら、一度も行けていないところが多い。西教寺(大津市坂本)、坂本駅から徒歩20分か。いつか、早い機会にぜひ。

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