〇平体由美『病が分断するアメリカ:公衆衛生と「自由」のジレンマ』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.8
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって、アメリカは多くの死者を出した。本書は、アメリカの公衆衛生が抱えるジレンマを歴史的経緯を踏まえてひもとく。
公衆衛生とは、地域やコミュニティを病から防衛し、住民の健康を維持するための公共的な取り組みをいう。個人よりも集団を対象とし、病を発症した人の治療よりも、病の拡散を防ぎ、健康な人を病に罹患させない対策に重点がある。そのため医療とは異なる仕組みが必要で、病院よりも政府と行政が大きな役割を担っている。公衆衛生の三要素は「数を数え分析すること」「健康教育を行うこと」「行動制限を行うこと」だという。三要素にはそれぞれの困難がある。
さてアメリカは「自由の国」といわれる。著者は「アメリカ的自由」を三つの観点で説明する。第一に「自分たちのことは自分たちで決める」という自治が成立していること。アメリカでは、地域のことを熟知していない中央政府が一元的に物事を決定することに反発がある。第二に権力や権威の腐敗を避ける仕組みがあること。権力者は繰り返し住民の審判を受けなければならず、一度はとんでもない候補者が選ばれても、次の機会には是正される(と考えられている)。第三に選択肢が複数あること。選択肢が限られていたり、特定の選択を迫られたりすると、アメリカ人は自由が奪われていると感じるそうだ。
こういうアメリカでパンデミックが発生し、公衆衛生(防疫)対策が導入されると、人々は「それはどうやって・誰が決めたのか」に注目する。「自分たちのことは自分たちで決める」を原則とするアメリカ人は、情報公開や住民集会での丁寧な議論などの手続きを期待するし、自分たちが選んだのではない「公衆衛生の専門家」をうさんくさく感じて反発するという。ううむ、アメリカ人、正直めんどくさい。さらに、その公共政策はどれだけの効果を上げるのか、社会的・個人的コストに見合う利益があるのか、という問い直しがしつこく行われるという。
アメリカでは、戦争や外交、通商には連邦政府が権限を持つが、公衆衛生や医療は州政府の所管とされてきた。19世紀半ば以降、この分業体制はさまざまな問題を引き起こすようになった。現在、パンデミックへの対応は連邦と州がそれぞれも役割を担っている。今後、COVID-19対策に関する包括的な検証では「民主主義社会における分権的制度の功罪も俎上に置かれることになるだろう」と著者はいう。だが、天然痘、コレラ、インフルエンザなど、過去に何度も「連邦による包括的対策の必要性」が議論されては否定されてきた。アメリカ人の「自分たちのことは自分たちで決める」信念は、かくも頑固なのだ。
アメリカ社会におけるワクチンと反ワクチン運動の歴史(19世紀、天然痘ワクチンに始まる)やマスクの悪印象(20世紀初め、スペイン風邪に始まる)の話も興味深かった。アメリカでは、マスクは医療従事者でなければ犯罪者、弱さの象徴、男らしくないイメージと結びついており、なぜアジア諸国ではマスク忌避感が存在しないのかを逆に不思議に思っているらしい。
公衆衛生と格差も、本書が提起する重要な問題である。近年、社会的経済的地位(SES: Socioeconomic Status)が健康と病に及ぼす影響が注目されているという。貧困層・低所得層は長時間労働が常態化し、簡単で腹を満たせる食事になりがちである。子供の頃に形成された食習慣や生活習慣は成人後の健康度を左右する。国民皆健康保険制度のないアメリカでは、貧困層は医療にもアクセスしにくい。構造的に生み出される健康問題は、まわりまわって社会の不安定化をもたらす、など。
なお、これまで貧困は都市スラムの問題とされてきたが、現在は非都市部の高齢者の健康リスクが非常に大きくなっているという。これは新しい知見だった。人口過疎の農村部では、医療アクセスの不全に加え、脂肪分過多の単調な食生活、喫煙率の高さ、酒の消費量、閉鎖的なコミュニティにおけるメンタルヘルスの問題、健康と病の科学的理解がアップデートされないこと、さらには「清潔で安全な水」の入手さえ担保されていないのだ。開発途上国ではなく、アメリカ国内の話である。そして、急速に過疎化が進む日本の農村部でも、やがて同じ問題が広がるだろうと想像すると、暗い気持ちになった。