〇濱口桂一郎『家政婦の歴史』(文春新書) 文藝春秋 2023.7
『働く女子の運命』や『ジョブ型雇用社会とは何か』の濱口さんの著作なので、きっと面白いだろうと思って手に取った。ありそうでなかったテーマで、初めて知ることが多かった。
かつて(近代初期)中流以上の多くの家庭には女中さんがいた。いや実際には知らないけれど、明治や大正の文学を読んでいると、当たり前に出てくる。女中と呼ばれる存在の直接の先祖は江戸の奉公人としての下女であるというのも納得。それとは別に、1918(大正7)年に大和俊子(おおわ としこ)という女性が始めたのが「派出婦会」である。派出婦会は、家庭で臨時に人手が必要になったとき、女中代わりの女性労働者を供給(=派出=派遣)するビジネスだった。この派出婦という言葉は、私は「サザエさん」とか「いじわるばあさん」とか長谷川町子作品で覚えたような気がする。大和俊子が派出婦会を始めた当時は、ちょうどスペイン風邪の流行と重なり、人手の需要が多かった。また、未亡人や人妻が安心して働ける職業も少なかったので、派出婦会は大きな成功を収めた。逆に前近代的な制度である女中として働きたいという希望者は、1930年代から急速に減少していった。
女中などの奉公人を雇主に紹介する職業を「口入れ屋」といい、近代では「職業紹介事業」に分類される。一方、派出婦会は「労務供給請負業」と見做された。「労務供給請負業」の範疇において、派出婦会は優良事業であったが、人夫、沖仲仕など、親方が労賃の半分近くをピンハネしてしまうような問題業者も多かった。
さて終戦後、GHQの支配下で新たな労働法が続々と作られた。特に労働者供給事業のほぼ全面的な禁止は、担当官スターリング・コレットの「個人的見解」「十字軍的な強い意志」によって作り出されたものだという。へええ、知らなかった。確かに労働者供給事業が、労働者に非人道的な支配を強いるものであることは、現代の派遣労働者の境遇を考えても分かる(コレットの苦心にもかかわらず、日本で労働者供給事業が復活してしまったのは、後代の話)。
しかし、これによって派出婦会も事業を続けられなくなってしまった。日本側の担当者は、派出婦が労働組合を結成し、組合が労働者供給事業を行うという体にすれば継続できるという、アクロバティックな解決方法を考えたようだが、さすがに現実性がなくお蔵入り。結局、派出婦会は「有料職業紹介事業」という、全く実態とは異なる看板の下で生き延びることになる。これにより、女中とは異なる職業であったはずの家政婦が「家事使用人」のカテゴリーに放り込まれてしまった。「家事使用人」は、個人の家庭から指示を受けて家事をする者とされ、労働基準法上は労働者と見做されないのである。えええ、これも知らなかったわー。
1999年には労働者派遣法が改正され、労働者派遣の対象業務が大きく拡大した。家事も介護も「派遣」の対象業務になったのだが、家政婦紹介所は、積極的に家政婦派遣事業所になることを選択しなかった。介護に関しては訪問介護事業者を称しても、家政婦事業については紹介所という、二枚看板方式が一般化してしまったという。
その結果、2022年9月、家政婦がある家庭に泊まり込みで7日間連続勤務した後に亡くなる事件が起き、遺族が過労死として訴え出たにもかかわらず、家政婦は家事使用人であって労働基準法の適用を受けない(労災保険法も最低賃金法も適用されない!)という理由で退けられてしまった。現行法の運用としては正しいのかもしれないが、常識的にはどう考えてもおかしいので、改善が必要だと思う。
また、考えさせられたのは、GHQの担当官コレットが悪逆非道の人夫供給業を撲滅するために振り下ろした「正義の刃」が、家政婦というニュービジネスを、伝統的な女中の世界に叩き込むことになってしまったという解説である。こういう、思わざる結果は、どこの世界にもあるのだろうな。だから正義の実行は大切だけれど、大局的な是非とは別に、その影響を細やかにメンテナンスしていく仕事も忘れてはならないのだと思う。