〇泉屋博古館東京 企画展『楽しい隠遁生活-文人たちのマインドフルネス』(2023年9月2日~10月15日)
理想の隠遁空間をイメージした山水・風景や、彼らが慕った中国の隠者達の姿を描いた絵画作品、細緻な文房具などを通して、中国の士大夫や日本の文人たちの多様な隠遁スタイルを提示する。登場する著名人は、孔子、許由、達磨、諸葛孔明、陶淵明、竹林の七賢、日本でが西行、芭蕉、鴨長明など。日本人が中国の理想の隠遁者を描いた作品も多くて、橋本雅邦の『許由図』(木の枝に掛けた瓢が風に吹かれる音がうるさいので捨ててしまったところ)はカッコよくて惚れ惚れした。森寛斎の『陶淵明象』もなかなかの「イケオジ」で、中国ドラマの俳優さんを当てるなら誰だろう?と考えたりした。
石渓という画家は記憶になかったが、『面壁達磨図巻』は(たぶん京都の泉屋博古館で)見たことがあるとすぐに思い出した。伝統的な達磨像(僧形・ギョロ目・大きな体)とは似ても似つかない、蓬髪と無精髭のマンガみたいに貧相な男が面壁している図で、ちょっと小説『三体』の面壁者を連想した。むしろドラマ版の魏成に似ていたかな。墨と朱のシンプルな色遣いで描かれた洞窟の風景が幻想的で美しい。石渓(1612-1692)は、漸江、石濤、八大山人とともに明末の四僧(四和尚)と呼ばれる画家。本展にはもう1作品『雲房舞鶴図』も出ていて、高い山からふもとの川へ段々に流れ下る滝と、その周囲に点在する草庵・高士たちを描いたもの。小品で、余白を取らずに画面いっぱい描き込んでいることもあって、西洋の油絵みたいな印象を受けた。このひと、少し推していきたい。
中国絵画では、大好きな石濤の『廬山観瀑図』が来ていてうれしかった。でも展示ケースの大きさがほぼギリギリで、絵画そのものではないけれど、表具の天地の部分に照明が映り込んでいて鑑賞の邪魔だった。張恂の『渓深山静図』は、いかにも住友コレクションという感じの優しい色合いの山水図。日本の画家たち、貫名海屋の『浅絳夏秋山水図』とか岡田半江の『渓邨春酣図』とか、それぞれ個性ある山水で好きだけれど、こういう「南画」(文人画)の魅力は、いまの時代には理解されにくいかなあ。
これらは隠遁の理想を描いたものだというけれど、描かれている高士(文人)は必ずしも孤独な存在ではない。中国作品でも日本の作品でも、朋友が近くにいることが多い。長吉『観瀑図』(室町時代)のお行儀よく並んだオジサン二人、かわいいし、帆足杏雨『山水図』の二人は笑い転げているみたいで、とても楽しそうだ。岸田劉生『塘芽帖』には、長谷の画室における最晩年の作者の姿が描かれていて「孤独を感じる」みたいな解説が添えられていたけれど、全体に色彩が明るく、私は満ち足りた印象を受けた。
気になったのは唐寅『秋声図巻』。ポツンと一軒家が描かれた荒涼とした風景なのだが、欧陽脩(欧陽修)の『秋声賦』を絵画化したものだという。『孤城閉』の欧陽修のイメージがよみがった。村田香谷『西園雅集図』(明治時代)には蘇軾が描かれていて、面白かったので、あらためて「西園雅集」について調べて学んだ。そうか、大江定基はこの頃、中国に渡っているのね。中国ドラマに出てこないだろうか。絵画だけでなく、文房具や茶道具もたくさん(京都でもあまり見たことがないくらい)出ていて楽しかった。『白磁洞簫』の「洞簫」は尺八のような縦笛。白磁製で、環と房の飾りがついている。武侠ドラマのあれこれを思い出した。
第4展示室が「住友コレクションの近代彫刻」のミニ特集で、高村光雲の『楠木正成銅像頭部木型』や山本芳翠『虎石膏像』など、興味深い作品が並んでいたことも記録しておこう。今回の展覧会、解説やキャプションが親しみやすく工夫されていて楽しかった。都会で楽しめる「観瀑体験」と題して、近隣の滝が紹介されていたのもメモしてきたのだが、検索するとぜんぜん出てこないので、詳細は未確認である。(1)六本木一丁目駅の「六一の滝」(2)サントリーホールの「響の滝」(3)城山ガーデンの「道灌の滝」(4)溜池の「段々の滝」。