○東京国立博物館・本館16室 特集陳列 歴史を伝えるシリーズ『日本を歩く-蝦夷・北海道編-』
江戸~明治の北海道(蝦夷地)に関する資料の展示。徳川幕府の北方に対する関心はずいぶん早い。『蝦夷輿地全図』は天保11年(1840)の書写であるが、天明5年(1785)田沼意次が調査隊を派遣し、その報告を聞いたときの地図の写しで、亜魯斎亜(ロシア)やモスクアの地名も散見される。
その調査隊に加わった最上徳内の報告書が『蝦夷国風俗人情之沙汰』。同じ資料は、以前、東大総合図書館の展示で「紀伊国徳川氏図書記」「南葵文庫」の印記のあるものを見たことがあるが、こちらは「銅駝○○○○図書印」と読めた。調べてみたら、二条公爵家が邸内に設けた「銅駝坊陳列館」のことらしい。
『蝦夷闔境輿地全図』は、嘉永7年(1854)刊。本州の北端から、北海道、樺太、千島列島を1枚におさめた大判の地図。経度と緯度がきちんと付記されている。版元の播磨屋勝五郎は、北方関係の地誌を多く出版したという。そうかー当時、蝦夷地の地図って「売り物」になっていたんだなあ、と驚く。
『幸大夫日記』は、井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』などで知られる大黒屋光太夫(幸大夫とも書く)の自筆日記。横長のノートにセピア系のインクでロシア文字が綴られている(たまに日本語も)。松前藩士・今井八九郎(信名)が使用した厚紙製の分度器・羅針盤なども興味深い。
江戸~明治の北海道(蝦夷地)に関する資料の展示。徳川幕府の北方に対する関心はずいぶん早い。『蝦夷輿地全図』は天保11年(1840)の書写であるが、天明5年(1785)田沼意次が調査隊を派遣し、その報告を聞いたときの地図の写しで、亜魯斎亜(ロシア)やモスクアの地名も散見される。
その調査隊に加わった最上徳内の報告書が『蝦夷国風俗人情之沙汰』。同じ資料は、以前、東大総合図書館の展示で「紀伊国徳川氏図書記」「南葵文庫」の印記のあるものを見たことがあるが、こちらは「銅駝○○○○図書印」と読めた。調べてみたら、二条公爵家が邸内に設けた「銅駝坊陳列館」のことらしい。
『蝦夷闔境輿地全図』は、嘉永7年(1854)刊。本州の北端から、北海道、樺太、千島列島を1枚におさめた大判の地図。経度と緯度がきちんと付記されている。版元の播磨屋勝五郎は、北方関係の地誌を多く出版したという。そうかー当時、蝦夷地の地図って「売り物」になっていたんだなあ、と驚く。
『幸大夫日記』は、井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』などで知られる大黒屋光太夫(幸大夫とも書く)の自筆日記。横長のノートにセピア系のインクでロシア文字が綴られている(たまに日本語も)。松前藩士・今井八九郎(信名)が使用した厚紙製の分度器・羅針盤なども興味深い。