〇清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書) 岩波書店 2018.7
日本の歴史には大人になってから興味を持ち、古代、近代、近世など少しずつ関心の幅を広げてきたが、長いこと、一番苦手なのが戦国時代だった。本書の冒頭にもあるけれど、血で血を洗う戦国乱世、権謀術数の限りを尽くしてしのぎを削る、個性きわだつ大名たち、みたいな、ひと昔前のオジサンに喜ばれた時代イメージには、あまり魅力を感じなかったのだ。
それが、ありがたいことに近年は、新しい世代の研究者によって、新しい戦国時代、戦国大名のイメージが、私のような末端の歴史ファンにも届くようになった。本書は、戦国大名が自身の領国を統治するために制定した「分国法」と呼ばれる法典から、彼らの肉声を聴き取ろうとした著作である。厄介な隣国、勝手な家臣、相次ぐもめ事に苦労を重ねた戦国大名の姿がじわじわとしのばれる。
本書は、現在に伝わる主な分国法として11例を挙げたあと、以下の5例について詳述する。結城政勝と「結城氏新法度」、伊達植宗と「塵芥集」、六角承禎・義治と「六角氏式目」、今川氏親・義元と「今川かな目録」、武田晴信と「甲州法度之次第」。最初の2例は全く知らないものだった。
「結城氏新法度」は、時代的にも早く、法制について素人の結城政勝が、独力でまとめたものと思われる。そのため内容的には未熟で未整理だが、家臣の無軌道ぶりが赤裸々に描かれていて面白い。つまらないことで諍いを起こして、刀を突き立てていがみ合っていたかと思えば、すぐ仲直りして飯椀で酒を酌み交わすのは愚かなことだ、などという条文(?)は、いがみ合うのが悪いのか、仲直りするのが悪いのか、笑ってしまう。
「塵芥集」については、「御成敗式目」の引き写しの誤りや他国との比較からうかがえる、東北社会の個性が面白かった。たとえば田地の境界争いに関する規定が杜撰なのは、まだ開発予定地が豊富にあって、他人の田地を侵犯する必要に乏しかったからだろうという。逆に下人に関する規定は他国の分国法にないもので、東北地方では土地より人的資源に価値があったという解説は納得できた。
「六角氏式目」は省略して、「今川かな目録」は2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』で知ったもの。本書では、まず著者の、今川氏に対する熱い思いが吐露されていて胸を打たれる。「おそらく今川氏ほど、世間一般に流通しているイメージと、研究の世界での評価がかけ離れている大名もいないだろう」という。それは、公家風で軟弱なイメージの義元が、実は荒武者だっただけではない。著者は「今川かな目録」を分国法として最高レベルの出来と評価する。当時の慣習法をまとめるだけでなく、社会の変化に対応し、新しい法律を定めようという自覚的な意欲にあふれている。たとえば「喧嘩両成敗」「自力救済」は当時の常識だったが、ぐっと堪えて喧嘩に応じず、今川家に訴え出た場合は、その功績を評価するという規定。今川領国と他国の「国際関係法」があるというのも面白い。今川義元、知性的で魅力的だなあ。もう少し知りたくなった。
最後に「甲州法度之次第」は「今川かな目録」の強い影響を受けているが、武田晴信(信玄)の思いを強く反映したものでもある。日本人の法意識を表す「非理法権天」という言葉があるという(初めて知った)。「非(無理)」よりも「理」、「理」よりも「法」が勝り、「法」よりも「権(力)」が勝るという意味で使われる。しかし晴信は、大名としての権力よりも「法」を上位に置くことで、その執行者である自分の支配の正当性を得ようとした。そのため「甲州法度」は領国内の人々に広く公示され、流通していたという。さらに晴信の後を継いだ勝頼の時代に至っても、「甲州法度」の書写やバージョンアップが続けられた。武田氏は「法」の支配に強くこだわった戦国大名だったと言えよう。
しかし今川氏にしても武田氏にしても、詳細な分国法を定め、法制度を整えたにもかかわらず、早々に滅びてしまった。先進的なものが必ずしも新しい時代を築くとは限らない、というのは、なんとなくほろ苦い、本書の読後感である。