見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

失敗者の魅力/幕末バトル・ロワイヤル(野口武彦)

2007-04-14 23:48:21 | 読んだもの(書籍)
○野口武彦『幕末バトル・ロワイヤル』(新潮選書) 新潮社 2007.3

 雑誌『週刊新潮』に連載された「天保妖怪録」「嘉永外患録」を収録。前者は水野忠邦が運と才能を恃んで幕政の中心にのし上がり、過激な構造改革「天保の改革」に着手するが、庶民や幕臣仲間の恨みを買い、失脚。文字どおり、江戸の民衆に「石もて追われ」隠居謹慎の末、出羽国山形藩に転封となった。

 小学生の頃、マンガで日本史を学び始めた頃から、水野忠邦の印象はよくなかった。「享保の改革」の徳川吉宗、「寛政の改革」の松平定信は(戦国武将のように派手ではないけれど)それなりに颯爽としたヒーローのおもかげが感じられた。しかし、「天保の改革」は、なんだか歯切れの悪い失敗に終わる。これも戦国武将と違って、「人生五十年」と腹を切ったわけではないが、失脚後は歴史の表舞台に戻らなかったらしい。ふぅーん、「改革」というのは、つねに成功するものではないのだな、ということと、太平の世における「失敗したオトナ」の人生の終幕を、子ども心にぼんやり学んだのが、水野忠邦という存在だったように思う。

 あれから40年。すっかり大人になって見返してみると、「失敗者」水野忠邦の生涯は、善悪を別として、なかなか味わい深い。人並み以上の才知、使命感、決断力と実行力。そして旺盛な権勢欲。どんな対策を以ってしても、およそ「起死回生」の可能性を感じさせない、政権退潮期にめぐりあわせた運の悪さ。

 著者が本書の根本資料としたのは、首都大学東京附属図書館情報センターが所蔵する「水野家文書」で、マイクロフィルムで読めるが、ほとんど活字化されていないそうだ。まあ近世文書くらい原文で読めということだろうが、水野忠邦の人気のなさも一因ではないかと思う。

 後半「嘉永外患録」は、ペリー来航から日米和親条約の締結までを描く。一般の歴史書では、その後の日本の運命を決めた、幕府高官の対応を記述することが主となるが、本書には、実際に「異文化接触」を経験した下級官吏や庶民の姿が活写されていて面白い。

 ところで、このとき、幕府からアメリカ艦隊へ贈られた礼物の中には、漆、陶器、絹織物などの高級工芸品に混じって、シュロ箒30本があり、今もスミソニアンの米国歴史博物館に収蔵されているという。これは「早く帰ってくれ」という逆さ箒のオマジナイだたのではないか、との由。江戸の俗文学を読み込んだ著者ならではの明察だろう。
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掌で味わう近世/江戸の出版(中野三敏)

2007-04-12 23:09:39 | 読んだもの(書籍)
○中野三敏『江戸の出版』 ぺりかん社 2005.11

 新宿南口の紀伊國屋書店でのことだ。人文書の平積みの棚に本書が載っていた。おや、こんな本が出ていたのか、と思って、中を眺め、気に入って買うことに決めた。よく見たら、別に本書は新刊本として積まれていたわけではない。誰かが買おうかどうか迷った末に、そのまま投げ出していったか、または棚卸し作業中の書店員が、仮置きに置いて忘れたのかもしれない。しかし、まわりを見渡した限り、私が本書をレジに持っていっても、困る人はいそうになかったので、最初の目論見どおり、買って帰ることにした。こんなことがあるから、やっぱりオンラインショッピングより、書店を歩くことが好きなのだ。

 本書は、ぺりかん社の雑誌『江戸文学』15、16号特集「江戸の出版」をもとに構成されたものだという。だから、ハードカバーの外見がゴツイが、中味は論文や対談やコラムを集成したものだ。「版式」が雑誌掲載当時のまま(たぶん)というのが、なんだか「江戸の出版」っぽくてよい。

 実は、私は3月まで、大量の江戸の出版物に近いところで仕事をしていた。だから、本書に取り上げられた絵草紙とか合巻とか、芝居番付とか浄瑠璃中字正本とか、出雲寺屋の武鑑とか、どれも親しく懐かしいものばかりだった。

 近世(慶長から文化までの200年間)に出版された万葉集の版本は古活字版、製版、近世活字版という3種の様式にわたり、7種を挙げ得るが、その版式はすべて8行18字詰めで統一されている、なんてのは、だからどうなんだという程度の豆知識だが、可能な範囲で確かめてみたかったな~と思う。

 芝居番付というのも、よく分からない資料だった。江戸歌舞伎の興行は、初日までに全幕が揃うことは稀で、興行が始まったあとでも、抜き差しや直しが入り、不入りや悪評の場合は別の狂言が追加されたりした。こうした頻繁な変更情報を観客に伝える使命を負っていたのが芝居番付である。紙面の汚れなどは気にすることなく、とにかく当時の出版技術を総動員して、迅速に大量の出版が行われたのだという。

 明治の半ばまで存続していた絵草紙屋は、錦絵を店頭で吊るし売りしていた(古写真あり)。ランプに照らし出された極彩色が、どれだけ生々しい想像を誘ったことか。これを駆逐したのは絵葉書屋だったという。明治10年代、漢籍の復刻を大量に出版した東京鳳文堂の顛末記も興味深く読んだ。

 本書には「近代諸外国出版事情」と題し、ドイツ、フランス、イギリス、中国の出版事情の簡史も付いていて、これがまた一興。ドイツでは、18~19世紀に「経済的利益のみにとらわれない偉大な出版者たち」が輩出し、執筆者グループと精神的なつながりを持ち、近代ドイツ文学の発展に寄与した。この伝統は20世紀にも連綿と受け継がれているという。一方、著作権(版権)は永久的なものであるという根強い主張を持ち続けたのは、イギリスのブックセラーたち。中国の出版が、意外とアナーキーでお上の統制の及ばなものであった、というのも面白い。

 コラム「ベルヌーイの虫干し」は、和本を「のど」(綴じたほう)を上に、少し開いて、屋根のように立てる、という虫干しのおすすめである。狭いスペースにたくさんの本が干せ、紙面に直射日光が当たらないのでよいことづくめだというけれど、いいのかなー、和本ってこんな荒っぽい扱いをして。
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オタク第2世代の自己分析/動物化するポストモダン(東浩紀)

2007-04-11 23:04:20 | 読んだもの(書籍)
○東浩紀『動物化するポストモダン:オタクから見た日本社会』(講談社現代新書) 2001.11

 「ポストモダン」とは、おおよそ1960~1970年代以降の文化世界を指す言葉である。日本では、1970年の大阪万博をメルクマールとし、それ以降の時代状況を指すと考えてよい。そして、日本の「ポストモダン」を特徴づけているのが、オタク系文化である。

 本書は、オタク系文化の担い手を3つの世代に分けて考える。第1世代は、1960年前後生まれを中心に『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』を10代で見た世代。第2世代は、先行世代が作り上げたオタク系文化を10代で享受した1970年前後生まれ。そして第3世代は、10代半ばにインターネット普及期を迎えた1980年前後生まれをいう。

 著者は1971年生まれのオタク第2世代だ(『東京から考える』で対談していた北田暁大さんも)。ちなみに私は第1世代である。私の世代の呼ばれ方には、「均等法世代」「Hanako世代」「新人類」なんてのもあったが、これらは全て、先行世代に名付けられたものだ。それに対して「オタク第1世代」には、後続世代からの、そこはかとないリスペクトが感じられて、私はいちばん誇らしい名称だと思っている。

 1980年代後半、「オタク」という言葉が、まだ不定形で両義的だった頃――世界に誇れる新しい日本文化という認識も、幼女連続殺人事件を契機とした激しいバッシングもなかった頃、颯爽と論壇に現れて(と思っていたのは私の世代だけかもしれない)、オタク系文化の意義をいちはやく論じたのは、やはりオタク第1世代の大塚英志だった。

 本書は、大塚の『物語消費論』(新曜社, 1989)が解き明かしたオタク第1世代の文化状況を全面的に参照しながら、第2世代以降の変貌を論じている。まず、大塚の論点を復習しよう。かつて我々は「宗教」とか「国家」とか「イデオロギー」という「大きな物語」に意味づけられて生きていた。しかし、近代の終わりとともに「大きな物語」の権威は失墜し、以後、我々は、小さな物語の断片の消費を繰り返しながら、その背後に仕掛けられた大きな物語に接近を試みることしかできなくなってしまった。これが1980年代の「物語消費」である。

 ところが、1990年代に入ると、もはや大きな物語の捏造を必要としない世代が現れた。彼らは物語のメッセージ性よりも、個々のキャラ設定に強く執着する。いわば、任意の「萌え要素」をデータベース的に消費する「データベース消費」であり、「意味」を求めないという点では「動物的」消費行動である。

 「物語消費」から「データベース消費」へ――これは非常に納得できて、分かりやすい。ただ、読みながら何かが違うように思ったのは、著者が「データベース消費」の構造を「超平面的な世界」と言い換えて、インターネットの世界に喩えているあたりだ。「たとえばウェブでは、世界的に有名なサイトでも単なる個人サイトでも等価にリンクされてしまう」。それゆえ、消費者は全てを踏破(収集)することの情熱に捉われると、無限の消費の欲望から抜け出ることができない、と著者はいう。

 うーむ。これって「Google以前」のモデルだなあ、と反射的に思った。本書の書かれたのが2001年。微妙な端境期である。いま、ウェブが「世界的に有名なサイトでも単なる個人サイトでも等価」な世界であるとは言えないだろう。オタク第4世代は、検索エンジンが無数の「小さな物語」を秩序づけ、新たな「大きな物語」を(我々の無意識の中から?)紡ぎ出す時代を生きていくのだろうか。
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聖者からムッソリーニまで/もうひとつのルネサンス(岡田温司)

2007-04-10 12:35:51 | 読んだもの(書籍)
○岡田温司『もうひとつのルネサンス』(平凡社ライブラリー) 平凡社 2007.3

 最近、ほんのちょっとだが西洋美術に関心が向いている。むかしは西洋美術のほうが好きだったのだが、東洋美術に骨の髄までどっぷり浸かり、また新鮮な目で西洋美術に接近しつつあるのだ。そんなわけで、書店でふと目にした本書は、表紙の愛らしい天使と、本文中に満載の図像が気に入って、買ってしまった。

 著者は「エピローグ」で本書の構成について、「お互いにあまり関連性が「あるようには思われない八つの論考からなっている」と述べている。とはいえ、第1章「エヴァの誕生」、第4章「法悦のコレオグラフィー」、第6章「貧しき者たちの肖像」は、描かれた主題に着目した絵画美術論である。

 面白かったのは第2章「ルネサンス美術のもうひとつの顔」で、著者は「ルネサンスというと、レオナルドやミケランジェロという大スター」や宮殿の神話画、大祭壇画の傑作・大作をすぐに思い浮かべる態度を戒め、市井の人々の生活空間に浸透していた絵画表現を考察の対象とする。たとえば、子どもには、どんな絵を見せて育てることが良しとされたか。女性の場合はどうか。婚礼家具(カッソーネと呼ばれる長持ち)には何が描かれ、出産祝いのお盆(デスコ・ダ・パルト)には何が描かれたか。

 婚礼家具に、女性の略奪をテーマにした絵(サビーニの女の略奪、ヘレネーの略奪)が描かれることが多かったというのは、意外なような、納得のような。西洋美術の場合でも、絵画はただ絵画としてあったのではなく、「吉祥」とか「呪術」とか「社会的関係の確認」とか、いろいろな意味が込められていたのだな。また、絵画は「見るもの」であると同時に、描かれた人物(たとえばキリスト、聖者、慈悲を請う貧者)の視線を意識するものであった、という指摘も面白いと思った。

 そうした造形的遺産を、もとの「文脈(場面)」から切り離し、純粋な「美術品」として鑑賞しようとする美術館の態度は正しいのか。この鑑賞者の問題を扱ったのが、第5章「ディレッタント登場」と第7章「アンチ美術館の論理と倫理」である。

 こうして、ルネサンス以前のキリスト図像学に始まる本書は、いつの間にかルネサンスを駆け抜けて(ビッグ・ネームはほとんど登場しない)、近代美術館の展示方法に話が及ぶ。このあたりまでは、まあ驚かないが、さすがに目を剥いたのは、最終章「ムッソリーニの芸術指南」である。

 でも面白かったなあ、この章。ナチス・ドイツが擬似古典主義のみを正統と認め、その他の近代芸術を「退廃芸術」として断罪したのに対し、ムッソリーニ政権下のイタリアは、さまざまな様式が許容され、花開き、ずいぶん異なる状況にあったようである。ファシズムと芸術の関係が、つねに一様でないというのは興味深い。芸術の国イタリアの底力みたいなものかしら。
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初めの1週間

2007-04-09 21:53:48 | なごみ写真帖
4月初めの1週間が過ぎて、第2週。

月曜に新しい職場で貰った花瓶つきのブーケは、金曜に持ち帰った。
青花(チンホア)の鉢に盛りなおして、週末も目を楽しませてもらった。
ときどき思いつきで買う、売れ残りの安い花束と違って、長持ちするものだな。

これは今朝の姿。


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江戸の動物たち/府中市美術館

2007-04-08 21:53:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
○府中市美術館 企画展『動物絵画の100年 1751-1850』

http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/

 動物を描いた絵を集めてみました――というのは、この規模の美術館として「いかにも」な企画である。安上がりなわりに、春休みの子ども連れにはウケが良さそうだし。とまあ、初めて本展のタイトルを見たときは、やや意地の悪い印象を持った。

 しかし、実際に行ってみて、よく練り上げられた企画だということが分かった。本展が取り上げる1751年から1850年の100年は、その中間に寛政~文化文政期を挟み、ペリー来航(1853)の直前まで。日本の「近世」の確立期であると同時に、雪崩を打つように、あわただしい「近代」に突入する直前の100年である。

 この時期、日本文化には、さまざまな「新しいもの」が加わり、前時代に比べて格段に内容が豊かになった。動物絵画では、たとえば描かれる動物の種類。ニューギニア産のカンムリバトやヒクイドリも、実際に日本にもたらされていたらしい。

 絵画技法の上では、清の沈南蘋が中国からもたらした写生的な花鳥画が、日本画壇に大きな影響を与えた。続いて、西洋絵画に学んだ司馬江漢らが出た。これらの流れを受けて生まれたのが、円山応挙の(古くて新しい)「写実」なのである。なるほど~。やっと、この時期の絵画史が整理されて頭に入った。

 応挙筆『木賊兎図』(絹本著色)は、白い兎が2匹と黒い兎が1匹(ただし鼻の頭から首にかけては白い)を描く。身を寄せ合うようにうずくまった3匹の背後には、一叢の木賊(とくさ)があるだけ。広い空間が不安と緊張を誘い出し、小動物の可憐さを引き立たせる。実はこの作品の展示が今日(4/8)までだと気づいて、慌てて見に行ったのである。行ってよかった。白兎の輝くような毛並み、黒兎の、つつきたくなるような柔らかそうな頬っぺたが、微笑ましい。

 兎を描いた日本画って、あまり無いよなあと思っていたら、もう1枚、源の『双兎図』というのも出ていた。こちらは墨画淡彩。後ろを向いた黒兎がタマネギみたいで可愛い。

 長沢蘆雪は相変わらずいいなあー。虎もいいし、スズメもいいし、朝顔の蔭に佇むイタチもいい。悪童にぶら下げられた仔犬もいいが、私は『鷲・熊図』を推す。向かって左画面が熊図。太い鈎爪は恐ろしげだが、当人は酔っ払いの親父みたいに情けない表情で、半身をひねって寝そべっている。つやつやした黒い毛並みが、うちのぬいぐるみのクマ(アメリカ生まれ)にそっくり。右画面の鷲は、眼光鋭く、巻毛を思わせる羽毛が、西洋古典画の武人みたいである。

 ”熊”というのも、伝統絵画では珍しい主題だと思う。いや、”猿”だって、中国ふうの猿猴図(テナガザル)はあっても、ニホンザルはいつから描かれたのか。いろいろ考えると、興味は尽きない。

 さまざまな画家の描いた”虎”を集めたセクションは楽しい! これ、一度やってもらいたかった企画である。本展の蘆雪『虎図』は、わりとリアルである。しかし、動物の専門家によると「あれは猫の目」だそうだ。桑山玉洲の描く虎の目も変だよなー。鍋の蓋を貼り付けたみたいだ(アンデルセンの童話じゃないけど)。しかし、なんとも言えない迫力。宋紫山の『虎図』(双幅)も、七色に光る目が妖怪じみている。北斎の『竹林に虎図』は、人虎伝説を描いたのじゃないかと思われて変。仙涯の『虎図』は、よくぞこんなの見つけてきた、と思った。必笑。

 数は少ないが展示替えがあって、来週から後期に入る。蘆雪の『牛図』見たいなあ~。また行っちゃおうか、思案中。
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都心の桜/山種美術館

2007-04-07 22:42:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○山種美術館 『桜さくらサクラ・2007 ―花ひらく春―』

http://www.yamatane-museum.or.jp/

 東京の桜の盛りはたぶん先週末だったのだろう。今年は身辺が慌しくて、すっかり見逃してしまった。ついでに言うと、大倉集古館で3/13~18に公開された横山大観の『夜桜』も見逃した。ちゃんと手帳に書いて、指折り数えて待っていたのに~!

 うじうじ悔やんでいてもしょうがないので、「これからでも見られる都心の桜」を見に行った。目指したのは、桜の名所、千鳥が淵ではなくて、そのすぐそば、九段にある山種美術館である。毎年この時期に「桜」をテーマにした展覧会を開いている。

 桜がすみの薄桃色を頭に描きながら会場に入ると、正面の壁いっぱいに、新緑の渓流を描いた大画面が掛かっている。奥田元宋『奥入瀬(春)』という大作である。萌え立つ若緑の中に山桜の一株が混じっている。一見すると写実的な画風で、大きな窓から外の風景を見ているようだ。あるいは大スクリーンに映した環境ビデオのようでもある。ところが、近寄ってみると、意外と対象のディティールにはこだわらず、印象派ふうに、軽やかで自由な色の置きかたをしていることが分かる。特に木の幹や枝の間に覗く「空」であるべき空間が、金色に塗られているのにはびっくりした。これが、離れて見ると、木洩れ日のような効果をあげているのだ。

 次の部屋に進むと、奥村土牛の『吉野』があった。なだらかな丸みを見せる近景の山の稜線と、角ばった遠山の稜線が対比的。手前の桜も抽象化されて、つぶれたおにぎりみたいなフォルムに描かれている。堂々とした(どこか男性的な)造型感覚を、和菓子の包装紙みたいな、青・緑・桜色の、はんなりした色彩で包んでいるところがおもしろいと思う。

 添え書きによれば、昭和52年、土牛88歳の作だが、「昭和47年(ということは83歳!)まで花の吉野を見る機会がなかった」のだそうだ。その後、昭和51年に秋と新緑の吉野を見て、この作品を描いたが、「華やかというより気高く寂しい山であることを知った」という。そういえば、「気高い寂しさ」を表す奥山の青(ブルー)は、金峯山寺の秘仏、蔵王権現の肌の色である。

 3つの展示室をまわって、あれっと思った。私が最も期待していた作品がないのである。奥村土牛の『醍醐』だ。醍醐寺の枝垂れ桜を描いたもので、昨年の参観記に書いたとおり、私には「桜の木が、杖をつき、少し衣を引きずる老女に見える」のである。残念~。実は、このあと、4月下旬から始まる『開館40周年記念展』に備えて、今年は温存されたらしい。仕方ないなあ、また見にこよう。




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国破れて山河あり/漢詩百首(高橋睦郎)

2007-04-06 22:47:36 | 読んだもの(書籍)
○高橋睦郎『漢詩百首:日本語を豊かに』(中公新書) 中央公論社 2007.3

 古今の名詩人を厳選した漢詩百人一首。その内訳は、中国人60首、日本人40首。中国人は、孔子の「逝く者は斯夫の如きか 昼夜を舎かず」を冒頭に据える。これはもちろん「論語」の有名な一節。通常なら「詩」の範疇には入らないが、つぶやき捨てたような短い章句に、詩心の原型を見出し、あえて取り上げたところに撰者の感覚の新鮮さがある。そして、教科書を思い出すような、六朝詩人、唐宋詩が続き、魯迅、毛沢東で終わる。

 いや~毛沢東の詩はいいなあ。単独で読んでもいいけど、中国三千年の名詩選のフィナーレに置いて、杜甫・李白・蘇軾らと比べても、全く見劣りしない。将来、政治家としてどれだけ激しい毀誉褒貶を受けたとしても、この詩作の見事さは、年々輝きを増していくのではないかと思われる。一方、「中国近代文学の父」魯迅が、おびただしい旧詩を作っているということは、初めて知った。

 そして、日本人の漢詩40首。不思議なもので、日本人は(少なくとも60年代生まれの私の世代までは)中国人の漢詩なら、学校の授業で10や20は必ず習う。ちょっと文学好きなら40や50は読んでみる。しかし、日本人の作った漢詩をいくつ知っているかと問われると、非常にこころもとない。本書をパラパラと手にとって、いちばんびっくりしたのは、日本人の漢詩で「読むに値する作品」が40首もある、ということだった。

 ところが、読んでみたら、なかなかいい。院政期の政治家、藤原忠通の「覆盆子(イチゴ)を賦す」は微笑ましい。江戸の荻生徂徠、広瀬淡窓らは、いわば漢詩文が第二の日常語だったわけで、平明淡々として慕わしい。しかし私が唸ったのは、近代日本人の漢詩の魅力である。西郷南洲(隆盛)はいい。素質的には毛沢東に近いかもしれない。

 文学者では、やはり森鴎外が群を抜いている。本書の付録、北京大学での講演で著者が詳しく論じているように、鴎外は西洋の定型詩の形式美を、漢詩の素養によって理解したのだろう。一方、訳詩集『於母影』には、明の高啓の「青邱子」を七五調の和語に訳した美しい作品もある。『於母影』って、もっぱら西洋詩の翻訳集だと思っていたので意外だった。鴎外って、和-漢-洋の、3つの文明の交差路に立つ人だったんだなあ。

 ところで、この講演の冒頭で、著者は以下のように語っている。第二次世界大戦、またの名を十五年戦争とも太平洋戦争ともいう、さきの戦争に破れたとき、多くの日本人の脳裡に浮かんだのは、和歌でも俳句でもなく、「国破れて山河あり」という漢詩だった。闘いを挑んで負けた相手国の国民詩人である杜甫の「春望」の一句だった、と。これは確かに「奇妙」で、考えようによっては皮肉な話かもしれないけど、私はこの部分を読んだとき、深い感慨に胸を突かれるような思いがした。

 日本の文明が、何から何まで中国の恩恵を受けているとは思わない。しかし、言葉と文学に関しては、日本が中国から受けた影響は、かくも深く重いのである。本書のオビには「日本語の骨格」とあるが、むしろ漢詩は、その倫理性、抽象性によって「日本語の品格」を作ってきたと言っても過言でないと思う。

 しかし、新世代の日本人からは、漢詩の素養が失われて久しい。もしも次の戦争で日本が破れたら、彼らはどんな詩句でその感慨をあらわすのだろうか。
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3年目の楽しみ/NHK・柳生十兵衛七番勝負

2007-04-04 22:15:53 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK木曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負・最後の闘い』公式HP

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/index.html

 明日から始まる「柳生十兵衛七番勝負」シリーズ第3弾。出会いは3年前、たまたま少し早く帰ってテレビをつけたのが始まり。でも、あのときは午後9時放送開始の金曜時代劇だったから、出会えたのだ。木曜8時では、どう考えても難しい。特にこの春は、遠距離通勤の身となってしまったので、放送時間までに帰宅するのは絶対ムリである。もちろんビデオの予約は入れた。

 公式ホームページを見ると、迫真の殺陣(たて)で魅せた男っぽい第2シリーズ「島原の乱」とは、また一味ちがって、癖のある配役を揃えている。由比正雪役の和泉元彌、最近の本人そのままに悪そうだな~。とことん嫌われキャラをやってほしい。紀州徳川家の祖・徳川頼宣役は西村雅彦。へえー慶安の変(由比正雪の乱)の黒幕と言われているのか。知らなかった。

 あと、由比正雪の計画が「天皇を擁して高野山か吉野に逃れ」徳川将軍を討ち取るための勅命を得る、というものであったというのも初めて知った。既存の権力を転覆するために「天皇を利用する」というのは、決して幕末になって初めて生まれた(長年忘れられていた)手法ではないのね。

 私は、もともと時代劇にも時代小説にも疎いので、このドラマによって、虚実のあわいの「歴史」を学ぶことができるのが楽しくてしかたない。さあ、明日の第1回を待つばかりである。
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息苦しい時代に/「悩み」の正体(香山リカ)

2007-04-03 23:08:33 | 読んだもの(書籍)
○香山リカ『「悩み」の正体』(岩波新書) 岩波書店 2007.3

 年度末のゴタゴタが終わって、しばらくぶりで本屋に行った。いろいろ面白そうな本が目についたが、回復期の病人食みたいなもので、軽めのエッセイから入ろうと思った。

 本書は、精神科医である著者が見聞した、さまざまな現代人の「悩み」について論じたものだ。なんとなく自分の周りを見回しても覚えがある。たとえば「成長と進歩」や「自分らしさ」を追い求めて、忙しく仕事をし続けていないと不安にかられる女性たち。自分に鞭打ち、過剰なまでに他人に尽くすことで「私は誰かのために役立っている」という充足感を得ようとする女性たち。それは正しい「悩み」なのか?

 「立ち止まってはいけない」とか「何かしなければ、他人に大切にされない」とか、あるいは「子どもがいないのは不幸なことだ」「老いるのは恥ずかしい」という強迫観念から自由になって、自分を肯定しようと著者は言う。しごく当たり前の主張である。しかし、こんな当たり前の主張を、あらためて言わなければならないほど、現代人に蔓延する「悩み」の根は深いらしい。

 著者の紹介している事例によれば、最近は典型的なうつ病(それなりに「安定した病」で治療計画も立てやすい)ではなくて、気分や状態がめまぐるしく変わるタイプのうつ病「気分変調症」が増えているそうだ。また、うつ病の部下のフォローに責任を感じた上司が、「二次性うつ病」にかかるケースも増えているという。いやな時代である。

 同じことなら、著者のいうように、人生を豊かにしてくれるような「悩み」を悩もう。安心して、ゆっくり悩もう。でもこれは中年の開き直りかもしれない、と著者と同い年の私は思った。

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