見もの・読みもの日記

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イエスの親族たち/処女懐胎(岡田温司)

2007-04-19 23:04:32 | 読んだもの(書籍)
○岡田温司『処女懐胎:描かれた「奇跡」と「聖家族」』(中公新書) 中央公論新社 2007.1

 『もうひとつのルネサンス』(平凡社ライブラリー 2007.3)が面白かったので、同じ著者の本、2冊目。東博で始まっている、ダ・ヴィンチの『受胎告知』公開に合わせたような出版だが、それと切り離して読んでも、非常に面白い論考である。図版多数。特に、巻頭のカラー図版は、新書では滅多にないほど贅沢。また、セレクションがすばらしくいい!

 タイトル・ページを兼ねているのが、ロレンツォ・ロットの『受胎告知』(16世紀)。部分を切り取っているのかもしれないが、近代絵画のような斬新な構図である。右端には、露わな二の腕を振り上げ、神の言葉を告げる大天使ガブリエル。しかし、床に落ちたその影は悪魔のようにも見える。怯える猫。マリアも助けを求めるように、画面前方に両手を差し出している。この1枚の存在を知っただけでも、本書を買い求めた価値はある。

 コズメ・トゥーラの『受胎告知』(15世紀)では、うつむき加減のマリアの耳元に寄り添う小さな鳩(カワセミみたいにホバリングしている)。マリアが神の御言葉によって「耳から」妊娠したことを示すのだそうだ。このほか、マリアの腹部に射し入る光線とか、天上から送り届けられる赤子とか、処女懐胎という奇跡を視覚化するために、さまざまな苦心が凝らされたこと、さらに、それを教会関係者たちが「望ましい」とか「望ましくない」とか、熱心に議論していたというのも、面白いと思った。

 ルネサンス時代には、マリアの妊娠や出産は、多産や安産の願いと結びつき、人々の生活に密着した図像が多く作られた。ところが、16世紀後半になると、「対抗宗教改革の嵐が吹き荒れ」(このへんのヨーロッパの精神史って、私は認知不足)神秘的、超越的な傾向が強まる。同様に、「無原罪の御宿り」と称えられるマリア像も、さまざまな寓意を描き加えたものから、マリアの若く美しい姿そのものに焦点をあわせた17世紀型(バロック型)に移行するのである。

 ところで、「無原罪の御宿り」というのは、マリアの母アンナと父ヨアキムが、罪なくして(性交渉なしで)マリアを得たという、聖書外典の伝説に基づくのだそうだ。アンナは「母にして聖女」ということから、既婚女性や寡婦に信仰され、いくぶん異教的な(大地母神的な)性格も持つ。フィレンツェの守護聖人でもあり、人文主義者のエラスムスやマルティン・ルターが、若い頃は聖女アンナに帰依していたというのも興味深い。

 忘れてならないのは、マリアの夫ヨセフ。やはり、聖書外典によれば、ヨセフはマリアの妊娠に困惑し、その不貞を疑い、婚約破棄を考えたという。初期キリスト教美術では、神々しい聖母子の傍らに、なんとも複雑な表情を浮かべたヨセフが描かれている。あまりに人間的な表現で、笑ってしまうほどだ。しかし、14~15世紀、父親を中心とした核家族の成立にともない、ヨセフは慈悲と威厳に満ちた父親像に変貌していく。

 本書を読むと、キリスト教の家族観・父性観・母性観が、意外に柔軟で幅広い可能性を含んだものであったことが実感できる。にもかかわらず、その柔軟性が失われていったのが、現実の歴史であることも事実なのだが。
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