見もの・読みもの日記

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国破れて山河あり/漢詩百首(高橋睦郎)

2007-04-06 22:47:36 | 読んだもの(書籍)
○高橋睦郎『漢詩百首:日本語を豊かに』(中公新書) 中央公論社 2007.3

 古今の名詩人を厳選した漢詩百人一首。その内訳は、中国人60首、日本人40首。中国人は、孔子の「逝く者は斯夫の如きか 昼夜を舎かず」を冒頭に据える。これはもちろん「論語」の有名な一節。通常なら「詩」の範疇には入らないが、つぶやき捨てたような短い章句に、詩心の原型を見出し、あえて取り上げたところに撰者の感覚の新鮮さがある。そして、教科書を思い出すような、六朝詩人、唐宋詩が続き、魯迅、毛沢東で終わる。

 いや~毛沢東の詩はいいなあ。単独で読んでもいいけど、中国三千年の名詩選のフィナーレに置いて、杜甫・李白・蘇軾らと比べても、全く見劣りしない。将来、政治家としてどれだけ激しい毀誉褒貶を受けたとしても、この詩作の見事さは、年々輝きを増していくのではないかと思われる。一方、「中国近代文学の父」魯迅が、おびただしい旧詩を作っているということは、初めて知った。

 そして、日本人の漢詩40首。不思議なもので、日本人は(少なくとも60年代生まれの私の世代までは)中国人の漢詩なら、学校の授業で10や20は必ず習う。ちょっと文学好きなら40や50は読んでみる。しかし、日本人の作った漢詩をいくつ知っているかと問われると、非常にこころもとない。本書をパラパラと手にとって、いちばんびっくりしたのは、日本人の漢詩で「読むに値する作品」が40首もある、ということだった。

 ところが、読んでみたら、なかなかいい。院政期の政治家、藤原忠通の「覆盆子(イチゴ)を賦す」は微笑ましい。江戸の荻生徂徠、広瀬淡窓らは、いわば漢詩文が第二の日常語だったわけで、平明淡々として慕わしい。しかし私が唸ったのは、近代日本人の漢詩の魅力である。西郷南洲(隆盛)はいい。素質的には毛沢東に近いかもしれない。

 文学者では、やはり森鴎外が群を抜いている。本書の付録、北京大学での講演で著者が詳しく論じているように、鴎外は西洋の定型詩の形式美を、漢詩の素養によって理解したのだろう。一方、訳詩集『於母影』には、明の高啓の「青邱子」を七五調の和語に訳した美しい作品もある。『於母影』って、もっぱら西洋詩の翻訳集だと思っていたので意外だった。鴎外って、和-漢-洋の、3つの文明の交差路に立つ人だったんだなあ。

 ところで、この講演の冒頭で、著者は以下のように語っている。第二次世界大戦、またの名を十五年戦争とも太平洋戦争ともいう、さきの戦争に破れたとき、多くの日本人の脳裡に浮かんだのは、和歌でも俳句でもなく、「国破れて山河あり」という漢詩だった。闘いを挑んで負けた相手国の国民詩人である杜甫の「春望」の一句だった、と。これは確かに「奇妙」で、考えようによっては皮肉な話かもしれないけど、私はこの部分を読んだとき、深い感慨に胸を突かれるような思いがした。

 日本の文明が、何から何まで中国の恩恵を受けているとは思わない。しかし、言葉と文学に関しては、日本が中国から受けた影響は、かくも深く重いのである。本書のオビには「日本語の骨格」とあるが、むしろ漢詩は、その倫理性、抽象性によって「日本語の品格」を作ってきたと言っても過言でないと思う。

 しかし、新世代の日本人からは、漢詩の素養が失われて久しい。もしも次の戦争で日本が破れたら、彼らはどんな詩句でその感慨をあらわすのだろうか。
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