○トマス・ハリス著、高見浩訳『ハンニバル・ライジング』上・下(新潮文庫) 新潮社 2007.4
”人喰い”ハンニバル・レクター博士シリーズの最新作。私は80年代に『羊たちの沈黙』と『レッド・ドラゴン』は読んだが、2000年(邦訳)の『ハンニバル』は読んでいない。前二作が、ひそかな口コミで「おもしろいよ」と伝えられたのに比べると、最初から商業主義が露骨すぎて、気に入らなかったためだ。
さて、7年ぶりの最新作である本作は、既に映画化されており、この週末4/21に日本公開となる。あまり映画に興味のない私は、たまたま、映画関係のサイトを見ていて、知ったのであるが。
その映画評(J-CASTニュース:日本一!365日映画コラム)によれば、第二次大戦中のリトアニア、両親と妹と幸せに暮らしていたハンニバル少年が、ナチスの侵攻により、森の中の別荘に逃れるところから、悲劇は始まる。戦後、孤児となったハンニバルを引き取ったパリの叔父のもとには、美しい日本人妻ムラサキがいた。「彼女は武術にたけハンニバルに剣道を叩き込む。戦国時代の戦闘絵巻を見せ、敵を討ったら生首を晒すことを教える」とある。
ただし、これは映画の演出だろう。小説では、紫夫人はもっと優雅で女性的に描かれている。彼女は(ヒロシマ出身である)和歌と俳句を詠み、琵琶と琴を弾き、書道と生け花をたしなむ。ちょっと恥ずかしいほどの、日本文化のオールラウンド・プレイヤーだ。彼女の部屋には、能装束や浄瑠璃人形とともに、先祖から伝わる甲冑と日本刀が飾られていて、その前に、武将が従臣を謁見する様を描いた絵巻物が捧げられていた。ハンニバルが続きを開くと、同じ武将が首実検をしている図が現れるが、紫夫人はそっとたしなめて、絵巻をもとの場面に戻させる。
この一段を読んだとき、私の脳裡には、岩佐又兵衛の絢爛たる流血絵巻が浮かんだ。そうだ、これは、どうしたって岩佐又兵衛でなければならない! 「大阪夏の陣を描いたもの」と紫夫人も言っているのだから、時代も合う。実際に映画がどんな”小道具”を使っているのかは知らない。でも、稀代の殺人鬼ハンニバル・レクターを目覚めさせる岩佐又兵衛って...かなり、うっとりする妄想ではないかしら。
このあと、青年ハンニバルの復讐が、パリを舞台に始まる。『羊たちの沈黙』『レッド・ドラゴン』を読んだときは、精神的にすさんだ犯罪者と、それをどこまでも追うタフな捜査官の組み合わせが、いかにもアメリカだなあ、と感じたものだ。それに対して、本作は、どこか陰鬱な旧都パリの闇を、若き殺人鬼ハンニバルが跳梁する。登場人物たちは、いずれも”歴史”と”個人史”という過去(戦争、犯罪、失われた家族、後悔、復讐、貴族という家柄、民族、階級?)に深く捉われている。主人公は同じでも、全く別の小説の趣きがある。私はこっちのほうが好みだ。殺戮の舞台となるパリ、「リュクサンブール公園」「サン・ブノワ通り」「オルフェーヴル河岸」等々、フランス語の地名の響きの美しいことにあらためて驚く。
邦訳は、残念だが、和歌や俳句の訳が上手くない。出典があるものの場合、原文どおりに戻したもの(与謝野晶子の作)と、現代詩ふうの中途半端な口語訳(源氏物語の中の和歌)が混じっていて、気になる。
魅力的な紫夫人を映画で演じているのは、コン・リー。うーん。ちょっとイメージ違うなあ。
”人喰い”ハンニバル・レクター博士シリーズの最新作。私は80年代に『羊たちの沈黙』と『レッド・ドラゴン』は読んだが、2000年(邦訳)の『ハンニバル』は読んでいない。前二作が、ひそかな口コミで「おもしろいよ」と伝えられたのに比べると、最初から商業主義が露骨すぎて、気に入らなかったためだ。
さて、7年ぶりの最新作である本作は、既に映画化されており、この週末4/21に日本公開となる。あまり映画に興味のない私は、たまたま、映画関係のサイトを見ていて、知ったのであるが。
その映画評(J-CASTニュース:日本一!365日映画コラム)によれば、第二次大戦中のリトアニア、両親と妹と幸せに暮らしていたハンニバル少年が、ナチスの侵攻により、森の中の別荘に逃れるところから、悲劇は始まる。戦後、孤児となったハンニバルを引き取ったパリの叔父のもとには、美しい日本人妻ムラサキがいた。「彼女は武術にたけハンニバルに剣道を叩き込む。戦国時代の戦闘絵巻を見せ、敵を討ったら生首を晒すことを教える」とある。
ただし、これは映画の演出だろう。小説では、紫夫人はもっと優雅で女性的に描かれている。彼女は(ヒロシマ出身である)和歌と俳句を詠み、琵琶と琴を弾き、書道と生け花をたしなむ。ちょっと恥ずかしいほどの、日本文化のオールラウンド・プレイヤーだ。彼女の部屋には、能装束や浄瑠璃人形とともに、先祖から伝わる甲冑と日本刀が飾られていて、その前に、武将が従臣を謁見する様を描いた絵巻物が捧げられていた。ハンニバルが続きを開くと、同じ武将が首実検をしている図が現れるが、紫夫人はそっとたしなめて、絵巻をもとの場面に戻させる。
この一段を読んだとき、私の脳裡には、岩佐又兵衛の絢爛たる流血絵巻が浮かんだ。そうだ、これは、どうしたって岩佐又兵衛でなければならない! 「大阪夏の陣を描いたもの」と紫夫人も言っているのだから、時代も合う。実際に映画がどんな”小道具”を使っているのかは知らない。でも、稀代の殺人鬼ハンニバル・レクターを目覚めさせる岩佐又兵衛って...かなり、うっとりする妄想ではないかしら。
このあと、青年ハンニバルの復讐が、パリを舞台に始まる。『羊たちの沈黙』『レッド・ドラゴン』を読んだときは、精神的にすさんだ犯罪者と、それをどこまでも追うタフな捜査官の組み合わせが、いかにもアメリカだなあ、と感じたものだ。それに対して、本作は、どこか陰鬱な旧都パリの闇を、若き殺人鬼ハンニバルが跳梁する。登場人物たちは、いずれも”歴史”と”個人史”という過去(戦争、犯罪、失われた家族、後悔、復讐、貴族という家柄、民族、階級?)に深く捉われている。主人公は同じでも、全く別の小説の趣きがある。私はこっちのほうが好みだ。殺戮の舞台となるパリ、「リュクサンブール公園」「サン・ブノワ通り」「オルフェーヴル河岸」等々、フランス語の地名の響きの美しいことにあらためて驚く。
邦訳は、残念だが、和歌や俳句の訳が上手くない。出典があるものの場合、原文どおりに戻したもの(与謝野晶子の作)と、現代詩ふうの中途半端な口語訳(源氏物語の中の和歌)が混じっていて、気になる。
魅力的な紫夫人を映画で演じているのは、コン・リー。うーん。ちょっとイメージ違うなあ。