見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

怪盗は古美術マニア/怪人二十面相(江戸川乱歩)

2008-12-03 20:46:46 | 読んだもの(書籍)
○江戸川乱歩『怪人二十面相』(ポプラ文庫・少年探偵) ポプラ社 2008.11

 「少年探偵」シリーズを続けてもう1冊。怪人二十面相が初めて登場した記念すべき作品で、昭和11年(1936)『少年倶楽部』誌に連載されたものだ。

 本書によれば、二十面相は「人を傷つけたり殺したりする、ざんこくなふるまいは、一度もしたことが」なく「血がきらい」で「宝石だとか、美術品だとか、美しくてめずらしくて、ひじょうに高価な品物をぬすむばかりで、現金にはあまり興味をもたない」怪盗と説明されている。そんなキャラクターだったとは、あらためて知った。もっとも、私が忘れていたのも道理で、Wikiの記述によれば、後年の作品になると、だんだん愉快犯の性格が強まっていったようだ。

 本書で、二十面相に狙われるのは、伊豆の修善寺に天守閣のような美術城を構え、「雪舟とか探幽とか」の古画をコレクションしている日下部老人。しかも明智探偵に化けた二十面相は、1つ1つの名画について「専門家もおよばぬほどくわしい」賛辞を並べ立て、老人を感心させる。なんだか二十面相に親近感が湧くなあ。日下部老人も、大地主とはいいながら、妻も子も持たず、集めた古画を眺め暮らすだけが楽しみという世捨て人みたいな古美術コレクターで、同情を禁じえない。

 私は、二十面相といえば、バタ臭い(西洋趣味の)キャラクターだと思っていたが、意外と日本的なのである。申し訳に「ロマノフ王朝の宝石」なんかも盗んでいるけれど、本当は、古画とか仏像に目がなかった様子。続いて盗みに入ったのは国立博物館。国宝級の仏像をニセモノにすり替えて、全て自分のものにしてしまう(うわーやってみたい…)。西洋美術館でなく、国立博物館を狙うところが渋いなあ、と思ったが、国立西洋美術館の竣工は昭和34年。ということは、戦前は、西洋美術の常設館はなかったのかな?

 また、東京国立博物館の本館は、震災で大破した後、昭和12年(1937)に竣工し、翌年開館した。つまり、本作品の雑誌連載当時、東京に国立博物館(の建物)は無かったのである。だから、こんな奇想天外な物語が書けたのかもしれない。
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老人と子供/變臉(へんめん)この櫂に手をそえて

2008-12-02 21:55:36 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「中国映画の全貌 2008」より呉天明(ウー・ティエンミン)監督 映画『變臉(へんめん)この櫂に手をそえて』(1996)

■新宿 ケイズシネマ
http://www.ks-cinema.com/schedule.html

■goo映画:『變臉(へんめん)この櫂に手をそえて』
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30371/

 古い映画なんて、レンタルDVDで、見たいときに見ればいいとお思いだろう。全くそのとおりなのだけど、見知らぬ人々の間に混じって、映画館の暗闇に身を潜めるというのは、それはそれで味わいのある行為なのだ。というわけで、今年も「中国映画の全貌 2008」を見に行った。上映スケジュールを吟味して選んだ作品は、1996年制作の『變臉(へんめん)』。「中国映画の全貌」では常連のタイトルだが、私はずっと見る機会を逃していた。

 舞台は今世紀初頭の中国(らしい)。老芸人のワン(王)は、"變臉(変面)"と呼ばれる早変わりの名手で「変面王」と呼ばれていた。ワンは、自分の技を継がせるために、クーワー(狗娃)と名乗る男の子を買い取って育てようとする。しかし、その子は女の子だった。一度は「爺(イエ)=おじいちゃん」と呼ぶことを禁じて、辛く当たったワンだが、クーワーの文字どおり献身的な愛情に、頑なな心が解けていくという物語。

 変面王を演ずるのは名優・朱旭。老人と子供を描いた中国映画は、不思議なくらい、安心して見ることができる。本作は、安定感があり過ぎて(結末はメデタシメデタシ)ちょっと凡作かも。同じく朱旭が老芸人を演じた『心の香り』のほうが、結末にフラストレーションは残るが、私は好きだ。なお、脚本の味わいどころのひとつは、大道芸人のワンと、華やかな人気女形のリャンが、全く異なる境遇に見えて、「所詮、役者は世間に卑しめられる稼業」ということで心を通わせあう点にあるように思う。

 中国では、一人っ子政策実施以降も男子を望む夫婦が多く、男女比のアンバランスなど、ひそかな社会問題を引き起こしているという。最後には、因習を捨てて、一子相伝の秘芸を女子に伝える決心をする変面王、実は国策映画なのかなあ、なんて勘ぐったりもしている。
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過ぎ去った美しい物語/滝山コミューン1974(原武史)

2008-12-01 21:18:54 | 読んだもの(書籍)
○原武史『滝山コミューン1974』 講談社 2007.5

 先日、竹内洋先生の書評集で本書の存在を知り、遅ればせながら読んだ。原武史さんの本は、鉄道論から天皇論まで、かかさずチェックしていたのに、こんな大事な1冊を、刊行から1年半も知らずにいたのは情けない。

 舞台は東京の西郊、東久留米市にある滝山団地。著者は1969年から75年までをこの団地で過ごし、東久留米市立第七小学校(七小)に通った。当時、全共闘世代による「政治の季節」は、表面的には終息に向かっていたが、舞台を「郊外の団地へと移しながら」なおも続いていたと見ることもできる、と著者は語る。

 すなわち、「民主的なPTAづくり」に立ち上がった母親たちによって、小学校は単なる初等教育の場ではなくなり、さまざまな課外活動が可能になった。母親たちの圧倒的な支持を得たのが、新人教師の片山勝先生。片山先生は、全生研(全国生活指導研究協議会)が提唱する「学級集団づくり」という手法を七小に持ち込む。初めはとまどいを感じていた生徒たちも、次第に集団主義の陶酔に吸い寄せられていく。

 教師と母親と生徒たちが一体となってつくりあげた地域共同体、それを著者は「いささかの思い入れを込めて『滝山コミューン』と呼ぶ」と書いている。そのクライマックスは、生徒たちの自主的な運営で行われた(ように見えて、実際は全て片山先生が仕切った)1974年7月の林間学校だった。「ひとり」が「みんな」とつながることの素晴らしさを説く、感動的な大合唱の中で、小学6年生の著者は「ここにいるのは『みんな』ではない。ぼくだ。『ひとり』だ」と胸の内でつぶやきながら、顔を上げずに沈黙を守り通す。

 こう要約してしまうと、本書は、全共闘世代や全生研の集団教育に対する恨みツラミだけで書かれたように思われるかもしれないが、それは皮相な読み方である。

 唐突なようだが、本書の結び近くに、著者は歴史学者の東島誠の言葉を引いている。中世日本に誕生した「公界」は、既存の公権力に抗する形で勃興しながら、結局のところ上位権力と同質の「公(オオヤケ)」を作り出したにすぎなかった――これは重い認識である。同様に、上位権力から子供を守り、自由で民主的な学園をつくろうとした善意の教師たちに「自らの教育行為そのものが別の形での権威主義をはらむ」(古茂田宏)という自覚は、まだなかった。けれども、著者は自身が体験した「美しい物語」の手触りに、九分の冷たい抵抗と同時に、一分の愛惜を感じているように思う。

 刊行から既に1年半も経った本なので、ネット上には、さまざまな書評が上がっており、それらを読み比べてみるのも面白い。ちなみに私が「コイツは駄目だろ」と思った書評は、阿部重夫氏のブログ(滝山コミューンでGoogle検索すると上位に来るので腹が立つ)。著者のアンビバレンツな思いを掬いあげて「分かっているな」と感じたのは、北田暁大さんの書評である。
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