■合肥→武漢:合武高速鉄道/中国新幹線(和諧号)
中国新幹線(和諧号)に初乗車。外国の鉄道に乗るのは大好きなので、嬉しい。しかし、出発直前、浙江省温州で追突脱線事故が起きたために「中国行って、新幹線に乗ってくる」というと、周りの人々には、一様に引きつった反応をされてしまった。
ちなみに、2011年7月23日の事故は、停車中のD3115列車(CRH1B型)に、後ろからD301列車(CRH2E型/寝台タイプ)が追突するかたちで起きた。今回、われわれが利用したのも、追突した列車と同系統のCRH2型車両である。時速200~250kmの走行スピードは、ちょうど日本の新幹線並み。内装も新幹線そっくりで、すこぶる快適。ただ、お茶とインスタントラーメン用に「熱湯」の出る蛇口が用意されているのは、中国ならではの車内サービスだった。
■武漢:湖北省博物館~宝通寺(洪山宝塔)~無影塔~漢口旧租界
武漢は、湖北省の省都。長江と漢水をはさんで、武昌・漢陽・漢口の三地区で構成される。重慶・南京と並ぶ「三大かまど」とはよく言ったもので、じりじりと照りつける太陽が、痛いほど暑い。湖北省ローカルガイドの黄さん=老黄(ラオホワン)に迎えられ、ひとまずホテルに荷物を置いたあと、午後は自由行動。
昼食後、タクシーで湖北省博物館へ。中国中部では最大級の博物館だという。充実した展示内容は、後日フォトチャンネル(8/26公開)で紹介予定。
再びタクシーで市内にある洪山公園の南、宝通寺(宝通禅寺)へ。妙に賑わっていると思ったら、この日は旧暦7月15日の盂蘭盆会で、暗くなる前に、先祖供養の紙銭を焼く準備をしている人が多かったのだ。
われわれは、伽藍の奥に見えていた洪山宝塔(元代)に行こうとしたのだが、道が分からず、いったん境内の外に出て見る。右に回ったり、左に回ったりしたが、抜け道が見つからず。最後に「↑理髪店」という坂道を登っていき、家の前の長椅子でくつろいでいたおじいちゃんに、宝塔までの道を聞いてみた。「わしは耳が遠いんじゃよ~」と、すまなそうな身振りを返されたが、側にいたおばあちゃんが、わざわざ坂下の大通りまで降りてきて、「200メートルほど行くと lie shi ling yuan があるから、そこから登りなさい」と、一語一語、ゆっくりした口調で教えてくれた。
「謝々~」とお礼を言いつつ、実は「200メートル」しか聴き取れていなかったのだが、しばらく行くと「烈士陵園」と書かれた大きな牌坊が見えてきた。これか!と合点して、登っていくと、無事、宝塔にたどりつくことができた。さらに同じ道を戻って、洪山公園の西の隅、武漢最古の石塔、無影塔を見に行く。
タクシーを拾って、そろそろ夕闇せまる長江大橋のたもとへ。埠頭から渡し舟で、長江右岸の武昌地区から左岸の漢口地区へと渡る。
漢口は、1858年の天津条約により、イギリス・ドイツ・フランス・ロシア・日本5カ国の租界が置かれたところ。上海の外灘(ワイタン)ほど有名ではないが、さまざまな西洋様式の建築群が残っている。写真は美国(アメリカ)領事館旧址。
狭い路地では、迎え火ならぬ先祖供養の紙銭を焚く人々の姿も。かくて盂蘭盆の夜は更けゆく。
(8/25記)
中国新幹線(和諧号)に初乗車。外国の鉄道に乗るのは大好きなので、嬉しい。しかし、出発直前、浙江省温州で追突脱線事故が起きたために「中国行って、新幹線に乗ってくる」というと、周りの人々には、一様に引きつった反応をされてしまった。
ちなみに、2011年7月23日の事故は、停車中のD3115列車(CRH1B型)に、後ろからD301列車(CRH2E型/寝台タイプ)が追突するかたちで起きた。今回、われわれが利用したのも、追突した列車と同系統のCRH2型車両である。時速200~250kmの走行スピードは、ちょうど日本の新幹線並み。内装も新幹線そっくりで、すこぶる快適。ただ、お茶とインスタントラーメン用に「熱湯」の出る蛇口が用意されているのは、中国ならではの車内サービスだった。
■武漢:湖北省博物館~宝通寺(洪山宝塔)~無影塔~漢口旧租界
武漢は、湖北省の省都。長江と漢水をはさんで、武昌・漢陽・漢口の三地区で構成される。重慶・南京と並ぶ「三大かまど」とはよく言ったもので、じりじりと照りつける太陽が、痛いほど暑い。湖北省ローカルガイドの黄さん=老黄(ラオホワン)に迎えられ、ひとまずホテルに荷物を置いたあと、午後は自由行動。
昼食後、タクシーで湖北省博物館へ。中国中部では最大級の博物館だという。充実した展示内容は、後日フォトチャンネル(8/26公開)で紹介予定。
再びタクシーで市内にある洪山公園の南、宝通寺(宝通禅寺)へ。妙に賑わっていると思ったら、この日は旧暦7月15日の盂蘭盆会で、暗くなる前に、先祖供養の紙銭を焼く準備をしている人が多かったのだ。
われわれは、伽藍の奥に見えていた洪山宝塔(元代)に行こうとしたのだが、道が分からず、いったん境内の外に出て見る。右に回ったり、左に回ったりしたが、抜け道が見つからず。最後に「↑理髪店」という坂道を登っていき、家の前の長椅子でくつろいでいたおじいちゃんに、宝塔までの道を聞いてみた。「わしは耳が遠いんじゃよ~」と、すまなそうな身振りを返されたが、側にいたおばあちゃんが、わざわざ坂下の大通りまで降りてきて、「200メートルほど行くと lie shi ling yuan があるから、そこから登りなさい」と、一語一語、ゆっくりした口調で教えてくれた。
「謝々~」とお礼を言いつつ、実は「200メートル」しか聴き取れていなかったのだが、しばらく行くと「烈士陵園」と書かれた大きな牌坊が見えてきた。これか!と合点して、登っていくと、無事、宝塔にたどりつくことができた。さらに同じ道を戻って、洪山公園の西の隅、武漢最古の石塔、無影塔を見に行く。
タクシーを拾って、そろそろ夕闇せまる長江大橋のたもとへ。埠頭から渡し舟で、長江右岸の武昌地区から左岸の漢口地区へと渡る。
漢口は、1858年の天津条約により、イギリス・ドイツ・フランス・ロシア・日本5カ国の租界が置かれたところ。上海の外灘(ワイタン)ほど有名ではないが、さまざまな西洋様式の建築群が残っている。写真は美国(アメリカ)領事館旧址。
狭い路地では、迎え火ならぬ先祖供養の紙銭を焚く人々の姿も。かくて盂蘭盆の夜は更けゆく。
(8/25記)