見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

平治物語絵巻・信西巻を見る/東洋絵画の精華・日本絵画(静嘉堂文庫)

2012-05-10 23:53:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
静嘉堂文庫美術館 受け継がれる東洋の至宝 PartⅠ『東洋絵画の精華-名品でたどる美の軌跡-』珠玉の日本絵画コレクション(2012年4月14日~5月20日)

 この春、東京に揃った『平治物語絵巻』現存3巻。『信西の巻』は、3回に分けて巻替えされる計画だが、最初の回は見逃してしまった。まあ、これまで何度か見ているし。最近では、2006年の『国宝 関屋澪標図屏風と琳派の美』展の感想に『信西の巻』の感想は「また別稿にて」と書いているのに、別稿を書いた形跡がない。レポートを書くのは今回が初めてになるようだ。

 チケット売場で、色摺り8ページのきれいなパンフレットを貰った。うわー主な展示品がカラー図版で載っている!! さすが「静嘉堂文庫創設120周年・美術館開館20周年記念」ということで、瞠目すべき大サービスである。『平治物語絵巻・信西の巻』も、小さい図版だが全場面(詞書は一部略)が載っていて、大変ありがたい。

 展示室入口。普段なら「導入」役割の作品が置かれる場所に、もう『平治物語絵巻』が展示されている。私が見逃してしまった巻頭について、貰ったパンフレットで補完しておこう。朱塗りの柱、白壁、黒い瓦屋根の重厚なコントラストが美しい、内裏の門。門前では慌てふためく馬と牛車の狼藉ぶり。門の内側には、数名ずつ固まって居並ぶ武士たち。詞書を挟んで、次の画面は、伊賀山中で自害して果てた信西の様子である。第1期の展示はここまで。

 第2期(4/27~5/8)は、再び信西自害から始まっていた。傍らにひざまずく従者の姿は、何度も描線を修正した跡がある。もう一人の従者が遺骸を埋める穴を掘っている。次の場面は、発見され、掘り出された遺骸。無表情な下っ端武士が、信西の頸に刃を当てている。まるで夕餉の魚に包丁を入れるような仕事ぶりだ。

 あ、この発見者が出雲前司(源)光保なのか。Wiki記事を読むと、この人の境遇も転変きわまりないなあ…。最後は薩摩国に配流されて誅殺だという。短い詞書(2行)をはさんで、光保邸の門前での首実検。質素な土塀の屋敷の前に美々しい鎧姿の武士たちが勢ぞろいしている。

 この第2回巻替えの場面は、背景にゆったりと波打つように起伏する丘陵の姿が美しい。単調にならないよう、色彩や形に変化をつけている。近景の木々は、漢画(水墨画)の描き方だ。聳え立つ岩も。信西の遺骸を、見守るように枝を差し伸べる松の木。枝先の茂みは、墨にわずかに緑を重ねたような色をしている。光保邸の場面に登場する広葉樹は、墨に赤茶のような色を重ねる。『平治物語絵巻』現存3巻の中では、登場人物の少ない地味な巻だと思っていたが、他の巻にない自然描写を、あらためて堪能した。

 会場内の日本絵画も名品揃い。仏画は、南北朝もの多し。『如意輪観音像』にしろ『弁財天像』にしろ、海の中に湧き出た岩座を、陰鬱な緑と金泥で構成的に描いた表現は、光琳の『松島図屏風』を思わせる。新出の『釈迦三尊像』(南北朝時代、額装)は、全体に生々しい肉体が感じられる。白象も、この時代としては珍しく写実的な動物顔。

 水墨画は、伝・周文筆『四季山水図屏風』が好き。これは、平面写真でなくて、折るべきところを折って、立てたところを鑑賞するのがいい。出っ張る画面に何を描けばいいか、きちんと計算されていると思う。

 江戸絵画では、酒井抱一『波図屏風』。銀は劣化しやすいので、なかなか制作当時の意図を感じられる作品は少ないのだが、これはよく残ったなあ、と思う。メタリックな質感が斬新。あと、私は応挙の『江口君図』(小山のような白象に乗った遊女)がむかしから好きで、なぜか静嘉堂文庫の日本画と聞くと、最初に思い浮かべるのがこの作品なのである。『四条河原遊楽図屏風』は、細部が面白くて見飽きない。若衆の能楽にかぶりつく男たちとか。

 『駒競行幸絵巻』は初めて見るような気がした。絵師は『春日権現験記』などと同じ高階隆兼と推定されている。この人の作品は、モブシーンのところどころに遊びがあって、それを探す楽しみがある。遊楽図と同じ。

 酒井抱一の『絵手鑑』。無料パンフレットの表紙、若冲っぽい蓮池に蛙図はここから取られている。国貞や豊国の錦絵も。中世初期から近世末期まで、日本絵画の幅広さと歴史の長さを実感する展示会だった。

 パンフレットとともに貰った『静嘉堂120年の歩み』も熟読。関東大震災を教訓に、高輪から岡本に引っ越してきた。これによって、多くの貴重な文化財が空襲による戦火を免れた。昭和23年から45年まで、国会図書館の支部だったのか。そういえば、東洋文庫も最近まで国会図書館の支部図書館だった。Wiki東洋文庫の項目には、散逸の危機に瀕した蔵書を救うためにとられた措置とあるから、意味のあることだったのかな…。文庫の歴史「120年」に対し、美術館の歴史がわずか「20年」というのは、ちょっと意外な気がする。
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平成24年新指定重要文化財+平治物語絵巻(東京国立博物館)

2012-05-09 00:43:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・本館特別1室・特別2室 特集陳列『平成24年新指定重要文化財』(2012年4月28日~5月13日)

 第1室は書画・文書類。国宝指定された普悦筆『阿弥陀三尊像』は三幅対で、中央は青い螺髪、赤い衣の阿弥陀如来、左右の観音・勢至は、長い衣をまとい、よく見るとためいきの出るような精緻な宝冠を被っている。頭の後ろに円光を背負いつつ、さらに全身を、ロウソクの炎のような薄ぼんやりした光背(?)に囲われている。京都・清浄華院所蔵。それから、亜欧堂田善の銅版画が重要文化財指定になっていたのは嬉しかった。

 第2室は造形資料。考古出土品が面白かったが、やっぱりイチ押しは、国宝指定の土偶(山形県出土)である。あまりのインパクトに呆然とした。平成4年出土、日本最大の土偶で、八頭身の優美な姿から、縄文のヴィーナスと呼ばれているそうだ。納得。

 仏像には、あまり面白いものがないなあ、と思ったが、あとで1階の11室(彫刻)に行って、びっくりした。金剛峯寺の深沙大将像がいる! なぜ、ここに…と慌てたが、新指定(重文)の一部として、東博においでだったのだ。ただし、相方(?)の執金剛神像のお姿はなかったと思う。奈良・弥勒寺の眠たげな弥勒仏は、昨年秋に奈良博で見たもので、これも新指定だった。

■本館2室(国宝)『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』(2012年4月17日~5月27日)

 さて、本日のお目当ては、ほかでもない。ボストン美術館蔵『平治物語絵巻・三条殿夜討巻』の展示にあわせて公開されている『同・六波羅行幸巻』である。いちばん最近の記録だと、2008年秋に国宝室で見ているが、その前、2004年の東博リニューアルの際は、本館3室(宮廷の美術)に出ていた。その印象が強かったので、国宝室でお目当てを見つけた時は、あっここか!?と思って、少し動揺した。

 そこそこの人が展示ケースに貼りついていたが、列を成すというほどではなかった。ボストン美術館展を見てきた人が多いようで、「あっちのほうが色がきれいだったわねー」「これ、未完成品なんじゃない? 色塗ってないし」という声が聞こえる。言われてみれば、確かに、巻頭の内裏の場面は、屋根と御簾だけ塗ってあって、床・柱・扉などは線描のままである。なぜなんだろう。人物を目立たせるためなんだろうか。

 女装して内裏から脱出を図る二条天皇の車を、無遠慮に覗き込む武士たち。縦横に猛り狂う荒馬の手綱を取る武士たち。無頼で、礼儀知らずで、混沌とした武士のエネルギーが描かれる。続いて、牛車(美福門院の御幸)を待ちうけていたのは、規律正しく整列した武士の一団である。カッコイイ! 渦巻くような混沌と、鉄壁の規律と、どちらも貴族文化とは激しく異なる武士団の魅力を描き出しているように思う。展示は、六波羅邸に馳せ参じる公家たちまで。最後の場面、狼狽する信頼が見られなかったのは残念だが、仕方あるまい。

 ところで、ボストン美術館展記事のコメントに鴨脚さんが、詞書の筆者が「弘誓院教長になっている!」と書いていらしたが(2012/4/17)ちゃんと「弘誓院教家」に直っていた(直した跡形もなく…)。書には詳しくないので、調べながら、九条教家(1194-1255)が忠通(法性寺殿)を曽祖父とすること、書は「曽祖父藤原忠通の法性寺流の流れを汲み、父の後京極流に属しながらも、独特の弘誓院流を確立」したことを知る。と言っても、具体的な書風の違いが分からないので、心もとない。もっとよく知りたいものだ。

e国宝:『平治物語絵巻・六波羅行幸巻』
限られた場面をスクロールしながら見る方式が、実際の絵巻の閲覧に近くて、臨場感を楽しめる。かなり拡大も、自動スクロールも可能。う、嬉しい。
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美術、音楽、アーカイブ/2012芸大コレクション展、ほか

2012-05-07 23:50:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸術大学美術館 『芸大コレクション展-春の名品選-』(2012年4月5日~6月24日:第1期:4月5日~5月13日)

 連休前半に見た展示を、思い出しながら書いておく。芸大美術館が、毎年、この時期に行うコレクション展。昨年に引き続き、今年も『絵因果経』登場で嬉しい。なんかオッサンの多い場面だったけど。狩野芳崖『悲母観音』は、意外とこの美術館で見る機会の少ない作品。

 今年の目玉は、特集陳列(1)修復記念『浄瑠璃寺吉祥天厨子絵』。京都浄瑠璃寺の吉祥天立像を納めた厨子の扉および背面板が、明治の初めに寺外に流出し、明治22年(1889)に東京美術学校に所蔵されたもの。平成19~21年度の修復作業を終えて、初の公開である。吉祥天立像および厨子の模造も、一緒に展示されている。

 特集陳列(2)は「藝大の創成期と依嘱事業」をテーマとし、東京美術学校や東京音楽学校が、全国の学校・企業・社寺・地方自治体などから依嘱(委嘱)を受けて取り組んだ事業が紹介されている。たとえば、今も皇居外苑に立つ楠公像。銅像の原型となる木型完成記念の古写真(パネル)には、制作にあたった多数の教員が満足げに写っている。

 今回、新機軸だな!と思ったのは、美術だけでなく、音楽の事例も紹介されていたこと。東京音楽学校は、今も歌い継がれる小学唱歌集のほか、全国の学校の校歌、社歌、団体歌の依嘱作曲を手掛けてきた。会場では、実際に音源をヘッドフォンで聞くことができる。『生きよ、国民-結核予防の歌-』とか、ちょっと笑ってしまった。『内地の歌』は、釜山港(朝鮮)を出発し、下関港から山陽道、東海道を経て、東京に至るまでを道行ふうに歌い込む。委嘱の依頼状や歌詞、楽譜なども公文書(大学法人文書)として、きちんと残っている。さすがだ。ただし、所蔵は「総合芸術アーカイブセンター大学史史料室」とあった。なるほど、芸大は美術館以外に、こんな施設も持っていたのか。

 明治14年(1881)に制作された実物のオルガンも展示されていた。アメリカ人、L.W.メーソンの指導により、指物師の才田光則が製作した日本最初のオルガンである。今でも演奏できる(らしい)というのがすごい。楽器の寿命って、きちんとメンテナンスすれば、長いんだな。

■東京芸術大学美術館・陳列館 『研究報告発表展』(2012年4月26日~30日)

 文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室が平成23年度に手がけた研究成果の展示発表(無料)。同研究室の大学院生が、修復・模造した原品と、その制作過程で判明した成果をまとめたパネルで構成されている。何度も失敗したとか、リアルな苦心談もさりげなく書き込まれていて、面白かった。

 展示観覧は無料だが、会場入口に募金箱を置いて、”「年報2011」刊行事業への寄附金および協賛金募集のお願い”が行われていた。私は、大学が研究業績の蓄積と発信のため「年報」を刊行するのは、当然の義務であり権利であるように考えてきた。もちろん、デジタル技術の活用によって刊行費を縮減することは、ある程度できるだろうが、文化財修復といえば、お寺の住職さんなども読者に想定される分野だから、完全デジタル移行は難しいのではないか。そこで、刊行経費を自ら獲得するための「投げ銭」方式か。これで、どのくらいの金額が集まるのかは定かでないが、自分たちの研究が、社会からどの程度の認知と共感を産むのか産まないのか、学生のうちから肌で感じておくのは、いいことかもしれない。

 それにしても、今の学生と大学教員は大変だなあ…と思いながら、わずかではあるが、募金してきた。無事「年報」が刊行されることを祈っている。
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2012黄金週@関西:陽明文庫名宝展(京博)

2012-05-06 23:26:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『王朝文化の華-陽明文庫名宝展-』(2012年4月17日~5月27日)

 京都市右京区宇多野にある陽明文庫には、五摂家の一つ、近衞家所伝の典籍・古文書が収められている。本展は、藤原道長自筆の『御堂関白記』や『大手鑑』など、国宝8件・重文60件を含む名品を展示する「これまでにない規模の特別展覧会」と紹介されている。

 東博では、2008年に陽明文庫創立70周年記念特別展『宮廷のみやび-近衞家1000年の名宝』が開かれている。あれもかなり盛大な展覧会だった。全点数は、今回の京博展より多かったんじゃないだろうか。もちろん道長関連の文書や典籍も来ていたし、「伝世の品」セクションで『熊野懐紙』や『粘葉本和漢朗詠集』と対面したことも覚えている。だが、個人的にいちばん印象深かったのは、江戸中期の近衛家当主、予楽院・近衛家熙(いえひろ)の関連品だった。

 それに比べると今回は、オーソドックスに近衛家の源流・藤原北家から始まるのだけど、冒頭の藤原鎌足像とか藤原高子願経(京博所蔵)とかが、陽明文庫/近衛家とどうつながるのか、あまり詳しい説明はなかったように思う。京都人には常識すぎて、そんな説明不要なんだろうか。

 今回、『御堂関白記』は、自筆本14巻、古写本12巻を(前後期で)全巻展示。具注暦に書き込まれた自筆本と、記事のみを写した古写本を見比べることができたのが面白かった。中右記とか平範記とか、学生時代に翻刻でしか見たことのない資料がぞろぞろ…。でも、意外と漢文というのは、この時代の筆跡でも読めるものだ。むしろ和歌や消息など仮名資料は、読めそうで読めない。

 だが、仮名は美しい。歴史資料としてまるごと伝えられてきたのだから、○○切という名前がついていないのは当たり前なのだが、名品と讃えられる古筆に劣らない美しい仮名が次々に現れ、垂涎ものである。

 文書から一転、鎌倉時代の太刀を並べたセクションでは、造作の美しさに見入った。近世は、家熙よりも、むしろ信尹(のぶただ、1565-1614)押しの感じがした。「寛永の三筆」の一人である。このへんから、絵画、茶道具(金彩馬上杯を含む)、香道具、雛人形など、展示資料の幅が広がってくる。

 最後の部屋は「近世・近代の絵画」という超予想外の展開。でも、これが面白かった。橋本雅邦、下村観山の作品は、これが初公開だという。なにしろ、陽明文庫の保管史料は約20万点に及ぶというから、まだ詳細調査の行き届いていないものや、近代に収蔵されて公開の機会がないものもたくさんあるのだろう。これらを東京で見られる機会はいつのことか、と思うと、京都まで見にいってよかった。

 2時間くらい見て、17時頃に博物館を出た。早めの夕食は、以前入れなかった焼野菜の「五十家(ISOYA)」に行ってみたが、今回もすでに予約で満席。炭火串焼のお店「とりと」に連れていってもらう。やっぱり京都人は、地元ならではのお店を知っている。今後のためにリンクを貼っておこう。
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2012黄金週@関西:京都文化財特別公開(東寺、法性寺、檀王法林寺、法住寺)

2012-05-06 19:30:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
 5月2日は、定時過ぎまで仕事をして、そのまま東京駅に直行。新幹線の中で、京都在住の友人から「連休中、京都に来る予定はありますか? もう向かっているとか?」というメールを受け取る。読まれているなーと思いながら「では明日」という返信をして、とりあえずの約束をする。

■東寺(京都市南区)

 五重塔初層内陣を特別公開。新しいご朱印帖を買いたかったのと、このあとの行動の便宜に、春季非公開文化財特別公開の冊子『拝観の手引』を買っておこうと思って、最初に寄った。ご朱印帖は手に入ったが、後者は受付になかった。あとで入手した冊子には、東寺の紹介が載っていなかった。京都古文化保存協会のサイトには、一括掲載されているが、”協賛”みたいな扱いなのかな。

 五重塔内陣の仏像には、あまり感銘を受けないのだが、壁画や天井画、心柱から垂直に突き出た天蓋は素晴らしいと思う。壁の真言八祖像はかなり薄れているが、左右の龍は力強い。三方の扉が開け放たれていたが、よく見ると木製扉の内側に巨大な天王像(?)か何かの痕跡がある。彩色は全く残っていないが、描線が彫り込まれたように残っているのだ。入口の東側と出口の南側はじっくり観察したが、北側も見たい。案内の学生さんにお願いして、立入り禁止のエリアに入れてもらった。北側がいちばん残りがよくて、兜や顔も分かった。無理を聞いてくれて、ありがと~。

 宝物館では『東寺の法会用具-祈りと美-』(2012年3月20日~5月25日)開催中。行道面など。友人から「さきに法性寺に入って待っています」というメールを貰い、法性寺に向かう。

■大悲山 法性寺(京都市東山区)

 バスの中で友人から「大奥みたいな襖による完全入替制のため、中で待っていることができませんでした。また後ほど」というメールをもらう。ええ?どういうこと?と思ったが、現地に行って、事情がのみこめた。



 現在の法性寺は、京阪電車の線路端に位置する、本当に小さなお寺だった。歴史上の法性寺からすると、信じられない縮小ぶりである。それでもわずかな仏像と、法性寺という名前が伝えられて来たことに、京都という町の懐の深さを感じる。正門わきの駐車場で受付をし、玄関を入る。正面は白い襖が壁のようにぴたりと閉ざされているので、ははあ、こういうことか、と納得する。左脇の八畳ほどの座敷に詰めて待たされる。「説明に10分、そのあと5分ほどご参拝の時間を設けております」と事前に申し渡された。

 やがて、襖の内側で拍手が起こり、襖が開いて、人がぱらぱらと出てきた。代わって、私の組(20~25人くらい)が中に入る。正面に本尊千手観音菩薩立像(平安時代、国宝)。思ったよりずっと小さい(像高110cm)。私はポスターの写真を見て、勝手に等身大くらいを想像していたのだ。遠くてお顔がよく見えなかったが、シルエットが美しかった。中心線がシュッとまっすぐ通っていて、左右の脇手が、上に向かって開いた花弁のように見える。顔の左右に脇面、頭上に25面の計28面を備える千手観音像だ。平安初期の中国様式(檀像)から、和様に移りかわる途中のお顔だという。

 内陣には、ほかにも、ええと摂関家の誰だかの念持仏と伝える阿弥陀如来などあり。私たちの座った仏間の左手には、不動明王と薬師如来の坐像が巨体をちぢめて窮屈そうに収まっていた。不動明王は東福寺の塔頭・同聚院、薬師如来は極楽寺(東山区本町か?)に伝わる法性寺由来の仏像の模刻であるそうだ。

■朝陽山 檀王法林寺(京都市東山区)



 初参拝。しかし、昨年、九州国立博物館で、トピック展示・檀王法林寺開創400年記念『琉球と袋中上人展』を見る機会があったので、本堂に展示された琉球将来の品々には見覚えがあった。琉球国の尚寧王が賛を記した『袋中上人図像』があったが、説明を読むと、薩摩の侵攻を受けて江戸に連行され、徳川秀忠に謁見した後のことだという。上人の人品には心服していたというけど、どういう心境だったのかなあ…。

 本尊の右手の厨子には、主夜神(しゅやしん)という聞き慣れない神格を祀る(秘仏)。女性の姿で、航海の無事を守護するというから、媽祖と関係があるだろうか。

■法住寺(京都市東山区)

 2009年に一度来たことがあり、二度目。「秘仏」扱いの後白河法皇御木像が見たくて訪ねた。確かに、前回、この書院に入った記憶はあるのだが、御像を拝した記憶はない。ただし、説明をよく聞いたら、運慶作と伝える御木像は、隣りの法住寺陵(後白河陵)の域内にある法華堂に祀られていて、江戸時代は年に一度の命日に限り開扉されていたのだという。ということは、現在は「勅封」状態で、全く開扉しないのかな。今回、特別公開されたのは、後白河法皇八百回忌の平成3年(1991)に江里康慧仏師(※平安仏所)が造顕したもの。もうちょっと大きめの厨子に納めてさしあげると、映えると思うのに。

 友人から「博物館に入ってます」のメールをもらったので、そろそろ合流しようと思うが、その前に隣りの法住寺陵が見たい。法住寺の書院からも、塀越しに樹木が見えていたが、外に出て、拝観受付の学生さんに「法住寺陵の入口はどちらですか?」と聞いてみた。すると「向かって左(西)に細い道があって、平日ならそばまで近づけるんですけど、今日は祝日なので閉まってます」とのこと。え!そうなのか。



 宮内庁~。まあ観光地でないから仕方ないのか。平日に京都に来るって、なかなか出来ないのだが…いつかリベンジをめざそう。後白河さんは、陵墓の選定にあたり、蓮華王院(三十三間堂)の隣りを自ら選ばれたという。私は、三十三間堂の北側に京都国立博物館が建ち、東洋美術の至宝を収集・収蔵し続けているのも、後白河法皇の仕掛けた磁場のせいではないかという気がしている。
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2012黄金週@関西:滝山寺ご開帳

2012-05-06 02:00:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
○滝山寺(愛知県岡崎市)本尊薬師如来ご開帳(2012年5月3日~9日)

 滝山寺には2回行ったことがあるはずだが、どちらもこのブログには出てこないので、2004年よりも前のことだと思う。名鉄線の東岡崎駅からバスに乗って行くと、川沿いに置き忘れられたような仁王門があって、そこからかなり離れたところに現在の境内がある。坂(石段)の途中、右側に宝物殿があり、ふだんはあまり開けていないらしい宝物殿を頼んで開けていただき、運慶様の聖観音・帝釈天・梵天像を見たことは、記憶している。しかし、長い石段をのぼった先の本堂については、何も記憶が残っていなかった。

 だから「滝山寺ご開帳」と聞いても、ピンとは来なかった。でも久しぶりに岡崎もいいかなと思い、今年のゴールデンウィーク、これだけは外さないつもりでいた。京都まで足をのばした帰途、15時頃に東岡崎駅に着いた。バスの乗り場がよく分からなかったので、「これから滝山寺下まで行きたいんですけど」と案内所で聞いてみた。困った顔で絶句するお姐さん。いやー私もまさかと思ったんだけど、休日は13時のあと15時50分まで無いのだ。むかしは、もう少し本数があったような気がするんだが…(※検索は名鉄バスサイトで)。

 仕方ないので、タクシーで行く。滝山寺の駐車場まで2,400円くらいだったと思う。さらに、まっすぐ伸びた石段をあがっていくと、急に眺望が開けて、本堂の前に出た。私のほかに、1、2組、拝観客の姿があった。



 ええと、内陣の特別拝観は500円だったかしら。忘れた。でも、内陣の拝観券で宝物殿も入場できて、さらに手造り木版画の葉書を2枚つけてくれたから、無料みたいなものだ。1枚は鬼まつりの面、1枚は「瀧山寺」という文字だったので「ご朱印ですか?」とお尋ねしたら「いえ、違います」と言われた。あとで、三門(山門)の額の文字だと気づいた。

 内陣に入ると、中央に本尊の薬師如来坐像。丈六といわれる大きさだろう。黒い。ひたすら黒くて、胸が厚く、堂々としている。少し垂れたような目。玉眼でないので、表情がよく分からないのが、かえって凄みに感じられる。頭頂の肉髷は、あまり高くない気がする。施無畏印の右手には水かきがあるように感じた。左手には薬壺を載せる。

 本尊の左右には、日光・月光菩薩と十二神将像。これは新しそうだった。左の壁際にも、さまざまな仏像が並べられている。多頭多臂で獅子に乗るという、不思議な尊像もあった。また、鬼祭りの鬼の面3点(祖父面・祖母面・孫面というのだそうだ)と猿の面2点も飾られていた。

 正面に戻って、お寺の方(ご住職?)と少し話す。靴を脱いで、お厨子に近づいてもいいというので、そうさせていただく。今回のご開帳は平成元年以来、23年ぶり。三門落慶法要にあわせたものだが、本当は50年に1回なので、私の代は飛ばされるかと思っていた、とのこと。「お厨子を開いたときは震えました」という言葉に実感がこもっていた。ご本尊の写真はどこにもなく、今回も写真は撮らせず、調査も外側からしかしない、という。ちなみに、あとでチェックした滝山寺ホームページの「写真回廊」および「寺宝」には「本尊 薬師如来」の写真があって、びっくりしたが、これは御前立ちだと思う。

 よく似せてあるが、秘仏ご本尊のほうが、もっと威圧感がある。薬壺も真っ黒だった。黒くなった理由は「煤でしょう。この本堂の中で、何百回となく火祭りもしているし」という。また、秘仏ご本尊には、こんな大きな光背はついていない。頭部の小さな頭光だけである。しかし、とても美しいもので、ご住職に「きれいですね」と申し上げたら、「いま、それは話題なんですよ。後から作ったものじゃないかと…。月曜に調査が入るんだけど」とおっしゃっていた。

 写真はないとおっしゃっていたが、いま御開扉の入場券を拝見すると、この素朴なスケッチは、秘仏ご本尊を写されたものではないかと思う。大事にしようっと。

 せっかくなので、久しぶりの宝物殿も拝観してゆく。ご朱印をいただけることが分かり、「薬師如来」の印をいただく。前回も「薬師如来」だったのかなあ、探してみよう。

 川沿いの道を、滝山寺下→滝→滝仁王門前とバス停2つ分歩いて、仁王門(三門)を見に行く。文永4年(1267)建立で、岡崎市内最古の建造物(国・重文)なのだ。門の脇に「篤志者御芳名」の札が立てられていたが、檀家の皆さんの厚意で、貴重な文化財が守られてよかった。



 屋根の下には4匹の隅鬼がひそんでいる。正面から見て左サイドの前後は青色、



 右サイドの前後は緑色の鬼だった。



 どうやら隅鬼は新造らしいが、仁王像は、以前のものをそのまま引き継ぎ、あえて塗り直しもしなかったようだ。新しい三門の住み心地はいかがであろう。

 あとは帰るだけなので、三門の横でのんびり次のバスを待って、帰途についた。

滝山寺・公式ホームページ
本堂で、ご住職とそのお友だち(?)が、さかんにホームページの話をしていた。「写真増やしたのよー。いいでしょ?」「いいね」など、楽しそうだった。

※YOMIURI ONLINE:滝山寺三門改修終わる 落慶法要で1000人行列(2012/5/4)
美々しいお稚児さんだけでなくて、”みんな一緒”にお祝い…という行列風景に、ご住職の人柄が感じられる。
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2012黄金週@関西:仏教の来た道(龍谷ミュージアム)

2012-05-05 22:59:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
龍谷ミュージアム 特別展『仏教の来た道-シルクロード探検の旅』(2012年4月28日~7月16日)

 朝から下京の源氏史跡めぐりをしているうち、10時になったので、西本願寺前の龍谷ミュージアムに入る。1年ぶりだ。「展示は2階からです」と促されて、会場に入ってみると、冒頭は「仏教の渡来」と題して、ガンダーラの仏立像や仏伝浮彫を展示。あれ? この階は開館記念展と変わってないのかな?と、ちょっと戸惑った。そうでないことには、すぐ気づいたが、いくつかの展示品と、もしかするとパネルの一部は使い回しているように思う(違ったらごめんなさい)。

 初見の資料で、いいなーと思ったのは、マトゥラーの四面仏坐像。卓上に乗るサイズの赤砂岩のキューブで、四面に、上半身裸のがっちりした仏が結跏趺坐している。ガンダーラ、アフガニスタンの塑像(ストゥッコ)は、背をかかめた供養人像の、繊細な畏怖の表現に息をつめて見入る。

 やがて、中国西域のめずらしい仏教文物が、ぞろぞろと目の前に現れる。コータンの中心地ヨートカンで出土した共命鳥小像、かわいいなー。ゆるキャラになりそう。本展には、龍谷大学だけでなく、さまざまな関係機関の所蔵品が、精力的に集められていて、うれしい。東博の東洋館(2013年まで工事閉館中)の名品、有翼天使像壁画(ミーラン出土)も来ていた(~6/3)。東大東洋文化研究所からは、壁画片・武人俑など9点。大学の研究所の所蔵品って、めったに一般人は見ることができないから、絶好のチャンスである。特に『菩薩衣文壁画』(7世紀)は、名前のとおり、衣の断片でしかないが、色彩の残りが完璧!

 MIHOミュージアムの『ソグド人墓石榻囲屏門闕』も、同館で何度か見ているが、あらためて解説を読んで、いろいろ学んだ。画面には、ソグド人だけでなく、エフタル(謎の多い遊牧民族)とか突厥人も描かれているとか、水辺の立つ主のいない馬は、漢代の画像石以来の伝統で、主人が楽園に達したことを表すとか…。

 さらに、マニ教について充実したセクションが設けられていて、興奮した。昨年、大和文華館の『信仰と絵画』で見た同館の六道図、山梨・栖雲寺所蔵の『虚空蔵菩薩像』(~6/3)もあり。ここは後期(6/5~)もくると、日本国内で見つかっているマニ教絵画を全点見られるんじゃないかな。私は大和文華館展の図録を買い逃したので、今展の図録は、とってもうれしい。

 2階の仏像・仏画に対し、3階は文字資料が中心となる。文字資料は、前後期展示替えするものが多い。敦煌出土の絵入り仏名経はかわいい。トルファンの印沙仏は、日本でいう印仏である。説法印を結ぶ坐仏を描いた四角い印を、きっちり並べて押していた。

 『李柏尺牘稿』は、あの楼蘭出土。ほぼ完全な形の2枚の文書と39点の断片があるが、今ならその2枚の文書が見られる(~5/13)。「現存する墨書した文書として最も初期のもの」という説明を読み、前日に見た陽明文庫展の感激が、ちょっと冷めてしまった。前涼時代、324~328年だものな…。大谷光瑞が隊員に出した指示「選ばず全てを持ち帰れ」によって、こうした資料が伝えられた、という解説に唸った。

 文字資料の中には、10センチ四方にも足らない紙片もある。トルファンの『マニ文字ウイグル語マニ教教典』もそのひとつ。わずか数ワード(?)の解読から「高昌故城にあったマニ教教会の庫に保管されていた洋装本の一葉」と判明するのだから、魔法のようだ。

 最後に、大谷探検隊関連の資料がまとめて出ていた(龍谷大学のほか、一部は隊員の菩提寺等が所蔵)。隊員の日記、スケッチ、大谷光瑞による指図書、旅行教範(探検のガイドテキスト)など。私は、こういうアーカイブ資料が好きなので、各人各様の日記帳を見ているだけでも楽しかった。旅行鞄、写真帖、ガラス乾板などのほか、植物標本(押し花)や毛皮服まであるのには驚いた。これらを保存していくのは大変だろうなあ…。

 探検隊の野営図、沙漠の中を行くラクダの列、今では観光地化した遺跡の当時の様子、西域の市場風景など、ところどころに添えられた古写真も興味深い(拡大に耐えるのは、かなり精度がよいのだろう)。
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2012黄金週@関西:下京の源氏ゆかりの史跡めぐり

2012-05-05 00:31:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
 4月下旬、もう連休中の京都の宿なんて(超高級ホテル以外)絶対、残っていないだろうと思いながら、未練がましく予約サイトを見ていたら、1室だけ残室を見つけた。前日には無かったのに…たぶんキャンセルが出たのだと思う。速攻で京都旅行を決断した。

 場所は五条大宮。これだけ京都に行っている私でも、ほとんど土地カンのないエリアで、ホテルを見つけるのに苦労したが、源氏の「六条堀川館」跡(文楽の『御所桜堀川夜討』の舞台でもある)が近いらしいと分かって、今朝は少し歩いてきた。目指すは、このところお世話になっている『平安京探偵団』というサイトに紹介されていた「若宮八幡宮」。

 しかし、「市バス西洞院六条下車」というが、「六条通」ってあったかしら…。南北に通ずる大宮通を、五条の交差点から下っていくと、もう七条が見えてきてしまった。とりあえず、テキトーに東に折れ、堀川通を超えて2本先の西洞院通に出る。そして、半信半疑で歩いていくと「西洞院六条」のバス停を発見。ということは、上り下りのバス停の中間に位置する、細い生活道路が六条通らしい。おー、あるんだ!

 東西それぞれを歩いてみたが、まるで、私の大好きな胡同(フートン)の風情である。表通りの左右(南北)には、和菓子やさんやお惣菜屋さんが顔を突き合わせるように並び、さらに毛細血管のように入りくんだ細い小路の奥には、のんびりした生活空間が広がっている様子。宅配便のお兄ちゃんは、自転車に大きな荷籠を引かせており、荷籠の蓋の裏には、詳細な住民地図が貼り付けてあった。



 六条通の風情に気を取られてしまったが、花屋町通の中華料理屋で、親切な看板を発見。ここを北へ折れる(若宮通)と「若宮八幡宮」がある。



 同社は源頼義が建立し、源氏累代の崇敬を受けた。慶長年間に五条坂へ移転したが、旧鎮座地にまつられていた小祠を、町内の有志が再興したもの。鳥居の横の案内板に「下京のまちの源氏ゆかりの地を歩くモデルルート」なるものが紹介されていた。



 その「モデルルート」にも掲載されていた「左女牛井(さめがい)」の井戸の碑を探して、再び堀川通に戻る。六条通の正面に立て札が見えたので、それかと思ったら、これは「六条御境」の石碑の説明板で、「左女牛井」の碑は、もう少し北寄り。源氏堀川館内の井戸であったと伝えられる(碑の場所は移動しているらしい)。



 ちなみに、その向かい側(堀川通の東側)、ナチュラルローソンの隣りに不思議なモニュメントがあって、バスの中から何度か見たことがあったのだが、「左女牛井之庭」と名づけられ、陶芸作家・小松純の作品が置かれている。



 最後に、源氏堀川館の跡とおぼしき辺りを一周していたら、ものすごくインパクトのある地名表示に出会った。いや、どこかで聞いたことはあったのだが、この一帯だったのか「天使突抜」って…。五条天神の「てんしん」が「てんし」とも呼ばれていたことから来るそうだ。思わず、天を仰いでしまった。



※参考サイト補記

・京都まにあ:六条源氏通

・遊そぞろ(京町家染工房 遊):京の路地歩き 六条通りその壱(2007/10月)
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2012黄金週@関西

2012-05-04 21:57:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
5/2(金)の夜に東京を出て、京都入り。
5/3(木)春季非公開文化財特別公開の東寺、法性寺、檀王法林寺、法住寺と京博の『陽明文庫名宝展』。
5/4(金)宿泊先がめずらしく五条大宮だったので、五条~六条あたりのマイナー史跡散歩と龍谷ミュージアム『仏教の来た道』展。帰りは、名古屋→東岡崎に寄って、滝山寺のご本尊ご開帳(25年ぶり)を拝観して、さっき帰ってきた。

滝山寺のホームページは、最近公開されたばかりだそうで、見つけにくいので、ここにリンクを貼っておく。

旅の収穫は、これから順次まとめるとして、京都・三条通り(京阪~東大路の間)で買ってしまった、小さめのカップ。夕食に、ひとくちだけワインがほしいときに重宝するサイズ。370円くらいだった。大量生産ものだろうけど、日常使いにはこれで十分。お店は、ここ(竹松)。



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鮭づくし/高橋由一(東京芸大美術館)

2012-05-02 01:02:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸術大学美術館 『近代洋画の開拓者 高橋由一』(2012年4月28日~6月24日)

 近代洋画の開拓者、高橋由一(1828-1894)の全貌を紹介する展覧会。「ああ、思い出した、あの鮭だ。」というコピーが、抜群に巧いと思った。教科書で必ず目にする、そして忘れがたい「鮭」の絵を描いたあの画家である。

 私は近代初期の日本の洋画が好きなので、由一の作品もずいぶん意識的に見てきたつもりだったが、「プロローグ~油絵以前」には、知らない作品がいろいろあって、面白かった。『丁髷姿の自画像』は初見かな。顔色が茶色く、頭髪も少し茶ばんでいる。博物図譜の制作に携わったことは知っていたが、展示資料のスケッチブックに描かれた鳥や動物は、ディズニーアニメみたいで可愛かった。

 初期洋画の「人物画」は、由一に限らず、闇に浮かぶ生首みたいに「暗い」イメージがあるのだが、まれに明るい色彩を持つものもある。保存環境の差なのだろうか。私の好きな作品は、写真を手本に描いたと言われる『初代玄々堂像』、貴顕らしからぬ愛嬌を感じる『西周像』。『花魁』は、顔より着物の質感が気にかかる。羽毛を貼り付けたような右袖とか、絞りの結い綿とか。

 「風景画」は、この展覧会で、いちばん感銘を受けたセクション。由一に、こんなに多数の風景画があるとは知らなかった。構図や題材には広重の影響が感じられるというが、一方で、本格的な油彩ならではの透明感が、開放的な空の描写に活かされている。『洲崎』いいなあ。香川の金刀比羅宮所蔵だから、私、見ているかもしれないけど。横長の画面、浜辺に打ち上げられた小舟。よく見ると、仰向けに横たわる人の姿。潮の匂いを含んだ空気が、静かに流れていく感じがする。ほかにも、繰り返し描かれる高い空、ちぎれ雲が印象的だった。

 異色の作品に『長良川鵜飼』(東博)『鵜飼図』(ポーラ美術館)というのがあって、夏の暑さを厭わしく思われる両陛下に、涼を感じていただくために描かれたものだという。節電に協力くださる今上陛下にも、こんな献上品はいかがだろう。

 「静物画」で登場するのが『鮭』。…以下、ネタバレするのが惜しいな。え?と思ったのは一匹(一尾)ではなくて、鮭・鮭・鮭の三幅対状態なのである。中央が芸大の重要文化財の『鮭』。左は山形美術館寄託の『鮭』。右は笠間日動美術館の配達札つき『鮭図』。なかなか重厚な舞台拵えで、しかも芸大と笠間の鮭は、ぶ厚い金の額縁に収まっている。しかして、その中身が、半身をそぎおとされた荒巻鮭…。ちょっとパロディみたいで笑えた。近代洋画の三幅対といえば、黒田清輝の『智・感・情』を思い出したこともあって。

 最後の『甲冑図』もいいなあ。西南戦争後に描かれたもので、武士の世の終わりを感じさせるという。うむ、くたりと脱ぎ置かれた腹巻に、さっきまでこの甲冑を来ていた武士の「不在」を意識させる生々しさが漂う。

 ああ楽しかった~という気分で、地下2階の第2会場に向かい、まだ「東北風景画」が残っていたことを思い出す。晩年の由一は、栃木・山形・福島の県令をつとめ、「土木県令」とも呼ばれた三島通庸の業績を絵画に残すことを進言し、実行した。実際に東北新道をくまなく歩き、『三島県令道路改修記念画帖』という石版画集を出版している。このセクションでは、東北にちなむ油彩風景画、そして、多数の石版画(出版されたのは総計128図)と下絵スケッチを対比的に展示する。地図を見ると、こんなに歩いたのか、と信じられない行程である。さすが、サムライ。

 油彩の風景画は、『栗子山隧道図』みたいに力の入った作品もあれば、力が抜け過ぎの『山形市街図』みたいな不思議な作品もある。全般的に、若い頃の、透明感のある空が見あたらず、やっぱり東北の空は暗いのかな、と思った。しかし、『記念画帖』の田舎風景をゆっくり眺めていくと、いつの間にか、風の吹きぬけていく高い空とちぎれ雲が戻っていて、ほっとする感じだった。

三重県立博物館:高橋由一作品解説
由一の「鮭」は、3作品どころか、まだまだあるという衝撃の事実。

マルハニチロホールディングス「サーモンミュージアム」
荒俣宏さんが、本展に出品されている「鮭」3作品について語る。

金刀比羅宮 美の世界
田中優子先生は私と同じく『洲崎』が好きなのか。嬉しい。

本展・公式サイト
この展覧会、地下2階で見終わるので、1階に出ると、2階のカフェ&ミュージアムショップをスルーする結果になってしまう。あらためて公式サイトを見たら、鮭缶キャンディとか鮭フィギュアストラップとか、面白いグッズが揃っているのに、しまった。ミュージアムカフェの「由一スモークサーモンサンド」もいいが、大浦食堂(学食)の「由一鮭定食」が食べたい。場所はミュージアムカフェの下らしい。→学食ナビ
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