見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

原子力国家をめぐって/ネグリ、日本と向き合う(アントニオ・ネグリ他)

2014-07-17 21:52:02 | 読んだもの(書籍)
○アントニオ・ネグリ他『ネグリ、日本と向き合う』(NHK出版新書) NHK出版 2014.3

 ネグリ&ハートの『帝国』(2003)『マルチチュード』(2005)が刊行された当時、読みたいと思いながら、難しそうな気がして(使われている概念をきちんと理解できる自信がなくて)結局読んでいない。同書の入門として、まず本書を読んでみることにした。

 本書は、2013年4月に来日したネグリが出席したシンポジウムと講演会の記録である。4月6日、日本学術会議社会学委員会メディア・文化研究分科会と国際文化会館が共催したシンポジウムに出席し、4月12日には国際文化会館主催の講演を行った。

 本書では順序を逆にし、まず4月12日の講演が「グローバリゼーションの地政学」のタイトルで収められている。ネグリは『帝国』(原著、2000)において、今や世界は「国民国家の再建とその改良主義的な運営によって(略)グローバル化した階級間の関係を構造的に修正することが可能であるとする幻想は、決定的に無価値なものになった」ことを示し、多くの批判を浴びた。ううむ、いまの日本政府の浮足だった「グローバル」大合唱の中に、こういう悲観的な認識は、共有されているだろうか。いないんだろうな。二作目の『マルチチュード』と三作目の『コモンウェルス』を参照しながら、ネグリは、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、太平洋地域、そして日本の危機と再建の可能性について語る。

 これに対して、姜尚中が「応答」を行い、対話に入る。正直なところ、ネグリの講演は単独で読むにはかなり難しくて、姜氏が東アジアの現実に即した「読解」を示してくれたことで、ようやく理解できた。「帝国」が、いわゆる帝国主義国家のことではなく「ナショナル、トランス・ナショナル、ノン・ナショナルな、さまざまなアクターの交渉・構成に基づく異種混交的な世界統治のシステム」を比喩的に述べたものであることも。

 しかし、東アジアの各国が相変わらずナショナリズムに捉われ、「帝国」の段階に移行しないのはなぜか。「国民国家というのは古い左翼(※右翼ではない)の考えと結びついているものです」というネグリの発言をチェック。また、姜氏は、ネグリの提唱する「原子力国家」という概念について、原子力は、純粋にエコノミーやエネルギーの問題ではなく、国家主権と密接にかかわっていると分析する。ネグリが、原子力国家とは「国民国家という古い概念のヴァリエーション」であると応答し、「原子力と民主主義は両立しえない」と確信的に述べているのが印象深かった。

 この「原子力国家」の問題は、次の(実際は先行した4月6日の)講演「3.11後の日本におけるマルチチュードと権力」のほうに詳しい。「原子力国家」とは、政策全体の基礎を、原子力の活用と、それが意味する重大な社会リスクの上に据えた国家である(※省略しているが、本文の説明はもう少し親切)。そして原子力国家は、「下からの」デモクラシーを求める人々「マルチチュード」に対して、権力の委譲を強く拒んでいる。

 「マルチチュード」は群衆ではない。コミュニケーションと協働ネットワークを基盤に「コモン」を構築することができる人々のことである。「コモン」もネグリのキーワードのひとつで、「公」と「私」の二分法を超えた「共」の次元を指す(と三浦信孝氏の親切な訳注にいう)。「コモン」も最近の政府や言論が愛好する言葉のひとつだが、日本では「公」に引きずられている感じがする。

 これに対して、市田良彦、上野千鶴子、毛利嘉孝の応答が続き、さらに帰国後のネグリによる「日本から帰って考えたいくつかのこと」(2013年9月)が収められている。相当数の日本人が、フクシマの事故の重大性を忘れて、浮かれた日常に戻りつつある中で、ネグリの思索が「フクシマ」と「原子力国家」の周辺を、執拗に、舐めるようにめぐり続けていることには、何というか、考えさせられた。いま「日本に向き合う」というのは「フクシマに向き合う」「原子力に向き合う」ということをおいてほかにないことを、あらためて胸に刻んだ。

 最後に白井聡と大澤真幸の論考を添える。大澤の「原発を放棄するためには、原子力にそのような枢要な位置を与える信仰の体系の全体を乗り越えなくてはならない。その信仰の体系とは、結局、資本主義である」というのは、突拍子もない発言に見えて、ここまで読んでくると腑に落ちるものがあった。
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2014慈恩寺(山形県寒河江市)秘仏御開帳

2014-07-15 19:51:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
慈恩宗本山 慈恩寺(山形県寒河江市)秘仏御開帳(2014年6月1日~7月21日)



 慈恩寺には、もう10年以上前に一度行ったことがある。何かの御開帳の折だったと思うが、よく覚えていない。昨年もこの時期(2013年4月28日~7月15日)に御開帳があると聞いて、ぜひ行きたいと思ったのだが、機を逸してしまった。

 今年こそは、と思っていた最初の計画がつぶれ、慌ててリベンジを企てる。諸事情により、出発地点は新潟駅前から。朝8:05発の高速バスに乗って、山形駅まで4時間弱。長距離バスの旅は久しぶりだ。というか、日本国内ではめったにしたことがないので、中国旅行を思い出してしまう。緑の山波、風にそよぐ田圃、水量豊かな河川と並行する区間もあって、楽しかった。先週、水害に見舞われた南陽市も通り抜けたので、あまりのどかなことは言っていられないが。

 バスの到着は少し遅れたが、予定どおり山形駅からJR左沢(あてらざわ)線に乗る。慈恩寺には羽前高松駅が至便だが、車内の案内を見ると、タクシーはいないようなので、寒河江駅で下車した。駅に下りてみて、ああ、前回もここからタクシーで往復したな、と思い出す。寒河江駅から慈恩寺の駐車場までは2,000円をちょっと出る。名刺(割引券)をくれて「お帰りは寒河江駅まで2,000円ちょうどにします」と言われた。

 6月に拝観に来た友人から「京都や奈良と違って人が少なく、のんびりしている」と聞いていたのだが、この日は、山門をくぐる人の姿が途切れなかった。数人ずつのグループが多いのは、マイカー利用者が多いのかな。荒々しい木造の正門をくぐり、境内のテントで拝観券を購入して、本堂→右手の薬師堂→左手の三重塔の三箇所を拝観する。

 本堂に入り、狭い外陣の天井を見上げると、中央には龍、その左右には悠然と舞う天女の絵があった。中央の龍に匹敵するような大きな天女像で「(絵師ではなくて)お坊さんが描いたんだよ」と案内の方がおっしゃっていた。江戸の画家たちの流派や名前が分かってくると、古いお寺で絵馬も眺めるのも面白い。

 内陣に進むと、須弥壇上の厨子(宮殿=ぐうでん)の扉が開いて、秘仏の弥勒菩薩坐像がまっすぐこちらを向いている。ご開帳チラシにお顔のUP写真が掲載されている仏様である(慈恩寺のサイトにも掲載あり)。やわらかく身体にフィットした衣、切れ長の目、あでやかな朱い唇。ぐるりと化仏(?)を付けた縦に高い宝冠がめずらしい。やはり宋風ということになるのかしら。鎌倉時代後期の作。

 宮殿の前面左右には二体ずつ。右から、不動明王立像、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、降三世明王立像という並びだ。いちばん左端の降三世明王立像が、ダンスのステップのように片足を高く上げているのが面白い。足元に邪鬼の姿はなし。いずれも面長な印象。弥勒像の正面には、小さな青磁の花瓶に紫陽花が一輪、活けてあった。よくある御開帳のように、金襴の垂れ幕とか、大盛りの生花・供物等が一切ないので、視界は非常によい。純粋に仏像を見たい拝観客にはありがたい限り。ふと天井を見たら天蓋があって、本来なら宮殿の前には、修法壇(?)が置かれているはずだが、拝観の便宜のためか、全部撤去されていた。お寺の本堂にいるというより、博物館の展示会場にいるようで、不思議な気分。

 ちょうどツアーの到着する時間なのか、複数の団体が次々に入ってきた。作務衣姿の案内の方が「御覧になったら少しずつ進んでください」と博物館みたいな指導をしていた。

 順路に従い、左手の部屋へ。ここがまた、暗幕を背景に凝った照明に照らされた仏像の数々。うーむ、どう見ても博物館だ。鎌倉時代の聖徳太子像など。秘仏の前立だという小さな弥勒菩薩像もあったが、お顔も印相も全く異なっていた。宮殿の裏側をまわって、反対側に出る。その突当りに、少し腰を浮かせた、小さな菩薩坐像が展示(でいいのか?)されていた。御開帳のパンフレット等で、弥勒菩薩に次いで取り上げられている仏様だが、実物は本当に小さい。ミロのヴィーナスみたいに両腕を失っているのが痛々しいが、それゆえに優しい表情が引き立っている。

 内陣の右手の部屋には、左端に文殊菩薩騎獅像。優填王、仏陀波利、最勝老人が従う。獅子の手綱をとる優填王が、西域人らしくて断然いい。右端は普賢菩薩騎象像で、十羅刹女4体が従う。たいへん珍しいものだと思う。左右の彫像の印象が強くて忘れてしまったが、中央は阿弥陀(伝・釈迦)如来坐像だったかしら。京(みやこ)ぶりの丸顔。いずれも平安後期12世紀の作。釈迦如来・騎象普賢菩薩・騎獅文殊菩薩という三尊構成は、滋賀県の常信寺(大津市)にもあるそうだ。

 次の薬師堂には、薬師如来三尊像を祀る。金泥の光背が華やか。本堂の宮殿の外壁も金箔貼りだった。財力があったんだなあ。薬師三尊は、背後に慶派仏師の作と見られる十二神将像を従える。頭上に小さな十二支像を戴くタイプ。造形の水準は高いが、上半身裸(?)がいたり、閻魔大王みたいな文官の冠を被ったのがいたり、いろいろ混じっている感じがする。最後に三重塔で大日如来坐像を拝観。

 本堂前で、案内や解説をしている赤いポロシャツのおじさんにお話を聞いてみた。「照明が美術館みたいでしたね」と言ったら「あれは芸術工科大学の先生(学生?)がやってくれた」という。東北芸術工科大学か!なるほど、プロはだしのはずだ。てかプロだものね。向かって右(順路の最後)の部屋にあった騎象普賢菩薩・阿弥陀如来・騎獅文殊菩薩は全て秘仏で、通常は宮殿の中、本尊の右側の空間に収まっているのだそうだ。確かに本尊拝観のとき、右側がやけにポッカリ空いているなあと思ったのだ。左側にはまだ何体か仏像が収まっていましたね、と話したら、おじさんは「よく見てるね」と笑っていた。

※参考:Theoria・ミュージアム あ・ら・かると【ご案内】慈恩寺開山千三百年 慈恩寺秘仏御開帳(2014/5/13)
※同:【続報:ご案内】慈恩寺秘仏展 設営準備状況から(2014/5/16)

 なお、Wikiによれば、慈恩寺は天平年間の創建という伝承を持つが、おそらく開創は平安初期の9世紀と考えられている。再興は院政期で、天仁元年(1108)、鳥羽院の勅宣により藤原基衡が阿弥陀堂等を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀堂に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した丈六尺の釈迦像を丈六堂に安置した。では、あの京(みやこ)ぶりの阿弥陀如来は鳥羽院の? このときの荘園主は当時摂政だった藤原忠実。さらに仁平年間(1151-1153)には、平忠盛が奉行となった記録もある。京(みやこ)の貴顕たちの影響力はこんな東国にも及んでいたのか…というのは現代人の僻目で、平安貴族たちの活動空間は狭いようで広く、広いようで狭いのかもしれない。

 1時間半くらいゆっくりして、タクシーを呼び、寒河江駅へ。この日の山形は小雨だったが、寒河江駅で「ご自由にお使いください」というビニール傘を借りられたのはありがたかった。JRで仙台へ。山寺(立石寺)を車窓から遠望する。立石寺にも久しく来ていないなあ。震災以後、まともに東北旅行をしていないのだ。仙台で牛タンを食べて、最終便で札幌に帰った。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2014 新潟"

2014-07-14 23:46:14 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2014 in Niigata(2014年7月12日、18:30~)

 相変わらず、あまり得意分野ではないのだが、アイスショーを見に行ってきた。初めて行ったアイスショーが2010年の"Fantasy on Ice 新潟"。国内では見る機会の少ない海外スケーターが多数出演、正統派フィギュアスケートだけでなく、アクロバットやエアリアルあり、ミュージシャンとのナマ歌コラボありで、大人が楽しめる演出だった。2011年にも東京から遠征。

 2012年、2013年は開催がなく、今年は久しぶりに開催されると知ったものの、自分が北海道に引っ越してしまったので、どうしようか少し悩んでいた。行く!と決めたのは、"レジェンド"キャンデロロの出演が決定した5月下旬。ところが、その10日前ほどに「チケット完売しました」宣言が公式サイトに掲載されていた。ショック! でも、そこはなんとかなるもので、チケット売買サイトを利用し、S席14,000円を定価の3割増しくらいで購入した。

 今年のゲストアーティストは、サラ・オレインというオーストラリア出身の歌手兼ヴァイオリニスト。ほんとにヴァイオリンを引きながら歌ってしまうのである。新潟に3回見に行った中で、今回がいちばん大人向けのショーの雰囲気を感じたのは、彼女の存在感のおかげだと思う。

 その一方で、観客はひどく「幼児化」しているように感じた。前の2回は、海外のスケート事情にも詳しそうな観客と、何の予備知識もない地元のおばあちゃん、おじいちゃんが平和的に混じった会場の印象だったが、今回は、日本人スケーターが登場するたび、悲鳴のような大歓声があがって、異様な雰囲気だった。演技よりも、テレビで人気の有名人を一目見ようと来ている感じ…。

 もちろん私も、個性と才能にあふれた日本人選手たちは大好きだ。2010年の"Fantasy on Ice 新潟"以来、いつも楽しみに見ている羽生結弦くんの新しいショートプログラム、ショパンのバラード1番が見られたのは眼福。ジャンプはちょっとふらついていたが、回転の見せ場が多く、ステップも複雑で、終盤の運動量が半端でない感じがした。今後の磨き込みが楽しみ。第2部では、サラ・オレインとのコラボ「The Final Time Traveler」。歌声もスケートも、静謐でのびやかで美しかった。ゲーム音楽なんだな。

 織田信成の演技は、昨シーズン限りで引退を表明した頃から、どんどん好きになっている。タンゴは色っぽかったなあ。惚れ惚れした。高橋大輔も同じく、競技会モードでなしに、肩の力を抜いて滑っているときのほうが私は好きだ。第1部の「ビートルズメドレー」、第2部の「kissing you」、どちらも心に沁みるような演技だったのに、「kissing you」でちょっとコケたのを気にして、あとで「ごめんなさい」する仕草が愛らしかった。みんな人がいいんだよなー。

 でも、この公演を見にきてよかった!と心から思ったのは、やっぱりステファン・ランビエールとジョニー・ウィアーの、それぞれ我が道を行く円熟の演技。ランビエールはグリークのピアノ協奏曲と、コラボで「ニューシネマパラダイス」。凄かった。特にグリークには魂を持って行かれた。ジョニーは、第1部がモノトーンの衣装で内省的な「シンドラー」、第2部はインド映画から、華やかでダンサブルな「ボリウッド」。インドの雰囲気が濃厚で、美しき孔雀明王みたい。

 今回は荒川静香さんがいなくて、女子がやや寂しかったかな。いや安藤美姫さんも鈴木明子さんもよかったけど。今井遥ちゃん、頑張れ。私は、2010年と2011年、このFaOIで羽生くんや町田樹くんの演技を見て「よーし、これから応援しよう!」と思ったので、すっかりショーを引っ張る「主役」となった彼らを見ると、感慨深いものがある。

 あと、アイスダンスのペシャラ&ブルザ、アンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ、2組ともよかった。アイス・ダンス単独では、なかなか競技会を見ない(テレビ放映もない)ので、こういうショーで魅力に気づく機会があるとうれしい。さて、関連動画巡りをしてみるか。
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2014年7月:新潟→山形週末旅行

2014-07-14 20:49:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
7月最初の週末は、東京トンボ返り旅行で「翠玉白菜」を見てきたが、この週末は新潟と山形に行ってきた。

新潟はアイスショー「Fantasy on Ice 2014」が目的で、けっこう早めに予定を立てていた。山形・寒河江の慈恩寺(~7/21 秘仏特別公開)にも行きたくて、いろいろ調べた結果、はじめは札幌→東京→山形→仙台経由→札幌という週末ツアーを計画していた。

ところが、先週はどうしても日曜出勤せざるを得なくなって、山形行きを断念。今週の新潟行きの後に山形行きを組み込むことになった。

新潟のショーは夜公演なので、そのまま新潟泊の予定。翌朝、いちばん早く山形に到着する方法を調べたら、上越新幹線で大宮に出て、山形新幹線に乗り換えよ、と出る。えええ、そんな馬鹿馬鹿しい大回りをしないと駄目なの?と驚いたが、何度やっても同じ。この経路に決めかけていたが、ふとしたことで職場の同僚から「新潟から山形? バスがあるよ」と教えられた。他人の話は聞いてみるものだ。

かくして、なかなか面白い大旅行になった。

初日の新潟では、昼間、時間に余裕があったので、新潟市美術館に行って『金子孝信展:1930年代、青春、東京、日本画、戦争。』(2014年6月21日~7月27日)を見て来た。大正4年(1915)生まれで昭和17年(1942)に26歳で戦死した画家。「昭和戦前期日本画のモダニズム」(1930年代)の美術って、最近少し意識しているのだけど、なかなか魅力的だ。もっと見たい。コレクション展II『初心の絵画』(2014年7月4日~8月24日)もよかった。必ずしも「写実」という意味ではないけれど、具象画好きなのだ、私は。

でね、新潟市美術館に寄った目的のひとつは、ミュージアムショップで山口晃画伯のオリジナルグッズを買うことでした。「ポチの手拭い」と「メモ帳 藝術カフェーの圖」2冊購入。後者はおみやげ用。メモ帳は私が買った2冊が最後の在庫だったので、現在は「SOLD OUT」表示になっている。なんかちょっとラッキー。


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2014年7月@東京:祈りの造形展(五島)、江戸妖怪大図鑑・化け物(太田記念美術館)

2014-07-11 22:43:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 館蔵『祈りの造形展』(2014年6月28日~8月3日)

 「祈りの造形」と聞いたとき、私の頭にパッと浮かんだのは仏像・仏画だったが、展示品は写経が圧倒的に多い。奈良時代の写経がこれだけ見られるのは、貴重な機会ではないかと思う。「過去現在因果経」は奈良時代の断簡(耶舎長者出家願図)に加えて、鎌倉時代のものは1巻と断簡3件。高弁こと明恵上人の書跡がいくつか。それから禅僧の墨蹟もあって、なんだか何でもありだな、と少し戸惑った。

 気持ちが落ち着くのは、やはり院政期の人々にゆかりの造形。平忠盛筆『紺紙金字阿弥陀経』、待賢門院璋子の出家に際して(異説もあり)鳥羽上皇の近臣らが制作した『久能寺経』。そして、崇徳天皇に仕えた藤原教長の『般若理趣経』。大きな梵字は仁和寺の覚法法親王の筆とあった。調べたら、白河帝の第四皇子で、背が高く、声が美しく、能筆でもあったという。この時代は、ステキな登場人物ばかりだなあ。

 なお、確か第2展示室のほうだったと思うが、桃山時代の秋草蒔絵の文箱があって、平忠盛筆『紺紙金字阿弥陀経』を収める内箱に「いつからか転用された」という説明が、おおらかで面白いと思った。

太田記念美術館 特別展『江戸妖怪大図鑑』(2014年7月1日~9月25日)第1部:化け物(7月1日~7月27日)

 この夏、第1部「化け物」、第2部「幽霊」、第3部「妖術使い」という三部構成で行われる展覧会。日本の妖怪好きの私は、全部見たい!行きたい!と思っている。いつになく館内に人が多くてびっくりしたが(しかも若者が多い!)それでも「国芳」「北斎」みたいなビッグネームを冠した展覧会ではないので、まあ少し待てば、作品の前に張り付くことができる。

 ああ、やっぱり国芳の『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』は何度見てもいいなあ。国芳には『肥後国水俣の海上にて為朝難風に遇ふ』という類似作品もあるのか。前者が有名になりすぎて、後者の存在はよく知らなかった。会場には、けっこう初めて見る(認識する)作品が多かった。ちなみに国芳の『崇徳院』は第2部に登場。歌川芳艶『白縫姫 崇徳院』とあわせて見たい。歌川一門の「平家の亡霊たち」シリーズもすごーく楽しみ(図録で先行鑑賞中)。

 第1部(現在の展示)に戻ると、同じ主題の作品を集めてみることで、画家のよく工夫が見えて面白い。「羅生門の鬼」などは、その典型。菱川師宣の素朴な構図が、月岡芳年の縦分割を活かしたスペクタクルな画面に育っていくのだな。
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平成館・後編/台北 國立故宮博物院展(東京国立博物館)

2014-07-08 23:40:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』(2014年6月24日~9月15日)

 平成館、大階段を挟んで後半の展示室に移動。ミュージアムショップの展覧会グッズに心が動くが、それは後ほど。後半は明清の工芸品から始まる。『青花龍文大瓶』は、冷たいような暖かいような絶妙の白肌に、コントラストのくっきりした藍色。「青花」の魅力はこれですよ、と膝を打ちたくなる。純白の『白磁雲龍文高足杯』も美しかった。なんだろう、この、元から明に移ったとたんの工芸技術の進化は。何百年も時が隔たったような気がする。

 玉器、漆器、刺繍、織物、琺瑯…。私は、最近、色数の制約を逆に活かした漆芸の華麗な魅力に開眼しつつあるのだが、図録解説によると「近年の故宮博物院には、漆器の展示室は常設されていない」そうだ。なんともったいない! 刺繍による絵画(中国語では「染織絵画」という)が、故宮にこんなにたくさん伝わっているとは知らなかった。清代の『刺繍西湖図冊』は、とても愛らしい作品だが、超絶技巧すぎて、ただの絵画だと思って見ている人もいたのではないかと思う。ちゃんと乾隆帝や嘉慶帝が「御覧」の印を押しているのが微笑ましかった。

 ところどころに(展示の埋め草的に?)書籍・文書が出ていたのも見逃せなかった。明の『永楽大典』は、挿絵のある「梅」の箇所を展示。清の『四庫全書』は、経史子集から、表紙の色の違いが分かるよう1冊ずつ。明・万暦年間の『妙法蓮華経』には目を見張った。巻頭(見返し)に加えて、巻末にも極彩色の華麗な絵が描かれているが、それ以上に、紺紙金泥のつややかな美しさ。すまないが日本の紺紙金泥経を見て、これほど美しいと思ったものはない。

 「清朝皇帝の素顔」と題したセクションには、康熙帝と雍正帝の「朱批奏摺」が1点ずつ。清朝の皇帝が大好きな私は、彼らの真筆が見られただけでも大感激。雍正帝の「(自分は)就是這様皇帝(このような皇帝である)」って、孤独な執務室で、朱筆によって臣下に熱く厳しく呼びかけている様子が目に浮かぶようだ。現代中国語の口吻とあまり変わらないのが面白い。

 同治13年12月5日付けの『載湉入承大統詔』は、光緒帝の即位を布告する文書。大きな黄色い紙を使用。「漢文と満文で作成した」という解説が掲げられていたが、「これ何語?」「フランス語じゃないよね?」と不思議そうに見ている人が多かった。「載湉(さいてん)って『蒼穹の昴』に出て来たよー」という会話も聞こえた。惜しいな。「皇太后垂簾聴政」ナントカという文言もあったのに。

 最後の展示室は、皇帝のおもちゃ箱『紫檀多宝格』の形状を、そのまま拡大した空間デザインになっている。面白いが、ちょっとその意図が分かりにくかったのは残念。四角形の四方にスライド扉があり、扇型の回転棚を引き出すことができる上に、図録の写真を見ると、上下が外れる構造になっている。台座部の筆記具のコンパクトな収まり具合が魅力的。シックな古物、玉器や仏像と豪勢なルビーの指輪が同居しているあたりが、私の好きな乾隆帝らしかった。しかし、台湾にとって乾隆帝って、かなり迷惑至極な皇帝だと思うのだが、そのへんの評価はどうなんだろう?

 全ての最後は、この故宮博物院展が「次世代アイドル」と謳っている『人と熊』。小さくて素直に可愛いが、さて今後も人々の心に残れるかどうか。私は、もうちょっと異形の存在のほうが好きだ。

 後期も行きたいが、九州展にしか出ない作品もあるので迷っている。東京+九州に行くくらいなら、台湾に行ってしまえばいいのだよね。
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平成館・前編/台北 國立故宮博物院展(東京国立博物館)

2014-07-07 22:15:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』(2014年6月24日~9月15日)

 早朝から並んだ「翠玉白菜」を見終えて(見ていたのは10分くらい)展示室の外に出ると、ちょうど正式開館の9:30。ミュージアムショップのシャッターが開いたので、本館を通り抜けて平成館へ向かうことにする。

 平成館はすでに混み合っていた。白菜をあきらめて、こっちに回った人たちも多かったのではないかと思う。冒頭は西周時代の青銅器・散氏盤。先日、NHKスペシャル『シリーズ故宮』全2回でも取り上げていたけど、日本人的には、ちょっと地味だと思う。でも書道をやっている人には嬉しいのかな。

 いきなり目が吸い寄せられたのは、汝窯の水仙盆こと『青磁楕円盤』。きゃああ、これ来たのね!ほんとに来たのね!と感無量。風流天子・徽宗に鍾愛され、清の乾隆帝が底面に御製詩を刻ませた。図録の解説を見たら「手にとると、ふわっと軽い」。ということは、東博の学芸員さん、実際に手に持ったんだな、いいなあ。さまざまな形をした汝窯の青磁が、あと3件並ぶ。

 向かい側は書画で、あれ!王羲之が来てる?と思ったら『草書遠宦帖巻』と『草書大道帖巻』は宋代の模本。しかし模本でも存在感は圧倒的である。徽宗の『楷書牡丹詩帖頁』はホンモノ。百字くらいあるだろうか。徽宗の筆跡(痩金体)で、これだけ長い文章を見るのは初めてかもしれない。徽宗の画『渓山秋色図』は、雲の上にふわふわと漂うような丸い頂の山が可愛らしい。肩を寄せ合うアザラシの群れみたいだ。徽宗には珍しい墨画淡彩で、確か会場のキャプションは、文人画の美意識を共有していた点を強調していたと思うが、図録解説を読むと徽宗の真筆かどうかは疑問符なんだな。

 それから壁に沿ってぐるりと北宋士大夫の書。蔡襄(さいじょう)、欧陽脩、黄庭堅、米芾(べいふつ)など。蘇軾は趙孟頫(ちょうもうふ)による肖像画(意外と小さい)だけか?と思ったら、後期に『行書黄州寒食詩巻』が来るようだ。図録を読んで初めて知ったことだが、多くの戦火・災厄を奇跡的にくぐりぬけて生き残った詩巻で、日本との因縁も浅からぬものがある。見に行きたいぞ、これは。

 そして南宋絵画。色彩豊かな大画面の『折檻図軸』(←この皇帝、どう見てもやくざの親分w)と『文姫帰漢図軸』は面白かったな。小品の『桃花図頁』『杏花図頁』は日本人好み。『市擔嬰戯図頁』も団扇形の小品だが、てんこ盛りの売り荷を担いだ行商人と子供たち、その母親を描いたもので、「とことん精緻な描き込みが大好き」という中国人気質をよく表している。あの『清明上河図』を生んだ土壌を感じさせる。

 その後、どん詰まりの壁に「奇跡の名品」みたいなタイトルとともに並んでいたのが、10世紀の絵画作品4点。まず唐時代の『明皇幸蜀図軸』と『江帆楼閣図軸』。きゃわわ、まじ?!と変な悲鳴をあげそうになる。顔料を多用した唐代の山水画(青緑山水。中国では金碧山水という)は、日本の大和絵のもとになったと言われるもの。その典型『明皇幸蜀図軸』は、名前くらいは知っている。あ、大和文華館で後世の部分模写なら見たことがあるが、まさか日本でホンモノにお目にかかれようとは。とんがり帽子のように屹立する山の峰がリズミカルに描かれており、山全体から平野部まで、けっこうベタッと青緑色を置いている印象だった。いま図録の写真を見ると、青も緑も微妙なグラデーションで塗り分けているし、人物描写も繊細(おお、馬に混じってラクダもいる!)だが、会場ではここまで見えなかったなあ。

 『江帆楼閣図軸』は知らない作品だった。画面の左下は鬱蒼とした緑樹に覆われており、紺の瓦、朱塗りの柱の楼閣が垣間見える。画面右半分から上部にかけては湖面(?)が広がっていらしく、さざ波と小舟が描かれている。図録解説に「唐時代の青緑山水の実際を伝える可能性のある有力作品」というから、まだ評価は定まっていないのかな。あと2点は、伝・関同筆『秋山晩翠図軸』(五代・北宋)と巨然筆『蕭翼賺蘭亭図軸』(南唐)。宇佐美文理先生の『中国絵画入門』に出て来た名前だ。

 前半最後の1部屋は、元代文人の書画。この時代の作品は、日本に伝わるものが少ない、という解説があったように記憶する。趙孟頫(ちょうもうふ)の『調良図』は強い風の中に佇む馬一頭と人物一人。故宮博物院のサイト(日本語版)に「剽悍な漢馬、華やかな唐馬とは大きく趣を異にする」という説明があって、なるほどなあ、馬一頭にも時代精神が表れるものなんだなあ、と感心した。高克恭筆『雲横秀嶺図軸』も見たかった作品。まさに天地の「気」を描いた、典型的な華北山水の構図だが、その描写には江南山水の潤いある墨法が用いられているという。

 こうして見ていると、中国の絵画、いや中国の文化って、つねに前代を否定し、新しいものに生まれ変わろうとする特徴があるように感じる。古いものを維持・保存することには、日本人のほうが長けていそうだ。以下、後編(大階段の反対側の展示室レポート)に続く。

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珍妃?瑾妃の「翠玉白菜」/台北 國立故宮博物院展(東京国立博物館)

2014-07-06 16:39:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』(2014年6月24日~9月15日)

 もう10年以上前になるが、台北の故宮博物院には行ったことがあり、もちろん「白菜」も見てきた。だから、敢えて東博へ「翠玉白菜」の展示期間(6月24日~7月7日)のうちに行かなくてもいいんじゃないかと思ったが、やっぱりあの「白菜」がどんなふうに展示され、どんな人たちが見に来ているのか、目撃しておきたいと思って、金曜の夜に札幌を発った。

 はじめてJetstarというLCCを使ってみる。札幌-羽田便がないので避けていたが、20:10札幌発→成田空港に飛んで、スカイライナーを使うと、日付が変わる前に上野に到着できることが分かった。

 翌朝(土曜日)目が覚めると、菓子パンの朝食を携帯して、東博に向かう。7:30過ぎに行ってみると、50人~70人くらいの人だかり。まあ穏当なところだと思って並ぶ。8:00を過ぎる頃からどんどん人が増え、四人並びの列は、正門前で三折になる。列に並べるのはチケットを持っている人だけ。チケット売り場は9:00開場のため、「コンビニで前売券を買って来て、列に並ぶほうが早く入館できます!」と係の方は案内していた。最寄りのコンビニまで15分かかるらしかったけど…。

 列に並んでいるうちに簡単な荷物検査(係員の目視)があった。8:30に開門。ちょっと可哀想だったのは、私の隣りにいた女性(中国系)は、後から合流する友人の分もチケットを持っていたので、構内に入れず、門外で待機。列の先頭は、9:00少し前に正面玄関前まで誘導された。私は車寄せの屋根を少し外れるくらいの位置。長い列は、少しずつ区切られ、表慶館の前から法隆寺館のほうへ大きく弧を描くように続いている。

 正規の開館時間は9:30だが、9:15には館内に誘導された。特別5室(大階段の奥)の左手にある特別4室で待機。なるほどね、この部屋は展示室に使ったり(大出雲展とか)入館待ちの待機所に使ったり、両様に使い分けるんだな。

 並んでいるときに渡されたチラシによれば「翠玉白菜」展示室内は、さらに順路がくねくねと折れ曲がっているらしい。『キトラ古墳』のときみたいに、一気に「白菜」までダッシュできないかな、と思ったが、順路が細くて難しかった。展示室内では、大スクリーンで「白菜」紹介ビデオを見せられたあと、人数を区切って、その裏側に誘導され、ようやく「白菜」と対面する。最前列でのひとまわりは急かされるが、後方ゾーンに退けば、何時間滞在してもいいことになっている。

 私は大スクリーンをカットし、さらに最前列のひとまわりも省略し、係員に断って、後方ゾーンに「横入り」させてもらった。これで十分である。360度とはいかないが、240度くらいの角度から、自由にゆっくり眺めることができた。「意外と小さい」というのは、台湾に行く前にも友人から聞かされた覚えがある。それよりも記憶より「薄くて平べったい」ことに驚いた。元来はどんな形状の玉石だったのかなあ。白菜を飾っている台(紫檀?)も優雅で美しい。

 平成館の展示の最後で「翠玉白菜」紹介ビデオを見たら「瑾妃の嫁入り道具だった」という解説があった。あの、丸々した顔で「月餅ちゃん」と呼ばれていたという皇妃さまか! そして、光绪帝が没し、清朝が倒れた後も、ラストエンペラー溥儀とともに紫禁城で暮らし続けた瑾妃のかたわらに、この優美で可憐な白菜はあったのか…。妹の珍妃のように光绪帝に寵愛されることはなかったが、丹青(絵画)と書法を好み、美食家でもあったという瑾妃には親しみが湧く。馮玉祥らの北京進軍(北京政変)によって、宣統帝溥儀が紫禁城を追放されるのが1924年10月。瑾妃の死去は、同じ1924年の「中秋」の直後とあるから、本当の激動を知らずに済んだ、自足した幸せな一生だったかもしれない。

 と感慨にふけっていたら、「白菜轟動日本」(白菜、日本を揺り動かす)大騒動を報じる台湾のニュースが「翠玉白菜が瑾妃の嫁入り道具だというのは証拠に乏しい」とか「元来、珍妃の嫁入り道具だったものが、珍妃の死後に瑾妃のものになったのではないか」などと論じているのを見てしまった。どうだったのかねえ。元来、珍妃の嫁入り道具だったとしたら、それも哀しい来歴である。
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夏の味・ジャージャー麺

2014-07-05 22:58:09 | 食べたもの(銘菓・名産)
トンボ返りで東京に行って、「翠玉白菜」を見てきた。予定では今夜は山形に泊まっているはずだったのだが、やむにやまれぬ仕事上の理由で、札幌に戻ってきた。休日なのに(泣)



詳しいレポートは後日。で、上野で久しぶりにジャージャー麺を食べて来た。好吃!老北京的味道。

あまり札幌では見ないんだなあ…。
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競り合う「気」と「形」/中国絵画入門(宇佐美文理)

2014-07-03 22:28:19 | 読んだもの(書籍)
○宇佐美文理『中国絵画入門』(岩波新書) 岩波書店 2014.6

 冒頭にカラー図版が16頁、本文にも図版満載の嬉しい本である。私は日本の古い絵画好きが高じて、少しずつ中国絵画に関心を広げた。冒頭のカラー図版は、日本の美術館にあるもの、あるいは教科書に載るような超有名作品が多いので「だいたい知ってる」という印象を持った。だが、それらを系統的に理解しているかというと、全く弱いので、本書で勉強してみることにした。

 著者は、中国絵画を特徴づける概念は「気」であると考える。そして、本書は、絵画の最も基本的な要素である「形」が、「気」とどのようにかかわってきたかに着目して書かれた中国絵画史である。

 記述は、新石器時代の岩画や彩陶から始まる。立体造形と平面造形を比べて、もともと三次元の物体(動物など)を立体で表すより、平面(絵画)で表す方が「抽象的な作業と過程を必要とする」という指摘に、目からウロコが落ちた。絵画で表すべき「かたち」はもともと存在しない。なるほど、そのとおりだ。画像石のデザインは面白いなあ。あれほど「記録」好きな中国なのに、画像石についての同時代文献はないそうだ。

 六朝(3-6世紀)から唐代(7-10世紀)へ。文化は急速に洗練される。この時代には、目に見えない「気」を目に見える「形」を使って表すことが意識される。石棺や墓室の壁を飾る「いきいきとした」形。

 敦煌壁画には、西域の立体表現が伝わり、当初は「凹んだへところに隈取り」だったものが、のちに「出っ張ったところに隈取り」に変化する、という指摘はとても面白い。そして、最終的に中国絵画は、面的グラデーションでなく、線によって立体を表現する方法にシフトする。これが、のちに山水画では「皴法(しゅんぽう)」として現れてくる。なるほど、日本絵画の場合はどうなのだろう。やっぱり「面」が先?

 唐代後半には、のちの中国絵画に大きな影響を与える、「逸品」と「人格主義」という二つの発想が生まれる。「逸品」というのは、「神品」「妙品」「能品」という三段階のランクを外れた「基準外」が元来の意味だった。三品が「線による表現の評価」であるのに対し、「逸品」は、線によらない「溌墨」や「破墨」の技法を評価したものだという。なるほど~生噛りしていた用語が、きれいに整理できた。

 中国の文化は中唐に大きな転換期があったと考えられるが、その頃の作品があまり残っていないため、変化を感じ取れるのは、五代(10世紀)から宋(10-12世紀)になる。荆浩(けいこう)・関仝(かんどう)の屹立する「華北山水」は、李成、范寛、郭煕というピークを迎える。李成の「平遠」、范寛の「高遠」、郭煕の「深遠」という「三遠」の理論。こういう数によるまとめ方は、いかにも中国人の思考らしい。

 一方、董源・巨然の平淡な「江南山水」(南方山水)は、北宋末から南宋にかけて、米芾(べいふつ)・米友仁に受け継がれる。また、胸中の風景を描く文人画、小景画、緻密な絵画(清明上河図)など、多様な作品が現れる。

 南宋(12-13世紀)の中心を占めるのは院体画。北宋の郭煕を受け継ぎ、以下、元代李郭派(13-14世紀)、明代院体画(14-17世紀)、明代浙派と「世界の気(大気)」を描き続ける。一方、宋代の文人画は「形そのものによる作者(の気)の表現」として、元末四大家、明代呉派、明代後期の奇想派、清朝絵画(新しい形の創造の模索)へ繋がっていく。そして、郭煕以来の「大気感」は、浙派の衰退・呉派の隆盛とともに、その存在を消してしまう。

 本書のように、時代順、流派(スクール)別に整理してみると、今までごちゃごちゃに見て来た作品が、あらためて「似たものどうし」整理できることに納得した。当たり前すぎて間抜けな感想だが、宋代の山水画と明代の山水画って、全然ちがうものなんだな。そして、董其昌(とうきしょう)と明代の「奇想派」の山水は面白い。大好きだ。曾我蕭白とか、絶対影響を受けていると思う。

 それから、南宋の天才画家・牧谿(もっけい)をレンブラントと比較し、レンブラントの絵画は「光が当たっている」したがって「影のある」作品であるのに対し、牧谿の作品では「(空)気そのものが輝いている」というのは、思わず膝を打ちたくなる表現だった。
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