見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

札幌で見て歩き/美術の北大展(北大総合博物館)ほか

2014-12-08 21:35:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
北海道大学総合博物館 『美術の北大展』(2014年10月4日~11月30日)

 たまには地元の札幌で行ったもの。北海道大学文学研究科芸術学講座では、学内に所蔵されている美術作品の悉皆調査を行っており、その成果の一端を「美術の北大」として公開したもの。約50点が展示されていた。豊かな自然を描いた風景画が多いように感じたが、図録の付録に調査で判明した作品164件のモノクロ写真つきリストがあって、こちらを見ると、静物画や人物画もそれなりに存在する。でも肖像画が全学で27点って、やっぱり少ないと思う。

 全く無名の画家、作者不詳の作品もあれば、美術史に名を残した画家の作品もある。ということだが、私が知っている名前は少なかった。木田金次郎くらいだ(え、ふだん図書館の大会議室に掛かっているのか)。好きだなあ、と思ったのは小川原脩の作品。北大工学部で20年近く非常勤講師をつとめていたのだそうだ。

■テンポラリースペース 『山里稔と木彫り熊展』(2014年11月18日~11月30日)

 造形作家の山里稔さんは、北海道各地に伝わる木彫り熊を収集し、研究している。このたび、その成果を『北海道木彫り熊の考察』(かりん舎、2014.10)と題した写真集にまとめて出版された。そして、同書の出版を記念して開かれた展覧会。

 この夏、道立近代美術館の『徳川美術館展』の併設展で、尾張の徳川義親公が八雲町で木彫り熊の生産を奨励したのが、北海道の木彫り熊の始まりと聞いて、興味を持っていたので、行ってみた。ちょうど山里さんがギャラリーにいらして、前足の肩の盛り上がった頂点から四方八方に毛が流れる「菊彫り」が八雲系の特徴(※参考:八雲の木彫り熊たち/集まれ!北海道の学芸員)とか、旭川系は鉛玉の目が特徴とか、いろいろ教えてもらった。熊の足裏に彫り師の名前が入っていることがあるが、彫り師自身よりも店舗の主人が入れることが多いそうだ。

 私が子どもの頃、自宅や親戚の家(いずれも東京)にあった木彫り熊は、たいてい鮭を咥えていた。鮭を背中にかついでいたのもいたと思う。そうしたスタイルが一般化するのは、1960(70?)年以降で、古いものはもっと普通に野性の熊らしい格好をしていた。木彫りなんてダサいもの、と思っていたけど、一周まわってみると、不思議に魅力的である。そもそも仏像も木彫りだしね。

※参考:山里 稔の世界
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異界としての四国/巡る楽園(三好和義)

2014-12-07 19:51:05 | 読んだもの(書籍)
○三好和義『巡る楽園:四国八十八ヶ所から高野山へ:三好和義写真集』 小学館 2004.1

 先月、徳島県立博物館の『空海の足音 四国へんろ展』《徳島編》で、著者の写真展に出会い、ミュージアムショップで買ってきた。写真集といっても、ソフトカバーでA4サイズ。そのかわり350ページ以上あって、かなりぶ厚い。

 著者(写真家)の三好和義さんは徳島県生まれで、これまでタヒチ、モルディブ、沖縄、ハワイなど「楽園」をテーマにした写真集を数多く出版しているという。そう言えば、そんなタイトルの写真集を書店で見かけたことがあるかもしれない。本書は2004年のお仕事だというが、全然存じ上げなかった。仏像にも巡礼にも興味はあるけれど、まだ「四国」には手を出さないでおこうと、心理的に抑制していた所為もある。あと表紙が蓮の花のアップなので、こんなに充実した寺院と仏像の写真集だとは、中を開けてみないと分からないこともある。

 巻末付録に、著者と宮崎信也氏(高野山般若院住職)の対談や各札所の紹介、撮影メモコラムなどが掲載されているが、冒頭から300ページ超は、ただひたすら八十八札所と高野山の写真のみで、説明が一切ないのが清々しい。写真はお遍路さんの姿だったり、門前の風景だったり、露天の石仏や苔むした大木だったりする。仏画や仏具もあり、仏像は全身像もあれば、部分アップもある。古色のにじむ仏様もあれば、新造とおぼしき金ピカの仏様も。どれが「重文」や「国宝」なのか、いや、どれが「本尊」でどれが「秘仏」なのか(実は何件か混じっているらしい)などの説明もない。ところどころ、コイツ何者?という謎の写真も混じっているのが、たいへん面白い。

 京都や奈良に比べて金ピカ仏の出現率が高いのは、四国札所が「史跡」ではなく、信仰の対象として現役だからだと思う。だいたい仏像写真というとモノクロが多いが、本書のプリントは「金」の発色が非常に美しくて、金ピカ仏がとても魅力的に撮られている。実物に会いに行ったらこんなに感動しないかもなあ、と思って、うっとり眺めている。

 巻末の対談で、宮崎信也氏が「日本の中にある非近代というものが、四国遍路だと思うんです」「四国という島がもっている物の怪というか、迫力が強烈に伝わってくる」云々と語っているのはよく分かる。私は、実際の四国巡礼はもう少し人生の晩年に取っておこうと思っているのだが、楽園すなわち「物の怪」に満ちた島であることを、どうかいつまでもやめないでほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014札幌大通り・ミュンヘンクリスマス市

2014-12-06 23:18:15 | 北海道生活
今年も始まった第13回ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo(2013年11月28日~12月24日)。

大通り公園のイベントは1年間体験したけど、このクリスマス市がいちばん好き。可愛いものたくさん。











まだ雪がないので、足元を気にしないで散歩できる。これも今週末くらいまでかな…。
とりあえず、今年もローストアーモンドを職場に買っていくことにした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き続き考える、対米従属問題/永続敗戦論(白井聡)

2014-12-06 01:46:38 | 読んだもの(書籍)
○白井聡『永続敗戦論:戦後日本の核心』(atプラス叢書) 太田出版 2013.3

 読もうかどうしようか迷っていた本だが、旅先で購入して、勢いで読んでしまった。「私らは侮辱の中に生きている」というのは、中野重治の言葉を引いた大江健三郎の発言である。福島原発の事故以来、次々と明るみに出て来た「侮辱」の根底に、著者は「対米従属」という戦後日本の核心を見る。

 われわれが、この核心を見過ごしてきたのはなぜか。「戦後=民主主義・平和・繁栄」という物語が、従属の構造を直視することを妨げてきたのだ。耳が痛い。これまで「戦後」という歴史の枠組みに対する否定や批判は、もっぱら右派勢力からなされてきた。それに対して、「戦後」という枠組みを堅持することは、「民主主義・平和・繁栄」に敬意を払う側に立つなら、自明のことと思われてきた。しかし、著者は言う。この20年の間に(戦後)民主主義の虚構は暴かれ、平和は軍事的危機へ向かいつつあり、経済的繁栄は失われてしまった。私たちは、今や剥き出しの「侮辱」に、日々対面させられている。

 それゆえ、本書は「戦後」を認識の上で終わらせることを課題とする。日本の保守勢力は、声高に「戦後」の否定を主張しながら、実際は「戦後」の際限ない継続を願ってきた。「戦後」は、敗戦の否認(隠蔽)から始まる。敗戦を否認しているがゆえに際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を指して、著者は「永続敗戦」と呼ぶ。

 このあたりを読みながら、内田樹さんの『街場の戦争論』(2014.10)と共通するところが多いな、と感じた。内田さんも、さきの敗戦によって日本人は、「戦争で失ったもの」を正面から問うことのできない「異常な敗戦国民」になってしまった、と断じている。正直にいうと、内田さんの本(文体)のほうが読みやすい。着流しのおじさんみたいな平易な表現で、言うべきことはきちんと言っているので、広い読者層に受け入れられやすいと思う。

 それに比べると、本書はやや物堅い。領土問題、外交問題(拉致)、経済問題(TPP)など、具体例をあげて、従属の構造を論じているが、それら個別具体の問題について、ある程度の知識がないと、論の展開についていけないだろう。現今の政治問題だけでなく、江藤淳や福田恆存など、保守派の論客の主張を読解し、戦前と戦後の「国体」の類似を理解する力も要求される。知的な緊張を強いられる分、スリリングで面白いが、読者を選ぶ一面もあると思う。

 私は「永続敗戦をめぐる政府と社会の構造は、戦前における天皇制の構造に実によく似ている」というアナロジーを、非常に面白いと思った。明治憲法において「現人神としての天皇」が大衆向けの顕教であるのに対して、政治的指導者たち(明治の元勲)の真の意図は、これを実現させないことにあった(密教としての天皇機関説)。けれども、大衆の政治参加が進むにつれ、顕教が密教を侵蝕し、御前会議における「御聖断」というかたちで、天皇親政が実現してしまう。

 同様に、戦後、敗戦の意味を希薄化させ、「戦争は負けたのではない、終わったのだ」と認識することが大衆向けの顕教であり、その一方、無制限かつ恒久的な対米従属(永続敗戦レジーム)が政治的エリートの密教だった。けれども大衆向けの顕教であった「われわれは負けてなどいない」という刷り込みが、抑えの効かない夜郎自大のナショナリズムとして現象化していくとき、永続敗戦レジームの主役たちは、これを食い止める能力を持たずにいる。「顕教が密教を飲み込む」事態が、再び起こりつつあるということだ。まあ大衆をナメてはいかんということだろう。

 なお「永続敗戦レジーム」という戦後の国体が選ばれる過程で、昭和天皇が自ら米軍の駐留継続を切望し、具体的に行動した形跡について著者は論じている。この点(天皇の関与)については、私は判断を留保する。昭和天皇の関与が全くなかったてとは思わないが、どのくらい重要だったかは、いろいろな人の意見を読んで、引き続き考えたい。とりあえず、今般の「選挙」投票前に読むことができてよかったと思う、刺激的な論考。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持ち込み、核燃サイクル/日米〈核〉同盟(太田昌克)

2014-12-02 21:44:24 | 読んだもの(書籍)
○太田昌克『日米〈核〉同盟:原爆、核の傘、フクシマ』(岩波新書) 岩波書店 2014.8

 重たい本だった。本書は「日米核同盟」を、二つの側面から説いていく。一つは「核持ち込み」に関する密約。1951年に締結された旧安保条約では、米軍が日本に核兵器を持ち込むことに何の制約もなかった。1960年、安保条約の改正よって、「米軍の装備における重要な変更」(具体的には米軍による核兵器の持ち込み)は「事前協議」を必要とすることになった。

 しかし、日米両国はある機密文書に署名することにより、核兵器を搭載した米軍艦船や軍用機の日本領海・領土への「通過・寄港、飛来」は、事前協議の対象から除外された。この「核密約」について、歴代政府は2009年(民主党の政権奪取)まで一貫して存在を否定してきた。著者は、膨大な公文書と関係者への取材によって、この「密約」の存在を明らかにする。

 生々しいのは外務省関係者の証言である。外務省には核密約に関する「メモ書き的な紙」が残されており、歴代事務次官がそれを引き継いできた。さらに北米局には、密約の原型ともいうべき「機密討論記録」の原本、条約局にはそのコピーが存在しており、「長続きしそうで、立派な」大臣にだけブリーフィング(説明)をしていた。外務官僚が、信頼できる首相、外相とそうでない首相、外相を選別していたというのだ。官僚主導、極まれりというか…すごい話だと思った。よい悪いを別にして、あるべき姿として教えられている行政システムと現実には、いかに大きな隔たりがあるかをしみじみ感じた。

 さらに驚いたのは、2001年4月の情報公開法施行を前に、外務省内で核密約をはじめとする日米密約の関連文書が大量廃棄されたことだ。詳細は本書の記述に譲るとして、「許されぬ歴史への冒涜」という著者の怒りに私は共感する。しかし天網恢々疎にして漏らさず、どこからか廃棄した文書が出現する(誰かが隠し持っていた)みたいなことは起こらないのかなあ。

 「日米核同盟」の第二の側面は、原子力政策に関するものである。1953年、国連総会で「アトムズ・フォア・ピース」の演説を行ったアイゼンハワー大統領は、同盟・友好国に「原子力の平和利用」の導入を急いだ。その結果、1956年、日本初の総合的な原子力政策「原子力開発利用長期計画(長計)」がまとめられた。そこには、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムやウランを有効活用し、最終的には高速増殖炉をフル稼働させて、消費した以上のプルトニウムを増殖するという「核燃サイクル」の夢が語られている。

 使用済み核燃料の再処理工場(青森・六ヶ所村)は、今日なお完成していないが、日本が保有する民生用”余剰”プルトニウムは、すでにに世界でも突出した量(約45トン)に達している。核爆弾5000発分以上に当たるというのだ。私は原子力は使わないほうがいいと思っており、できれば今すぐ日本に原子力と縁を切ってほしい。しかし本書を読んで、事はそれほど単純でないということは理解した。原発再稼働のめどが立たないまま、再処理工場が本稼働すれば、使用目的のないプルトニウムはいよいよ増えていく。いわゆる「ならずもの国家」に核物質が渡るリスクを防ぐため、余剰プルトニウムの発生を警戒するアメリカは、日本の迷走に深い懸念を感じているという。もっともな話だ。私は原発稼働には賛成しないが、核不拡散の観点から、「余剰プルトニウムは持たない」という国際公約を軽々に反故にしていいとは思わない。

 最終章は、2004年の春先、渋谷某所のファミリーレストランで、経済産業省資源エネルギー庁の若手官僚が「19兆円の請求書」と題したパワーポイント資料を作っていたという、小説のような幕開けで始まる。資料には「行政の無謬性へのこだわり-今まで核燃料サイクルを推進してきたことが時代遅れとなったという政策の誤りを認められない」との文言。国家プロジェクトが、いつの間にか撤退不能の「絶対完遂型」事業となり、根拠のない安全神話で飾られていく背後には、「無謬性」にこだわるエリート官僚の独善があるのではないかという著者の見解が述べられている。

 この点には半分だけ同意する。私はむしろ、一度始めた国家事業が撤退不能の「絶対完遂型」事業となってしまうのは、官僚だけの責任でなく、日本国民のひとりひとりが、怠惰で無責任であるためではないかと思う。自分の頭で考えなくても、困ったことはアメリカが何とかしてくれるという甘えは、そろそろ捨てなければならない。私が生きているうちに、大人になったこの国を見ることはできるだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする