見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

戦後70年/衣服が語る戦争(文化学園服飾博物館)+浮世絵の戦争画(太田記念美術館)

2015-07-15 22:54:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
文化学園服飾博物館 『衣服が語る戦争』(2015年6月10日~8月31日)

 先週末、見てきた展覧会を二つ。別に待っていたわけではないが、安全保障関連法案が衆議院の平和安全法制特別委員会で強行採決されたこの日にふさわしいだろう。はじめにあったのは「戦争柄」の着物。私は、2007年に乾淑子さんの著書でこうした着物の存在を知り、2008年に乾さんのコレクション展を見にいったことがある。子供用の着物が多くて、今の子どもたちがアニメや戦隊ヒーローの柄を無邪気に喜ぶのと、変わりなかったんだろうな、と思う。軍服ふうの男児服もあった(よそゆき用かな?)。大正時代から子供のセーラー服が流行るのも海軍の水兵服を取り入れたものだという。

 この展覧会、実は、近代日本が経験した戦争だけではなく、欧米各国の衣服と戦争にも広く目配りしている。1944年頃、イギリスでつくられた(使われた)スカーフは、ピンク・水色・パープル・黄色など、鮮やかな色彩に、コルセット、乳母車、ミシン、水枕など女性の日用品がスケッチふうに描かれている。今でもふつうに使えそうだが、周囲には「鉄は戦車になる」「ゴムは飛行機になる」等の標語が書かれていて、立派な「戦争柄」なのだ。ヨーロッパでは、1930年代から男女とも軍国調のかっちりした仕立てが流行ったというが、展示されていたドレスやスーツは、けっこう好みだった。

 日本も大正~昭和の始めまでは、洋裁雑誌に掲載されているデザインにも、まだ華があり、余裕が感じられる。昭和15年以降になると、もう何も言うべき言葉が見つからない。あまりにも貧しい。衣類(主に軍服だろう)の資源を確保するため、ウサギや羊を飼う事が奨励されているが、庶民はそれどころじゃなかっただろうなあ。

太田記念美術館 『浮世絵の戦争画-国芳・芳年・清親』(2015年7月1日~7月26日)

 「戦争」を題材とした浮世絵を集めた展覧会。もともと幕末には、歴史上の合戦を題材とした浮世絵が制作されていた。ただし、これらも太平記の世界を描いているようで豊臣・徳川の東西決戦だったり、蒙古合戦図と言いながら元寇ではなく四国艦隊の下関砲撃事件を描いていたり、時代が錯綜している。明治維新以後は、西南の役など国内の内戦、日清・日露の大戦を描く浮世絵が現れる。

 戦争は「非日常」なので、風俗画にはない絵師の腕の振るいどころがある。古い合戦画でも、入り乱れる大集団とか、アクロバティックな身のこなしとか。歌川国芳の『川中嶋大合戦之図』は、あまり知らない作品で面白かった。サーカスみたいに大勢の敵を薙ぎ払う騎馬武者は山本勘助である。近代戦になると、爆発、焔、噴煙、銃弾の軌道などの描き方に工夫が凝らされる。特に小林清親は、夜戦の一瞬に訪れる激しい明暗のコントラストを美しく描いている。

 展覧会のアイコンとなっているのは、月岡芳年の『魁題百撰相 駒木根八兵衛』。砲術を以って島原の乱に参加した人物であるが、上野戦争の彰義隊の兵士のイメージを仮託したものという解説に納得がいく。緊迫感があって品のある人物画だ。ほかに、この人も戦争を描いていたんだなあ、と感慨深かったのは、小林永濯とか揚洲周延とか。また、尾形月三の遼陽会戦の図には、敵将・黒鳩公(クロパトキン)が、なかなかカッコよく描かれている。日清戦争の清国兵が冷笑的に描かれているのを見ると、やっぱり人種偏見があるかなと思う。

 個人蔵作品がかなり多く、あまり見たことのない作品を見ることができてよかった。しかし戦争は絵空事だけでたくさんだけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

活版印刷の美学と歴史/ヴァチカン教皇庁図書館展II(印刷博物館)

2015-07-14 23:03:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
印刷博物館 企画展示『ヴァチカン教皇庁図書館展II 書物がひらくルネサンス』(2015年4月25日~7月12日)

 最後の週末に駆け込みで行ってきた。ヴァチカン教皇庁図書館所蔵の中世写本、初期刊本、地図、書簡類計21点を中心に、印刷博物館および国内諸機関所蔵の書物を加えた計69点を展示する。意外と日本国内にも(←大学図書館が多い)この時期の貴重書があるんだな、ということが分かったのも面白かった。

 「ヴァチカン教皇庁図書館展II」というのは、2002年に「I」にあたる「書物の誕生:写本から印刷へ」が同館で開催されているためだ。見てるかなあ。正直、あまり記憶にないが、印刷博物館のホームページには当時の情報が残っている。前回展は「写本から活字印刷の始まり」がテーマだったようで、ポスターは、ゴージャスでカラフルな彩色写本(たぶん祈祷書など)の写真で埋められている。それに比べると、今回は限りない富と手間ひまをつぎ込んだ美麗な写本は少なかった。印刷技術が生み出す美の規範は、より合理的で近代的である。

 展示の始まりは、いわゆる「48行聖書」(1462年、明星大学図書館所蔵)。グーテンベルクの印刷所を抵当として差し押さえた実業家フストがシェーファーとともに完成させたもの。赤黒の二色刷+赤色の手彩色装飾。18世紀にグーテンベルクの42行聖書(1456年)が発見されるまで、最古の印刷版聖書と思われていた。しかし、活版印刷技術って、「発明」されたとたんにこんな完成度だったというのが凄い。信じられない。

 それから最初の挿絵入り聖書(1490年、ヴァチカン)。活版印刷に挿絵を組み入れるのは難しかったという説明を読んで、なるほどと思う。それだから日本の近世の出版は、挿絵と共存しやすい木版にこだわって、活字が普及しなかったと聞いたことがある。一方、西洋の出版は活字を洗練させていく。多言語対訳聖書など、なにげに凄い。複数言語の活字セットを持って、それを正しく拾える職人がいたわけだから。

 また、より美しい活字体をつくることにも努力が注がれた。このへんの解説は、さすが印刷博物館で「書籍」を扱い慣れていると思った。ジョフロア・トロリーの『花咲く野』(1529)は書体論で、ローマン体がいかに神聖で優れたものかを論じた書物である。ゴシック体は野蛮とみなされていたのか。そうかー。印刷業者の商標についての解説も面白かった。ヴェネツィアのアルド・マヌーツィオが使用した「錨とイルカ(アナゴのようなイルカが錨に巻きついている)」は「ゆっくりと急げ」を寓意している。

 思わぬ見ものだったのは「ヴァチカン貴重庫でみつけた日本・東アジア」のセクションで、天正少年使節からヴェネツィア共和国政府への感謝状(和文とラテン語?併記、四人の花押とサインがある)に驚いた。さらに、迫害に苦しむ日本のキリシタンに、1619年、教皇から励ましの手紙が届けられ、キリシタンたちがこれに答えた手紙もあった。海原のような青碧色の紙に金箔・金泥を散らした華麗な料紙で、日本語とラテン語が書かれている。署名している12人は、いったいどういう身分・境遇の人びとだったんだろう。日本の歴史には、まだ私の知らないことがたくさんある。イエズス会の日本学林で出版されたキリシタン版(和装、日本語、活字本)がヴァチカン図書館にあるというのも初めて知った。ということは、日本だけでなく、全世界の「布教」関連出版物が収蔵されているのだろうか。また、秀吉や当時の武将たちに関する貴重な史料「イエズス会士日本通信」を見ることができたのも嬉しかった(印刷博物館所蔵)。

 もうひとつ、ヴァチカン図書館の内部をプロジェクション・マッピングで体験するシアターは面白かったが、動きが激しくて、ちょっと立ちくらみしそうだった。ヴァチカン図書館って、書籍だけでなく、イコンや石碑も収蔵しているのだな。どうせ個人利用は簡単にはできないんだろうなと思って、Wikipediaを見たら「図書館情報大学→筑波大学が、バチカン図書館と提携している」って、えっ本当?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵法の研究/軍国日本と『孫子』(湯浅邦弘)

2015-07-13 22:33:43 | 読んだもの(書籍)
○湯浅邦弘『軍国日本と「孫子」』(ちくま新書) 筑摩書房 2015.6

 古来、日本人が愛してやまない中国の古典『孫子』。私がその存在を意識したのは、もっぱら大河ドラマから。2007年の『風林火山』では山本勘助が叫ぶ「兵は詭道也!」が好きだった。なるほど戦国時代には受容されていたんだな、と思ったら、2012年の『平清盛』では保元の乱の描写に『孫子』が出て来た。そんなに古くから?と思って調べたら『続日本紀』には、吉備真備が『孫子』に通じていたという話が載っているそうだ。いかにも「武」を尊んできた日本文化の歴史にふさわしい。

 本書は、近代日本における『孫子』の読まれ方を検証する。明治維新を機に西洋式の近代化を目指した日本であるが、明治も中頃を過ぎると、中国古典の再読ブームが起きる。まだ大規模な近代戦を経験する前なので、日本古来の合戦の例を引きながら、『孫子』の兵法の解説をする注釈書などが現れる。大正期には、日清・日露戦争の実戦体験(勝利の自信)を踏まえた、陸軍軍人による注釈書が出る一方、『孫子』を処世訓として読むジャーナリストの解説書も現れる。

 昭和に入ると、東洋や日本を高く評価するあまり、どう見ても『孫子』の真意を逸脱した解釈が進められていく。その果ては、我が国には『孫子』以上に優れた兵学書があることを誇ることになる。大江匡房作といわれる『闘戦経』(11世紀~12世紀初め)である。へえー。大江匡房って面白い人物だなあ。和歌ほど自由に漢文が読めないので、いまひとつ全貌が明らかでないのだが。それから権謀術数が嫌いで、「誠」や「正々堂々」を美徳としたがる日本文化の傾向。『闘戦経』には「兵の道は能く戦うのみ」とあるという。それは兵学なのか? ちなみに『闘戦経』には「勝たずば断じて止むべからず」とあり、「生きて虜囚の辱めを受けず」ともあるそうだ。

 著者はこれに注していう。『孫子』は戦争の動機が「恥」や「面目」であるなど説かない。開戦や作戦の是非の判断は、冷静な「利」の分析によって行われるべきである、と。いろいろとキナ臭い昨今、もしかしたら日本は再び戦争をするかしないかの決断を迫られるかもしれない。そのときは、余計な感情論を交えず、「利」で押し切ってほしいと切に願う。

 本書の始めには『孫子』兵法のエッセンスが手短に紹介されていて、興味深い。その中に「君命に受けざる所あり」(受けてはならない主君の命令もある)という有名な一句があって、著者はこれを「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」と結びつけて解釈する。特に後半。戦争の原則に照らして勝てる見込みがないときには、たとえ主君が必ず戦えと言っても、戦ってはならない。戦争の目的は「勝つ」ことなのだから、この身も蓋もないほどの合理主義、私は好きだ。

 『昭和天皇独白録』によれば、昭和天皇は太平洋戦争の敗因を分析して、その第一に「兵法の研究が不充分であった事。即ち孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと」(ママ)を挙げている。古めかしい物言いに聞こえるが、少なくとも戦争末期の精神主義よりは、二千年以上前の兵学書『孫子』のほうが、ずっと明快に合理的なのだ。『孫子』はあまりに内容が高度なので、後世の偽書ではないかと疑われたこともあるという。だが山東省銀雀山の漢代墳墓から『孫子』写本(竹簡)が出土したことで、その疑いは払拭された。この話は、同じ著者の『諸子百家』(中公新書、2009)に詳しい。

 しかし、再び『孫子』の兵法が現実味を帯びる時代が来ることは、正直なところごめんだ。せいぜいビジネスマンの処世訓として読まれている状態が望ましい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和漢の教養で楽しむうつわ/乾山見参!(サントリー美術館)

2015-07-11 23:33:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『着想のマエストロ 乾山見参!』(2015年5月27日~7月20日)

 尾形乾山(1663-1743)については、かなりまとまった展覧会を見た記憶がある。調べてみたら、2007年、出光美術館の『乾山の芸術と光琳』の記憶らしい。このときお気に入りになった作品には、オランダのデルフト陶器の写しや、「氷裂文」に豊かな色彩を添えた『色絵石垣文角皿』などがある。

 それから、五島美術館の特別展『向付(むこうづけ)』や畠山記念館の『懐石のうつわ』展でも乾山の皿をたくさん見た。乾山は50歳から工房で大口の注文に応じ、向付や茶碗のセットをたくさん製作しているのだ。本展では、会場の後半に、これらの名品が集められていた。『色絵石垣文皿』も1点ではなく5点セットで残っているんだな。贅沢! 『銹絵百合形向付』は大胆で人目を引くデザイン。『色絵春草文汁次』は女子好みの愛らしさ。汁次(しるつぎ)は、醤油やお酢を入れる小さな土瓶形の容器だが、文様変わりでちゃんと5点セットになっている。ひとりひとりが大事にされていて、しかも大勢で会食する楽しさが感じられる。

 会場前半は、たぶん若い頃の作品なのだろう、色紙のような四角い平皿に銹絵+淡彩で、花鳥風月などを描いた作品が目立った。裏面には定家詠十二ヶ月の和歌が記されていたり、能の演目を集めたものだったり、漢詩の章句が書かれていたり、これらの器を使った人々の教養の高さに感心する。能の「安宅」は海の岩場、「道成寺」が一面の桜に寺らしき門(鐘までは描かない)とか、これだけで分かる(分からなければいけない)のだな。また四季の絵柄に「狩野派ふう」と「琳派ふう」が混じっているという指摘も面白いと思った。

 乾山の作品だけでなく、乾山が参考にしたさまざまなやきもの、楽や織部や志野・鼠志野などの名品もあわせて見ることができる。また乾山の作風の後継者たちの作品もあって、興味深かった。最後に富本憲吉やバーナード・リーチの名前もあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツからアメリカへ/サイエンス異人伝(荒俣宏)

2015-07-08 22:00:08 | 読んだもの(書籍)
○荒俣宏『サイエンス異人伝:科学が残した「夢の痕跡」』(ブルーバックス) 講談社 2015.3

 オットー・リリエンタールの白黒写真をあしらった表紙を見て、どこの新書だろう?と思ったら、ブルーバックスだった。高校生の頃は、かなり愛読していた自然科学・技術・工学系の新書シリーズである。本書は、第一部:ドイツ、第二部:アメリカで構成される近代科学の物語。

 著者によれば、18世紀は、力を象徴する蒸気機関、あるいは力学を主とするイギリス科学の時代であり、19世紀前半はフランスの理論科学の時代、そして19世紀後半から20世紀の前半は「独特な哲学と理論を背景にして事物を精密に計測することから発展した」ドイツ科学の時代と考えられている。近代国家の形成に出遅れたドイツは、古い文化や民間の叡智をもとに、国民文学や国民音楽を創り出した。その「ドイツ精神」(ドイツ・ロマン主義)は科学の分野にも活かされているという。

 ドイツに学んで、科学をビッグビジネスに導いた20世紀のチャンピオン、アメリカは、開拓時代からドイツとの間にさまざまな因縁を持っている。アメリカには、イギリスだけでなくドイツからも多くの入植者があった。クリスマスを祝う習慣や、案山子のお化けもドイツから持ち込まれたという指摘には納得してしまった(確かにイギリスの都会的な幽霊とは異なる、農村ふうの奇譚や怪談が多いかも)。

 先を急いでしまったが、ドイツ編もアメリカ編も、著者が現地の博物館を訪ねた体験をもとに書かれている。ドイツは、ミュンヘン(旧バイエルン領)にある国立ドイツ博物館。展示の様子が多数の写真で紹介されており、興味深い。フラウンホーファー線の発見で名高いフラウンホーファーの作業室には、いかにも職人の作らしい(飾り気のない)望遠鏡や光学機械が整然と置かれている。石版印刷機を備えた19世紀の印刷工房や、陶器の壺と引き出しがびっしり並んだ1800年頃の薬房、中世の錬金術工房も。

 面白かったのは、動力をめぐる物語。初期の水車は水平に回転する機械だった。なぜなら人間や牛が回していたひき臼を水流にあてがったものだったから。やがて水力を効率的に利用する垂直回転の水車が発明される。しかしローマ帝国では「奴隷や貧民の仕事を奪わぬため」水力設備の建設を制限した。著者はいう、伝統ある国々では、社会のライフスタイルを一変させる科学的発明は、まず「悪魔の発明」として弾圧される。ドイツでは「社会に受け入られる発明」は、ギルド内の職人の発明に限られた。だから(倒錯的だが)ドイツの発明史は職人科学の歴史なのである。あと西洋では10世紀頃まで、農耕用の牽引具がすべて牛を想定して作られていたので、馬の力を発揮させることができなかった。後世から考えると、原因と結果が逆のようだが、社会の「慣性」が今よりずっと強かったことが窺われる。

 19世紀後半の欧州では、長距離の大量輸送システムは、イギリスで生まれた蒸気機関車(ロコモーティヴ)が担っていた。一方、短距離と個別のトランスポーテーションは乗合馬車や辻馬車が担っており、輸送手段としての自動車が入り込む余地はなかった。けれども、スピード感と操縦性を楽しむ「娯楽」として、自動車は人々の心をとらえ、20世紀の路上の王者に育ってていく。このまえ読んだ『銃・病原菌・鉄』にも、「必要は発明の母」というのは誤りで、発明の使い道は発明のあとに考え出される、という趣旨の記述があったことを思い出した。

 アメリカ編は、もちろんワシントンのスミソニアン博物館モールから。航空博物館と飛行家、宇宙開発の物語は私も大好きだが、ここはグラハム・ベルと電話の発明の話を取り上げたい。いつも多忙をきわめ、動き回っていたベルは「家族から切り離された孤独感」を感じていた。その孤独感を埋めるため、電話機を必要としたというのである。ただし、そればベルが家族に話しかけるためではない(ベルの母親と妻は、どちらも耳が聞こえなかった)。ベルのデザイン画では、ベルの肖像は遠方の他者の声を聞く「受話器」の側に描かれている。ベルにとっての電話は、ビジネスや事務的必要やインタラクティブな用途のため機械ではなく、何の用事もないときに相手の声を聞いていたいという、プライベートで受動的な欲望のための機械だった。なんか素敵だ。

 アメリカ編の最後に、著者はワシントンを離れ、プリンストン高等研究所を訪ねる。アインシュタインや湯川秀樹が所員だったことで名高い。学生はいないので、授業はなく、成果発表や論文執筆の義務もない。ただ思索にふけることが彼らのつとめである。運営は、とある財閥の寄付金で賄われている。ううむ、やっぱりアメリカってすごい国だ…。

 なお、本書のオリジナル版は、1991~93年の取材に基づいて書かれたものであることが「エピローグ」に告白されている。今から20年以上前の話だが、歴史的な記述なので、古くささや違和感は特になく、最後まで面白く読むことができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスショー"Fantasy on Ice 2015 神戸"

2015-07-07 00:16:44 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2015 in 神戸(2015年7月5日13:00~)

 ファンタジー・オン・アイス2015年ツアーの掉尾を飾る神戸公演の千秋楽を、週末トンボ返りで見て来た。今年は、幕張・静岡・金沢・神戸の4ヶ所で3公演ずつ。主要な出演者(スケーター)はほぼ不動なのだが、ゲストアーティストが前半(幕張、静岡)と後半(金沢、神戸)で入れ替わる。どちらも見たいな、と思いながら、ともかくチケット争奪戦が熾烈で、幕張2公演を取った時点で、後半はあきらめていた。

 ところが、幕張公演のパンフレットに載っていたステファン・ランビエールのインタビューで、彼が後半、ソプラニスタ岡本知高さんの生歌で「誰も寝てはならぬ」を滑る予定にしていることが判明。これは見たい…聴きたい…見逃がしたら一生後悔するに違いない、ということで、チケット売買サイトを利用し、SS席を本来の倍額+αで手に入れた。

 土曜日、昼夜2公演の情報をtwitterでチェックしながら関西入り。日曜はパンフレットを確実に購入するため、早めに会場の神戸ワールド記念ホールに到着。ステージからは少し遠いが、幕張の2公演に比べてリンクに近く、スケーターの表情がよく分かる良席だった。

 ハイレベルな一芸が次々に繰り出されるオープニング(羽生くんも宇野昌磨くんも4T←いまいち判別がついていないので、他人に教えられるまま)のあとは、一番手が青木祐奈ちゃん、上品なタイスの瞑想曲。二番手がトマシュ・ベルネル。あまりにも普通にイケメンで、一挙一動に見とれる。私、初めて見るかと思ったら、2010年のファンタジー・オン・アイスで見ていた。このショーは、毎年あまりにも豪華すぎて、初心者にはとても消化しきれないのだ。

 次、早くもピアニスト福間洸太朗さんとのコラボで、鈴木明子ちゃんの「月の光」。ピアノ演奏のあるアイスショーいいわー。それから、ジュベールの「Time」、ジョニーの「カルメン」、織田くん「リバーダンス」、ハビエルの帽子プロ。このへんは幕張と同じだが、何度見ても新鮮な感動。前半の見どころのひとつは、フィリップ・キャンデロロの「三銃士」。動画では何度か見ているけど。生では初見。嬉しいなー。

 前半のステファン・ランビエールは、ピアニストの福間さんとのコラボで、ラフマニノフの「プレリュード」。息をするのを忘れるくらいの美しさ。金ボタンの並んだ制服みたいな衣装(背中にファスナーあり)も素敵だった。「より早く、より高く」みたいなアスリート感覚とは別次元で滑っていて、ふわっとゆっくり身体を動かすときの一瞬が、永遠を感じさせる。人間とは違う何か別の存在が氷上で踊っているみたい。

 その直後に羽生結弦くんの「SEIMEI」。正直、動画を見て微妙な感じがしていたのだが、悪くなかった。リンクのそれぞれの隅でジャンプをするのが、四方を踏み固めて国土の安寧を祈る呪術みたいで面白かった。まだジャンプには失敗もあったが、力強く進化中と見た。しかし、90年代には岡野玲子のマンガ『陰陽師』がブームとなり、2000年代に制作された映画主演の野村萬斎もよかったが、新しい安倍晴明の誕生が嬉しくて、にやにやしてしまう。

 ペアのデュハメル&ラドフォード組を挟み(幕張に比べるとペア演技が少なかった)、前半のトリはプルシェンコ「トスカ」。バイオリン奏者マートンとの共演を見るのは初めてなので、思い入れたっぷりの演奏スタイルのマートンも見ていたいけど、プルシェンコのステップも見逃すわけには行かず、目が右往左往してしまった。

 ここで休憩。後半の先陣は宇野昌磨くん。この曲、好きだ。どんどん大人っぽく男らしくなっていくのが眩しい。織田信成くんは、スターウォーズのダースベイダーのテーマ曲で登場。黒マントを翻し、ライトサーベルをカッコよく振り回していたが、途中で曲が転調(?)すると、一転してコミカルな演技に。とっても楽しい。

 サラ・オレインさんとのコラボは、トマシュ・ベルネルが「Dream As One」、ジョニー・ウィアーが「You raise me up」、ブライアン・ジュベールは、岡本知高さん&サラさんのデュエットとの共演で「Time to say Goodbye」。どれもスケーターの個性に合っていて、スケーターがみんな楽しそうな笑顔で滑っていたので、見ている方も幸せになる。特にジュベールにはノックアウトされた。そんなに好きなタイプのスケーターじゃないと思っていたのに、自分の心変わりにうろたえる。

 いろいろ省略して、いよいよ岡本知高さんの生歌「誰も寝てはならぬ(ネッスンドルマ)」によるランビエールの演技。ジャンプの失敗があって、完璧とは言えなかったが、素晴らしかった。最後のスピン! オペラの舞台なら「ブラボー!」の声援が四方から飛ぶところだ。プルシェンコの「カルミナ・ブラーナ」は、幕張に比べるとだいぶ進化した感じが嬉しかった。大トリは羽生くん「天と地のレクイエム」。新しいエキシビションナンバーだというが、とてもパセティック。表現しようとしているものは重いが、心身の充実している今だからこそできるプログラムかもしれない。

 フィナーレは、岡本知高さんの生歌でボレロ。ラベンダー色の布を、思い思いのかたちではためかせながら、スケーターたちが入場してくる演出は素晴らしかった。恒例のジャンプ&スピン大会は、楽公演の開放感か、いつもに増してフリーダム。でも織田くん、宇野くん、ハビエル、ステファンなど、決めるジャンプは決める。

 最後はまた羽生くんのチャレンジかと思っていたら、マイクを取って「今日はジャンプ跳びません」と発言。そのかわり、今日はコラボプロがなかったので、最後に福間さんとコラボします、と聞いて(期待に)ざわつく場内。ショパンのバラード1番が鳴り始めたときは悲鳴みたいな歓声が。最後のステップ部分だけだったけど、ものすごい贅沢をいただきました。また来年ね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真・文楽の世界(阪急うめだギャラリー)

2015-07-06 00:13:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
○阪急うめだギャラリー クールジャパン!文楽ってカッコイイ『文楽の世界』展(2015年7月1日~7月13日)

 所用があって、週末、関西を往復してきた。街歩きする時間はなかったのだが、これだけは寄れた。梅田の阪急百貨店内のギャラリーで開催されている展示イベント(無料)。写真が、ほぼ撮り放題なのがうれしい。



↓勧進帳の弁慶。


↓おなじみ、キツネちゃん。歯が鋭くて、獰猛な印象。


↓人形遣いもリアルな人形(?)で表されている。監修は桐竹勘十郎師。


↓あと、一部で噂のこのポスターを見ることができてよかった。なんというか、やるときはやる関西テイスト。


書き忘れるところだったが、ギャラリー内で、国立文楽劇場監修の文楽を紹介するビデオを流している。約20分と、かなり長いのに、熱心に見入るお客さん多し。住大夫さんとか先代の玉男さんとか、顔ぶれが懐かしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すぐそばの地獄/ルポ保育崩壊(小林美希)

2015-07-02 00:20:06 | 読んだもの(書籍)
○小林美希『ルポ保育崩壊』(岩波新書) 岩波書店 2015.4

 ひとり身の私には不似合いな本だが、気になる書評を目にしたこともあって、読んでみた。もしかすると、全くおかど違いの感想を述べて失笑されてしまうかもしれないが、まあ仕方ない。当初、「保育崩壊」というのは、いくらなんでも煽り過ぎの宣伝文句ではないかと思ったが、読み終えてみると、決して誇張と言えない、寒々とした恐ろしさが残る。

 保育所には、運営形態によっていくつかのタイプがあるが、著者が特に問題視するのは、補助金(公費)を受けた株式会社が運営する民設民営タイプの認可保育所だ。民間企業が保育を事業化し利益を出そうとすれば、人件費を削るしかない。その結果、子どもの数に対して保育士の数が十分でなかったり、単価の高いベテランの保育士が敬遠されたりしている。待機児童を解消した自治体のニュースを聞くと、単純に喜んでいたのだが、実は保育所が乱立する中で、新規の保育所では質の担保ができくい状況にあるというのだ。さらに公立保育所では、待機児童解消のため、定員オーバーでも園児を受け入れるよう、役所から命じられる場合があるそうだ。それは本末転倒というものだろう…。

 高まる保育の需要に対して保育士の人材確保が追いつかないため、現場の保育士の労働実態は過酷なものになっている。給料は安く、仕事は多い。女性の多い職場なのに、職場流産も多い。耐えきれずに辞め、二度と職場に戻らないケースが多く、保育士不足は一向に解消されない。ううむ…間違っている。介護士不足と同じ構造だ。

 補助金で運営されている民間の認可保育所の場合、運営費に見積もられている人件費も安すぎるという。保育士の配置は各年齢の児童数を基礎とするのだが、計算の過程で端数を四捨五入すると、最終的に本来の年齢別の基準を守れない場合が出てきてしまう。開園時間は11時間以上なのに、人件費の算定が保育士一人あたり8時間でされているため、はじめから3時間分が不足しているという問題に至っては、どうして暴動が起きないのかと思う。この上に「利益を上げよう」という企業の意思が働くのだから、たまったものじゃない。

 人手不足の保育所では、「エプロン・テーブルクロス」と言って、ハンドタオルでつくったエプロンの先をテーブルに敷き、その上に食器を置いて、食事をさせることがあるそうだ。食事をこぼしても片づけやすく、タオルの上なら、また食器に戻して食べさせることもできる。しかし、これは子どもの人権を無視した食事方法ではないか、と著者はいぶかる。また、食べるのが遅い子がいると、保育士が後ろに立って、茶碗とスプーンを持ち、子どもの口にかきこむ、というレポートも本書にはある。子どものいない私でも、さすがにそれはいかんだろうと思うが、ベテランの指導を受ける機会もない若い保育士は、そんなものかと受け入れてしまうらしい。

 子どもの情操教育には、二歳だか三歳だかまで母親が一緒にいることが必要、という説を聞いたことがある(うろ覚え)。これは全く信じられないが、逆に、毎日こんな虐待まがいの保育を受けていたら、悪影響がないはずはないと思う。母親であると他人であるとにかかわらず、責任をもって子どもを見守る保護者(保育者)の存在は重要だ。そして、私は全く分かっていなかったけど、保育士の仕事は、預かった子どもの安全を保証するだけではない。健康な生活習慣を身につけるため、適度に運動させたり睡眠を取らせたり(寝かせ過ぎもダメ)、楽器や遊具の使い方を覚え、ほかの子や先生とコミュニケーションを取ることで、集団生活の準備を促すなど、親に代わって子供を「育てる」ことにも責任を負わなければならないのだ。保育士は高度な専門職だと、あらためて認識した。

 保育に限らないけど、共同体の未来を左右する大切な仕事を、損得勘定で動く「企業」に投げ与えてしまって、この国はどこまで堕ちようとしているのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする