■大徳寺本坊(京都市北区)
三連休2日目の日曜日は、朝から大徳寺へ。10月の第二日曜といえば、大徳寺の宝物曝涼(むしぼし)である。昨年は小雨のパラつく生憎の天気だったが、今年は朝から気温も上がり、夏日のような青空。私は三度目の参観になるが、前回よりいくぶん人が少ない気がした。美術ファンは国宝展に流れたのではないか?と想像する。
例年同様、『曝涼品図録』を販売しており、くたびれた見本とは表紙が異なる「新装版」が積んであったので、「内容も変わったんですか?」と聞いたら「内容は同じです」とのこと。売り子のおばちゃんが「こっち(新版)が国宝で、こっち(旧版)が重要文化財ですね」と、よく分からない冗談をおっしゃっる。以下、展示の様子は、昨年のメモを参考に補記する。
※2016秋@大徳寺曝涼(むしぼし)再訪
【第1室】
・鴨居の上に『十王図』。
・高麗仏画『楊柳観音図』。第6室の楊柳観音図ほどは大きくない。
・牧谿筆『龍虎図』二幅。虎図には「虎嘯而風烈」、龍図には「龍興而至雲」という墨書がある。龍虎って、ある意味、風神と雷神なのだなと気づく。
・正面中央は李朝の『釈迦八相図』。素朴絵ふうでほほえましい。
・向かって右列は武将などの肖像画。
【第2室】
・左右の壁に『十六羅漢図』8幅ずつ。「明兆筆」の中に1点だけ「等伯筆」。
・正面中央、牧谿筆の『虎』『鶴』『白衣観音』『猿』『虎』が並ぶ。背を丸くかがめた虎が怖い。
【第3室】
・書状、墨蹟が中心。「茘枝(れいし)」あり。
・絵画は大燈国師の頂相1件のみ。
・花園天皇と大燈国師の筆談問答書が、漢文というより現代中国語っぽい。「向和尚道了」とか。
【第4室】
・鴨居の上に南宋時代の『五百羅漢図』百幅のうちの6幅。前回、「展示作品は毎年同じ」と聞いたので、次回こそ確かめるために図様をメモしておく。左から、(1)野外に椅子を出してくつろぐ。お茶の用意あり。(2)集まって手前の何かを見つめているる。(3)壇上に白い衣を掛けた空席の座。脇に貴人か天部が控えている。(4)腕を長ーく伸ばして超能力を見せる羅漢。(5)左上の洞窟に中に三人(後世の補作)。(6)鹿らしき四つ足の動物。
・頂相多し。臨済義玄とか虚堂智愚とか。
・狩野正信筆『釈迦三尊図』。作者不詳の『寒山拾得図』も好き。
【第5室】
・書状、宸筆。綸旨多し。頂相もあり。困り顔の大燈国師がかわいいのだが、ネットで検索したら白隠の描いたギョロ目の『乞食大燈像』が出てきた。とても同じ人物とは思えない。
・墨蹟「霊光」は、開山大燈国師の塔所「雲門庵」正面の額。はじめ後醍醐天皇の宸筆を賜ったが、応仁の乱で焼け、後土御門天皇から再び賜った。なお、禅寺の方丈は、左右3列の計6室であるところ、大徳寺は2室を加えて8室とし、大燈国師の塔所「雲門庵」と花園法皇の御髪塔を置くという。確かに正面に4室並んでいた。
・襖(障壁)に猿回しが描かれている。
【第6室】
・小さい部屋に作品多数。
・長沢蘆雪筆『龍虎図』二幅と、その間に『大燈国師像』。
・明時代の『猫狗図』二幅。
・そして再び高麗絵画、呉道子の『楊柳観音像』。左上の美麗な鳥を見逃さないよう。粘り気のある波頭の表現は、琳派や若冲にも似ている。
【起龍軒】
・伝・牧谿筆『芙蓉図』と利休の目利き添状。
続いて、いつものように高桐院にまわったら、玄関にこの貼り紙。上品な御婦人が「あら!今年、招待状をいただいたのに」と困っていた。北村美術館の友の会(?)か何かの招待状をお持ちのようだった。
■鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)
このあと夕方まで、観光の予定は何も考えていなかったのだが、思い立って金閣寺へ。行きの新幹線の中で読んできた、梅林秀行さんの『京都の凸凹を歩く2』に影響されている。↓この角度からの金閣寺が見たかった。
そして鏡湖池の南側に広がる「南池」の跡は、現在発掘中。
■茶道資料館 平成29年秋季特別展『仏教儀礼と茶-仙薬からはじまった-』(2017年10月3日~12月3日)
飲料として普及する以前の、仏教文化と深く結びついた茶のあり方を、儀礼にまつわる美術を通して紹介する。東京の美術館でチラシを見て、気になっていたので来てみた。奈良博所蔵の『釈迦三尊像』3幅(鎌倉時代)は美麗。文殊も普賢も、装飾の多いゆったりした衣をまとい、ゴージャス系。大徳寺の『五百羅漢図』百幅からここにも2幅。(1)は、浴室に向かう図で、風呂上りの一杯のためか、天目台と茶碗が用意されている。淋間茶湯(淋汗茶湯)というやつか。(2)は、羅漢を勧請する儀礼で、やはり茶が運ばれている。このほか、茶碗や天目台、仏教の儀礼具なども。
2階の展示室に参考出品として、中国・法門寺出土茶具の複製品があったのも面白かった。銀器に繊細な鍍金、ガラスの茶碗にガラスの茶托のセットもあって、ロココ調と言っても過言でなかった。
バス停の近くに、応仁の乱の激戦場となった「百々橋」の礎石が残っていたので、ちょっと寄り道。
■吉田神社(京都市左京区)
もう1箇所、これも『京都の凸凹を歩く2』に紹介されていた吉田神社へ。以前にも行ったことはあるのだが、多くの参拝者が吉田神社(本宮)だと思っているのは、本来、摂社のひとつで、かつては山上の大元宮が本体だったという話が面白くて、見に行った。
写真の大元宮は、『芸術新潮』の「神社100選」を読んだときも気になった建物で、ようやく確認できた。
三連休2日目の日曜日は、朝から大徳寺へ。10月の第二日曜といえば、大徳寺の宝物曝涼(むしぼし)である。昨年は小雨のパラつく生憎の天気だったが、今年は朝から気温も上がり、夏日のような青空。私は三度目の参観になるが、前回よりいくぶん人が少ない気がした。美術ファンは国宝展に流れたのではないか?と想像する。
例年同様、『曝涼品図録』を販売しており、くたびれた見本とは表紙が異なる「新装版」が積んであったので、「内容も変わったんですか?」と聞いたら「内容は同じです」とのこと。売り子のおばちゃんが「こっち(新版)が国宝で、こっち(旧版)が重要文化財ですね」と、よく分からない冗談をおっしゃっる。以下、展示の様子は、昨年のメモを参考に補記する。
※2016秋@大徳寺曝涼(むしぼし)再訪
【第1室】
・鴨居の上に『十王図』。
・高麗仏画『楊柳観音図』。第6室の楊柳観音図ほどは大きくない。
・牧谿筆『龍虎図』二幅。虎図には「虎嘯而風烈」、龍図には「龍興而至雲」という墨書がある。龍虎って、ある意味、風神と雷神なのだなと気づく。
・正面中央は李朝の『釈迦八相図』。素朴絵ふうでほほえましい。
・向かって右列は武将などの肖像画。
【第2室】
・左右の壁に『十六羅漢図』8幅ずつ。「明兆筆」の中に1点だけ「等伯筆」。
・正面中央、牧谿筆の『虎』『鶴』『白衣観音』『猿』『虎』が並ぶ。背を丸くかがめた虎が怖い。
【第3室】
・書状、墨蹟が中心。「茘枝(れいし)」あり。
・絵画は大燈国師の頂相1件のみ。
・花園天皇と大燈国師の筆談問答書が、漢文というより現代中国語っぽい。「向和尚道了」とか。
【第4室】
・鴨居の上に南宋時代の『五百羅漢図』百幅のうちの6幅。前回、「展示作品は毎年同じ」と聞いたので、次回こそ確かめるために図様をメモしておく。左から、(1)野外に椅子を出してくつろぐ。お茶の用意あり。(2)集まって手前の何かを見つめているる。(3)壇上に白い衣を掛けた空席の座。脇に貴人か天部が控えている。(4)腕を長ーく伸ばして超能力を見せる羅漢。(5)左上の洞窟に中に三人(後世の補作)。(6)鹿らしき四つ足の動物。
・頂相多し。臨済義玄とか虚堂智愚とか。
・狩野正信筆『釈迦三尊図』。作者不詳の『寒山拾得図』も好き。
【第5室】
・書状、宸筆。綸旨多し。頂相もあり。困り顔の大燈国師がかわいいのだが、ネットで検索したら白隠の描いたギョロ目の『乞食大燈像』が出てきた。とても同じ人物とは思えない。
・墨蹟「霊光」は、開山大燈国師の塔所「雲門庵」正面の額。はじめ後醍醐天皇の宸筆を賜ったが、応仁の乱で焼け、後土御門天皇から再び賜った。なお、禅寺の方丈は、左右3列の計6室であるところ、大徳寺は2室を加えて8室とし、大燈国師の塔所「雲門庵」と花園法皇の御髪塔を置くという。確かに正面に4室並んでいた。
・襖(障壁)に猿回しが描かれている。
【第6室】
・小さい部屋に作品多数。
・長沢蘆雪筆『龍虎図』二幅と、その間に『大燈国師像』。
・明時代の『猫狗図』二幅。
・そして再び高麗絵画、呉道子の『楊柳観音像』。左上の美麗な鳥を見逃さないよう。粘り気のある波頭の表現は、琳派や若冲にも似ている。
【起龍軒】
・伝・牧谿筆『芙蓉図』と利休の目利き添状。
続いて、いつものように高桐院にまわったら、玄関にこの貼り紙。上品な御婦人が「あら!今年、招待状をいただいたのに」と困っていた。北村美術館の友の会(?)か何かの招待状をお持ちのようだった。
■鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)
このあと夕方まで、観光の予定は何も考えていなかったのだが、思い立って金閣寺へ。行きの新幹線の中で読んできた、梅林秀行さんの『京都の凸凹を歩く2』に影響されている。↓この角度からの金閣寺が見たかった。
そして鏡湖池の南側に広がる「南池」の跡は、現在発掘中。
■茶道資料館 平成29年秋季特別展『仏教儀礼と茶-仙薬からはじまった-』(2017年10月3日~12月3日)
飲料として普及する以前の、仏教文化と深く結びついた茶のあり方を、儀礼にまつわる美術を通して紹介する。東京の美術館でチラシを見て、気になっていたので来てみた。奈良博所蔵の『釈迦三尊像』3幅(鎌倉時代)は美麗。文殊も普賢も、装飾の多いゆったりした衣をまとい、ゴージャス系。大徳寺の『五百羅漢図』百幅からここにも2幅。(1)は、浴室に向かう図で、風呂上りの一杯のためか、天目台と茶碗が用意されている。淋間茶湯(淋汗茶湯)というやつか。(2)は、羅漢を勧請する儀礼で、やはり茶が運ばれている。このほか、茶碗や天目台、仏教の儀礼具なども。
2階の展示室に参考出品として、中国・法門寺出土茶具の複製品があったのも面白かった。銀器に繊細な鍍金、ガラスの茶碗にガラスの茶托のセットもあって、ロココ調と言っても過言でなかった。
バス停の近くに、応仁の乱の激戦場となった「百々橋」の礎石が残っていたので、ちょっと寄り道。
■吉田神社(京都市左京区)
もう1箇所、これも『京都の凸凹を歩く2』に紹介されていた吉田神社へ。以前にも行ったことはあるのだが、多くの参拝者が吉田神社(本宮)だと思っているのは、本来、摂社のひとつで、かつては山上の大元宮が本体だったという話が面白くて、見に行った。
写真の大元宮は、『芸術新潮』の「神社100選」を読んだときも気になった建物で、ようやく確認できた。