見もの・読みもの日記

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何でも描ける/狩野元信(サントリー美術館)

2017-10-29 23:02:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 六本木開館10周年記念展『天下を治めた絵師 狩野元信』(2017年9月16日~11月5日)

 狩野派の始祖・正信の息子、二代目・狩野元信(1477?-1559)は、卓越した画技を持ち、歴代の狩野派絵師の中で最も高く評価されてきた絵師。和漢の両分野で力を発揮し、大画面から小品まで、多様な注文に素早く対応することで多くのパトロンを獲得し、狩野派の礎を築いた元信の画業を紹介する。9月のうちに一度見に行ったのだが、感想を書かずにいたら、だいぶ印象が薄れてしまった。この週末、再訪した会場の様子を中心に、ときどき前回の記憶を挟みながら書いておく。

 会場に入ってすぐ『四季花鳥図』(旧大仙院方丈障壁画)4幅が目に入る。右端は、渺々たる水面の岸でくつろぐ小鳥、中央には華やかな紅白の牡丹に、姿の珍しい綬鶏(ジュケイ)。左端に視線を移すと、激しいしぶきをあげて落下する水流、それを覗き込む樹上の小鳥たち。たぶん元信のいちばん有名な作品で、本展のチラシやポスターにも使われている。「この場面の展示は10/18→11/5」とあるように、ようやく展示が始まったところだ。序盤は『四季花鳥図』の別の4幅が出ていた。やはり茫洋と広がる大河か湖の岸に松の枝や花鳥を描いた図。解説パネルを見て、序盤に出ていた4幅の右端が、現在の4幅の左端と90度の角度で連なっていたことを知る。流れ落ちる滝の描写が、カナメの位置に来るのか。頭の中で、室内の光景を再構成してみる。

 現在、京博で開催している『国宝』展の解説記事をいくつか読んだ中に「応仁の乱」(1467-1477)を美術史の画期と考える見方があった。「戦前派」は中国美術がお手本であるのに対し、「戦後派」(等伯など)は日本独特の美意識を作り出した、というもの。元信は生没年からみると「戦後派」だが、中国美術をがっちり学び、自家薬籠中のものにしている。ということで、本展には、日本各地に残る中国美術の名品が驚くほどたくさん出ていた。

 岡山県立美術館の『採芝図』とか、個人蔵の『猿猴図』(柳の枝にぶらさがる牧谿猿)とか、珍しい作品が見られて眼福だった。東博の伝・呂紀筆『四季花鳥図』も4幅並んだところを見た記憶がない。大和文華館『文姫帰還図巻』は巻替しながら通期の展示だった。

 また、会期の序盤には、父・正信の代表作をいくつか見ることができた。真珠庵の『竹石白鶴図屏風』(鶴の表情がお茶目)、個人蔵の『山水図』(近景には田舎の橋を渡る高士二人、農家、水郷、遠景に屹立する山)など。狩野正信は、あまり意識したことがなかったけど、これは元信より好きになるかもしれない、と思った。

 本展は正信の水墨画を「真」「行」「草」という分類で紹介する。どれも味わいがあってよい。「草」の大作、真珠庵の『草山水図襖』のふわふわした風景も好きだし、序盤に出ていた「真」の京博『真山水図』、現在展示中の栃木県博『山水図屏風』(雪の描写!)も好きだ。真体の淡彩墨画は、図録写真で見るとペン画のように見える。

 私は元信と聞くと、墨画の襖や屏風が思い浮かぶ(それしか浮かばない)のだが、元信には別の一面もあった。展覧会の後半では、極彩色の絵巻、扇面、さらに仏画を紹介。そうか、サントリー美術館の『酒伝(酒呑)童子絵巻』も正信の作品だったのか。現在、酒呑童子の「首が飛ぶ」迫力の名シーンを展示中。漏れ聞くところによれば、同館の学芸員の方が、そもそもこの絵巻を入手したとき、いつか「狩野元信」で展覧会を開くと心に誓った(※参考:インターネットミュージアム)とうのはいい話である。どう考えても京都にゆかりの深い元信の展覧会を、東京で開いてくれたことには感謝しかない。

 扇面絵も多く残る。扇は元信工房の主力商品で、京の名所、風俗、花鳥、動物、中国人物図など、多種多様な図様が伝わっている。面白かったのは仏画・信仰関係。大徳寺の曝涼で何度か見ている『釈迦三尊図』が来ていた。普賢菩薩がオヤジすぎるやつ。序盤に出ていたものに、園城寺の『鎮宅霊符神像』(道教系の神様)があったり、『富士曼荼羅図』があったりするのも自由でいいなあと思って眺めた。

※参考:狩野辻子(狩野元信邸址)を見に行ったときの記。
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