〇日本民藝館 特別展『ウィンザーチェア-日本人が愛した英国の椅子』(2017年9月7日~11月23日)
18世紀前半にイギリスで生まれたウィンザーチェアを中心に、欧米の多様な椅子を展観し、その造形美を紹介する特別展。主に日本や朝鮮の工芸を収集している同館では、やや異色の企画である。
そもそも「ウィンザーチェア」というものをよく知らないので調べてみた。Wikipediaによれば、「17世紀後半よりイギリスで製作され始めた椅子」で「当初は地方の地主階級民の邸宅や食堂などで主に使用されていたが、やがて旅館やオフィスや中流階級の一般家庭にも浸透していき(略)1720年代にはアメリカ合衆国へ渡り、簡素で実用的な椅子として大流行した」という。英国の木材を使った英国固有の家具であったが、18世紀前半にはアメリカンウィンザーが作り始められた。日本では1951年(昭和26年)頃から信州松本で作られ始め、現在に到る。なお、名前の由来は定かでないそうだ。
もう少し実体に即した定義を、ある椅子工房のホームページから引用しておく。「分厚い木製の座板に尻形の窪みがかたどられ、その座板の面に脚や背棒が直接ホゾ継ぎで差し込まれた椅子。補強のために、脚をホゾ継ぎした貫で補強することが多い」とあり、展覧会を見てきたあとで読むと、非常に納得がいく。
展示は、いつものように2階の大展示室から見始めた。中央のスペースには、さまざまな顔を持つウィンザーチェアが、入口を向いて行儀よく配置されている。壁際に並べられたものをあわせると、30脚くらい。テーブルの周囲に集められた4脚もあったが、よく見ると揃いではなく、微妙に形が異なっていた。背の形状によって、コムバック(細い棒が並行して並び、櫛の歯状)、ボウバック(背の上部が弓状)、ファンバック(下がすぼまる台形)、ハイバック、ローバックなどの名前があることを理解する。一部は、松本民芸生活館等の所蔵品だった。
座板に厚みがあってどっしりしているのに比べ、椅子の脚はどれも細く、補強のための横棒を渡しているものが少ないので、体の大きな人が座っても大丈夫だろうかと不安になる。童話「3びきのくま」で、子ぐまの椅子を壊してしまう女の子のことを思い出した。脚は地面に垂直ではなく、少し下を開き気味に座板に差し込まれている。座板の表面に脚の先端が見えていることもある。中には、簡素の極みで三本足の椅子もあった。座板は、横幅はゆったりしているが前後は狭いように感じた。むかしデパートの食堂で見たような、子供用のハイチェアがあるのも面白かった。
椅子のまわりには、スリップウェア、デルフトの陶器タイル、グレゴリオ聖歌の楽譜、ルーマニアのガラス絵など、見る機会の少ない欧米の民藝が取り合わされていた。大展示室の外には、アメリカ製やフランス製のウィンザーチェアがあったが、たぶん原料の木が違うのだろう、だいぶ風合いが違って見えた。
2階は回廊部分も「ウィンザーチェア」で、さらにもう1室を関連展示の「欧米の多様な椅子」に使っていた。教会や学校にありそうな、背もたれのないロングベンチ、あるいは垂直な背もたれのついた四角いベンチなど。至るところ椅子だらけなのに「座れない」という状況が可笑しく思えてくる。ほかは「仏具と神具」「舩木道忠・研児とバーナード・リーチ(近代工芸)」「朝鮮時代の生活工芸」。
1階へ下りる。今回、踊り場の中央に据えられたのは、やはりウィンザーチェアで、照明の効果で、白い壁に映る影の美しさが印象的だった。その上にスウェーデンの壁画「サマリアの井戸」が掛けられていて、オレンジと紺の色合いが近代ふうに感じられた。両側にグレゴリオ聖歌の楽譜も並んでいたと記憶する。玄関広間の展示ケースにはスリップウェアなど。階段に向かって右手の2室は「日本の古陶」と「日本の織物」で、「古陶」は素朴なスリップウェアふうのもの、「織物」はチェック(絣)や縞が多く、イギリスふうを狙っているな、と感じられた。
「織物」を特集することの多い左奥の展示室は「欧米の多様な椅子」。私はこの部屋にあった「肋骨の椅子」(19世紀、アメリカ)が気に入った。ラダーバックとも呼ばれ、梯子のように複数の横板が並んだ、まっすぐな背が特徴的である。座りやすそうな気がする。この展示室には、テーブルの上に無造作にスリップウェアの器が並んでいたり、ニューメキシコの祭壇画(完全な素朴絵)もあって、面白かった。
たぶん全館で50脚以上の椅子を見ることができる展覧会。でも座れないのが心残り。松本に行くと、民芸家具を使っている喫茶店があるらしいので、「座りに」行ってこようかと思う。
18世紀前半にイギリスで生まれたウィンザーチェアを中心に、欧米の多様な椅子を展観し、その造形美を紹介する特別展。主に日本や朝鮮の工芸を収集している同館では、やや異色の企画である。
そもそも「ウィンザーチェア」というものをよく知らないので調べてみた。Wikipediaによれば、「17世紀後半よりイギリスで製作され始めた椅子」で「当初は地方の地主階級民の邸宅や食堂などで主に使用されていたが、やがて旅館やオフィスや中流階級の一般家庭にも浸透していき(略)1720年代にはアメリカ合衆国へ渡り、簡素で実用的な椅子として大流行した」という。英国の木材を使った英国固有の家具であったが、18世紀前半にはアメリカンウィンザーが作り始められた。日本では1951年(昭和26年)頃から信州松本で作られ始め、現在に到る。なお、名前の由来は定かでないそうだ。
もう少し実体に即した定義を、ある椅子工房のホームページから引用しておく。「分厚い木製の座板に尻形の窪みがかたどられ、その座板の面に脚や背棒が直接ホゾ継ぎで差し込まれた椅子。補強のために、脚をホゾ継ぎした貫で補強することが多い」とあり、展覧会を見てきたあとで読むと、非常に納得がいく。
展示は、いつものように2階の大展示室から見始めた。中央のスペースには、さまざまな顔を持つウィンザーチェアが、入口を向いて行儀よく配置されている。壁際に並べられたものをあわせると、30脚くらい。テーブルの周囲に集められた4脚もあったが、よく見ると揃いではなく、微妙に形が異なっていた。背の形状によって、コムバック(細い棒が並行して並び、櫛の歯状)、ボウバック(背の上部が弓状)、ファンバック(下がすぼまる台形)、ハイバック、ローバックなどの名前があることを理解する。一部は、松本民芸生活館等の所蔵品だった。
座板に厚みがあってどっしりしているのに比べ、椅子の脚はどれも細く、補強のための横棒を渡しているものが少ないので、体の大きな人が座っても大丈夫だろうかと不安になる。童話「3びきのくま」で、子ぐまの椅子を壊してしまう女の子のことを思い出した。脚は地面に垂直ではなく、少し下を開き気味に座板に差し込まれている。座板の表面に脚の先端が見えていることもある。中には、簡素の極みで三本足の椅子もあった。座板は、横幅はゆったりしているが前後は狭いように感じた。むかしデパートの食堂で見たような、子供用のハイチェアがあるのも面白かった。
椅子のまわりには、スリップウェア、デルフトの陶器タイル、グレゴリオ聖歌の楽譜、ルーマニアのガラス絵など、見る機会の少ない欧米の民藝が取り合わされていた。大展示室の外には、アメリカ製やフランス製のウィンザーチェアがあったが、たぶん原料の木が違うのだろう、だいぶ風合いが違って見えた。
2階は回廊部分も「ウィンザーチェア」で、さらにもう1室を関連展示の「欧米の多様な椅子」に使っていた。教会や学校にありそうな、背もたれのないロングベンチ、あるいは垂直な背もたれのついた四角いベンチなど。至るところ椅子だらけなのに「座れない」という状況が可笑しく思えてくる。ほかは「仏具と神具」「舩木道忠・研児とバーナード・リーチ(近代工芸)」「朝鮮時代の生活工芸」。
1階へ下りる。今回、踊り場の中央に据えられたのは、やはりウィンザーチェアで、照明の効果で、白い壁に映る影の美しさが印象的だった。その上にスウェーデンの壁画「サマリアの井戸」が掛けられていて、オレンジと紺の色合いが近代ふうに感じられた。両側にグレゴリオ聖歌の楽譜も並んでいたと記憶する。玄関広間の展示ケースにはスリップウェアなど。階段に向かって右手の2室は「日本の古陶」と「日本の織物」で、「古陶」は素朴なスリップウェアふうのもの、「織物」はチェック(絣)や縞が多く、イギリスふうを狙っているな、と感じられた。
「織物」を特集することの多い左奥の展示室は「欧米の多様な椅子」。私はこの部屋にあった「肋骨の椅子」(19世紀、アメリカ)が気に入った。ラダーバックとも呼ばれ、梯子のように複数の横板が並んだ、まっすぐな背が特徴的である。座りやすそうな気がする。この展示室には、テーブルの上に無造作にスリップウェアの器が並んでいたり、ニューメキシコの祭壇画(完全な素朴絵)もあって、面白かった。
たぶん全館で50脚以上の椅子を見ることができる展覧会。でも座れないのが心残り。松本に行くと、民芸家具を使っている喫茶店があるらしいので、「座りに」行ってこようかと思う。