〇永江朗『ときどき、京都人:東京←→京都、二都の生活』 徳間書店 2017.9
京都駅八条口の近鉄名店街に「ふたば書房」という本屋さんがある。文庫・新書だけでなく、読み応えのある本もおいているので、旅先で本が切れたときには重宝している。それと、さすが京都に関する本の品揃えがよくて、東京で見かけないような本が見つかる。先日は、永江さんの京都本が2冊出ていたので、まとめて買ってしまった。これはその1冊である。
フリーライターの永江朗さんが、京都の古い町家を購入し、改装して住み始める顛末記『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン、2011)は抜群に面白かった。前著は、著者と奥さんが、東京・京都の二重生活を開始したところで終わる。それから6年、今でも著者は「ひと月のうち1週間から10日間ほどを京都で暮らす」ことを楽しんでいるそうだ。いいなあ。
「まえがき」に紹介されている二都生活の概略を読むだけでわくわくする。朝ゆっくり新横浜を出て、新幹線で弁当を食べ、昼過ぎに京都着。「わが家」を点検して、1週間分の食材を買いに出かけ、レンタルビデオ店でDVDを借り、夕食は予約した店で食べる。もうこれだけで、ごろごろ転がりたくなるほどうらやましい。そんな面倒な生活のどこがいいのか、と思う人もいるだろうけど、私は、適度に「移動」と「変化」のある生活が好きなのだ。
本書は「ときどき」生活だからこそ見えてくる京都人の姿、京都の四季、穴場、美味しいものなどがたくさん紹介されている。鴨川の葵橋の近くで野生のヌートリアを見た話、烏丸三条付近でアルパカを見た話には驚いた。市中に蛍の集まるスポットがあるというのは初耳。今度、ぜひ見てみたい。東京のセミは「ミーンミーン」と鳴くが、京都のクマゼミは「シュワシュワシュワー」と鳴くというのはそうそう、と思い当たるところがあった。
美味しいものといえば、やっぱりパン。気になるパン屋の名前がたくさん挙がっているので、とりあえず書き抜いておこう。ナカガワ小麦店、ブランジュリーまっしゅ京都、ジェムルブルー、花かご、ル・プチメック、アネ、オレノパン、雨の日も風の日も。忘れてならない進々堂。
それから、観光案内本には登場しない数々の場所。夷川発電所は私も好きだ。隠れた花見スポットでもあるという。京都芸術センター、京都会館あらため「ロームシアター京都」、平安京創生館は、行ったことのない公共施設。京都タワーについての著者の感想は暖かい。今江祥智さんのお通夜のあと、夜の五条大橋を渡りながら、京都タワーを見上げて、灯台のようだと思ったという。心に暖かい灯のともるような短章である。先日、知ったばかりの金閣寺の七重塔(相輪の破片が発掘された)の話や、悪縁切りの安井金毘羅宮の話もあった。
極めつけは、やはり京都の祭りに関するもの。「葵祭」「祇園祭」「送り火(大文字)」「地蔵盆」「時代祭」…私が祭礼好きなので、どの文章にも懐かしさを感じた。毎年、繰り返される祭礼でありながら、今年の宵宵山はすさまじく暑かったとか、台風とぶつかり、大雨の中を巡行する山鉾は迫力があって神々しかったなど、その年だけの感慨が加わるのが面白いと思う。時代祭を、雅楽奏者だった亡き夫の遺骨とともに見物していた婦人の話もよかった。祭礼は、繰り返されることに意味があると、しみじみ感じた。
紅葉は京都人の一大関心事で、晩秋になると「紅葉はどちらへ?」が挨拶代わりになるという。へええ、私は札幌で暮らしたとき、地元育ちの人から「つい最近まで秋は必ず紅葉狩りに行ったんですよ」と聞いて、そんな古い言葉が生きていたのかと感心したが、京都もそうらしい。「去年の紅葉はだめだった」「その前は見事だった」という記憶が継承されていたり、「どちらへ?」と聞かれて「植物園」と答え、「そりゃまた通ですな」とほめられた話も面白い。観光客が殺到する東福寺や清水寺と答えては馬鹿にされるのだろう、たぶん。
京都駅八条口の近鉄名店街に「ふたば書房」という本屋さんがある。文庫・新書だけでなく、読み応えのある本もおいているので、旅先で本が切れたときには重宝している。それと、さすが京都に関する本の品揃えがよくて、東京で見かけないような本が見つかる。先日は、永江さんの京都本が2冊出ていたので、まとめて買ってしまった。これはその1冊である。
フリーライターの永江朗さんが、京都の古い町家を購入し、改装して住み始める顛末記『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン、2011)は抜群に面白かった。前著は、著者と奥さんが、東京・京都の二重生活を開始したところで終わる。それから6年、今でも著者は「ひと月のうち1週間から10日間ほどを京都で暮らす」ことを楽しんでいるそうだ。いいなあ。
「まえがき」に紹介されている二都生活の概略を読むだけでわくわくする。朝ゆっくり新横浜を出て、新幹線で弁当を食べ、昼過ぎに京都着。「わが家」を点検して、1週間分の食材を買いに出かけ、レンタルビデオ店でDVDを借り、夕食は予約した店で食べる。もうこれだけで、ごろごろ転がりたくなるほどうらやましい。そんな面倒な生活のどこがいいのか、と思う人もいるだろうけど、私は、適度に「移動」と「変化」のある生活が好きなのだ。
本書は「ときどき」生活だからこそ見えてくる京都人の姿、京都の四季、穴場、美味しいものなどがたくさん紹介されている。鴨川の葵橋の近くで野生のヌートリアを見た話、烏丸三条付近でアルパカを見た話には驚いた。市中に蛍の集まるスポットがあるというのは初耳。今度、ぜひ見てみたい。東京のセミは「ミーンミーン」と鳴くが、京都のクマゼミは「シュワシュワシュワー」と鳴くというのはそうそう、と思い当たるところがあった。
美味しいものといえば、やっぱりパン。気になるパン屋の名前がたくさん挙がっているので、とりあえず書き抜いておこう。ナカガワ小麦店、ブランジュリーまっしゅ京都、ジェムルブルー、花かご、ル・プチメック、アネ、オレノパン、雨の日も風の日も。忘れてならない進々堂。
それから、観光案内本には登場しない数々の場所。夷川発電所は私も好きだ。隠れた花見スポットでもあるという。京都芸術センター、京都会館あらため「ロームシアター京都」、平安京創生館は、行ったことのない公共施設。京都タワーについての著者の感想は暖かい。今江祥智さんのお通夜のあと、夜の五条大橋を渡りながら、京都タワーを見上げて、灯台のようだと思ったという。心に暖かい灯のともるような短章である。先日、知ったばかりの金閣寺の七重塔(相輪の破片が発掘された)の話や、悪縁切りの安井金毘羅宮の話もあった。
極めつけは、やはり京都の祭りに関するもの。「葵祭」「祇園祭」「送り火(大文字)」「地蔵盆」「時代祭」…私が祭礼好きなので、どの文章にも懐かしさを感じた。毎年、繰り返される祭礼でありながら、今年の宵宵山はすさまじく暑かったとか、台風とぶつかり、大雨の中を巡行する山鉾は迫力があって神々しかったなど、その年だけの感慨が加わるのが面白いと思う。時代祭を、雅楽奏者だった亡き夫の遺骨とともに見物していた婦人の話もよかった。祭礼は、繰り返されることに意味があると、しみじみ感じた。
紅葉は京都人の一大関心事で、晩秋になると「紅葉はどちらへ?」が挨拶代わりになるという。へええ、私は札幌で暮らしたとき、地元育ちの人から「つい最近まで秋は必ず紅葉狩りに行ったんですよ」と聞いて、そんな古い言葉が生きていたのかと感心したが、京都もそうらしい。「去年の紅葉はだめだった」「その前は見事だった」という記憶が継承されていたり、「どちらへ?」と聞かれて「植物園」と答え、「そりゃまた通ですな」とほめられた話も面白い。観光客が殺到する東福寺や清水寺と答えては馬鹿にされるのだろう、たぶん。