見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

二都生活の発見/ときどき、京都人(永江朗)

2017-10-26 21:51:58 | 読んだもの(書籍)
〇永江朗『ときどき、京都人:東京←→京都、二都の生活』 徳間書店 2017.9

 京都駅八条口の近鉄名店街に「ふたば書房」という本屋さんがある。文庫・新書だけでなく、読み応えのある本もおいているので、旅先で本が切れたときには重宝している。それと、さすが京都に関する本の品揃えがよくて、東京で見かけないような本が見つかる。先日は、永江さんの京都本が2冊出ていたので、まとめて買ってしまった。これはその1冊である。
 
 フリーライターの永江朗さんが、京都の古い町家を購入し、改装して住み始める顛末記『そうだ、京都に住もう。』(京阪神エルマガジン、2011)は抜群に面白かった。前著は、著者と奥さんが、東京・京都の二重生活を開始したところで終わる。それから6年、今でも著者は「ひと月のうち1週間から10日間ほどを京都で暮らす」ことを楽しんでいるそうだ。いいなあ。

 「まえがき」に紹介されている二都生活の概略を読むだけでわくわくする。朝ゆっくり新横浜を出て、新幹線で弁当を食べ、昼過ぎに京都着。「わが家」を点検して、1週間分の食材を買いに出かけ、レンタルビデオ店でDVDを借り、夕食は予約した店で食べる。もうこれだけで、ごろごろ転がりたくなるほどうらやましい。そんな面倒な生活のどこがいいのか、と思う人もいるだろうけど、私は、適度に「移動」と「変化」のある生活が好きなのだ。

 本書は「ときどき」生活だからこそ見えてくる京都人の姿、京都の四季、穴場、美味しいものなどがたくさん紹介されている。鴨川の葵橋の近くで野生のヌートリアを見た話、烏丸三条付近でアルパカを見た話には驚いた。市中に蛍の集まるスポットがあるというのは初耳。今度、ぜひ見てみたい。東京のセミは「ミーンミーン」と鳴くが、京都のクマゼミは「シュワシュワシュワー」と鳴くというのはそうそう、と思い当たるところがあった。

 美味しいものといえば、やっぱりパン。気になるパン屋の名前がたくさん挙がっているので、とりあえず書き抜いておこう。ナカガワ小麦店、ブランジュリーまっしゅ京都、ジェムルブルー、花かご、ル・プチメック、アネ、オレノパン、雨の日も風の日も。忘れてならない進々堂。

 それから、観光案内本には登場しない数々の場所。夷川発電所は私も好きだ。隠れた花見スポットでもあるという。京都芸術センター、京都会館あらため「ロームシアター京都」、平安京創生館は、行ったことのない公共施設。京都タワーについての著者の感想は暖かい。今江祥智さんのお通夜のあと、夜の五条大橋を渡りながら、京都タワーを見上げて、灯台のようだと思ったという。心に暖かい灯のともるような短章である。先日、知ったばかりの金閣寺の七重塔(相輪の破片が発掘された)の話や、悪縁切りの安井金毘羅宮の話もあった。
 
 極めつけは、やはり京都の祭りに関するもの。「葵祭」「祇園祭」「送り火(大文字)」「地蔵盆」「時代祭」…私が祭礼好きなので、どの文章にも懐かしさを感じた。毎年、繰り返される祭礼でありながら、今年の宵宵山はすさまじく暑かったとか、台風とぶつかり、大雨の中を巡行する山鉾は迫力があって神々しかったなど、その年だけの感慨が加わるのが面白いと思う。時代祭を、雅楽奏者だった亡き夫の遺骨とともに見物していた婦人の話もよかった。祭礼は、繰り返されることに意味があると、しみじみ感じた。

 紅葉は京都人の一大関心事で、晩秋になると「紅葉はどちらへ?」が挨拶代わりになるという。へええ、私は札幌で暮らしたとき、地元育ちの人から「つい最近まで秋は必ず紅葉狩りに行ったんですよ」と聞いて、そんな古い言葉が生きていたのかと感心したが、京都もそうらしい。「去年の紅葉はだめだった」「その前は見事だった」という記憶が継承されていたり、「どちらへ?」と聞かれて「植物園」と答え、「そりゃまた通ですな」とほめられた話も面白い。観光客が殺到する東福寺や清水寺と答えては馬鹿にされるのだろう、たぶん。
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謎のコレクター夢石庵を探して/末法(細見美術館)

2017-10-26 00:13:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
細見美術館 『末法/Apocalypse-失われた夢石庵コレクションを求めて-』(2017年10月17日~12月24日)

 釈迦の死後1500年(一説には2000年)を経て始まるといわれる「末法」の世。平安の貴族たちは、永承7年(1052)に末法の世に入るという予言を信じ、極楽浄土への往生を願って、数々の経典や仏像を伝え残してきた。本展は、そんな時代精神の中から生み出された美術作品を愛し、蒐集した、知られざるコレクター夢石庵の全貌を初めて紹介する。

 この謎めいた展覧会に行ってきた。展示室に入ると、細見美術館にしては、いつになく照明が暗い。中央に露出展示の十一面観音立像(平安時代、頭上面は失われている)。あどけないお顔が、比叡山・横川中堂の聖観音を思い出させる。興福寺の乾漆八部衆にもこんな顔の子がいたなと考える(たぶん沙羯羅である)。しかし、上からの強い照明のせいで顎の下に強い影ができ、顔の輪郭も逆三角形が強調されているが、明るいところで見たら印象が違うかもしれない。ちなみ四足の台(机)に載っていて、この台も由緒ありげだった。

 第1展示室は、絵画が4点と、彫刻(立体)が6点くらい。全て仏教美術である。絵画の『愛染明王像』は、暗いけれど、よく見ると豪華。上部には天蓋のような瓔珞、蓮華座から下へ宝物が散っている。立体の『迦陵頻像』は、もとは仏像の光背についていたものと思われる。大きく腰をひねり、踊るように片手片足を上げ、破顔一笑しているのだが、屈託のない笑顔が、なぜか禍々しくて怖い。暗闇のせいか、異形のものだからそう感じるのか。

 また、金色の小さな誕生釈迦仏立像(図録で見ると金色でないので驚いている)と『春日厨子』の展示もあった。誕生仏に比して厨子がかなり大きかったので、この展覧会のために(あるいは旧蔵者が)取り合わせたものだろうと思った。春日厨子は、4枚の扉の内側に絵が描かれている。3枚は僧形の人物なのに、1枚だけ釣り殿ふうの建物に王朝貴族ふうの男性が描かれてていた。その前に数名の女性がいるように見えたが、図録を見たらおかっぱの子供たちで、聖徳太子四歳の兄弟喧嘩の場面だという。なるほど。

 木造天部立像は左右の足の下に一匹ずつ邪鬼がいて、肩を寄せ合い、ささやき合っている様子なのが可愛かった。奥にいらした弥勒菩薩立像(鎌倉時代)は絶品。檀像ふうの強く波打つ衣の襞。大きな蓮華のつぼみの長い茎を両手で支えている。美しすぎる光背と宝冠。眼前にこんな美しいほとけがいては、現世を思い切れないではないかと戸惑うくらい美しい。

 第2展示室に入ると、すぐ目につくのが『印地打図屏風』(室町~桃山時代、前期のみ展示)。意外と大きい。二曲一双で、右半分はかなり傷んで金箔が剥がれている。印地打ちとは小石の投げ合いである。左側は、上下(遠景と近景)に二列の松林があり、右端の松の木は低く、左端は低く描くことで、画面に奥行きを与えている。赤や白の旗、あるいは棒切れや扇を持った人々が集団で争っている。だいたい着物は短く、上半身裸のものも少なくない。いま図録の拡大写真を見ると、全て子供のように思える。右側は黒ずんでいて見にくいが、海が湖がある。上部(遠景)には白く長い布を干して(張りめぐらせて)いる様子。結界なのか? 争いに加わらない見物人もいるようだ。類例を全く見たことのない屏風である。

 応挙の『驟雨江村図』は『七難図』の洪水を思わせるような不穏な雲と水辺の光景を描く。等伯の『四季柳図屏風』は金地と柳の緑しか使わずに四季を表現したオシャレな屏風。金地にエンボス(浮き出し)加工で柴垣を表現しているのも面白い。落款はなかったが、図録によれば「巧みな表現描写から長谷川等伯と認められる」とのこと。司馬江漢の『寒柳水禽図』は洋風画。小さな遠景の建物もしっかり西洋風である。

 「夢石庵」という謎のコレクターの正体が知りたくて、見覚えのある作品はないかと探していたら『普賢菩薩像』に目が留まった。これは知ってる!と思ったら、細見美術館の所蔵品だったので苦笑してしまった。この部屋の左側の展示ケースには、4枚の畳をしつらえ、それぞれ軸物と根来の盤や仏具などが取り合わせてあって、楽しかった。私も自宅にたたみ一畳でいいからこういう空間が持てるようになりたい。

 最後の第3展示室は古経の優品が多数。『紺紙金字法華経(平基親願経)』は、紺紙の扉に彩色あざやかに胡蝶を舞う二人の童子が描かれている。華やかだが、紺紙の空間が孤独感を掻き立てる。『紺紙金字弥勒上生経残闕(藤原道長願経)』は、道長が金峯山に埋めたものだ。たぶん原本の半分くらいの高さしか残っていない、そのちぎれ具合に無常を感じられて、たいへんよい。それにしても解説パネルに「弥勒下生を待つことなく濁世に召喚され、この展示室に集められた」とあったのは、ちょっと古経に(?)感情移入し過ぎで笑ってしまった。

 すごかったのは『金峯山経塚遺宝』で、図録には「安田善次郎、吉川霊華、森田清一、杉浦丘園旧蔵品を中心に、金峯山遺跡を想像復元してみた」とある。大きな平たいケースに、神像、鏡像、懸仏など主に金工品(の断片)が、ごちゃごちゃと積まれている(実は重なり過ぎないよう工夫されている)。よく見ると、開元通宝とおぼしき銅銭も混じっていた。最後に『金銀鍍透彫光背』(鎌倉時代)。風にそよぐような繊細な金銀細工に、赤や青や緑の色ガラス(?)が嵌め込まれている。不在の仏様が目に見えてくるような光背である。

 見に行ったのは金曜の昼下がりで、ほかの観客は数組しか見かけなかった。ときどき、展示室内に自分ひとりだけになる時間があって、自分がこの「夢石庵コレクション」の持ち主になったような気持ちで楽しめた。
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