見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

特別公開:鬼大師(深大寺)+いも観音(東京長浜観音堂)

2021-11-13 20:52:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

天台宗別格本山 浮岳山昌楽院深大寺(調布市) 東京国立博物館「出開帳」記念・元三大師胎内仏「鬼大師」特別公開(2021年11月3日~11月21日)

 いま、東博の特別展『最澄と天台宗のすべて』に慈恵大師(別名は元三大師)良源坐像が出陳されていることを記念し、その元三大師像の胎内仏である、秘仏・鬼大師像が深大寺で御開帳になっていると聞いて、見てきた。文化13年、江戸両国で元三大師像と鬼大師像が出開帳されて以来、205年ぶりの御開帳だという。あわせて、江戸時代の版木を用いた元三大師さまのお姿の復刻版画札を限定授与するというのも楽しみにしていたが、予定数を終了していて、いただくことはできなかった。

 鬼大師像は像高15cmくらい。全身真っ黒で、カッと口を開け、丸い金色の目が輝く。二本の角が長いのが、なるほど、鬼大師像だと思わせる。東博の特集展示『浅草寺のみほとけ』に出ていた角大師坐像に比べると、童話的でかわいらしい感じ。秘仏なのだが、以下の記事に写真が掲載されている。

205年ぶり「鬼大師」公開 調布・深大寺、疫病退散を祈願(毎日新聞2021/11/5)

 境内は大賑わいで、鬼太郎茶屋にも深大寺そばのお店にも寄れなかったのは、ちょっと残念。

東京長浜観音堂 『安念寺 いも観音』(2021年9月15日~11月14日)

 日本橋の長浜観音堂にも行ってきた。安念寺(長浜市木之本町黒田)のいも観音さんは、これまで何度か見ている。最近では、2019年に上野の「びわ湖長浜KANNON HOUSE」でも拝見した。あのときと同じ仏様ですか?とお聞きしたら、「そうです。同じ展示ケースを使っているので。ちょうどこのケースに入るのが、この2躯なので」とおっしゃっていた。

 寺伝は、左が毘沙門天、右が大日如来と伝えるが、右は、ストンと直立した姿勢、背中の部材などから、千手観音の可能性もあると見られているそうだ。

 「いも観音」の名前で安念寺に伝わった破損仏は17躯あったが、十数年前(平成時代!)に7躯が盗難に遭い、現存は10躯。地元では、クラウドファンディングで募金を募り、この夏、観音堂の修復工事が完了したという。よかった!

長浜・安念寺で落慶法要 修復工事終え「いも観音」がお堂に戻る(長浜経済新聞2021/8/11)

 湖北の観音巡礼、また行ってみたい。教えていただいた「観音コンシェルジュ」のサービスも覚えておこう。

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信仰が生んだお宝/最澄と天台宗のすべて(東京国立博物館)

2021-11-13 00:30:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念・特別展『最澄と天台宗のすべて』(2021年10月12日~11月21日)

  とにかく見たかった『聖徳太子及び天台高僧像』全10幅を堪能したので、そのほかの展示物に目を向ける。まず冒頭に、滋賀・観音寺の伝教大師(最澄)坐像。最澄関係の展覧会には、必ず出てくるものだ。木造素地で、頭巾を被って禅定印を結ぶ。福々しい丸顔なのに眉根を寄せた表情が険しい。あと、頭巾の結び方や衣の合わせ方のせいなのだろうが、微妙に左右対称でない感じがする。

 絵画では、聖衆来迎寺の六道絵が一部来ていた。あまり意識していなかった『優婆塞戒経所説念仏功徳』の幅、地獄の釜が割れて、蓮華に乗った赤子が助かっていく場面が面白い。延暦寺の『普賢延命像』は4頭の白象の脚が長くて筋肉質でカッコいい。二十臂の普賢菩薩は、はっきり髭が描かれた男前。蓮華座もどこか異国風でよい。あと『真如堂縁起』『天狗草紙』など、展示の絵巻類には、僧兵の衆議の場面が目立つように思った。

 彫刻は、伝・慈覚大師円仁像(黒石寺)、智証大師円珍坐像(園城寺)など、最澄の弟子たちの肖像を丹念に辿る。その先に慈眼大師天海も登場するわけだが、栃木・輪王寺に伝わる坐像は、まだ気力も体力も充実した若々しさを伝える。

 仏像では、京都・法界寺の秘仏・薬師如来立像がおいでなっていた。延暦寺根本中堂の本尊で最澄が自刻したと伝わる秘仏・薬師如来立像の姿に近いと言われているそうだ。木造だが銅造みたいに滑らかな素地。衣文の彫りは浅く、截金が残る。卵形の顔にやや横に広い鼻が目立つ。法界寺に行ったことはあるが、秘仏・薬師如来は「防災訓練のときに見られる」とだけ聞いていたものだ。

 延暦寺の護法童子像は、2020年に発見された像内納入品の小さな不動明王像などとともに展示されていた(京都新聞2020/10/16)。いかにも鎌倉彫刻らしい、力の籠った童子像で、玉眼が威圧的である。なんだか個性的な十二神将立像(4躯)が来ているなあと思ったら、愛知・瀧山寺のものだった。図録に、『薬師経』に説く十二薬叉(=夜叉)神将の原義への回帰を意図した可能性が指摘されている、とあって気になった。

 東京・寛永寺の秘仏・薬師如来及び両脇侍立像は、比叡山の再現を意図しており、棒のように直立不動の薬師如来は滋賀・石津寺から、腰のひねりが色っぽい両脇侍の日光・月光菩薩は山形・立石寺から移されたものである。展示では、この左右に滋賀・善水寺の梵天・帝釈天立像が置かれていた。平たい顔でお腹の出た、鄙びた印象の梵天・帝釈天。善水寺からは、痩せさらばえた老僧の姿をした聖僧文殊菩薩坐像も来ていた。最澄は、寺院には必ず聖僧文殊の像を置くべきと考えており、本像も根本中堂の像にならってつくられた可能性があるという。信仰とは、信じるもののコピーをつくって、身近に引き寄せることなのだな。

 そういえば、東京・深大寺の慈恵大師良源坐像が出ていると聞いたが、ないなあと思っていたら、最後だった。坐高が2メートル近い巨象で、黒い顔に金色の両目が光っており、かなりギョッとする。白鳳仏の釈迦如来倚像も一緒に来ていった。

 充実した内容に大満足したのだが、買って帰った図録をパラパラ眺めると、見ることのできなかった気になる文化財が多数ある。実は、東京・九州・京都の3会場の展示品の総計は232件。うち東京会場での展示は80件余り(出品目録の数え方に拠る)で、さらに展示替えがあるので、1回行っただけでは全体の三分の一も見られないのだ。

 図録で初めて存在を知って、激しく心を惹かれているのは、愛媛・等妙寺の菩薩遊戯坐像(伝・如意輪観音)で九州と京都に出陳される。延暦寺横川中堂の聖観音菩薩立像、絵画では『釈迦金棺出現図』も九州と京都。見たことのない『聖徳太子二侍者像(廟窟太子)』は京都のみ。どうせ、それぞれ展示替えがあるのだろうけど、可能な限り都合をつけて、見たいものを見に行きたい。

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聖徳太子及び天台高僧像を見る/最澄と天台宗のすべて(東京国立博物館)

2021-11-11 21:49:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念・特別展『最澄と天台宗のすべて』(2021年10月12日~11月21日)

 2021年が、伝教大師最澄(766or767-822)の1200年の大遠忌にあたることを記念し、延暦寺における日本天台宗の開宗から江戸時代に至るまでの天台宗の歴史を紹介する。東京会場の出品点数は80件余りだが、けっこう細かな展示替えがある。その中で、狙いを定めて11/6(土)の予約を取ったのは、兵庫・一乗寺の『聖徳太子及び天台高僧像』全10幅(平安時代)が勢ぞろいする期間だからだ。

 9:30の開館と同時に入館するために、早めに行って門前に並んだ。開門を待つ間、スタッフの方が「正面が本館、右が東洋館、奥が平成館です」みたいな丁寧な案内をしてくれるのを初めて聞いた。会場では、最初から順序よく見るのではなく、『聖徳太子及び天台高僧像』のある場所に直行しようと決めていた。ところが入場したら、最初の部屋の左側に、この作品が並んでいた。まだあまり人も集まっていなかったので、ゆっくり落ち着いて見ることができた。

・聖徳太子…太子は坐像で柄香炉を持つ。髪は角髪に結い、顔は白く、唇は赤く、眼の下が頬紅でピンク色に塗られている。半跏踏下の姿勢と思われ、袴と沓を履いた左足が見えている。10人の小さな童子たちも、同様に髪は角髪、白い顔に赤い唇。太子に手を合わせ、反り返っている童子がかわいい。

・龍樹…左手に如意、右手に香炉?を掲げて蓮華座に坐す。角ばった青年の顔立ちだが、この10幅全て唇の赤色が目立つ。赤とピンクに華丸文をあしらったような衣が華やかでおしゃれ。

・善無畏…オレンジ色の衣、頬骨の高い、深い皺の刻まれた老僧が椅子の上で、経巻?を両手に挟んで、伏し拝んでいる。横に小さなかわいい毘沙門天が立つ。椅子の下に、無造作に脱ぎ捨てたような沓が描かれている。

・慧文(えもん)…太い下がり眉、無精髭が目立つのに、少女のように赤い唇のおじさん僧の立像。白に赤をボカシで配した衣も美しいが、裾と沓の柄がかわいい。特に沓!

・慧思(えし)…五分刈り、顔が小さく、ガタイのよさそうな僧侶が、胸元の大きくはだけた衣で直立する。手には秩入りの書。10幅の中で、最も素朴な趣き。

・智顗(ちぎ)…黒い頭巾で手を合わせる白面の貴公子。頭頂に乗せている手鏡のようなものは禅鎮という。斜め横向きの顔に深い陰影がついているように見えるが、これは書き直した跡らしい。最澄に似ているのは、最澄が智顗の生まれ変わりと言われるなど、両者の特別な関係を表しているのではないか。脱ぎ捨てた沓の内側がかわいい。

・灌頂…写実的で、今でも普通にいそうな僧侶の肖像。がっちりした体形で、胸の前で組んだ両手が大きい。あと、この10幅全て、袈裟の掛け方が古風な感じがする。環はなくて紐で吊るのだな。

・湛然…下がり眉、細い垂れ目。ピンクの衣で、かなり色が剥落している様子。

・最澄…赤い衣、緑の頭巾。青やピンクの模様の入った華やかな袈裟。解説に「最澄は現代風のイケメンだったようです」とあって笑う。アーチ型の眉、整った鼻筋など、顔は非常に丁寧に描かれている。目は静かに閉じている。

・円仁…最澄同様、目を閉じ、禅定印を結んで坐すが、眉や鼻筋は太く、血色のよい壮年の僧侶像。

 図録の解説によれば、複数の図像系統を組み合わせたものであろうとのこと。確かに顔かたちの描き癖には異なるところがある。しかし、沓への執着(履いているものも、脱ぎ捨てているものも)が共通しているように思われて、興味深い。

 これまでも1、2点は東博の国宝室などで見たことがあるが、全10幅をまとめて見る機会は、おそらく二度とないのではないかと思う。一乗寺に参拝しても、この作品は見られないのだから。大満足。

 ほかの展示作品は稿をあらためて。

※1089ブログ:「聖徳太子及び天台高僧像」勢ぞろい!!

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2021年11月関西旅行:京都、大阪編

2021-11-08 09:07:38 | 行ったもの(美術館・見仏)

龍谷ミュージアム 秋季特別展『アジアの女神たち』(2021年9月18日~11月23日)

 豊穣・多産のシンボルとして、あるいは音楽・文芸・吉祥などを司る存在として、さらには残虐な戦闘のシンボルとして、多様な願いを託されたアジア各地の女神たちを紹介する。多様ではあるが、共通のイメージもあり、本来、オリジンが異なる神格が習合したり、変容したりする過程が面白かった。

 土偶・神像・絵画など、ずいぶん珍しいものを見ることができた。東大寺二月堂の参籠所食堂に安置されている訶梨帝母坐像(平安後期)は、しもぶくれの優しい顔で、衣のふところに赤子を抱く。京都・市比賣神社の女神像も静かな表情で裸の赤子を胸の前に抱いていた。絵画では、大阪・慶瑞寺の『鬼子母神掲鉢図』(明~清時代の図巻)や奈良博の『普賢十羅刹女像』(鎌倉時代、和装の十羅刹女)が珍しかった。美女図鑑みたいな図録はもちろん買ってきたが、前期展示の白鶴美術館の吉祥天像(南北朝時代)、滋賀・宝厳寺の弁才天像(室町時代、立って琵琶を弾く)も見たかったなあ。あと、インドの女神たちの美ボディに惚れ惚れする。

中之島香雪美術館 特別展『柳橋水車図の世界』(2021年10月2日~11月21日)

 香雪美術館が所蔵する『柳橋水車図屏風』と、柳橋水車図に繋がるさまざまな作品を取り上げる。私は関東の人間なので、この系統の作品で一番なじみ深いのは、出光美術館の『宇治橋柴舟図屏風』である。香雪美術館の『柳橋水車図屏風』は、出光で何度か見たことがあるが、黄金色の巨大な橋の存在感が圧倒的である。現在は黒ずんで墨書のように見える川波が、もとは銀色であったことが検証できたという。ほぼ金と銀だけで構成された画面だったわけだ。小さな蒔絵の工芸品ならあり得た光景を、一双屏風の大画面に拡大したような趣きだろうか。

 ほかに古風な『柳橋図屏風』(室町時代、個人蔵、一隻)と湯木美術館の『柳橋水車図』(桃山時代)、それに個人蔵のもの(桃山時代、一隻)が出ていたが、数量的にはちょっと物足りなかった。出光本もパネル展示だけだったし。

四天王寺宝物館 秋季名宝展・企画展『四天王寺聖教の世界』(2021年9月11日~11月7日)

 最終日の朝、文楽公演第1部を見る前に、慌ただしく四天王寺にお参りしてきた。四天王寺では聖徳太子1400年御聖忌慶讃大法会」が始まっており、2022年4月22日の結願までおよそ半年にわたり、さまざまな行事が続く。本展も、御聖忌記念事業の一環として行われた四天王寺聖教悉皆調査の成果の一部を紹介するものだ。

  四天王寺の歴史を物語る『四天王寺縁起』(展示は複製)などのほか、信仰あつい人々が奉納し、受け継がれて来たさまざまな聖教を展示する。奈良・平安・鎌倉時代に書写された古経が多数あった。訓点資料としても興味深いものだと思う。

 今年は1400年御聖忌の関係で、奈良博と東博で『聖徳太子と法隆寺』展を見たり、国立劇場で『天王寺舞楽』を見たりする機会があったので、少し興味をもって境内を歩いてきた。

 聖霊院は聖徳太子をお祀りするお堂。須弥壇の奥はよく見えなかったが、前殿に太子十六歳像・二歳像・四天王、奥殿に太子四十九歳像(秘仏)を祀る。扁額には「彰仁親王」の署名あり。戊辰戦争や西南戦争で活躍した小松宮彰仁親王だろうか。

 天王寺舞楽が行われる石舞台。なるほどここか! 後方の雄大なお堂は六時礼賛堂。前方の柱は、1400年御聖忌にあたって、聖徳太子とご縁を結ぶために建てられたもの。

 石舞台を挟んで、六時礼賛堂の正面に建つ小さなお堂が御供所。聖霊会では御供物を安置する。その左右の横長のお堂が楽舎で、左右の楽人が楽を奏する。向かって右側の楽舎は、ふだん、お札やお守りの授与所になっているのが面白かった。

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2021年11月関西旅行:東大寺ミュージアムほか奈良編

2021-11-07 08:09:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別展『天之美禄(てんのびろく) 酒の美術』(2021年10月9日~ 11月14日)

 酒にまつわる多様な美術作品によって、古代から近世の東アジアにおける酒の文化を紐解く。古代中国の青銅器から青花の盃や粉引徳利まで、実際に酒を飲むことを思い浮かべると、急に身近に感じられる。一番欲しいと思ったのは、磁州窯の五彩牡丹文高足杯(金~元時代)で「天地大吉、一日無事、深謝」という、気持ちのいい銘が入っている。

東大寺ミュージアム 開館10周年記念・特別公開『華厳五十五所絵巻』(2021年10月1日~11月16日)

 国宝『華厳五十五所絵巻』を前後期に分けて全公開。そもそも華厳経の入法界品によれば、教えを求めて善知識=賢者たちを訪ねてまわった善財童子は、53番目の普賢菩薩のもとで悟りを得る。東大寺には、このうち37場面が伝わっている。私が見た後期展示は、獅子宮城の法宝髻長者に始まり、沃田城の堅固解脱長者までだった。ちょっと猫背でいつも上(自分より大きな善知識のほう)を見上げている、小さな善財童子がかわいい。善知識の姿はさまざまで、鬼の姿だったり、僧形だったり、女性も多い。摩耶夫人のところにも行くのだな。「主夜神」と呼ばれる神格が繰り返し登場するのも気になった。とにかく愛らしくて素敵な画巻だった。

春日大社国宝殿 秋季特別展『金工の美-王朝の優美な装飾から豪華な鎧の金具まで-』同時開催『最強の疫病終息の神-水谷社に祀る牛頭天王-』(2021年9月4日~12月13日)

 春日大社の摂社・水谷神社(みずやじんじゃ)の牛頭天王曼荼羅衝立(平安時代後期)が気になって見に行ったのだが、報道などで用いられていたのは赤外線加工した画像で、現物の衝立(木板)は、何が描いてあるか、ほとんど見えなかった。加工画像では、三面十臂で頭上に牛の頭を載せた主尊が虎に騎座している。「金工の美」では、若宮御料の古神宝類や大鎧の金具を堪能した。

奈良県立美術館 特別展・生誕200周年記念『森川杜園展』(2021年9月23日~11月14日)

 幕末から明治にかけて、奈良人形(一刀彫)の制作を軸に活躍した森川杜園(1820-1894)の作品を紹介。先月、東美特別展でも見た「高砂」または「後高砂」と名付けられた人形が5体並んでいた。大きさや表情が微妙に違う。嘉永2年(1849)奈良奉行所与力・橋本政方の依頼で制作したのが杜園の出世作で、以後38体作られたことが確認されているそうだ。他にも能や狂言、舞楽に取材した人形が多数あった。杜園自身、狂言師としても活動しており、最晩年には木津川の架橋式に招かれ、医師が止めるのも聞かずに狂言を演じたことで、体調を崩し亡くなった、という逸話がある。

 杜園は、奈良の寺社の寺宝や正倉院御物の調査にも積極的に携わり、模写や模造を多く残している。まさに今年の正倉院展に出ている『螺鈿紫檀阮咸』のインコの絵(壬申検査社寺宝物図集)もあって驚いた。戦後の正倉院展に先立ち、明治時代には「奈良博覧会」という行事があって、東大寺大仏殿回廊で正倉院御物が公開され、模造の制作が進められていたことを初めて知った。杜園は、このほか、興福寺の天燈鬼・龍燈鬼や手向山八幡宮の狛犬の模造なども手掛けており、木彫彩色というのが信じられない作品もある。

  また、鹿の木彫も数多く制作し「一百鹿」を目指した(百には達しなかったとも)。個人的には根付・香合などの小品が好きだ。全長5cmほどの謡曲人形シリーズは全部ほしい。東美特別展で見た伊勢海老の香合もあった。

※参考:奈良博覧会については、奈良県立図書情報館に詳しい情報あり。
図書展示 『奈良博覧会と奈良-明治の正倉院展と奈良の魅力』(2015年10月31日~12月27日)
同展パネル資料と思われるもの(PDFファイル)

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2021年11月関西旅行:曾我蕭白(愛知県美術館)

2021-11-06 17:13:56 | 行ったもの(美術館・見仏)

愛知県美術館 企画展『曾我蕭白 奇想ここに極まれり』(2021年10月8日~11月21日)

 週末関西旅行、正倉院展のほかにも欲張ってたくさん回ってきたので、感想はまとめて書こうかと思ったが、この展覧会は単独で取り上げておきたい。

 特に事前情報もなく、会場に入って驚いた。右を見れば、いきなり強烈な色彩の『群仙図屏風』、その隣りに『柳下鬼女図屏風』、さらに九博の『群童遊戯図屏風』。左を見れば『雪山童子図』。隣りの『唐人物図屏風』(三重・朝田寺)と『富士三保松原図』(個人蔵、湧き上がる黒雲の中で龍が躍っている)は知らない作品だったが大作である。ふつうに考えれば展覧会の後半に置くべきメインディッシュを、初手からドカドカ並べられて、呆気にとられた。しかしこれは、企画者の狙いだったようだ。あらためて図録の「ごあいさつ」を読んだら、「この展覧会では、冒頭で一般的に認知されている蕭白らしい作品をご紹介した後、改めて初期から晩年までの作品を、生涯を追いつつ展示します」とのこと。

 確かにそのあとは、蕭白らしからぬ、淡泊な墨画の小品『笠森おせん図』(大きな鳥居と茶屋で休む人々)や『鶏図』『布袋図』などが並んでいて、逆に珍しかった。高田敬輔『山水図屏風』(滋賀県立美術館)は、てっきり蕭白だと思って近づいたら、作者が違うのでびっくりした。高田敬輔(1674-1755)は蕭白の師と考えられているが、明確な結論は出ていないそうだ。しかしこの山水図は蕭白作品にとてもよく似ている。

 そして次第に蕭白らしい個性的な作品が目立つようになってくる。墨画と彩色が引き立て合って美しい『鷹図』(香雪美術館)。どことなく性格の悪そうな『林和靖図屏風』(三重県立美術館)。仙人の表情が行っちゃってる『塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風』(同)。『竹鶴図』(メトロポリタン美術館)が典型だが、蕭白の描く鶴は怖い。恐竜みたいな顔をしている。『月夜山水図襖』(鳥取県立美術館)の醒めた美しさは格別。

 やがて「旧永島家襖絵」という注記のついた一群の作品に行き当たる(全て三重県立美術館所蔵)。ああ、思い出した。蕭白は少なくとも二度、伊勢の地を遊歴しており、三重県多気郡明和町の旧家永島家には、全44面の襖絵が伝えられているのだ。その一部は、2012年に千葉市美術館の『蕭白ショック!!』で見ているが、なんと本展には全44面が展示されている。うお~来てよかった! 雪の夜の『竹林七賢図』は記憶に残っている、好きな作品。『牧牛図』『狼貉図』『禽獣図』には、ヘンな生きものがたくさん描かれていて面白かった。笑うタヌキ(?)とか。

 さらに朝田寺の『唐獅子図』墨画双福は、デカくて迫力満点。朝田寺からは、板地着色の『獏図杉戸』と『鳳凰図杉戸』も来ていたが、獏の大きな金目が怖い。薄暗がりで見たら、絶対子供は泣くと思う。あと作品名だけ挙げておくと、シュッとした美男(蕭白にしては)の『周茂叔愛蓮図』(三重県立美術館)、三歌仙が仲よさげで微笑ましい『定家・寂蓮・西行図屏風』(個人蔵)も気に入った。

 そしてフィナーレは、私の大好きな楼閣山水図の小特集。近江神宮所蔵『楼閣山水図屏風』(月夜山水図屏風)は、定型に従えば、右隻は西湖、左隻は金山寺なのだろうけれど、現実にはありえない光景(城壁のような岩山など)が細部まできっちり描かれており、幻想的というより、SF風味がある。楼閣の赤と梅花(?)の白も効いている。以下、いずれも縦長の画面に奥行のある楼閣山水を収めているのが『山水図』(京都・久昌院)『富嶽清見寺図』(フィッシュベイン&ベンダーコレクション)『真山水図』(熊本・見性寺)『蘭亭曲水図』(福岡・梅林寺)など。一部は蕭白の工房作の可能性もあるというが、それだけ需要があったのだろう。私も欲しい。千葉市美術館の『林和靖図』は横長のおおらかな楼閣山水図で、小さく人物(林和靖)と鶴の姿が見える。これも好き。メトロポリタン美術館のマンガみたいな『石橋図』が、このセクションに混じっていたのは楽しかった。

 出口の直前には、蕭白の書簡二通が展示されており、どちらも簡単な絵が添えられていた。2014年の進出資料で、一通は酒を送ってほしいとねだる趣旨、もう一通は樽酒を貰って大喜びのお礼である。宛名の小西新介は「白雪」で知られる伊丹の酒造(現・小西酒造)の当主とのこと。「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ!」以来、こわもての印象だった蕭白の微笑ましい一面を知った。

 2泊3日関西旅行の最初の立ち寄り先だったので、図録は買いたくなかったのだが、この充実した内容では買わざるを得なかった。軽い紙質だったのが幸い。山下裕二先生の論考をはじめ、蕭白評価の変遷についての解説が興味深い。明治期には一定の評価があったが、大正から昭和にかけて急速に忘れ去られていったらしい(あとできちんと読む)。しりあがり寿氏が蕭白の逸話を四コマ漫画に仕立てた「蕭白余話」も楽しくて、お買い得の図録である。

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正倉院展の参観記録

2021-11-05 14:20:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

 個人的なメモとして、正倉院展の参観記録をまとめておく。このブログに記事があるのは、2004年の第56回展からだが、「このところ3年連続で行っている」と書いているので、第55回、第54回は行っている模様。その前にも一二回、行ったことがあると思う。

平成14(2002)第54回正倉院展
平成15(2003)第55回正倉院展

平成16(2004)第56回正倉院展
平成17(2005)第57回正倉院展
平成18(2006)第58回正倉院展
平成19(2007)第59回正倉院展
平成20(2008)第60回正倉院展

平成21(2009)第61回正倉院展
平成22(2010)第62回正倉院展
平成23(2011)第63回正倉院展
平成24(2012)第64回正倉院展
平成25(2013)第65回正倉院展

平成26(2014)第66回正倉院展
平成27(2015)第67回正倉院展
平成28(2016)第68回正倉院展
平成29(2017)第69回正倉院展
平成30(2018)第70回正倉院展

令和元(2019)第71回正倉院展
令和2(2020)第72回正倉院展
令和3(2021)第73回正倉院展

 まとめてみたら、20年連続で行っていることが分かった。埼玉県の奥地住まいだったり、北海道住まいだった時期もあるのに、よく続けたものだ。でも、まだまだ初めて見る宝物や新たな発見があるので、秋の正倉院展通いは今後も最優先で続けたい。

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2021年11月関西旅行:正倉院展(奈良国立博物館)

2021-11-05 10:11:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館 『第73回正倉院展』(2021年10月30日~11月15日)

 正倉院展は、昨年同様、今年も完全予約制と聞いたので、チケット販売開始と同時に希望の日時を予約した。10月31日(土)朝9時の予約だったので、30分前に行ってみると、すでにピロティの折り返し2列目の中央くらいまで人が並んでいた。予約済なので並ぶ必要はないのだが、この開館を待つ時間も、正倉院展の楽しみなのである。

 9時ちょうどに開館。コロナ前のように、あっという間に会場内が人で埋まることがないのは、本当にありがたい。それでも冒頭の光明皇后の書『杜家立成』の前は混んでいたので、あとに回す。単立ケースに出ていたのは『刻彫尺八(こくちょうのしゃくはち)』。竹の表皮を彫り残し、全体を花鳥や女性の姿の文様で覆っている。『山水夾纈屏風(さんすいきょうけちのびょうぶ)』はシンプルな染織だが、左右対称の岩山・樹木・遠景の山並みが、仙界らしくて面白かった。雲に乗った小さな仙人が浮遊している。

 今年は視覚的に華やかな宝物が多いと感じたが、中でも随一なのが『螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)』。 比較的最近の記憶があると思ったのは、2019年に東博の御即位記念特別展に出ていたためだ。チョコレート色の紫檀の地に、乳白色とオレンジ色の螺鈿で、連珠を咥えた二羽のインコを表現する。大ぶりな文様が実に贅沢な感じ。捍撥(かんばち、撥受け)には、現物では分かりにくいが、楽器演奏を楽しむふくよかな唐美人たちが描かれている。こういう美品を見ると、天平の宮廷というよりも、直接、唐の盛世に想像が飛んでいくのは、最近の中国ドラマの影響である。

 『曝布彩絵半臂(ばくふさいえのはんぴ)』は袖の短い上着の一種で、正倉院には30着以上伝わっているが、彩絵が施された麻製のものは、今年の展示品のみだという。背中側に、唐草の蓮華の上で向き合う二羽のオシドリと、宝相華を咥えて後足で立ち上がった二頭の獅子が描かれていて、おしゃれなスカジャン(笑)みたいだと思った。繊維に残る成分から、当初の彩色を復元した図も掲示されていた。実は1階エントランスのバナーに、やけに可愛い獅子が描かれていて、どの宝物から取ったのか分からなかったのだが、これか!と判明した。『十二支彩絵布幕(じゅうにしさいえのぬののまく)』は何に使われたのか、よく分からないのが面白い。

 『漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)』も、今年のメインビジュアルに使われている。全然記憶になかったのだが、実物を見た瞬間、これは見たことがあると思い出した。蓮華をかたどった台で、香印盤を載せ、焼香を行ったと考えられている。確かに美しいのだが、手が込みすぎて、完全に実用を離れている点が、ちょっと正倉院宝物らしくない。ちなみに奈良博のホームページに上がっている「出陳宝物一覧」リストでは、前回出陳が1993年になっているが、2013年の誤りと思われる。

 最後の展示室には、筆・墨・硯・料紙などの文具類がまとまって出ていた。特に筆は、毛と紙を交互に巻き付けて作られた(有芯筆、巻筆、雀頭筆などと呼ばれる)という説明が、興味深かった。一つの筆に複数の種類の毛を用いたり、毛と紙の層の数、巻紙の種類もさまざまであるとのこと。割竹のキャップをつけた筆もあった。こういうの、中国の古装ドラマで再現されていないかな。絵紙や色麻紙は、作りたてのような色鮮やかさ。この色麻紙を用いた作品が、冒頭の光明皇后の『杜家立成』なのだが、やや右肩上がりの癖のある字で、墨をつけすぎの箇所もあり、自由でのびのびした書体が微笑ましかった。

 役人や写経生が使用したと思われる『早袖(はやそで)』や『白絁腕貫(しろあしぎぬのうでぬき)』も面白かった。『白絁腕貫』は左右が紐でつながった腕カバーだが、紐に使用者と思われる「高市老人」の名前がある。この解説を読んで、あれ?と思って、慌てて展示室を戻る。『正倉院古文書正集第19巻(伊豆国正税帳ほか)』の紙面に「高市老人」の墨書があったのだ。ただしこれは、本来の文書の上にあとから書き付けたメモのようにも見えた。また、同一人物であるかどうかも分からない。展示図録を読むと、高市老人の閲歴は(正倉院文書から?)かなり分かっているようだ。無名の人物なのに、面白いなあ。

 図録とあわせて、正倉院カレンダーを初めて買ってしまった、来年1年はこれを眺めて過ごすのである。

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中国電脳演義/中華ドラマ『啓航:当風起時』

2021-11-04 19:53:34 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『啓航:当風起時』全36集(企鵝影視、2021)

 タイトルは簡体字で『启航』と書く。船や飛行機の「出航」の意味らしい。1991年、燕京大学計算機研究所の譚主任は、国内のあらゆる企業・行政部門にコンピュータを普及させるため、米国のコンピュータ企業・康朴(Conpo)社の輸入代理業を始めたいと考えていた。数人の学生が、譚主任に従って「下海」(ビジネスへの転身)を決意する。目端が利き、熱血漢で仲間思いの蕭闖(呉磊)。漢卡(高速の漢字処理カード)を設計するなど、高度な技術力の持ち主だが、商売よりも研究生活に未練を感じている斐慶華(侯明昊)など。

 はじめに、康朴コンピュータの販売実績でライバルの八通公司を退ける必要があった。蕭闖は上海で、斐慶華は広州で、契約を勝ち取り、翌年、研究所長の同意を得て「華研」公司が正式に設立されたが、その総経理(社長)に任ぜられたのは、譚主任のライバルの林主任だった。

 蕭闖は上海で銀行員をしている聡明な女性・謝航と出会い、惹かれ合う。謝航は両親の望む勤め先と恋人を去り、自力で外資系企業に再就職し、実力を認められていく。斐慶華は、譚主任の娘の譚媛と知り合い、何度もすれ違いながら自分の気持ちに気づく。米国に留学した譚媛とは遠距離恋愛を続ける。

 宝松公司の第二期契約を担当することになった蕭闖と斐慶華は、相手方から難題を持ちかけられる。斐慶華は、必要な付属品を二手(中古品)で賄うことを提案し、宝松側の予算内で契約を獲得するが、ライバル社の密告で業界紙にすっぱ抜かれてしまう。これは国家資産の過大な流出を防ぐためにとった措置で、華研は一切の利益を得ていないことを証明し、市場の信用を回復するが、康朴の米国本社から責任を追及され、蕭闖が華研を退職することになる。

 蕭闖は広州で影碟(LD)再生機の輸入販売で儲けようとするが、口の巧い詐欺師に騙されて大損。弟分になった張萍萍とともに佛山へ赴き、執念で詐欺師の銭東来を探し当てる。さらに普及前のVCDを発見し、VCD再生機を製造販売する領航公司を起こして大成功する。しかし、巨額の富を得たことで、ずっと蕭闖を助けてきた相棒・魯哥(魯海牛)との間に齟齬が生じ、魯海牛は全財産を持ち逃げしてしまう。蕭闖は、給料未払いの工場労働者たちから命を狙われ、張萍萍と逃げるも、乗った車が湖へ転落してしまう。

 一方、華研では、国産コンピュータの製造に着手したい譚主任と、康朴製品の販売だけを続けたい林主任が対立。康朴社の総代理店契約をめぐって林主任は失脚するが、その陰に譚主任の画策があったことに斐慶華は気づく。いよいよ華研は風神と名付けた自社製パソコンを発売。最大のライバルは傑弗森(Jeferson)社で、その販売戦略を担当していたのは謝航だった。しかし斐慶華は譚媛の助言もあって傑弗森社を出し抜き、国内パソコン市場で圧倒的な優位を占めることに成功した。

 そこに蕭闖の事故の知らせが飛び込む。謝航、斐慶華、そして急遽帰国した譚媛は広州に向かう。湖で発見されたのは張萍萍の遺体のみ。蕭闖の行方は杳として知れない。その後、テレビに出演した斐慶華は、カメラを通して蕭闖に連絡を呼びかける。そして、どこかの街角の電気屋のウィンドウで、その映像を眺める蕭闖の姿で「本季終」。中国ドラマのぶった切りには慣れているのだが、さすがにここで終わりかい!と毒づいてしまった。蕭闖を演じているのは『琅琊榜』の飛流が出世役の呉磊くんなのだが、これは第2季では、梅長蘇みたいに顔を変え名前も変えて戻ってくるしかないのではないか(笑)と思った。第2季あるのかな。あってほしい。

 原作は王強の『我們的時代(Our times)』という三部構成の小説で、百度百科(中国語)によれば、1990年代から2018年までのIT業界の「事業興衰」と「命運沈浮」を描くのだそうだ。斐慶華は「本土精英創業者」、謝航は「外資企業精英創業者」、蕭闖は「野蛮生長起業家」(笑)の典型だという。さらに譚主任は「改革開放後第一代創業者」、譚媛は「企業家第二代創業者」として造形されているというのを読んで、よく考えられているなと思った。ちゃんと女性に、しかもそれぞれ個性的な複数の女性に社会的役割が割り振られているのも好ましい(中国社会の反映でもあるのだろう)。華研の起業メンバーに、吃音者だが総務担当として着実に仕事をこなす満歓声(方文強)と、激化する競争から落伍する許洋(張暁謙)が配されているのも味わい深い。どちらも好きな俳優さんなのだ。

 なお、華研には、中国科学院の計算機研究所員たちが設立し、現在に至る聯想集団(レノボ)の歴史が投影されているようである。中国の90年代の変化のスピードは、日本の60-90年代が四倍濃縮で詰め込まれているような感じだ。猛勉強したという呉磊くんの広東語、それから実はアイドル出身でノリのいいED曲も歌っているのに、地味なおじさんファッションが似合う侯明昊くんも可愛くて、とても楽しかった。

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久しぶりの大阪/文楽・芦屋道満大内鑑、ひらがな盛衰記

2021-11-03 17:21:49 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和3年錦秋文楽公演(2021年11月1日、11:00~、14:00~)

 月曜に有休を取り、土日月の2泊3日で関西方面で遊んできた。最終日の月曜は文楽公演へ。今年は恒例の新春公演に行けなかったので、大阪で文楽を見るのは1年ぶりである。平日の公演を見るのは、いつ以来か分からないが、常連らしいお客さんのくつろいだ雰囲気が物珍しかった。

・第1部『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)・保名物狂の段/葛の葉子別れの段/蘭菊の乱れ』

 たぶん30年以上前、文楽に興味を持ち始めた頃に、吉田文雀さんの葛の葉で見た演目である。吉田和生さんでも一度見ていて、彼の芸風に合った役だなと思った記憶がある。さっき調べたら、2011年2月、文雀さんが休演して、急遽、和生さんが代役をつとめた公演を見たようだ。今回の公演のプログラムに、和生さんのインタビューが掲載されており、師匠(文雀さん)が好きで長く遣い続けていた役であること、今回の公演では、師匠が六十年ほど前に大江巳之助さんに作ってもらった白狐の縫いぐるみを遣うこと、師匠から葛の葉を遣う上で教えられたこと(動物と植物は違う)など、興味深い話がたくさん詰まっていた。

 「どんな役でもそうですが、何度も演じていますと、だんだん手数が減っていきます。いろんなことをやらなくても、人形を持って出るだけでお客さまに伝わるようになりますね」という談話も興味深い。実際、和生さんの葛の葉が、布団に眠る我が子をじっと見つめているだけで、胸に迫るものがある。桐竹勘十郎さんの、神通力で跳び回るキツネ(本朝二十四孝や玉藻前曦袂)とは、また違った魅力があるのだ。この狂言、出自とか種族を超えても家族は成り立つと教えてくれるので、ある意味、とても現代的なテーマにも思える。

 「蘭菊の乱れ」は初見のような気がしていたが、2011年にも見ていた。葛の葉はキツネの口のようなマスクを着け、赤い房が耳のように見える黒塗り笠をかぶって登場する。万寿菊(光琳菊みたい)の裾模様の入った柿色の着物。ちょっと珍しい衣装ではないだろうか。

・第2部『ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)・大津宿屋の段/笹引の段/松右衛門内の段/逆櫓の段』

 たぶん何度か見ている演目だと思う。摂津国福島の船頭・権四郎は、未亡人の娘およしと孫の槌松を連れて西国巡礼の途中、大津の宿屋で訳ありの一行(木曾義仲の御台所・山吹御前と駒若君ほか)と隣り部屋になる。その晩、鎌倉方の襲撃を受け、権四郎らは子どもを取り違えて、駒若君を連れて逃げ出し、山吹御前が連れ出した槌松は、鎌倉方の武士に討たれてしまう。

 その後、権四郎の娘およしは、新しい夫・松右衛門を迎え、取り違えた槌松(実は駒若君)と睦まじく暮らしていた。そこに山吹御前の腰元お筆が訪ねてきて、一夜の顛末を語り、若君を返してほしいと懇願する。このお筆、「笹引の段」での活躍が目覚ましいが、胆力も行動力もある「できる腰元」である。孫の死に激怒する権四郎だが、松右衛門(実は木曾義仲の家来・樋口兼光)に情理を説かれ、状況を受け入れる。しかし、松右衛門すなわち樋口の正体は、すでに鎌倉方の間者である船頭たちに知られていた。権四郎は、畠山重忠に訴え、元の婿・亡き松右衛門の実子である槌松だけは助けてもらう確約を得ていた。それを知り、従容と縄を受ける樋口。ああ~こういう、口で言うことと内心が裏腹、という芝居は大好物である。偶然から生じた「取替え子」ということで、物語の定型を外しつつ、巧くまとめた筋書きだと思う。

 第1部は「保名物狂の段」で織太夫と小住太夫の掛け合いを聴くことができ、「葛の葉子別れ」は中が咲寿さん、奥が錣太夫さんで堪能。ちなみに近くの席のおばちゃんたちが「しゅっとした…」「ガイジンさんみたいな…」とイケメンの咲寿さんに食いついていた。第2部は「笹引」が咲太夫さん。大勢がわちゃわちゃ掛け合いで喋る場面なのに、とても聴きやすかった。冒頭から声量も十分。お元気で何より。「松右衛門内」の芳穂太夫→呂太夫も安定感あり。「逆櫓」は三味線が華やかで、技巧的な聴かせどころも多く、清志郎さんもノッていた。

 なお、危惧はしていたのだが、お弁当屋さんが開いていないため、館内で昼食を調達できず(できればコンビニ飯でなく劇場のお弁当が食べたかった)。第1部と第2部の合間に外へ出て、急いでサンドイッチを買ってきたが、ロビーが飲食禁止で食べることもできなかった(1階に無料休憩所はある)。つらい。早く通常営業に戻りますように。

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