〇国立劇場 令和5年2月公演(2023年2月11日、18:30~)
・『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)・徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段』
今月は「近松名作集」で『心中天網島』『国性爺合戦』『女殺油地獄』と好きな演目が揃ったが、迷った末に第3部にした。私はだいたい陰惨な演目が好きなのだが、特に『女殺』は大好物なのだ。調べてみたら、今回見るのが5回目で、主役の組合せが毎回違っているのも面白い。
・1997年:初代吉田玉男(お吉)×吉田蓑助(与兵衛)
・2009年:桐竹紋寿(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)
・2014年:吉田和生(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)
・2018年:吉田和生(お吉)×吉田玉男(与兵衛)
・2023年:吉田一輔(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)
勘十郎さんの与兵衛を見るのは9年ぶり。前回、油店の凶行シーンで派手につるつる滑りまくっていたのを覚えているが、今回はやや抑えた動きで、逆に人間臭さを感じた。勘十郎さん、10年くらい前だと、遣っている役柄の気持ちが自分の表情にも出てしまうきらいがあったが、今回は淡々と表情を変えず、しかし人形の与兵衛には、生気が宿っていた。着物の着くずれ方とか、親の話を聞くときの顔のそむけ方、ぬっとした立ち姿にも、悪党らしさが芬々と漂っており、ずっと見惚れていた。吉田一輔さんのお吉は、若さと可憐さが感じられて哀切だった。
床は、河内屋内の段の口を咲寿太夫と団吾、奥を靖太夫と清志郎、豊島屋油店の段を呂太夫と清介。靖太夫さんの語りはとても聴きやすい。呂太夫さんはもう少し声量がほしいと思ったが、きちんと聴き取ろうと集中してしまったので、それはそれでよいのかもしれない。
しかし近松の作劇はすごいなあ。不良息子の与兵衛に対して、実母のお沢も、継父の徳兵衛も、道理を説いて厳しく叱責するが、場面が変わると、実は二人とも息子に(ほとんど盲目的な)愛情を抱いていることが示される。その親心に深く感服するお吉。お吉が、お沢と徳兵衛が残していった金子八百匁を与兵衛に渡せば、与兵衛も心を入れ替え、めでたしめでたしで終わっても全くおかしくない展開。しかし与兵衛は「あと二百匁」を無心し、お吉は態度を硬くする。
与兵衛の詞章「ただ今より真人間になって孝行尽くす合点なれども肝心御慈悲の銭が足らぬ」「与兵衛も男、二人の親の詞が心根に沁み込んで悲しいもの」「自害して死なうと覚悟しこれ懐にこの脇差は差いて出たれども、ただ今両親の嘆き御不憫がりを聞いては死んでこの金親父の難儀にかくること、不孝の塗り上げ身上の破滅。思ひ廻らせば死ぬるにも死なれず」というのは、自分勝手な理屈だが、彼にとっては詭弁ではなく、真実だったのかもしれない。けれどもお吉は「夫の留守に一銭でも貸すことは、いかな、いかな」と拒絶する。もう少し年のいった女性だと、自由になる金銭も持てたのではないかと思うが、嫁のお吉の立場では店のお金は動かせないのだな。そして与兵衛は「これほど男の冥利にかけ、誓言立ててもなりませぬか」と凶行を決意する。与兵衛のセリフで、冒頭から、男、男が繰り返されているのは、その価値のない者ほど、こういう物言いをするという、作者近松の皮肉のような気もする。
あと、どんなに深い親の愛情があっても、それをもったいないと思う子供の気持ちがあっても、お金の問題はお金でしか解決しないという、冷え冷えした合理性は、近世だなあと思う。今回は2009年と同じで、事件解決を語る「逮夜の段」がなく、悪人が闇に消えていくところで終わるので、悪酔いみたいな余韻が後を引いた。
なお、今回の公演プログラムには「初代国立劇場さよなら公演特別インタビュー」と題して、吉田玉男さんと桐竹勘十郎さんへのインタビューが掲載されている。これは保存版だと思うのだが、私は保存しておく自信がないので、どこかに(オープンアクセスで)残してほしい! お二人は現・国立劇場の開場(昭和41/1966年)間もない頃から出演されているとのこと。当時、大阪道頓堀の劇場はみな狭くて「古い芝居小屋」という雰囲気だったので、国立劇場の広さにびっくりしたとか、皇居の近くで周りに何もなかったとか、昔話がおもしろい。むかしは序幕の頭巾を着けて舞台に出るとき、師匠方の遣う役を若手が遣わせてもらうこともあったとか。
勘十郎さんが思い出話の中で、新作文楽『天変斯止嵐后晴(てんぺんすとあらしのちはれ)』や『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』について「新作って、その時の勢いがないとできないんですよ」と述べていらっしゃるが、両作とも鑑賞した私には懐かしかった。また再演してほしいなあ。今年10月で改修のために閉場する国立劇場が再開場するのは6年後=2029年の予定らしい。みなさんお元気でいてほしい。私も他人事でなく元気でいなくっちゃ。