見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

不良息子の破滅/文楽・女殺油地獄

2023-02-12 22:38:41 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和5年2月公演(2023年2月11日、18:30~)

・『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)・徳庵堤の段/河内屋内の段/豊島屋油店の段』

 今月は「近松名作集」で『心中天網島』『国性爺合戦』『女殺油地獄』と好きな演目が揃ったが、迷った末に第3部にした。私はだいたい陰惨な演目が好きなのだが、特に『女殺』は大好物なのだ。調べてみたら、今回見るのが5回目で、主役の組合せが毎回違っているのも面白い。
・1997年:初代吉田玉男(お吉)×吉田蓑助(与兵衛)
・2009年:桐竹紋寿(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)
・2014年:吉田和生(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)
・2018年:吉田和生(お吉)×吉田玉男(与兵衛)
・2023年:吉田一輔(お吉)×桐竹勘十郎(与兵衛)

 勘十郎さんの与兵衛を見るのは9年ぶり。前回、油店の凶行シーンで派手につるつる滑りまくっていたのを覚えているが、今回はやや抑えた動きで、逆に人間臭さを感じた。勘十郎さん、10年くらい前だと、遣っている役柄の気持ちが自分の表情にも出てしまうきらいがあったが、今回は淡々と表情を変えず、しかし人形の与兵衛には、生気が宿っていた。着物の着くずれ方とか、親の話を聞くときの顔のそむけ方、ぬっとした立ち姿にも、悪党らしさが芬々と漂っており、ずっと見惚れていた。吉田一輔さんのお吉は、若さと可憐さが感じられて哀切だった。

 床は、河内屋内の段の口を咲寿太夫と団吾、奥を靖太夫と清志郎、豊島屋油店の段を呂太夫と清介。靖太夫さんの語りはとても聴きやすい。呂太夫さんはもう少し声量がほしいと思ったが、きちんと聴き取ろうと集中してしまったので、それはそれでよいのかもしれない。

 しかし近松の作劇はすごいなあ。不良息子の与兵衛に対して、実母のお沢も、継父の徳兵衛も、道理を説いて厳しく叱責するが、場面が変わると、実は二人とも息子に(ほとんど盲目的な)愛情を抱いていることが示される。その親心に深く感服するお吉。お吉が、お沢と徳兵衛が残していった金子八百匁を与兵衛に渡せば、与兵衛も心を入れ替え、めでたしめでたしで終わっても全くおかしくない展開。しかし与兵衛は「あと二百匁」を無心し、お吉は態度を硬くする。

 与兵衛の詞章「ただ今より真人間になって孝行尽くす合点なれども肝心御慈悲の銭が足らぬ」「与兵衛も男、二人の親の詞が心根に沁み込んで悲しいもの」「自害して死なうと覚悟しこれ懐にこの脇差は差いて出たれども、ただ今両親の嘆き御不憫がりを聞いては死んでこの金親父の難儀にかくること、不孝の塗り上げ身上の破滅。思ひ廻らせば死ぬるにも死なれず」というのは、自分勝手な理屈だが、彼にとっては詭弁ではなく、真実だったのかもしれない。けれどもお吉は「夫の留守に一銭でも貸すことは、いかな、いかな」と拒絶する。もう少し年のいった女性だと、自由になる金銭も持てたのではないかと思うが、嫁のお吉の立場では店のお金は動かせないのだな。そして与兵衛は「これほど男の冥利にかけ、誓言立ててもなりませぬか」と凶行を決意する。与兵衛のセリフで、冒頭から、男、男が繰り返されているのは、その価値のない者ほど、こういう物言いをするという、作者近松の皮肉のような気もする。

 あと、どんなに深い親の愛情があっても、それをもったいないと思う子供の気持ちがあっても、お金の問題はお金でしか解決しないという、冷え冷えした合理性は、近世だなあと思う。今回は2009年と同じで、事件解決を語る「逮夜の段」がなく、悪人が闇に消えていくところで終わるので、悪酔いみたいな余韻が後を引いた。

 なお、今回の公演プログラムには「初代国立劇場さよなら公演特別インタビュー」と題して、吉田玉男さんと桐竹勘十郎さんへのインタビューが掲載されている。これは保存版だと思うのだが、私は保存しておく自信がないので、どこかに(オープンアクセスで)残してほしい! お二人は現・国立劇場の開場(昭和41/1966年)間もない頃から出演されているとのこと。当時、大阪道頓堀の劇場はみな狭くて「古い芝居小屋」という雰囲気だったので、国立劇場の広さにびっくりしたとか、皇居の近くで周りに何もなかったとか、昔話がおもしろい。むかしは序幕の頭巾を着けて舞台に出るとき、師匠方の遣う役を若手が遣わせてもらうこともあったとか。

 勘十郎さんが思い出話の中で、新作文楽『天変斯止嵐后晴(てんぺんすとあらしのちはれ)』や『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』について「新作って、その時の勢いがないとできないんですよ」と述べていらっしゃるが、両作とも鑑賞した私には懐かしかった。また再演してほしいなあ。今年10月で改修のために閉場する国立劇場が再開場するのは6年後=2029年の予定らしい。みなさんお元気でいてほしい。私も他人事でなく元気でいなくっちゃ。

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中国SFの傑作映像化/中華ドラマ『三体』

2023-02-11 14:46:25 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『三体』全30集(上海騰訊企鵝影視、中央電視台他、2023年)

 世界中で読まれている中国のSF小説、劉慈欣の『三体』(三部作の第1部)をドラマ化したもの。日本語訳は2019年に出版され、私もすぐに読んで堪能した。中国でこの作品が映像化されると聞いたときは、正直不安しかなかったが、いま全編を見終えて、少なくともこの第1部に関しては文句なしだと思っている。

 演員は実力派を揃えた最高の布陣だった。退役軍人で警官の史強を演じたのは于和偉。小説を読みながら、実写化するなら于和偉がいいなあと思っていたので、配役を聞いたときは飛び上がるほど嬉しかった。原作ではもう少しゴツい見た目に描かれているが、粗野で、人たらしで、頭の回転が速く、決断力と行動力に富む魅力が十二分に再現されている。

 ナノマテリアルの研究者で、三体人の標的となる大学教授・汪淼を演じたのは張魯一。男性的な魅力も表現できる俳優さんだが、この作品では、おかっぱみたいな髪型といい、ほぼシャツインの服装といい、真面目で繊細な科学者を演じていた。印象的だったのは、自分の開発したナノワイヤ「飛刃」が大型タンカー(とその乗組員たち)をスライスする様子を遠望したときの、恐怖と緊張とさまざまな困惑に凝り固まった表情。原作にも描かれているのだけれど、映像では想像の余地が何倍にも膨らむ気がする。

 汪淼は、最初は嫌っていた史強に対して少しずつ信頼と尊敬を深めていく。ETO(地球三体組織)の討論会に潜入した汪淼を救出し、ETOを制圧するために乗り込んだ史強は、任務を完遂するが、小型の核爆弾に被爆する。そのあと、救急車の窓ガラス越しに硬い表情で史強にVサインを示す汪淼に萌えた。この二人、ずっと身体的な距離は遠いのだが、最終話、三体人がすでに地球に「智子」(ミクロスケールのコンピュータ)を送り込んでおり、地球人の科学の敗北が決定的であることが判明して、絶望に酔いつぶれた汪淼が、訪ねて来た史強にとうとう抱きつく。二人の距離がゼロに縮まった瞬間で、おじさん二人の抱擁シーンにやられてしまった。

 小説ではあまり印象に残らなかった常偉思(林永健)もよかった。軍服を脱げば、どこにでもいる普通のおじさんっぽい雰囲気。中国人にとって有能な職業軍人とはこういうイメージなのかな、と思った。葉文潔(老年:陳瑾)、申玉菲(李小冉)、魏成(趙健)も難しい役を印象鮮やかに演じていた。

 途中から小説本を引っ張り出して比較してみたら、ドラマはかなり原作に忠実につくられていることが分かった。たとえば、葉文潔が出産後しばらく紅岸基地を出て斉家屯の農民たちと暮らした逸話などは、ドラマオリジナルかな?と思ったら、私が忘れていただけでちゃんと原作にあった。「古筝作戦」を提案した史強にアメリカ人の大佐が葉巻をケースごとプレゼントするシーン、最終話、イナゴの群れ飛ぶ麦畑で汪淼たちが虫に乾杯するため(とドラマでは言葉にしないけれど)酒を大地に注ぐシーンも完全な「原作の映像化」だった。

 一方、原作では具体的な活躍のない女性警官の徐冰冰を史強のアシスタントとして肉付けしたのはよい改変。ネットジャーナリストの慕星は完全なオリジナルキャラだが、巧く機能していたと思う。葉文潔に従う武道の達人・陳雪もオリジナルかな? 全体に女性の登場・活躍シーンを増やしているように思う。汪淼の子供も原作では息子だが、ドラマでは女子になっていた。

 エピソードの順序も基本的には原作(中国語版)に従っているようだ。日本語版『三体』は英語版をもとにしているため、はじめはちょっと戸惑った。英語版および日本語版では、過去パート(葉文潔の少女時代)がある程度示されてから現代パートに入るが、中国語版は、次々に謎の事件が起きる現代パートから始まる。日本語版『三体』の「訳者あとがき」に大森望さんが「ケン・リュウも語るとおり、エンターティンメントとしてはそちらのほうが読みやすいかも」と書いており、納得できた。

 なお、ドラマの葉文潔には「紅衛兵への復讐を全人類への復讐で代えようと思った」というセリフはあるが、英語版の冒頭にある、葉文潔の父親が紅衛兵に暴行され落命するシーンは映像化されていない。そのため、葉文潔の私的な体験に基づく絶望の深さが伝わりにくいのは残念で、ETOの人々が三体人の降臨を待望するのは、エヴァンズや生物学者の潘寒が主張する、科学文明による生態系の破壊という、抽象的な理由だけになってしまっている。

 しかし映像の完成度は素晴らしい。興安嶺の山峰に立つ巨大なレーダー(パラボラアンテナ)。1960-70年代中国の科学者の日常。ゲーム「三体」で繰り広げられるおかしな世界。全てリアリティがある。現代パートでは、中国国家機関の加速器施設やナノサイエンスの研究所がロケに協力しているらしい。要塞のような外観のADC(アジア防御理事会)作戦中心は寧波博物館とのこと。いつか訪ねてみたい!

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冷水寺の十一面観音坐像(東京長浜観音堂)を見る

2023-02-08 20:42:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『十一面観音坐像(脇仏)(長浜市高月町宇根・冷水寺蔵)』(2023年2月1日~2月28日)

 今年度最後のお出ましは、冷水寺の十一面観音菩薩坐像。ご本尊の脇に安置されており、もとは出開帳仏であったと伝わる。冷水寺は初めて聞く名前だが、調べたら、高月駅からそう遠くないのどかな緑地に、小さなお堂があるようだ。祀られているのは、黒い肌、赤い唇が印象的で、やや厳しめのお顔をした十一面観音坐像(江戸・元禄年間)。このご本尊は「鞘仏」で、その胎内には、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いの際に焼損したと伝わる、ぼろぼろの旧本尊(平安時代)が収められていた。現在は、観音堂の横の「胎内仏資料館」という、小さな手作り資料館に安置されているそうだ。

 この脇仏も江戸時代の作ということだが、頬がふっくらしてよいお顔立ちである。出開帳仏ということは、旧本尊を守り伝えるための勧進をおこなったのだろうか。そして地域の人々が観音さまを大事にしてきた伝統は、今も受け継がれているようだ。

※長浜くらしノート:秘仏を守り伝える“世界一小さな博物館”の館長さん(2016/11/11)

 冷水寺、訪ねてみたい。資料館の館長さんにもお会いしてみたい。

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須賀川に愛された画家/亜欧堂田善(千葉市美術館)

2023-02-06 20:25:56 | 行ったもの(美術館・見仏)

千葉市美術館 企画展・没後200年『亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡』(2023年1月13日~2月26日)

 江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)の大規模な回顧展。現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証する。

 開催概要に「首都圏では実に17年ぶりの回顧展」とあるのは、2006年に府中市美術館で開催された『亜欧堂田善の時代』展を指すのだろう。2004年から書いているこのブログに亜欧堂田善の名前が登場するのもこの展覧会が最初で、その2か月前、東京の天理ギャラリーで見た『幕末明治の銅版画』でこのひとの名前に出会ったことを私は記録している。以来、ひそかに推してきた画家なのである。

 亜欧堂田善(本名:永田善吉、1748-1822)は現在の福島県須賀川市の生まれで、須賀川市立博物館が豊富な関連資料を所蔵していることは知っていたが、なかなか訪ねる機会がなかった。今回、同館や須賀川市から多数の貴重な資料が出陳されていたのが、とても嬉しかった。たとえば、須賀川の白山寺に伝わる、田善が15歳で手掛けた絵馬。同郷の画僧・白雲による『岩瀬郡須加川町耕地之図』は須賀川町の全景図で、田善の生家も特定できる。

 油彩画、銅版画を習得する過程では、さまざまな模倣と模索の跡を見ることができて興味深かった。特に銅版画は、初期(寛政年間)の作品では線が単調だったり、人物デッサンが崩れていたり、稚拙な印象を免れないが、文化年間の大作『西洋公園図』や『ゼルマニヤ廊中之図』は、一見、日本人の作とは気づかないような完成度の高さである。これに並ぶのが、浅草寺の風景を描いた『大日本金龍山之図』で、西洋人が想像で描いた日本の風景みたいな趣きがある。

 一方、油彩画については、銅版画のような顕著な進歩が見られない分、夢の中のような、独特のあたたかさと静謐さが漂っていて、私は好きなのだ。『江戸城辺風景図』(藝大)『護持院ヶ原図』(東博)『三囲雪景図』(歸空庵所蔵と須賀川市博寄託の2件)など、後ろ姿の二人連れを描いたものが、なぜか多い気がする。なお、油彩画の名品は『浅間山図屏風』など、後期(2/7-)出品のほうが多いようだ。

 田善が『新訂万国全図』など地図の製作・出版に関わっていたことは知っていたが、医学書の図版にも貢献していたことは初めて知った。おもしろかったのは、銅版画を紙でなく布に摺ったものや、その布を用いた煙草入れや筒袋が展示されていたこと。田善が須賀川に帰郷した後、銅版画用具一式を譲り受けた門人で呉服商の八木屋半助が販売していたのだそうだ。その八木屋の看板「大日本創製 亜欧堂先生鐫 当所名産 鏤盤摺 円極庵」まで残っていて驚いた。

 晩年、須賀川に戻った田善は、洋風画とは異なる、ふつうの(?)山水人物画を多く残している。かつて師事した画僧・月僊の影響が指摘されているが、素人の目には、蕪村とか呉春の系統かなあと感じる(※月僊については、名古屋市博『画僧 月僊』の参観記録あり)。田善にとって、銅版画は松平定信の命令に応じた「仕事」で、仕事は仕事として成し遂げたのち、晩年は初心に戻って好きな絵を描いていたなら、幸せな人生だと思う。

 幸せはもうひとつあって、明治9年(1876)、明治天皇の東北巡幸の折、須賀川区会所に掲げられていた『水辺牽馬之図』が御買上となった(現・三の丸尚蔵館所蔵)。これにより、須賀川では田善への認識が新たになり、早くから顕彰と作品保存の機運が高まったという。千葉市美術館ニュース「C'n」106号に、担当学芸員の松岡まり江さんへのインタビューが掲載されているが、本展開催のきっかけも「福島県立美術館からのお声がけ」だったそうだ。「当館はこれまで、江戸絵画のなかでもマイナーなテーマも扱ってきたことがあり、お誘いいただいたのだと思います」とのこと。確かに(笑)。でも、美術史的にはマイナーでも、こんなふうに地元に愛され続けているのは、稀有なくらい、幸せな画家だと思う。

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王朝から近代まで/隅田川の文学(久保田淳)

2023-02-05 22:56:32 | 読んだもの(書籍)

〇久保田淳『隅田川の文学』(岩波新書) 岩波書店 1996.9

 「アンコール復刊」の帯をつけて書店に並んでいた1冊である。私はいま、縁あって隅田川の近くに住んでいるので題名に目が留まった。中を開けたら、近代俳句に始まり、芥川龍之介や川端康成に言及がある。著者名を確かめて、え?と驚いた。久保田淳先生といえば、中世和歌の大家という認識だったので。本書は、著者が1年間西ドイツに出て、日頃の研究テーマを離れてみた経験から生まれたことが「あとがきに代えて」に述べられている。

 はじめに登場するのは石田波郷(高校の国語の教科書で習った)で、東京大空襲から1年ほど後、江東区北砂町に移り住んだという。「百万の焼けて年逝く小名木川」などの句があることを初めて知った。神田生まれの水原秋櫻子(やっぱり教科書で習った)は「夕東風(ごち)や海の船ゐる隅田川」など近世の美意識に連なる隅田川を詠んでいる。そして川端康成の『浅草紅団』は、関東大震災後の浅草界隈にたむろする不良少年少女たちを描いた。この作品は未読なのだが、梗概が的確にまとめられていてありがたく、かなり通俗小説的なおもしろさを感じた。

 築地に生まれ、本所で育った芥川龍之介にとって、大川端が原風景であることは、大学時代、近代日本文学の講義で習った(浅井清先生から)。日本橋蛎殻町生まれの谷崎潤一郎にとっても隅田川は親しい存在だったが、谷崎が後年、関西に移住すると、東京の文化や東京人に批判的な目を向けるのに対して、芥川は、そのようなしたたかさに欠けていた、という対比に納得した。

 隅田川とのゆかりを全く知らなかったのは、木下杢太郎とパンの会。パンの会の会合には、永代橋のほとりの永代亭という西洋料理屋が使われた(※ネットで情報を見つけた)。杢太郎には「往き暮れしろまんちっくのわかうどは永代橋の欄干に凭る」という歌もある。吉井勇は紅燈の巷としての大川端を詠み、高村光太郎は男性的な隅田川を詩に歌った。

 永井荷風の『夢の女』には深川洲崎の遊郭が登場する。最近、木場駅の東の大門通りで飲む機会があったが、あれは洲崎遊郭の大門の跡なのだな。もとは本郷の根津にあり、帝国大学のそばにあっては風教上よろしくないという理由で移転してきた遊郭である。泉鏡花も洲崎遊郭付近の深川を一種のアジールとして描いている。

 近世は、歌舞伎の河竹黙阿弥と鶴屋南北。どちらも江戸っ子。伊賀上野生まれの松尾芭蕉は上京して隅田川のほとりに三回住んだ。山国生まれの芭蕉にとって大川のほとりは、異郷にあるという自覚を抱かせたに違いない、という著者の指摘は鋭いと思う。

 中世は、後世に大きな影響を与えた能「隅田川」を論ずる。それよりも、著者自身が、ある年の4月14日に矢来能楽堂で「隅田川」を見て、そのまま地下鉄に乗って、隅田川のほとり木母寺の梅若塚へ向かったという一段が印象的だった。文学研究者は、こうであってほしい。『太平記』や『吾妻鏡』に登場する戦場としての隅田川、『とはずがたり』の後深草院二条が見た隅田川も紹介されている。

 そして最後の王朝時代は、紙数こそ少ないが、さすが著者の本領発揮で興味深い。順徳天皇が企画した「建保内裏名所百景」を題材に、中世歌学における「すみだ河」の所在国の問題を考える。のちに順徳院が完成させた『八雲御抄』には、すみだ河を「下総」としながら「駿河とも。いほさきも」と注しているという。駿河というのは、万葉集に「まつち山夕越え行きていほさきの角太河原に独りかも宿む」という歌があるためだ。

 もうひとつ、あっと思ったのは、崇徳院に仕えた藤原教長(法名・観蓮)が、保元の乱の後、常陸国へ流罪となり、隅田川を渡っていたことだ。「教長集」には長い詞書とともに「すみだ河今も流れはありながらまた都鳥跡だにもなし」という歌が残されているという。知らなかった。能書家としても知られ、私はこのひとの書跡がとても好きなのだ。教長は、後に許されて高野山に入っているが、彼が東国で詠んだ和歌は、讃岐で生涯を終えた崇徳院の目に触れただろうか。触れなかっただろうか。

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赤坂・塩野の椿餅

2023-02-04 21:18:52 | 食べたもの(銘菓・名産)

 このところ、ネットで椿餅の話題を見て、久しぶりに食べたくなった。椿餅は、椿の葉の間に道明寺粉の餅はさんだもの。椿の季節の1~2月に店頭に出る。基本的に関西(京都)の和菓子ではないかと思う。

 私は、高校の修学旅行で京都に行ったとき、友人から、八坂神社の南にあった甘栄堂の椿餅を教えてもらった。餡なしの道明寺餅だけをはさんだ椿餅で、白いのと、ニッキで味付けした茶色いのがあった。以来、京都に行くと、ときどき買っていたが、いつの間にか、お店がなくなってしまった。

 東京ではあまり見ない和菓子なので、その後は、なかなか食べる機会がない。自分のブログを検索したら、2013年に京都・城南宮の参道で椿餅に出会って買っているが、おしゃれすぎて、なんだか違うなあと思ったことを覚えている。

 最近、東京でも椿餅を買えるお店があるという情報を得て、赤坂の「塩野」さんに買いに行った。実は先週の土曜は午後に行ったら売り切れていたので、今日は朝から出かけて無事GET! 色とりどりの生菓子に目移りしたが、目的の椿餅2個にした。1個500円(税込み)。

 道明寺餅の中には、甘さ控えめのこしあん入り。美味しいので、一気に2つ食べてしまった。

 たまにはこういう贅沢もいいかな。でも京都には、もっと庶民的なお値段の椿餅もあるらしい。

『椿餅』東京はココで販売してるよ!【NHKグレーテルのかまど】

瓜生通信:平安時代の和菓子 椿餅と早春の梅宮大社―椿餅(塩芳軒)[京の暮らしと和菓子 #9]

京都暮らしあれこれ:第61回:源氏物語の「椿餅」と二葉軒

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プライスさんに感謝/江戸絵画の華(出光美術館)

2023-02-02 23:29:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『江戸絵画の華. 第1部 若冲と江戸絵画』(2023年1月7日~2月12日)

 おー出光美術館、久しぶりに江戸絵画の展覧会だ、としか思っていなかったのだが、「展示概要」を読んで、びっくりした。アメリカの日本美術コレクター、エツコ&ジョー・プライス夫妻(プライス財団)によって蒐集された作品の一部が、2019年に同館のコレクションに加わったという。本展は、その新しい収蔵品約190件の中から、選びぬいた80数件を2期にわけて展示する。

 第1部、第1室は「生きものの楽園」と題した、楽しいセクション。明治の画家・中住道雲の『松竹梅群鳥図』は、いわゆる百鳥図で、目がぐるぐる回るような華やかさ。つがいの鳥とそうでない鳥(カラスとか)がいるのが面白かった。片山楊谷『鯉図』、岡本秋暉『孔雀図』など、存在感のある作品が並ぶ中で、ひときわ目を惹くのが谷鵬の『虎図』。墨画だが、SFに出てくる怪物みたいなタッチである。詳しい伝記の分からない画家だそうだ。濃い並びだな~と思って、ふと振り返ったら、一段下がったエリアに若冲の『鳥獣花木図屏風』が来ていた。升目描きの奇想の屏風だが、全体の雰囲気は穏やかで、見る人の気持ちを和ませる。プライスさん、この作品を手放して、日本に里帰りさせてくれたのか。ありがとうございます。

 第2室は「若冲の墨戯」で、若冲作品9件と関連画家の作品3件。『鶴図押絵貼屏風』(六曲一双)が素晴らしかった! 金地に墨画の鶴図12枚を貼ったもので、鶴の身体をかたちづくる曲線(背中や首筋)と直線(脚)の対比のおもしろさ、描線の肥痩・濃淡の自在なこと、羽の重なりを表現する筋目描きの妙味など、眺めていて飽きない。鶴の足元の、ひかえめな添えもの(波とか土坡とか梅とか菊とか)も楽しい。若冲の押絵貼屏風(鶏図も多い)には名品も凡作もあるのだが、これは文句なしの一級品だと思う。実は会場では、プライスさん旧蔵だと気づかずに、出光、こんなの持っていたかなーと感心していた。

 『寿老・蜃気楼・梅に鳩図』の三幅対も好き(この取合せ、題名だけだと全く想像がつかないだろう)。鳩の点目がかわいい。鼻の下に髭だか鼻毛だかをたくわえた。トボけた寿老人も好き。若冲には珍しい風景画の『黄檗山萬福寺境内図』も好き。完成度は劣るが、『松に鷹図』『鯰・双鶏図』など、若冲としては比較的若い時期(40歳代)の作品が展示されているのも興味深かった。

 第3室「浮世と物語」は、肉筆浮世絵と屏風など。『蕭白筆群童遊戯図屏風模本』は、あ、九博にある蕭白の、と思ったら、幕末の画家・横山華渓による模本だった。『達磨遊女図』はよく見る画題だが、達磨が面壁9年なのに対して遊女の奉公は10年、という解説が腑に落ちた。

 屏風はどれも面白かったが、『酒呑童子図屏風』は、ちょっと悪趣味自慢じゃないかなあ。さすがに首が飛ぶ場面は描かれていないが。『義経記図屏風』は全体にのんびりしているけれど、合戦シーンには流血も描かれている。あと、なんだかよく分からないが、長い武者行列を描いた『瀬田風俗図屏風』が印象に残った。人々が密集する空間と、山並みと琵琶湖の湖面の静けさの対比がとてもよい。右隻の、人の少ない家の中で、親密な男女が向き合っているのも気になる。

 久しぶりに図録を買って眺めているのが、完全に展示替えになる『第2部. 京都画壇と江戸琳派』(2/21~)も楽しみ。早く見たい!

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