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静岡県袋井市に在る「可睡ゆり園」
に行って来ました。
当地より約170キロ西へ向かい、東名高速道路を利用し2時間で到着。
3万坪の広大な敷地に、世界150余品種の
ゆりの競演
でした。 園内の散策路は登り下りがありますが、ユリに関心が向いているせいか、難なく
歩けました。
ユリの見ごろ期間には中央の芝生広場にて誘椰<IZANAGI>
さんの生演奏が聞けました。
<IZANAGI>さんとは三千メートル級の山岳頂上、新緑
の原生林、紅葉
の峠、清流
の川辺、大
花畑、大海を見渡す峰・・・・・息をのむ絶景にシンセサイザーを設置し自然波動解析プログラミング、ネイチャーシャワーシンセサイズ開発。
その開放感に満ちた
爽快な3Dバーチャル
サウンド
により自然から享受するインスパイアを詩情豊かに作曲演奏をされております。
ゆり園の隣には
徳川家康
ゆかりの寺で曹洞宗屈指の名刹「秋葉総本殿
可睡斎
」と言う、お寺があります。
こちらは日本唯一の火防
守護の総本山として秋葉三尺坊大権現さまを、おまつりしています。
ユリ園より、お寺の堂宇が望め、その大きさにビックリです。
可睡斎の由緒・縁起について一言
11代目の住職 仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い
徳川家康
とその父を戦乱の中から救い出し、かくまいました。 その後、浜松城主になられた
徳川家康
は親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリ
コクリ
と無心に居眠りをする和尚を見て徳川家康は
ニッコリせられ 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。我その親密の情を喜ぶ、和尚眠るべし」と申されたそうです。
それ以来、仙麟等膳和尚は
「可睡和尚」
と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡斎」と改め、
駿河、
遠州、
三河、
伊豆、四ヶ国の僧録司(そうろくす)と言う行政取締役の職を与え拾万石の待遇にせられました。
以来、可睡斎歴代の住職は高僧が相次ぎ、名実ともに東海道における禅の大道場として面目をほしいままにしていたとの事です。
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