many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

業について考える

2015-07-28 21:14:07 | Weblog
学生んときの先輩が亡くなってしまった。
それで昨日通夜に行ってきた。
土曜日に亡くなったってことらしいけど、日曜日に同じつながりの先輩が私に教えてくれた。
不義理極まりない私のこと、連絡先をやりとりしてなくて、それでも四方八方手を尽くして、電話してきてくれた。
それだけでも、こいつぁ行かなくちゃ、とは思った。
故人は、私が所属してたサークルの先輩で、学部は違うけど、いろいろ世話になった。
有体にいうと、彼が私の一代前の代表で、私がそのあとを継いだ。(今ぢゃ私にはキャプテンシーの面影も何もないけどね。)そういう意味ぢゃあ、引き継いだものとか共有するものとかがいっぱいある。
ぶっちゃけた話、その先輩には、私をそこに引き入れたっていう縁もある。
入学式当日、同じ競技でも十も二十もサークルがあって、どこがいいのか全く分かんなくて途方にくれてた私は、もういいから最初に勧誘してくれたとこに即入ろうって決めて、そのエリアをうろうろしてたんだけど、そこに声かけてくれたのがその人だった。
私の学生時代は、このサークルと、3,4年時に在籍したゼミしか、居場所っていうか、交友関係がなかったから、そこでの出会いは、まあ、運命を決めたものと言ってよろしいんぢゃないかと思う。
だから、行くしかない。
無沙汰は申し訳なかったけど、ここで行かなきゃ人ぢゃないよな、って思って、出かけてった。
で、通夜終わって、当時関係のあったメンバーで集合した。
通夜で並んですわった連絡くれた人を含め、先輩が四人(うち二人は私が新入生のときの四年生、ひとりは三年生、いずれもアタマ上がんない)、タメ一人、後輩一人、私をいれて計7人。
場所を変えて、帰りの新幹線の時間まで、小一時間、酒など飲みながら歓談した。
無沙汰極まりない私は、みなさんとは卒業以来初めて会う。
でも、変わってないな、とか言われる。
あまりの音信不通ぐあいに、なんでも、私の死亡説ってのも流れてたらしいけど、すいませんねえ、ちゃんと生きてます。
(みんな口悪いので、そのくらいは気にしない。私だって逆の立場なら、そのくらいのことは言う。)
でも、関係を断ってたら、人ってのは存在しないのも同じだから、死んでたようなもんかもしれない。
土日が仕事、というのを言い訳にして、会合には出ず。
転勤・引越が多くて、というのを言い訳にして、現在地を連絡するのを怠ったりして。
まったくもって、つながりを断ってたのは、私の責なんだけど。
今も、あらゆる関係から、フェイドアウトしてっていいや、と思ってる自分がいるのは否めない。

人は死んでも業が残る、とは私が仏教に興味があったころ、ある僧侶から聴いた言葉。
人同士のいろんなつながりがあるんで、たとえ本人死んぢゃったとしても、その人のことを思い出すとか、それが縁で知りあいの知りあい同士が集まるとか、なんかそんな意味を含んでる。
あのとき、私をそのサークルに引き入れた人が、亡くなってしまったけど、それを縁に、またそのメンバーに再会させてくれてんだと思うと、得も言われぬ感想を持たざるをえない。
でも、葬儀に出るたび思うことなんだが、私が死んでもこんなには人は集まらないなあ、と思う。(それが私の業。)
コメント
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