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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

猫だましい

2019-02-23 18:35:25 | 読んだ本
河合隼雄 平成十四年 新潮文庫版
これは去年10月ころ買った、わりと新しめの中古で、平成28年8刷の文庫。
河合隼雄さんの書くものはおもしろいんだけど、それでもなるべくむずかしくなさそうなのがいいなと思って、変わったタイトルのこれを手にとってみた。
猫だましいってタイトルのまんまで、「新潮」に12回連載したものだそうで、単行本は平成12年というからそのころなんだろう。
連載にあたっては、「たましいの顕現」としての何かについて書こうって、すごく高尚そうな狙いがあったらしいんだが、そこを猫にしちゃうのがさすがである。
たましい、ってのは、これまでも河合さんの理論のなかでは重要なワードだとは思ってたけど、かならずしも心のことだけを言ってるんぢゃないらしい。
>近代の特徴は、たましいの存在を否定してしまったことである。ものごとをすべて明確に区別して考える。心と体とを区別する。精神と物質を区別する。近代はこのようにして驚異的繁栄を見た。(p.252)
っていうんだけど、そのまえのとこに、
>人間を心と体に切り離して、それらを合わせてみても、もとの全体としての人間には戻らない。そのとき、心と体とを全体として、一個の生命ある存在にならしめているものを、たましいと呼ぶのである。(同)
って定義してる、なんだろう、それって思うんだが、
>たましいは広大無辺である。それがどんなものかわかるはずもない。従って、何かにその一部の顕現を見ることによって、人間は「生きる」という行為の支えを得ようとする。(p.253-254)
ってことで、どんなものかはわからない。でも、ある、んだよね、きっと。
で、なんだかわかんないんだけど、ひとによっては猫がその顕現になりやすいから、そのときはたましいのこと考えてごらんと。
というわけで、猫が出てくる小説とか物語をとりあげて、いろいろと話を展開してくれている。
>話がたましいの領域にまで拡大されるとき、人間のドラマにはしばしば動物が登場するものだ。(p.177)
とか、
>(略)猫について人間がとやかく言うのも、結局は人間が自らの性格を語っているようなところが多い。従って、古来から、猫について人間が描くいろいろなイメージは、結局のところ人間の特性を述べているものと考えられる。
>これから、猫を主人公とするいろいろな物語や小説などを取りあげていくが、それは要するに、人間のたましいのはたらきについて語っているのだ、というのが私の立場である。(p.20)
とかってことらしい。
ほかの動物から遠く離れすぎちゃった人間というものについて、
>現代人の日常生活を考えてみると、いかに人間のもつ動物性から切り離された生活をしているかがわかる。まず第一に変な衣服を身につけている。道具や機械を使って好きなことをする。それに言語によって意志の伝達が行われる。これによって、人間は自然を征服したように感じる。(p.194-195)
って、なにかを支配したりするのが幸福になることって考えがちかもしれないけど、そういうのって緊張しっぱなしで実は不安だってひとがけっこう多いって解説してくれてる。
何かに勝つとか金もうけするとかだけぢゃなく、猫を撫でるときのように、「とろける世界の見事さ」を知れっていうんだけど、いいなあ、それ。
出てくる物語のなかには、私の知ってるものはわずかで、全然知らなかったもののほうが多いんだが、なかでもこれは読みてえなと思ったのは、ポール・ギャリコの『トマシーナ』。
I なぜ猫なのか
II 牡猫ムル
III 長靴をはいた猫
IV 空飛び猫
V 日本昔話のなかの猫
VI 宮沢賢治の猫
VII 怪猫――鍋島猫騒動
VIII 100万回生きたねこ
IX 神猫の再臨
X とろかし猫
XI 少女マンガの猫
XII 牝猫
コメント
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