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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

あなたも落語家になれる 『現代落語論』其二

2019-02-10 17:53:01 | 読んだ本
立川談志 1985年 三一書房
ずっと気にして探してたこの本だが、ことし正月3日に地元のワゴンセールで見つけたので、こいつぁ春からと喜んで買った。
1985年の出版だが、あとがきで「三年もかかった」と書いてあって。
最後の著者略歴みたいなとこには、「1952年東京高校中退 同年柳家小さんに入門 1963年五代目立川談志襲名、真打になる 1971年参議院議員に当選 1982年破門 同年6月家元立川流創立、現在にいたる」とあるんで、立川流起ち上げたときから書きはじめて三年ということか。
しかし、律儀に「破門」って書かなくてもよさそうなもんだが。
でも、本文中では
>が私は小さんに入門してよかったと心底思っているし、今でも、小さん師匠を尊敬している。いや愛している。(p.282)
なんて書いてるし、騒動の結果として飛び出したけど、通じ合ってるものはあるんだろう。
協会と袂わかって寄席に出なくなったからというわけではないだろうが、当時の現代落語の危機感みたいなのについては厳しい。
>実をいうと、私はこの頃寄席という建物を含めて、そこで演じられている諸々の芸のすべてが、私には古く感じてしまうようになった。時代とのズレを感じるのだ。(p.150)
と言うんだが、それをどうこう改善しようってんぢゃなく、
>私は現在の寄席のなかにいては、社会を相手に語り、行動する落語家は育たなくなる、と判断した。逆に一般社会を相手にしたくない、できない芸人が寄席にいればいい、ときめた。(p.271)
と、時代遅れに気づかない連中は見捨てる方向に行ったようだけど。
そこには、やっぱ、伝統も大事だけど、現代に受けるもんぢゃなきゃいけないって考えがある。
んなもんだから、芸術だとか、本筋だとか、作品派だとかってものだけをありがたいと思う聞き手とのあいだには微妙な緊張が生じる。
古典をやるのに、現代のマクラから入ると、反応が冷やかなんで、
>古典落語を聴きにきた客にとっては、現代の話は邪魔であり、迷惑なのだ。(略)
>たとえそのマクラがどんな面白くても、ムリにも笑わない。それを笑う自分が嫌なのだ……。現代のマクラを喜んでは古典落語ファンらしくないのだ。(p.61)
なんて言ってるが、自分もかつてはそうだったから、そういう心理はわかってはいるんだけど。
>伝統を軽蔑するとエライことになる。これを承知の上であえてズバリといえば、いまの落語家は少数の寄席ファンを相手に落語を喋っているだけで、社会を相手に喋っていないのだ。(略)
>十年一日の如く演じている落語家たちにいわせると、
>「私は、こういうスタイルが好きで、こんな風にしか落語が喋れないんです」
>という。しかし、それは嘘である。自己の怠惰にたいする言い訳である。(p.188)
というぐあいに、売れないことに危惧もたずに昔のスタイルにしがみつくことを否定する。
主流派ばかりをもちあげる評論家みたいなひとたちに対しても、
>大衆の喜んでいる量的な芸と、芸術性のある質的な芸とはっきり二派にわけてしまい、量的な芸を、何とポンチ絵派といったのである。(略)
>この際はっきりいおう。寄席を、落語を支えていたのは、彼らポンチ絵派といわれた人たちにほかならないのである。質的芸人、量的芸人の両車輪ではなく、量的芸人が質的芸人を生かしておいたのである。(p.43)
と、わかってねえなあと言わんばかり。本気でやれば、いちばん本格派なひとが言うんだから、すごいよね。
自分は本格派だと言って新しいことに打って出ない弟子の世代たちにも、売れなきゃダメなんだと否定する。
>本当に欲しければ、自分で取りに行けばいい。取れないことはないはずだ。人間が創った世の中、人間が解決できないこともあるまい。
>欲しいものは取ればいいのに、取りにいかないで、“欲しい”という。つまり、欲しくないのだ、といわれても仕方あるまい。文句もいわない、公道も起こさないのは、欲しくないのだ。それを“欲しい”といい、“でもそれが手に入らない”ということで己れを安住させているのだ。(p.225)
ってのは、落語界にとどまる話ぢゃないよねえ、さすがだ。
テレビが先頭切るかたちでドキュメント全盛の時代になっちゃったけど、フィクションの世界に遊ぶってのも人間の楽しみのひとつだ、ってのも傾聴に値する意見だし。
ちなみに、タイトルの「あなたも落語家になれる」は、立川流には三つコースがあって、Aコースが従来の弟子入り型、Bコースは芸能人などが名前をもらうタイプなんだが、Cコースで普通のひとが落語に関わりたければ二万円の入門料と月々五千円で立川流に入って研究生になれるんでいらっしゃい、ってことらしい。
序 落語って何んだ
その一 落語のルーツ=私説落語史
その二 落語私史
その三 回想の落語家
その四 現代の芸人たち
その五 いま、落語は
その六 古典落語時代の終焉
その七 家元立川流の創立
終 現代に挑戦する
コメント
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