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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ユリイカ 特集マンガ王国日本!

2021-06-05 18:45:52 | 読んだ本

ユリイカ 一九八七年二月号 青土社
これは2月に古本屋のマンガの棚にあったのを見つけて買った、もちろんマンガではないことはわかってて。
「現代マンガの50人」とか、新たな発見があるかもしれないからおもしろそうだもの、現代っていっても1987年時点だけど。
読んだなかでおもしろかったのは、橋本治が『バタ足金魚』を論じたもので、
>望月峯太郎の絵がうまいのは、もう言うまでもない。
から始まって、
>望月峯太郎の絵は、「これは本当だったらマンガにはならない」という質――つまり“本格”という種類の異質なのだ。マンガの一コマである以前に『バタ足金魚』の一コマは独立した一点のペン画であると言った方が分かりやすいかもしれない。
とか、
>マンガというものはやはりストーリーを追って行くものだから、絵はストーリーに対して“従”となる。(略)そのストーリーを平気で素っ飛ばして、描写だけでも物語が出来上がっている――その部分が非常に大きいのだとしたら、そのマンガはかなり異質なマンガだと言えるだろう。『バタ足金魚』とはそういうマンガなのだ。(p.80)
とかって絵のうまさを解説してくれる。
さらに、
>実際のところ、少年を主人公にした少年マンガにはテーマなんか一つしかない。これはもう永遠に一つである。なにかといえば、それはもちろん“可能性”である。少年にはそれしかないんだからしょうがない。少年マンガとは少年の可能性を描くものなんである。これがあれば何をやっても許される、これがなければ何をやってもカスである――そういうものが少年マンガと可能性の関係なのだ。(p.81)
という少年マンガ論を展開する、こんなわかりやすいのは聞いたことがないので感心した。
なおタイトルの「思い通りにいかないコトはぜんぶ認めねーぞ、俺ァ」ってのは、『バタ足金魚』の主人公カオルのセリフで、1巻の81ページに出てくるんだけど、そんな大きな声で言ってる場面ではないので私はこの名セリフを見逃していた。
コンテンツは以下のとおり。
「花ゆめ」の三奇人――川原泉・佐々木倫子・明智抄 伊藤比呂美
マニエリスム漫画の道徳性――花輪和一と寺沢武一についてのノート 加藤幹郎
性別越境の冒険 渡辺恒夫
このレヴェルの低さは尋常ではない 城戸朱理
望遠鏡と顕微鏡――畑中純について 村松友視
思い通りにいかないコトはぜんぶ認めねーぞ、俺ァ――または、妄想としての現在 橋本治
元少女の少女マンガとのつきあい方――高野文子と〈青い鳥〉 松岡和子
共同討議・われらみなマンガの徒――1967~1987のマンガを回顧する 四方田犬彦・米沢嘉博・松枝到
オナニーマンガ白書の手前でイッテしまった ねじめ正一
ドラえもんとカルト・ムービーとコミック 野々村文宏
純文学マンガの行方――つげ義春を中心に 呉智英
花合美少女今昔――春信の系譜 本田和子
夢解体のエクスタシー――マンガの表現、そして伝奇ロマン漫画のリアリズム 浜口稔
蘊蓄とはなにか――大衆文化における漫画的なるものをめぐって 鈴木聡
(ポルノ)グラフィー 大橋洋一
当世少女漫画の源流を尋ねて――一美術史家のより道 高橋裕子
現代マンガの50人 米沢嘉博・編

コメント
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