丸谷才一 一九九五年 マガジンハウス
これは去年の4月だったか買い求めた古本なんだが、ずっと積んだままにしてた、いかんね怠け者で。
なかみは、ほぼほぼ書評集のようなもので、「週刊朝日」と「毎日新聞」に1989年から1994年ころに書かれた書評が分量の多くを占めている。
「II 文庫本に添えて」って章は、文庫本の解説を集めてるのはまあ普通なんだけど、「IV わたしは推薦する」って章は、本の帯なんかに書かれた短い文を集めた変わった企画だ。
で、特にすぐ読みたくなるような本の紹介が見つからなかったこともあり、今回一読しておもしろかったのは、「V 国語入試問題大批判」。
主に70年代後半のころだけど、大学の入試問題の特に現代文の出題がひどいとバッサバッサと斬り捨ててる、これがおもしろい。
題材となってる文章がダメだというのがまずひとつで、
>といふのは、小林秀雄は卓越した文藝評論家だが、彼の文章はもともと、飛躍した論理とベランメェ口調の開き直りの連続だからだ。肝心なところに控へてゐるのは気合術と腹藝で、着実な展開とか、明晰な論旨とかは、彼の基本的な美質ではない。さういふ詐術を文藝批評の名人藝として感嘆するのはかまはないとしても、この手のものが入試問題に最も不向きな文章だといふことは、改めて説明するまでもなからう。(p.292-293)
とか、
>もしこれがスラスラわかつたりなんかしたら、あなたの頭がをかしいのだ。ここにゐるのは、つまらぬことを勿体ぶつた口調で言つてゐるうちに、自分でも何を書いてゐるのかわからなくなつた男である。あるいは、エリオットの伝統論(それは明晰なものだ)の口真似をしてゐるうちに、余計なことをゴタゴタ付け加へたくなつて、そのせいで生じた混乱を自分の思索と勘違ひしてゐる男である。(p.288-289)
とか、すごいやっつけかたをするのは爽快だ。
「次の文章を読んで、感じたこと、考えたことを書け」みたいな出題でも、そこに出されてる文章がよろしくないと、
>なぜ感心しないかといふと、引いてある文章を読んでも、感銘が薄いからである。つまりものを書くのに必要なだけの刺戟をこちらの精神に与へてくれない。(略)これでエンジンがかかる人がいたら、それは文章を読む力がないのだ。書く気になれないのにそれでも無理やり何とかするとなれば、これは何を書かせようといふつもりかしらと、あれやこれや出題意図を推測するしかなからう。すなはち国語力や文章力は二の次になつて、むしろ顔色をうかがひながらものを言ふ技術をためされることになる。(p.301)
といった具合に、作文の試験にならないと攻撃する。
字数の制限をつけずに、「説明せよ」と記述させるものについては、
>(略)採点の手間を惜しんでゐない。(略)別に字数制限などしないで文章で答へさせ、それをじつくり読まうといふ態度である。嬉しいぢやないか。国語の試験といふのは、言語能力および思考能力が検討されるわけだが、さういふ精妙なものを測るのにコンピューターなんかに任せるのは間違つてゐる。(p.297)
として、一番いいのは作文を書かせることだと主張する。
逆に、「次のなかから一つ選び番号で答えろ」みたいな出題ばかりだと、
>そのやうな地道な出題を嫌ふのは、言ふまでもなく採点の便宜のためである。符号で答へさせてチヨイチヨイと点をつけ、楽をしようといふ気持がまずあつて(略)(p.320)
とバッサリ言うし、なんか似たような選択肢ばかりのものを並べてる出題には、
>(略)何とか間違はせようといふ魂胆が見え見えで気に喰はない。(略)それは言語能力の検査であるよりはむしろ、何かのクイズのやうだ。(p.308)
と大学生に必要なものを問うてないでしょと指摘する。
なかでもクイズ性がひどいのは、文学史的出題に多いとして、
>かういふ現代詩集の題名など、別に知らなくたつていいのである。正解はロとチなんてことは、古本屋の主人ならみな知つてゐる。文藝評論家も、文藝記者も知つてゐるはずだ。しかし、将来この三つの職業にたづさはるにしたつて、大学生になるとに大事なのはさういふ雑知識ではなく、ちやんとした言語能力と思考力なのである。まして他の職業なら、文学的雑知識はいらない。(p.310)
とビシッと悪問題だとやっつけてくれるところなんかは、なんとも痛快。
コンテンツは以下のとおり。
I 小説から絵まで
幾時代かがありまして
もう二つ選ぶ
セーラー服と世紀末
物語としての昭和史
遅ればせな書評
よく見る夢
近頃の東京ジャーナリズム
コラムの藝
シェイクスピアを描く
扇絵源氏
II 文庫本に添へて
植村清二と楠木正成
正統的な散文
言語的人間
迷惑な才能
パロディとは何か
III 書評のレッスン
アッラーの恵み
愛のかたち
色名帖
小説の変容
ディドロの影の下で
館長室の書棚
フランス料理から焼鳥まで
音楽の状態に憧れる
ロマンチック・アイロニー
孔子学派
日本文学に刺戟されて
田舎町の悲劇
寛容と平衡感覚
小説家の領分
もう一人の大統領
同時代人の典型
先祖たちからの記憶
詞華集の名作
現代俳句から古俳諧へ
自然と人間の研究
桟橋のあかり
社長と盲腸と符丁
天才的な作家の弟であること
金屛風から扇まで
快楽としての読書
学者の随筆
藝術と呪術に境がなかつたころ
孫悟空はゐないけれど
ヨーロッパ小説史を生きる
だまし絵
長篇小説第一作
ヴィンテージものの葡萄酒が……
ハピー・エンディング
中世フランスの村
詩人たちの友達
百年つづく雨期
人生の楽しみ
小型のカーニヴァル
誘惑者の対談
色事と批評
新ソクラテス
『広辞苑』以後
『ロリータ』の原型
日本的思考の研究
物語としての同時代史
声のためにはウォトカ
二十世紀藝術論
野守は見ずや
愁ひつつ岡にのぼれば
個性を超えたもの
ヘミングウェイの肖像
すばらしい幸福
右翼的人間
死者の国の物語
花形記者の条件
神話的方法
離陸そして飛翔
ポーとO・ヘンリーの国
国語辞典プラス百科事典プラス新語辞典
つゆの世
モダニズムの文学
東京の未来の空
劇団四季と新劇と
西郷も大久保も食べた
劉邦から毛沢東まで
ジャポニズム
恋の共同体
大人の女
学術的な遊び
大英帝国を防衛する
藤原氏の日本
銀河鉄道と地母神
青春そして人生
ユーモアと論理
冗談としての小説
批評の現場
IV わたしは推薦する
イギリス帰りの先生
料理の家の娘
究極の道楽
昔ごころ
郷愁
書評の名手
不思議な本
江戸文学最後の巨匠
小説の名人
本を夢みる
偉大な反逆者
ちよつと文学的
ハワイで見た夢
V 国語入試問題大批判
深瀬基寛の思索を排す
山口瞳に同情する
ああ文学
河合塾の出題に抗議する